町に行く前に

 「うん?」

 2人が、レイベルトに出会った翌朝。朝食を終えてまったりと腹を休めていた時のこと。

 レオの問いかけに、イチは首を傾げた。

 「鏡?」

 真剣な顔で詰め寄られ、何事かと緊張したのだが、レオの言葉にきょとんと目を丸くする。

 「ここに来てから、鏡を見た事はあるか?」

 レオは問いかけを理解しきれていないイチに、同じ問いを繰り返す。 

 「・・・・・ない?」

 此処に来てからの2年の事を思い返しながら、答える。

 イチにとって、鏡を見る機会は化粧をする

時しかない。その化粧も、仕事に行く時くらいしかしていなかった。此処では 仕事に行かないので、化粧はしない。化粧をしないので、鏡を見る機会は当然ない。

 「うん。此処に来てから、鏡見てない。でも、それがどうかしたが?」

 「うむ、今すぐ見てくれ」 

 「は?良いけど、鏡なんか持って来ちょったやろうか」

 レオの要求に、戸惑いながらもイベントリを開いて中に入っている物のリストを眺める。

 「えっと、持ち込んだ物。日用品かな?あ、あったあった」

 イベントリのリストは品目や手に入れた場所毎に分ける事が出来るので、目的の物を見付けやすいので便利だ。

 ―鏡を見ろって、いったい何ながやろ

 掌サイズの鏡を取り出し、覗きこむ。

 「あれ?」

 少々不審に思いながら鏡を見たイチは、そこに映る自分の顔に何とも言えない違和感を感じた。

 確かに、これは自分の顔だ。なのだが、何かがおかしい。

 「どうだ?」

 「なんか、違うような気はするけど、何所がどうとは言えん」

 鏡を近づけたり、離したりしながらしげしげと自分の顔を見つめる。

 「んー、あれ?頬のシミが無い。え?あれ?何これ、嘘やろ!?」

 頬にあった幾つかのシミが無くなっていると気付いた事を切っ掛けに、気が付いた。信じられないが、この顔は十代半ばのイチだ。

 「若返っちゅう!」

 「つまり、お前も私と同じ限界突破者になったということだな」

 「は?。いやいや、訳分からんし!」

 イチはレオと違い、己の限界を突破出来る程の行いをしていない。

 「まあ、お前は此処に来た時から既にその傾向はあったがな」

 「は?」

 闘っていないのだから、限界突破はするはずは無いと主調したかったのだが、その前に以前からその傾向があったのだと言われ、その主調がイチの口から出ることは無かった。

 呆然とするイチにかまわず、レオは極当たり前の事のように言う。

 「お前、此処に来てからトイレに行っていないだろう?」

 「え?・・・・・・あ、行っちょらん」

 確かに、その通りだ。イチは、これまで一度もトイレを使っていない。

 今まで全くトイレに行っていない事に気付かなかった自分には呆れるが、何故トイレに行っていない事が限界突破の傾向になるのか。

 レオ、曰く。

 限界突破者には大きな特徴が2つある。

 体内に取り込んだ物を全て魔素に変換出来るようになるので、トイレに行く必要が無くなる。そして、生物としては一度死んだ事になって若返る。

 イチは世界樹の聖域に来た当時は、まだ限界突破をしてはいなかったがその片鱗を見せており、食べた物、飲んだものは全て魔素に変換しており、トイレに行く事はなかった。

 「理由は分からんが、お前は此処で生活をしている間に、少しづつ限界を突破したのだろう」

 「・・・・知らん間に、人の枠を外れたって事?」

 「人の枠と言うよりは、レベルの枠だな。お前のレベルは1に固定されているから、限界を越えやすかったのだろうよ」

 「な、なるほど」

 妙な所で、レベル固定が妙な仕事をした。

 「それでさ」

 何とも言えない微妙な気持ちになりながら鏡を片付け、寝床寝転がったままのレオの前に胡坐をかいて座る。

 「何で、教えてくれたが?言わんかったら私は気付かんかったのに」 

 「町に行ってから、気付かんまま歳の話しになったら面倒だからだ」

 「あー、なるほど。見た目が実年齢の半分やもんね。童顔にも程があるわ」

 「いや、限界突破者と疑われる可能性が面倒なのだ」

 「そうなが?」

 「人族の限界突破者は、魔族の限界突破者と比べて少ないからな。黒髪黒眼よりも、妙な者が近付いて来る可能性がある」

 「レオ君。私、町じゃ16歳って事にするわ」

 「うむ」

 イチが町で大幅にさばを読む事が決定した。

 ―私、35歳やのに

 実年齢の半分以下を自称する羽目になって、地味に心へのダメージがある。

 「それから、これも町に行く前にはっきりさせる必要があるのだが」

 「?」

 これとレオが示すのは、2人の左手首にあるお揃いの腕輪。

 イチが魔素結晶を作り、レオが腕輪にしたらとんでもない物になった、あの腕輪だ。

 「魔族にとって、揃いの装身具は人族の結婚指輪的な物だ」

 「は?はあぁあぁぁぁあ!?」

 びっくりした。

 イチはこの世界へ来てから1番驚いた。

 「け、結婚指輪ぁっ!?」

 「結婚指輪的な物だ」 

 「いや、それ、意味おんなじやから!」

 突っ込みが、つい勢いがついて巻き舌になってしなった。

 「いろんな段階、すっ飛ばさんといて!」

 「ほお」

 「え、何その妖しげな顔」

 イチの文句に、レオは意外そうな、それでいて嬉しそうな表情を一瞬見せ、にんまりと口角を上げた。

 「段階を飛ばすなという事は、結婚指輪的な腕輪は嫌ではないという事だな?」

 「ふあっ!?」

 レオからの指摘に、イチは奇声を上げて頬を赤くする。

 寝転がったまま器用に移動して、レオは頭をイチの組んだ足の上に乗せる。逃がさないように抑える事が出来て、尚且つスキンシップまで出来る素敵な体勢だ。

 「え、ちょ、えっと、レオ君?」

 「嫌ではないという事だな?」

 真っ赤になった頬と慌てた態度が嫌ではないと雄弁に語っていたが、言葉を聞きたくて答えを求める。

 「イチ?」

 「・・・・・展開、急過ぎん?私、ちょっとついて行けんがやけど」

 「お前が町へ行きたがるからだ」

 「訳分からんし!」

 「お前に寄って来た男を、正面から潰す為だ」

 つまり、寄ってきた男を潰す正当性を主調するため。早すぎる嫉妬故の成せる技だった。 

 「過激」

 「魔族の男はこれが普通だ」

 魔族の男は、これと決めた者には男女問わず執着するものなのだから。

 「魔族の男の生態は兎も角、答えは?」

 「・・・・・・よ、喜んで」

 中身も外見も良い男と、2年も共にいたのだ。イチはレオを好ましく思っていた。

 ―え?うわ、何コレ現実?

 そして少し、夢ではないかと疑っていた。

 真っ赤になって答えるイチに対し、レオはにんまりとした笑みをただ深める。

 「よし、これで心おきなく私のだと言えるな。ま、今までの生活を思えば今更だがな」

 「?」

 「2人きりの生活。風呂は常に共にし、偶に寝床も共にする。十分夫婦的な生活だろう」

 「あ、確かに」

 言われてみれば、その通りだ。 

 夢じゃないかと浮ついていた頭が落ち着く。

 赤の他人の男と女の生活にしては、親密過ぎる時間を過ごしている2人だった。

 ―あれ?良く考えたらありえん生活しよった? 

 自分で自分が恥ずかしくなったので、これ以上考える事を辞めた。別の事を考える。

 「て言う事はさ」

 「ぬ?」

 レオの両耳を、むぎゅりと優しく掴む。

 「耳と尻尾、触り放題?」

 ずっと以前に触ることを拒否され、触るに触れなかった気になる部分。

 「もう既に触りたい放題しているだろう。まあ、程々にしてくれ」

 イチは既に、むにむにと柔らかな耳の被毛の感触を楽しんでいる。

 「ありゃ。嫌がられるかと思うだけど、えいがや」

 「まあ、私達は夫婦的な関係だからな」

 「うわ、それは役得やね」

 耳から手を離し、みょいんと頬を伸ばす。

 「でもね、夫婦的な関係って言うがやったらさ。私、絶対に外せん事があるがやけど、えい?」

 「外せない事?」

 頬を好き勝手に伸ばされながら、妙に気合いの入った声を出すイチに、レオはきょとんと目を丸くする。

 「何をしたいんだ?」

 片割れの願いなのだ。出来るだけ叶えてやりたい。

 「レオ君の前の奥さん」

 「フィフィか?」

 「そうそう。フィフィさんの墓参り」

 「ハカマイリ?何だそれは」

 聞き慣れない言葉に、レオは不思議そうに問い掛ける。

 ハカマイリというものを、イチが大切なものだと思っているという事は分かるのだが、それ以上の事が分からない。

 「あれ?お墓の習慣、もしかしてない?」

 予想外の事実に、愕然とする。

 ―嘘やろ!?亡くなった奥さんへの挨拶とか、旦那さんは私が幸せにします。とか、言いたかったのに!

 「えっとね、お墓って言うのはね」

 内心の動揺を顔に出さないようとする努力に失敗しながら、お墓の説明をする。

 「亡くなった人の骨や遺体を、地面に埋めて石や木の碑を建てて長く偲ぶ、残された人の為のものです」

 「そんな事をしたら、アンデットになるだけだぞ?」

 「此処と、彼方の埋めきれん違いを感じるよ」

 「色々と違うな」

 「そうやね」

 「だが、似たようなものならあるぞ?」

 「あるが!?」

 「ああ。死者の碑だ」

 「それって、死んだ人の真名が出るやつ?」

 「そうだ。死者を思って死者の碑に祈れば、天空にある命の川に祈りが届き、次の命に生まれ変わるまでが早くなると言われている」

 「へぇ」

 イチの知っている輪廻転生に近い考え方なので、受け入れやすい。

 「それで、死者の碑って何処にあるが?」

 「教会のある町なら、何処にでもあるぞ」

 「何処でも?」

 「教会があればな」

 「教会の死者の碑やったら何処でも、一緒なが!?」

 なんてお手軽なのだろうか。最悪、墓を探し出さなければいけないと思っていたので、ほっとしたような、残念なような、不思議な心持ちになる。

 「1番良いのは一族の住む町の教会だが。まあ、何処でも大丈夫だ。命の川に祈りは届く」

 「どうせやったら、1番良い所がえいよ。レオ君の一族って、今何処におるが?」

 「さあ?」

 「さあってね!レオ君の血族でしょ!」

 「魔族の国が落ち着いてからは、ずっと此処に居たからな」

 「あ、そうやったね」

 レオは、300年を越える筋金入りの引き籠もりなのだ。血族の行方を見失うには、十分な時間が経っていた。

 「レオ君が引き籠もる前には、何処におったが?」

 「王都だ。一応、魔王の側近をしていたからな」

 「そっかぁ。いきなり王都は、私ちょっとハードルが高いなぁ」

 半分引き籠もりで、世間知らずなイチに、いきなり王都はハードルが高すぎる。だが、墓参りは気持ち的に欠かす訳にはいかないのだ。

 「冒険者君のおる町で、慣らしてから王都に行ってみん?」

 「あー、取りあえず冒険者君のいる町で世間慣れして、情報を集めよう。300年も経っているんだ。王都にいるとは限らん」

 「そっか、そうやね。分かった、そうする。一緒に、フィフィさんに挨拶しに行こうね」

 「ん?ああ」

 レオにとって死者への祈りとは、健やかな次の生への願いであり、死者への挨拶などという概念はない。だが、イチの望む事を拒むつもりはなかった。

 ―こいつなりの、けじめという事なのだろうな

 のんびりとした朝の一時を楽しみながら、受け入れられた喜びと、手に入れた高揚を噛み締めるレオだった。 

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