第32話 絶望の幕開け

「……『母上様』。準備が整いました」


「オッケー。んじゃ、ひーちゃんも『臨界点』超えちゃっていいから存分に戦ってね✩」


『ローゲン』のどこかにある咲良たちの隠れ家。

 その薄暗い部屋の中で咲良の隣にヒルドルが立ち、少し困ったような声音を上げる。


「あの、『母上様』……。やつがれにはヒルドルという名前があるのですが……」


「えー、だってそっちの呼び名の方が可愛いじゃん~。それにキミと会話するのもなんだよ?」


「…………ええ、承知しております」


 あっさりと衝撃的な言葉を吐き出す咲良にヒルドルは表情を変えることなく応じる。

 まるで、その事実など当然のできごとであるかのように。


「そういえば『母上様』、霧乃の姿が見当たりませんが」


「それがねぇ、何回呼びかけても応じてくれないのよぉ。見てみた感じ、フラフラと彷徨ってはすれ違う人片っ端からぶっ殺して血ぃ飲んでみるみたいだけど。この咲良の血を飲んでから完全にぶっ壊れちゃったみたい」


「ですが『母上様』の手にかかればすぐに連れ戻せるのでは?」


「命令を聞かない『捨て駒』なんか連れてきたってしょうがないでしょお。それに『臨界点』はとっくに超えちゃってるんだから放っておいても勝手に野垂れ死ぬわよ、アレ。だからあの子の分まで頑張るんだよ、せっしー」


 そう言って咲良は左腕に密着している修道女、セシリアの頭を撫でる。

 自ら咲良の肌に触れている彼女は恐怖の表情を浮かべることはなく、むしろ恍惚としていて絶頂すら覚えているのかもしれないほどの多幸感に包まれていた。


「くひひっ……ありがたいお言葉です、我が『神』さま」


「うわあ……、キモっ。神格化させられるのって結構ぞわぞわする」


 咲良の拷問によって『臨界点』を突破したセシリアはあろうことか、咲良を『神』と見なし崇拝するようになってしまった。

 もちろん以前にも増して聞き分けが良くなったことは好都合なのだが、信仰の目を向けられることに咲良は生理的な嫌悪感を覚えていた。

『人間として扱わない』ということがどれだけ気持ち悪い行為なのか咲良は改めて実感させられる。


「くひっ、くひひひ、そうです、咲良様が、咲良様こそが『神』なのです。全ての命は咲良様の元へ還るのです」


「いや無理そういうのホント無理。マジで頭バカになってるじゃん。うわ、今ならヘイゼルたんの気持ちよく分かるわ、これ最高に気持ち悪い」


 と咲良は露骨に嫌な顔を浮かべてセシリアを引き剥がす。

 それでもなお、「おお我が『神』よ」とのたまうセシリアの顔面に一発蹴りを入れた所で、不意にヒルドルが尋ねてきた。


「それにしても、あのセレスティア・ヴァレンタインという女。どうして彼女をそこまで特別扱いするのですか?」


「おっ、ひーちゃんから直々に尋ねてくるなんて珍しいねぇ。答えは単純だよ。


「あの『失敗作』が?」


「うん」


 ヒルドルの疑問に咲良は笑顔を浮かべ、上機嫌に答える。


「紅崎リコは確かにこの咲良が想定していたホムンクルスとしては『失敗作』だった。ぶっちゃけ利用価値のないガラクタだった。だから、あの時すれ違ってもわざわざ見逃してやったの」


「…………」


 咲良の言葉にヒルドルは一年前の出来事を思い出す。

 凜華に気を取られた隙にリコが逃走を図り、彼女はすぐに捕らえようとした。だが、咲良はリコのことは放っておいて凜華の動きを封じろ、と命令してきたのだ。

 ――――それから凜華が拷問を受けた時の痛々しい悲鳴がヒルドルの頭の中にずっと残っていることを、咲良は知らない。


「でも、逃げ出したリコはあろうことかセラに出逢ってしまった。そう、。完璧な道徳と倫理観を持つ彼女がセラに出会ってしまった場合、どんな変化をもたらすと思う?」


「……分かりかねます」


「そっかー、分かんないかー。いやこればかりは、この咲良も驚いたんだけどね? 着々とセラが『臨界点』に近付いていく中、ことが判明したんだ」


「でも、そうなると不死者としては失敗なのでは?」


 ヒルドルは咲良の『計画』の真相を知っていないが、その『計画』を実行するのに狂気に染まった不死者が必要不可欠なのは把握している。

 だとするとセラがある程度の狂気を克服してしまっているのだとするならば、一層彼女に肩入れする理由が分からないのだが……。


「例えば今セラは徐々に君たちのように感情を失いつつあるし、多分そのうち記憶もなくなっていくと思う。でもリコに対しては感情も記憶も鮮明に残っているらしいんだよね。うん、愛の力って素晴らしい」


「……愛、と言われてもやつがれには分かりません」


 ぽつりとヒルドルが小さく呟く。

 彼女は感情をほとんど与えられずに制作されたホムンクルスであった。必要に応じて闘争本能を引き出すだけの機械的な『人形』。

 だから、彼女に感情の話を持ち出されても困惑するしかなかった。


「で、さっきもひーちゃんが言ってた通りセラは不死者としては不完全かもしれない。でもね、彼女が抱えてる狂気は誰よりも純粋で強いものだ。ぶっちゃけると今のセラは『臨界点』ギリギリに迫ってきている。それが抑圧されているだけなの」


「……まさか」


 ヒルドルが咲良の言わんとしていることを読み取り、気付かれた咲良はにい、と悪趣味な笑顔を浮かべる。

 これから降りかかる運命を知らないセラたちを嘲笑うかのように。


「んふふ✩ この咲良がそう易々とあいつらに希望を与えると思う? ううん、その逆。この咲良が味わった絶望を叩きつけてやる。その心を徹底的に壊してやる」


 咲良から溢れ出る異様な雰囲気に、ぞっとヒルドルの背筋に悪寒が走る。

 おもむろに立ち上がり、踵を返して咲良はヒルドルたちに告げた。


「じゃ、皆それぞれの持ち場で待機してて。存分に殺し合ってきてね」






 ※※※※






 列車の速度が徐々に落ちていき、ついに動きを止めた。

 遂に『ローゲン』に着いた。今、この町に咲良たちがいる。

 わたしたちの間に緊張が走る。


「――――行くぞ」


 カレンさんの言葉にわたしたちは立ち上がり、列車を降りる。

 駅だというのにやけに人数は少なかった。アイリスさんから聞いていたがどうやらここは閑静な田舎町らしい。


「そういえばアイリスさん、この町やけに詳しいっスね」


 と、ジリアンが尋ねてくる。

 その疑問に返答したのはアイリスさんではなく、カレンさんだった。


「ああ、実はここアイリスの出身地なんだ」


「え、そうなんですか!?」


 意外な事実にわたしたちが驚く。

 当のアイリスさん本人は少し顔を赤らめて困ったように言った。


「何かごめんなさいね、わたしが生まれ育った町だというのにこんな危ないことになってしまって……」


「いえ、アイリスさんは関係ないですから大丈夫ですよ。でも、そしたらいつカレンさんに出会ったんですか?」


「私が17歳の時よ。軍の養成学校に入学して、その時にたまたまカレンと同じクラスに振り分けられ――――」


 と、懐かしそうに話していたアイリスの動きが不意に止まった。

 口をぽつりと開けたまま、だらんと腕が垂れ下がり動かなくなってしまう。瞳もどこか虚ろで、何も映していなかった。


「……おい?」


 とあまりに不自然な静止をするアイリスに怪訝な顔でカレンが尋ねる。

 ちょん、とリコに袖を引っ張られた。


「リコ?」


「ねえ、あれ」


 と震える声でリコは指を前方に指す。

 視線を前に向けると改札口があり、そこへ向かう人々全てがアイリスさんのように不自然に立ち止まっていた。

 ようやく、異常な事態が起きていることにわたしは気付く。

 周囲を見渡すと、わたしたち以外全ての人がその場で立ち止まっていた。

 みな、同じように虚ろな瞳で四肢を脱力させて動かなくなっている。


「な、んなの、これ…………」


 得体の知れない恐怖と危機感にばくばくと心臓がうるさくなる。

 何が起きているのか微塵も理解できず、半ば思考停止になりながらも脳内は必死に警鐘を鳴らしている。

 ――――わたしは、を知っている。

 拭いきれない既視感。忘れてはいけない何かを忘れてしまっているような感覚に陥る。

 それを思い出そうと必死に記憶を巡らせて――――。



「あぅ」



 と。

 アイリスさんの喉から奇妙な声が漏れ出た。

 あまりにも奇怪で不可解な声にわたしは疑問を投げかけながらアイリスさんの方に振り返る。


「アイリスさ―――」















 ぐしゃりと。

 アイリスさんの顔が弾けた。
















「…………は?」


 ぴちゃ、と頬に粘着質な何かが付着する。

 目の前を真っ黒い飛沫と肉塊が舞う。

 どさり、と首から上を失ったアイリスさんの体が倒れた。


「アイリスぅぅぅぅぅうううううううううう!!!!」


 絶叫するカレンさん。口元を押さえるリコとジリアン。顔を引きつらせるオリヴィアさん。

 突然の出来事と目まぐるしく変わる光景にわたしは、ただ呆然と立ち尽くすことしか出来なかった。

 ぐちゃり、と肉が潰れる音が連続して響く。

 周囲を見渡すと、同じように頭が弾け真っ黒い血と肉を撒き散らす人々の姿があった。みな頭を失うとばたばたと次々に倒れていく。

 この悪趣味な光景に確かにわたしは見覚えがある。つい先日対峙したばかりの、一人の壊れた少女。

 まさか、まさか。



「えへへへへへぇ。お久しぶりですですぅ、セレスティア」


 背後。

 声にばっ、と振り返ると。

 


「それじゃあ、皆さん眠っててくださいね」


「待っ」


 わたしの静止する声も待たずに。

 意識が暗転し、わたしは気を失って倒れた。



 ――――狂気と悪意。その二つが霞むほどの『絶望』はまだ始まってすらいなかった。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る