知りたいー7
研究施設の外に出て近くのベンチに腰掛ける。
生徒の消灯時間はもうすぐだ。
学園の敷地内にあるけれど研究施設の周りを出歩く人なんて居なくて静かだった。
「それで、私に何の用事?」
「私の知らない過去…忘れてしまった記憶を知りたいんです」
「そう」
「…やけにあっさりですね」
私の頭痛を知る美奈子さんなら少なからず、驚くか渋ると思っていたのにすんなりと相槌が返ってきた。
結構意を決して聞いたんだけどな。拍子抜けしてしまう。
「遅かれ早かれ聞かれると思っていたもの。多くの人と触れ合って様々な事を経験する。そうしたら知りたくなったんでしょ?当然の流れだわ」
「話してもらえますか…?」
「また頭痛が起きるかもしれないわよ?」
私は失くした記憶を深く思い出す切欠があると酷い頭痛に襲われる。
まるで自分を取り戻すことを拒んでいるみたいに。
「…私は自分の幼い頃の記憶が無いことを仕方のないことだと受け入れていました。でも記憶が無かろうと私の過去は確かにあって…だから当時の気持ちや思い出を取り戻すことができなくても自分のしてきたことやどんな人と過ごしたのか、それは知っていたい」
もう痛みを理由に過去を知らないままではいられない。私が
自分を知ることから逃げてしまったら…私は…天沢千沙という少女の姿を借りた別の誰かになってしまう。
「私が記憶を失ってしまったせいで知らないうちに誰かを傷つけたくない。過去の私が今の私の意志にそぐわないことをしていても、他人事じゃなくてそれを事実として受け止めたい。私が私を知りたいです…お願いします」
偽善だ。薄っぺらい自分の良心からでた言葉なんて上辺だけのものに思えてしまう。
怯えているだけだ。何者でもない不安定な今の自分が怖くなった、ただの臆病者。
「…分かった。そうね、私の分かる範囲で千沙ちゃんの知りたいことに答えましょうか」
「私が研究施設に来る前、私はどこで、誰と生活していましたか?」
私は11歳の時、アルフィードの地下研究施設にやってきて、とある研究の被験者として生活していた。
アルフィード学園に入学するまで地下から外に出ることは殆どなく、学校にも通わずに実験の時間以外は肉体強化の修行ばかりしていた。約6年間、毎日似たようなことの繰り返し。
私が言葉を交わしたことがあるのは美奈子さんと工藤博士だけだったらしいが、いつからか悠真君とも知り合っていたみたい。
これらは私の記憶ではなく美奈子さんから教えてもらった情報だ。
この話をしてもらった時はまるで実感もなく、自分の過去だというのに他人事のように思っていた。
記憶として鮮明に覚えているのは防衛戦の日からだ。
そこからは自分の意志で勉強を始め、育ての親のような美奈子さんと記憶を失くしている私を友達だと言ってくれた悠真君から勉強や日常生活の知識など多くを教えてもらった。
施設の外に出るのは研究の一環で常に誰かと一緒だった私が初めて一人で出歩いたのはアルフィード学園の入試を受けに行った日だった。
私の記憶はたったの1年半くらい、随分と短いものだ。
やがて美奈子さんはゆっくりと話す言葉を選ぶように語り出した。
「千沙ちゃんはね…アルフィードよりもっと遠い場所、アルセアの最北の地に住んでいたのよ。世界において文明発達が最も進んでいる国だと言われているアルセアだけど、北の高山地帯には機械とは縁遠い小さな農村があるの。その村から離れた奥地で千沙ちゃんは
アルセアの最北の地。そこはどんな場所だろうか。
自分の住んでいた家はどのような形だったか。暮らしていた風景は何も浮かばない。
天沢晃司とはどんな人で、私はその人とどんな話をしていたのかな。
うっすらと男性の姿が浮かぶ気がするけど、靄が掛かったみたいにぼやけてよく分からない。
聞かされた言葉を反芻して思いを巡らせるもやっぱり記憶は何も思い出せない。
「あの…私の両親は…?」
「ごめんなさい、父親については何も分からないの。行方とか以前に誰があなたの父親かも分からない。父親本人は名乗り出てこないし母親も父親については話していないみたい…でも母親は私も知る人で、晃司のお姉さんでもある天沢旭という女性よ」
——天沢旭!定食屋の女将さんの推測は外れていなかったんだ。
あの写真の女の子が私のお母さん…せっかく顔が分かったというのに母親との記憶は蘇らない。
静電気みたいな痛みが頭を駆ける。
それが切っ掛けとなったのかズキズキと小さな痛みは続いた。
私の異変に気付いたのか美奈子さんは話すのを一旦止めてしまったが「続けてください」と催促した。
「私の知っている旭さんはいつも明るく人懐っこくて、女の私から見ても可愛らしいと思う人だった。天沢の血筋なのかしらね、武術に長けていて男に引けを取らないほど強かったわ。アルフィードの卒業生で卒業後は腕を買われて軍の警察課に配属されてたわね。でもある時、急に行方を暗ませて…きっとその時には千沙ちゃんを身籠っていたんじゃないかな…。千沙ちゃんが5歳になるまでは一緒に暮らしていたみたい。でもそれ以降は……分からないわ。実際に見聞きした出来事と人から聞いた情報を合わせてもご両親について教えてあげられることはこれくらいかしら」
母親の話になると痛みが止まらない。きっと私は旭さんに思い入れが強かったのだろう。
当たり前か…たった一人の母親だもんね、会いたいだろうな…。
なのに痛むだけ…思い出してよ。どうして思い出すのを拒むのよ!
やり場のない悔しさで拳を強く握る。
「…意識を保てなくなるほどの痛みはきていないみたいね。これだけ過去について知っても激痛は起きていない、きっと少しずつでも失った記憶を否定しないで受け入れられるだけ心も成長しているんだわ。だから焦らないで、もっと自分を大事にしてあげて。今日はこれくらいにしておきましょう」
美奈子さんは私の手に触れると優しく包んで微笑んでくれた。
まるでそれが薬みたいに痛みが少しずつ和らいでいく。
私にとって美奈子さんは育ての親でもあり姉のような人でもある。
いつだって私は彼女に助けられている。
気がついていないだけで多くの人の優しさに助けられてここまで生きているのだろう。
そう、私ではなく千沙が受けた優しさで、今も千沙が受けるべきもので…
「あの、最後にひとつだけ聞いてもいいですか?」
「何かしら?」
「昔の私は、月舘先輩と会ったことがありますか?」
ずっと気になっていた。先輩は昔の私を知っている気がする。だけど私の過去について一度も触れてこない。
私の勘違いかとも思ったけど、先輩の口から語られる真実が怖くて本人には尋ねられない。
もしも先輩にとって私は害を加えた人間だったとしたら?
昔の自分がしてしまった過ちを綺麗さっぱり忘れてのうのうと生きている奴だと恨まれていたら。
そんな事実知りたくないとさえ思ってしまうが、知らなきゃいけないんだ。
「彼は千沙ちゃんに何か話したの?」
「いえ、何も…でも先輩は時々私の知らない自分を知っているようなことを言うから…」
「そうねー…佳祐君自身が話さないなら私の口からは教えてあげられないかな。ごめんね」
「ということは少なくても会ったことはあるんですね」
「あるわね。私としては話してあげたいけれど、佳祐君から口止めされてるの」
「…私、嫌われているんですね…」
すると美奈子さんはきょとんと瞳を丸くし、途端に笑い出した。
それも落ち着いていて上品な美奈子さんにしては珍しく大笑いだ。
「そんなに嫌われてますか!?」
「ううん、違うのよ。逆よ逆」
必死に笑いを堪えた美奈子さんだったけど笑い過ぎて苦しいのか瞳にうっすらと涙が浮かんでいる。
「これは私の推測だけど、佳祐君は千沙ちゃんが傷つくのが嫌だから話さないんだと思うわ」
「私はそんな酷いことを先輩にしてしまったんですか?」
「違うわ。千沙ちゃんは過去の記憶を取り戻しそうになると頭痛が起こるでしょう?」
「はい」
「だからよ。彼は一度あなたの苦しむ姿を見てしまっているから。私も同じだもの、千沙ちゃんには笑っていてほしい。それでも、千沙ちゃんが望むならいつか話してくれると思うわ」
「…そうでしょうか」
「ええ、だって二人は似ているから。自分よりも他人を優先できる優しい心を持っている。大丈夫、また友達になれるわ」
美奈子さんの言葉は不思議だ。すっと胸に沁みこんで、そうだと言ってくれると本当にそうだと思えてくる。
それにしても友達、か。
少なくても今の私には月舘先輩と友達になれる要素はあまりない気がするけど。
千沙はもっと話すことが上手だったのだろうか。相手が誰であろうと未だに話すのは得意じゃない。
それなのにほぼ口を開かない月舘先輩と友達なんて…とても想像ができない。
「そうだ!千沙ちゃん体育祭出るんでしょう?応援してるからね、存分に楽しんでおいで」
「はい、頑張ります」
「千沙ちゃんの実力なら絶対勝てるわよ。この私が肉体強化のカリキュラムも栄養管理もしっかり仕込んでるんだから、並大抵の学生なんか相手にならないわ」
地下で籠り切りの暮らしをする間、教育をはじめ生活回りは全て美奈子さんが管理してくれていたと言っていい。
美奈子さんは何をするにも計算して行動している。
特に美容や振る舞いなどに関してはこだわりが強いようで私はよく注意されたものだ。
自分で洋服を選ぶなら動きやすさを重視するのでジャージに近い服を選ぶのだけど、女の子がそれでは勿体ないと必ず指摘が入る。
髪もバッサリ切ろうとしたことがあったけど美奈子さんのストップが入りそのまま伸ばしている。そんな髪もボサボサにしてしまうと怒られながら講釈が入るのでお手入れの習慣まで付いた。
私が少なからず女の子らしく居られている面があるとするならば美奈子さんの影響が大きい。
学園に通い始めて驚いたことは沢山あるけれど、多くの人が身だしなみを気にして綺麗に保とうとしているのが当然と言った様子は私にとって大きな衝撃でもあった。
なるべく"普通"を目指す私は当時半ば聞き流していた美奈子さんの講義を今更になって思い出したり、女の子らしい愛美ちゃんに聞いたりして自分が常識的におかしくないかを日々調整中だ。
過去を思い出すには至れなかったけど、それでも情報が前より増えた。
もっと自分についての情報が集まれば。いつかきっと、千沙は戻って来るのだろうか…。
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