抱える想いー7


  体育祭開催期間だからか商業地の中央通りはまだまだ賑やかだ。

 本来、学園都市であるアルフィードでは20時を過ぎれば営業している店は僅かとなり商業地はほぼ閑散とするので珍しい光景である。

 そんな喧噪を横目に商業地東通りの隅に鳥羽から指定された店『フォルトゥーナ』へと辿り着く。

  この店に来るのは三度目だが、やはり少し緊張する。

 普通ならば未成年が来店しないような場所に入る高揚感か罪悪感か。

 きちんと消灯時間までに寮へ戻り、酒さえ飲まなければ何も悪いことではないのだが。

 少し重たく感じる扉を開ければ夜の暗闇と変わらぬ薄暗い部屋に落ち着いた暖色の照明が室内を照らしている。

 ソファやカウンターなど思い思いの客席で今日も静かに酒を嗜む大人達が居る。


「やあ、いらっしゃい。今日は一人かい?」

  過去二回しか来たこともない俺を覚えているのは常連である鳥羽に連れられて来ていたからだろうか。

 それともこの人の記憶力や人の良さがそうさせるのか分からないが、俺の顔を見るとマスターはカウンター越しに穏やかに笑いかけてきた。

「いえ、鳥羽が後から来ます」

「そうか。それじゃあゆっくりしているといいよ」

  以前に来た時と同じカウンター席の隅に座るとマスターは慣れた手つきで飲み物を提供してきた。

 洒落たグラスの中で透明の液体は大量の泡を浮かばせていた。

 まさかと思うが俺を覚えているなら酒を出したりはしないと思うが少し不安になる。

「バーに来たんだ。お酒を味わうのはもちろんだけど雰囲気も楽しまないとね。佳祐君はまだ未成年だからお酒は駄目だけど、気分を味わうのは悪くないだろ?」

「…いただきます」

  名前や未成年であることまで覚えているなら酒ではないだろう。

 少し口に含めば控えめではあるが炭酸がパチパチと弾け、後味に白葡萄の爽やかな甘味があった。     

「スパークリングワイン…もどきね。俺オリジナルだからアルコールはゼロだよ」

  悪戯っぽく笑うマスター。大人の余裕とでも言うのだろうか、落ち着いている。

 学園都市に店を構えているだけあって学生の客が珍しくはないのだろう。

 気の利くマスターのことだから学生向けにもメニューを考案しているのかもしれない。

「美味しいです」

「それは良かった。今年の体育祭も白熱してるね。佳祐君去年よりも大活躍だし」

「自分にできる最善を尽くしているだけです」

「そんな今時にしては珍しく真面目な君が交流祭を抜け出してきたのは何が理由かな?」

  交流祭は20時まで行われている。現在の時刻は20時15分。

 鳥羽との待ち合わせ時間は20時半。

 早くに来てしまった自覚はあったが、どうして終了時刻より早くに抜け出してきたのに気づかれたのか。

  渋々苦手な交流祭に参加して早くに抜け出したかったのをテラスに避難し、これでも19時まで我慢した。

「その様子だと図星だな。正装のまま一人、双星館からここまで走って来ても10分。息を切らさずゆとりをもってやって来た君を少し不思議に思ってね」

  マスターは俺の反応を見て楽しんでいるのだろうか先ほどみたいに笑った。

 少しでも動揺した自分が抜け出したことを裏付けてしまった訳だが子供扱いを受けているみたいで悔しい。

「どうして抜け出したんだい?他校の人とも話せるいい機会だと思うけど」

「…人と話すのはあまり得意ではないので。誰かと率先して話す場はちょっと…」

「そうなのかい?悠真から佳祐君は女性に人気があると聞いたから交流祭じゃ引く手数多かと思ったけれど。もしかして女の子に話しかけられるのが嫌で抜け出したのかな?」

「…ご想像におまかせします…」

  恐らくマスターは推測だろうが、確信をもって言っている。

 いらぬ情報を与えたのは鳥羽に違いない。


  そもそもまともに話したことのない相手と何を話せと言うのだ。

 面識がある相手ですら俺は会話を盛り上げられない。

 風祭のように場を明るくする話も鳥羽のような気の利いた話も俺には出来ない。

 そんな奴と居て何が楽しいか全く分からない。

  俺は自分で自分にまるで魅力を感じないが、それでも話しかけてくる人は居る。

 人の対応を上手くできている自信なんてないし、不快にすらさせている気がする。

 考える程に気が重くなるので俺はなるべく誰とも会話をしたくない。

  本当は誰とでも話せるように努力をすべきなのだろうけど、話さないことが楽だと気づいてしまった。

 それに人との繋がりを広げて、その繋がり全てを大切にできる器用さは俺にはない。

 身近な繋がりを大切にすることで精一杯だし、それでいいとも思っている。



「ごめん、遅くなっちゃったね。参加者全員の見送りをしていたら思ったよりも時間が掛かちゃった」

  少し息を切らしてやって来た鳥羽は俺の隣に腰かけるとネクタイを緩めていた。

 まるで大人だ。同学年なのに時々仕草や言動に大人染みた所がある。

 顔は人形みたいで男らしくもないのに。

  前に俺の顔を綺麗な女みたいだと言う鳥羽に「お前のほうがよほど女みたいだ」と悔しくなって言い返すと「佳祐にだけは言われたくないなー」と頬を膨らませて拗ねていた。

 その仕草が既に俺よりも余程女だと思ったが言い合いをしても仕方がないのでそれは心にしまっておいた。

  鳥羽が遅れたと言うので時刻を見れば20時40分だった。

 話すのが苦手な俺にしてはあっという間に時が過ぎた。

 これもマスターの話し方が上手いお陰だろう。

「交流祭で出たお酒も美味しかったけど、やっぱりマスターのお酒が一番美味しいや」

  マスターが鳥羽の姿を見るなり作り上げたカクテルを一気に半分位まで飲み干した鳥羽は満足げだった。

 彼は『フォルトゥーナ』の常連でマスターとも馴染みがあり、俺が見る限りいつも同じ赤いカクテルを飲んでいる。

「佳祐は飲まないの?」

「俺はまだ未成年だ」

「どうせあと数か月でしょ?いいじゃん、俺誰にも言わないよ?」

「お前はもう20歳だからいいが俺はまだだから駄目だ」

「佳祐は固いなー」

  気取った話し方をしない、少し子供じみた物言い。

  鳥羽は本当に切り替えが上手い。

 他者を引き寄せない完璧さを演じたかと思えば、茶化すような喋りをして飄々として掴みどころがない。

 誰かに属さず、自分を使い分け、望む交友関係を築き上げる。

 優れた鳥羽を尊敬をすることは多いが、時々怖くなる。

「まったく、悠真と佳祐君は役職交換したほうがいいんじゃないか?」

「あー酷い。これでも俺、皆から推薦されて会長なんだからねー」

「分かってるさ。けど17歳の時からうちに入り浸る不真面目さはいかがなものかな」

「やんちゃな時代が誰にでもあるものだよ」

「まだ20歳成り立てが何言ってるんだ。本当悠真は外面良いからな。この不良息子」

「うわー不良息子なんてマスターにしか言われたことない」

  たしかに鳥羽は公でこんな姿を決して見せはしないだろう。

 皆が知っている仕事のできる爽やかな生徒会長の顔と今見せている無邪気な子供みたいな顔。

 この両方を上手く使いこなせているからこそ鳥羽は信頼も得るし、世渡りが上手なのだと思う。

  マスターが役職を交換なんて言ったが俺に生徒会長などとんでもない。

 そもそも副会長ですら俺には重い役職だ。

 鳥羽はどんな役職も責務も見事にやり遂げてみせる。

 成績も良く社交性もあり、むしろ非が見つからない。

 国防軍最高司令官のご子息という肩書が鳥羽をここまで優等生にしたのか、はたまたそうせざる得ない状況にさせたのか。

 それでも鳥羽は立派過ぎるほど出来た息子だと俺は思う。

 

  軽い世間話が終わるとマスターは気を利かせて俺達から離れた位置に移動した。

「話って何だ?」

 早くも二杯目を手にしていた鳥羽はカクテルに口は付けず、ぼんやり眺めていた。

「…これからさ、厄介なことが起きると思うんだ」

  さっきまでの明るい空気はどこへ行ったのか。

 鳥羽のトーンが落ちた声色なので気を引き締める。

「厄介なこと?」

「きっとその時に俺は近くに居てやることはできない。だから佳祐に任せたいんだ、千沙のこと」

  鳥羽は地下研究室の存在を知る数少ない人間だ。

 そこで行われている研究、関わっている人間。学園の、国の闇のような部分。

 研究について鳥羽は肯定しておらず、嫌悪感をもっているようだが機密は守っている。

  俺がこの研究に関わる事になったのがアルフィード学園入学前。

 その頃から俺達は付き合いがある。

 決して人には言えないような内容も、話せる相手がいるだけで幾分か心が楽なる。

  鳥羽は察しが良い奴だ。

 不満は理解してくれるし手助けもしてくれて、必要以上に踏み込んでもこない。

 そんな鳥羽の気づかいに何度も救われた。と言っても鳥羽は生徒会長になる以前から忙しく、あまり姿を見かけない奴だったが。  

「任せるも何も、お前が付いていてやればいいだろう…今日みたいに」

「ああ、同伴させたから誤解しちゃった?あれは悪い虫が付かないように牽制の意味を込めてだから。軽い気持ちの奴が千沙に近づかれても迷惑だからね。まだ人の良し悪しがうまく判断できない子だからさ。だから深い意味はないって。本当だよ?」

「べつに…意味があろうとなかろうと俺はどちらでも…」

  鳥羽はあいつがこちらで暮らし始めた時から知り合っているようで兄妹みたいな仲だと言っていた。

 そうなれば二人の仲はもう約七年。

 あいつは記憶障害で二年弱の記憶しか正確にないだろうが、鳥羽にはきちんと七年の思い出がある。

 どのようになろうと不思議ではない。

「またまたー。あ、きちんと一言褒めてあげた?今日の千沙綺麗だったでしょ」

「褒めるも何も、話してすらいない」

「まだ二人のひと夏の熱い思い出は教えてあげないの?」

「誤解を生む言い方をするな…本人が思い出さないならこのままでいいんだ。余計な情報を与えるなよ」

「佳祐がいいなら俺はいいけどさ。べつに悪い思い出だけじゃないんだろ?」

「それでも俺が話せばここに来た経緯まで知ることになる。今を楽しめているならそれでいいだろ」

「分かったよ。佳祐は義理堅い男だね、忘れられた約束を果たす為に頑張るなんてさ。俺なら思い出してほしいけどね」

「重要なのは約束を知っていてもらうことじゃない。あいつが幸せになることだ」

「そっか…それじゃあさ、俺とも約束して。千沙との約束を果たすまででもいい…千沙を守って欲しい」 

「頼まれなくても俺に出来る限りのことはする。その為にここまで来たんだ」

  いつになく真剣な鳥羽に俺は素直に答えるしかできなかった。

 この時、俺は詳しく問い詰めるべきだった。鳥羽の言う"厄介な事"について。

「ありがとう。どうしても佳祐の口から聞いておきたくてさ」

  鳥羽はグラスのカクテルを一気に飲み干すと、いつもの爽やかで強気な笑顔に戻っていた。

「よし、まずは体育祭優勝だね!優勝以外ありえない。頼むよ、エース」

「ああ、最善を尽くす。鳥羽こそ明日のシューティング気を抜くなよ」

「言ってくれるね、剣術はまだしも銃なら負けないさ。今日は急に呼び出して悪かったね、帰ろうか」


  あまりにも自然だったものだから。

 いつもの勝気で余裕のある鳥羽の立ち振る舞いや言動で頼もしく安心しきってしまう。大丈夫だと。

 俺は鳥羽がこの時どんな気持ちであいつを任せたのかなど考えもしなかったんだ。


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