魔法使いの暮らす里ー4

  転移術など生まれて初めて体感したが、これと言って特異的な感覚はなかった。

 屋敷の一室が映し出された湖に足を踏み入れる時は水の冷たさでもあるのかと思ったが、足に伝わってきたのは木製の床を踏んだ微弱な振動だけだった。

  全員を通し終えると全身鏡に淡い光の余韻を残し先程まで俺達が居た森を映した景色は消え去った。

 湖と鏡が繋がったのか。魔法の理屈は未だによく分からない。

  魔法の歴史や法律の関連書物はいくらでも調べられるが、魔法の具体的な使用方法や詩は極秘事項で一般国民には知りようがないのだ。

 それなのに月舘先輩はそれを知りえ、使用にまで至る。

 ただの成績優秀な生徒ではない。まだまだ謎が深まるばかりだ。

  法に背いても人命を優先する、誰かを守ることに関しては月舘先輩は何者よりも執着する人だ。

 俺達の誰か一人でも月舘先輩が魔法を使用したと報告すれば、たちまち犯罪者になってしまうのに。

 周りの評価や自分の地位など微塵も気に止めない。

 だからこそ生徒会をはじめとした彼を知る人々からの信頼が厚いのだろう。

 こんな人がよく居たもんだと、改めて感服せざるを得ない。


  屋敷は静かで、夜とはいえ大人は起きていても不思議ではない時間だが不気味なほどに物音がしない。

 リリアが言っていた喧嘩は終わってしまったのだろうか。

  足音に注意を払いながら客間を出る。

 廊下にも人影はなく、無人なのではないかと疑いたくなる。

 はたまた既に事が全て終わってしまった後なのだとしたら最悪のパターンではある。

  屋敷の地理を把握しているのか月舘先輩を先頭で迷わずに進んで行く。

 やがて細かい文様が描かれた大きな扉に辿り着く。

 辺りを見回す限りどうやらここが屋敷の中央部らしく、いかにも屋敷の主が居そうな場所ではある。

 しかしそこからも物音は一切聞こえてこない。

「風祭、鴻。前方の角を曲がって真っ直ぐ行った先に部屋がふたつある。それぞれ寝室と子供部屋になっているはずだ。そちらの様子を見て来てくれ。族長の間を確認し次第俺達もそちらに向かう」

「わかった」

 風祭先輩と鴻の姿が闇に紛れ始めた頃、扉の向こうから突如物音が聞こえた。

「天沢とリリアはここに残れ」

  俺を見た後、視線を扉に移し月舘先輩は俺に目配せしてきた。

 突入を俺と先輩で行うということだと即座に判断し頷く。

 それを確認すると勢いよく扉を開け放ち二人で部屋に入り込む。


  冷たい風が全身を襲い、思わずしかめてしまった視界に飛び込んできたのは転移術で別の場所に飛ばされたのかと錯覚するような氷の世界だった。

  白い冷気の向こう側には人が二人居た。

 一人は青年で俺達の侵入に気づき驚きよりも不機嫌さが勝った顔をしていた。

 もう一人は中年の男性で氷の柱に張り付けられ磔刑でも行われるかのような状態で気を失っていた。

 状況から見ても恐らくこちらが族長だろう。

「おや、お客様は特に招いてはいないはずだが」

「私達はアルフィード学園よりティオールの里の安全調査のために派遣された生徒です」

「おかしいな、生徒さん達は明日の到着だと聞いていたのだが」

「よからぬ噂を小耳に挟んだもので、至急族長殿にお伺いしたく予定より早く参りました。ところでこれはどういった状況でしょうか。とても平穏とは言い難いですが」

  この異常な氷の空間は明らかに魔法で作り出されたものだろう。

 気象を揺るがす魔法を駆使するということは攻撃的な魔法の使用もありえるだろう。

 月舘先輩が会話を続けている以上向こうからの魔法での攻撃はないはずだが、相手は予想外の珍客に苛立っている。会話が長く持つことはなさそうだ。

 族長の容体がここからだと正確に判断できないのも歯がゆいところだ。

「まったくもって困ったものだよ。屋敷の外は結界魔法を厳重にかけたはずなのに。この部屋にもかけとくべきだったかね。どこから潜り込んだのだ、この人間風情共は――!!」

  青年の殺意にも似た悪意が剥き出しになる。

 俺は反射的に手の甲のパレットから剣を引き抜き構えるが、月舘先輩は戦う姿勢をとるなと手で制するので仕方なく剣を下す。

「私達は戦いを望みません。どうかこの魔法を解いてはいただけませんか?私は貴殿の要求を伺うようにも上から言付かっております。このような反乱行為、国に知られればティオールを危険分子と見なし介入してくるでしょう」

「お前のような生徒の分際で何が変えられる。我らは長年に渡りこの里に留まり続けた。お前ら人間が我らに関わらないと言ったからだ。それなのに近年はどうだ?再び我らの魔法を道具のように扱い始めたではないか。これでは500年前と同じだ。いつかは国の捨て駒になる未来が見えている」

「誤解です。国はティオールとの共存を望んでいるだけで決して道具のようになど思っていない。話せば分かります!」

「話せば分かる、ね。族長にも何度もそう言われた。一体誰が俺達の人権を保障してくれる?このアルセアの地に住まう以上我々に絶対的なものなどないのだよ。従って我らティオールは一国としての権利を主張する!邪魔するようならお前達にも同じ目に合ってもらおう」


   *   


「…お父様…」 

  今にも飛び出そうとするリリアちゃんを必死に引き止めつつ族長の間を黙って見守る。

 月舘先輩が転移術で強行しなければどうなっていたかと思うと冷や汗が背中を伝う。

 室内の様子全てを把握はできなかったが奥に見えた囚われている小さな人影が

リリアちゃんのお父さんなのだろう。

 リリアちゃんが居る以上、中のことは先輩達を信じるしかない。

  それにしても静かすぎる。

 これだけの騒ぎ、少なくても先輩達が乱入してからは物音がかなりしたはずだ。

 リリアちゃんの家族も心配だが、族長への反乱を共に行った仲間はいないのだろうか。

 両方が姿を現さないのは不自然すぎる。

 中の人がたった一人で反乱を起こしたのだろうか?

 辺りへの警戒をより強める。

  すると規則正しい足音がゆっくりとこちらに向かってくる。

 やがて暗闇から姿を現したのは綺麗な銀髪の少年だった。

 少年は中性的な顔立ちで長い髪をゆるく三つ編みに結わいていた。

「クラウス!どうしてここに?」

 クラウスと呼ばれた少年は私達に驚きもせず、変わらぬ足取りで目の前までやってきた。

「リリア、どうして戻ってきてしまったんだ…君には見せたくなかったのに」

「クラウスは何か知ってるの!?」

  憂いた眼差しでリリアちゃんを見つめていた少年の蒼い瞳が静かに私を捉えた。

『光よ、汝の輝きを用いて偽りの真実を映し出し、彼の者を惑わせよ』

  リリアちゃんの知り合いと油断していたのが仇になり、囁くような言葉にそれが詠唱だと気づくのに遅れた。

 詠唱を止めようと手を伸ばしたが間に合わず、私は意識を手放してしまった。

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