第45話 届かぬ弾丸
────時々、『わたし』は変な夢を見る。
「この人殺しめ!」
「お前は人間なんかじゃない、悪魔だ!」
大人たちが寄ってたかって口々に罵ってくる。
その怒鳴り声を受けているのは白い紙に空色の瞳を持つ少女────幼いわたしだった。
わたしは大人たちの罵声に体を震わせ涙を流しながら抗議している。
「ちっ、ちがうの! わたしはやってない! 殺してなんかないよ!! 信じてっ!!」
「黙れ!!」
わたしの必死の訴えに耳を貸すこともなく大人たちはわたしの体を捕らえて絞首台へと運ばれていく。
縄に首を掛けられたとき、幼いわたしでも何が起きるのか理解して恐怖のあまりパニックに陥った。
「いやあああああああ!! 助けて! 嫌だっ、死にたくない!! ごめんなさい、ごめんなさいっ!! 誰かっ、たすけ────」
言葉は最後まで続かなかった。
容赦なく大人たちは絞首台を作動させ、わたしは首を吊られて意識を失った。
※※※※
「……ふふっ。久しぶりですね、オリヴィアさぁん」
オリヴィアの姿を視界に捉えたセラが微笑みながら話しかける。
3ヶ月ぶりに邂逅する憎き彼女に再会したオリヴィアはあまりにも様子が変わってしまったセラの姿に困惑していた。
全身に返り血を浴びており、瞳は虚ろでふらふらと足取りがおぼつかなくなっている。だが表情はまるで子供のように屈託のない笑顔を浮かべていて、それが彼女の狂気を際立たせていた。
「……セレスティア。私はお前を許さない。カレンさんとジリアンを殺したお前を絶対に許さない!!」
「ジリアン……って、誰でしたっけ?」
オリヴィアの言葉にセラは首を傾げて問いかける。
彼女の精神を蝕む狂気。『臨界点』に近づきつつある影響で、セラの記憶は著しく欠如してしまっていた。
彼女にはもう、殺人とリコ以外の世界なんて見えていない。
だがそんな事情などオリヴィアには知る由もない。だから、セラの言葉はオリヴィアを激昂させるのに十分すぎた。
「────ッ!! いい加減にしなさい!!」
そう言ってオリヴィアは背中に背負っていた
アリスと過ごした3ヶ月間。彼女からこの銃の扱い方を教わっていた。あれほどセラへの愛を説いていた彼女がどうしてこんな武器の使い方を教えてくれたのか、その意図は全く持って読めないが彼女へ一矢報いる手が使えるなら何でも借りるつもりであった。
突然の発砲にセラは反応できなかったようで、胴体にいくつもの穴を開け、血飛沫を撒き散らしながら仰向けに倒れ込んでいく。
どろどろ、と倒れたセラの体から止めどなく血が溢れてきた。
※※※※
────そうか、これは夢じゃない。『わたし』の記憶なんだ。
いくつもの回想を傍観する中、『わたし』はそんな事実に気付く。
きっと、今ここにいる『わたし』は残された最後の理性だ。そして今まさに現実のわたしから消え去っていく記憶を走馬灯として『わたし』が見ているのだろう。
そんな『わたし』が今見ているのは、家でわたしとリコが会話する光景だった。多分これはリコと初めて会った日の記憶だ。
「雨にずっと濡れてたし風邪を引くと困るから。シチューを作ってみたんだ。
冷めないうちに食べよう?」
「…………」
笑顔で話しかけるわたしにリコは俯いたまま無言を貫く。
どうやら彼女は他人と関わることに恐怖を覚えているらしい。体中に生々しい傷が出来ているから虐待かそれに近い非道を受けてきたのだろう。だからこそ、わたしは放っておけなかった。そもそもわたしも殺人衝動の呪いを受けているんだから他人と深く関わるのは危険だ。その為にもカレンさんたちの反対を押し切って一人暮らししているというのに、この少女を一目見た時から守ってあげたいと強く思ってしまったのだ。
しつこいぐらい食事を促すわたしにリコは意を決したのか、スプーンを手に取りシチューを口に運ぶ。瞬間、リコの目が見開かれた。
それからわなわなと体を震わせ、瞳からぽろぽろと涙を流して嗚咽を漏らし始める。
「うっ……ひっ、うぇ…………」
「ごめんね、もしかしてお口に合わなかった!?」
予想外の反応にわたしは慌ててリコに尋ねる。
その言葉にリコは「ううん」と首を横に振り、両手で目頭を押さえながら答える。
「おいしくて……あたたかくっ、て……わっ、私こんなの初め、てっ、でぇ…………」
大声を上げて泣きじゃくるリコをわたしが抱きしめて慰める。
そんな眩しい追憶を眺める『わたし』の瞳から涙が溢れていた。
『…………っ』
これは、現実のわたしから消え去ろうとしている記憶だ。
きっとこの夢を全て見終えたとき。夢から覚めるとき。ここにいる『わたし』……セレスティア・ヴァレンタインは決壊するだろう。感情も記憶もない。ただ殺人衝動に従い機械的に殺すだけの『殺人鬼』が生まれるだけだ。
どうしてリコを守れなかったんだろう。どうしてリコが殺されたんだろう。
どうして。どうして。
『────』
ああ。
募る後悔と絶望。それが『わたし』の心を染め上げていき感情を失っていくのを覚える。
もう、ここにいる『わたし』すら心が死にかけている。結局どんな逃げ道を作ったってリコがいなければセレスティア・ヴァレンタインは壊れてしまうのだ。きっと、それは綺麗な愛ではない。自己を肯定するためのただの醜い依存に過ぎなかったのだ。
その事実に気付く度にぴしり、と心が軋んでいく。悲鳴を上げていく。
『……リコ』
ぽつりと。
『わたし』は小さく呟いて。
また次の夢に浸っていく。
※※※※
「はぁ……はぁ……おぇっ」
全身から嫌な汗を流し息を切らしていたオリヴィアはとうとう嘔吐感を堪え切らなくなった。
体の力が抜けて倒れ込むと同時に口から大量の血塊を吐き出す。同時に乱暴に縫われていた傷口が全て開き半身を赤く染め上げていた。
歯がカチカチと震え強烈な目眩に襲われる。体はがくがくと震え、彼女を苛む苦痛によってまた吐き気を覚え血を吐き出していく。
────オリヴィアの命がそう長くも持たないことは誰が見ても明らかだった。
「残念だけどアンタにはセラに届かないよ」
いつの間にか。
オリヴィアのすぐそばに赤い髪に血のように赤黒い瞳の少女────咲良が立っていた。
彼女はにっこりと微笑んでオリヴィアの下腹部に手を伸ばす。
ぐじゅり、と嫌な肉音が響いて咲良の指がオリヴィアの体内に侵入した。そのまま、彼女の傷口を掻き回す。
「うっ、がはっ!? えぐっ、う、おぇ……」
「もうセラを止めることはできないよ。あいつを本気で殺したいならセラの狂気を上回らなきゃ。そんな安っぽい復讐心程度じゃあいつにはこれっぽちも響かない」
「安っぽい、だと……!?」
えずきながらも咲良の言葉にオリヴィアは怒りの目を向ける。
「あいつは私の大切な人を全部奪ってきたんだ! それを易々と否定されてたまるか……!!」
「でもさ。ヘイゼルたんは目に映るもの全部が憎いしこの咲良は200年の執念があるんだよ? 復讐で殺すならそれぐらいの次元に到達しなきゃ」
それからオリヴィアから指を引き抜き、べっとりと彼女のこびりついた血液を官能的に咲良は舐め回す。
恍惚とした表情を浮かべたあと咲良はゆっくりと立ち上がった。
「この咲良の『計画』に必要なのはセラとヘイゼルたんと霧乃ちゃんの三つの駒だけ。アンタは最初から舞台に用意されていないモブなの」
「ふざけ……!!」
「だからさ。悔しいだろうけどアンタはここで幕引きだよ。せいぜい己の運命を呪いながら死にな」
そう言い残すと同時に跡形もなく咲良は消え去ってしまう。
同時にオリヴィアの前に新たな人影が現れる。
視線を上げればそこには傷一つないセラが刀を構えて立っていた。
「……は、はは」
乾いた笑い声を思わず上げてしまう。
「なんで……。ジリアンもカレンさんも死んで、私ももうすぐ死ぬのに……。何でお前は無傷なのよぉ!?」
「さようなら、オリヴィアさん」
口惜しい表情を浮かべながらオリヴィアは慟哭する。
その言葉にセラは表情を変えることもなく、静かに彼女の胸に刀を突き立てた。
どうしようもないほどの無念。
それが、オリヴィアが抱いた最期の感情であった。
※※※※
静かにオリヴィアの遺体をセラは見下ろす。
刀を引き抜き血を振り払って、再び笑顔を取り戻しながらセラは振り返った。
「じゃあ、行こうか。り、こ────?」
セラの動きが固まる。
いつも背後で見守っていた『リコ』の姿がどこにも見当たらなかった。
「あ、れ……? ねえ『リコ』。冗談はよしてよ」
半笑いになり鼓動を早めながらセラは周囲を見渡す。
不安に駆られとりあえず走って『リコ』の姿を探す。
だがやはり見つからない。
「『リコ』、いるんでしょ? 返事してよ」
この時、セラの異変はもう一つ起きていた。
リコの姿を想起しながら探していたはずだったのだが。
何故かリコの姿が一切思い出せないのだ。
いいや、姿形だけじゃない。彼女の声すら思い出せない。
「はぁ……はぁ……、『リコ』、どこなの? いたら返事して」
目に涙を浮かべ半狂乱になりながらセラは必死にリコの姿を探す。
だが、同時にセラは悟ってしまっていた。
────もう紅崎リコはこの世界のどこにもいないのだと。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……………………!!!!」
慟哭。
誰もいない街でセラは泣き叫び。
「────ぁ」
思考が、空白に染まった。
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