第31話 出発

 午前6時。

 カレンは一糸纏わぬまま、むくりと体を起こす。

 隣には同じく衣服を着ぬまま寝息を立てて目を閉じているアイリスの姿があった。

 彼女を起こさないようそっとベッドから降りて質素な服に着替え、洗面所へ向かう。

 顔を洗い鏡に写った己の顔を見た途端、カレンの表情が凍り付いた。


『昨晩はお楽しみのようでしたね』


 鏡に映っていたのは見慣れた己の顔ではなく、白髪のショートボブに瞳を閉じた盲目の少女――――エレナであった。

 彼女の意識が表層されなくともしっかりと昨日の夜伽を見ていたようで、不敵な笑みを浮かべていた。

 カレンは目の前の少女の顔を睨み付け、短く言い放つ。


「この痴女め」


『なっ!? 痴女とはいったいどういうことですか!?』


 カレンの言葉に珍しくエレナは声を荒らげ、開いた瞼から赤い目を覗かせて抗議する。

 対してカレンはにやりと笑い、思いつく限りの低俗な言葉で返していった。


「だってお前、『快楽者』なんだろ? 『快楽』のためなら何だって欲しがるんだろ? 淫乱な娼婦そのものじゃないか」


『……言葉が過ぎますわよ、カレン・ダッシュウッド。まったく、「忠犬」と恐れられるまでに忠実で能力も高い貴方を「器」に選んだのに、その実態は総帥の座を狙い猫を被っていた狡猾者とはね』


「私だって一人の人間だ、邪な野望くらい一つや二つはある。……で、何の用だ」


 それまでの笑顔を消し、怪訝な表情でカレンは尋ねる。

 エレナは思い出したかのように声を弾ませ、再び笑顔を作る。

 そしてあっさりと、カレンに切り札を切るのであった。


『ああ、そうです。危うく忘れかけるところでした。……不死者を殺す方法をお教えしましょう』

 



 ――――時刻は午前10時。


「はい、リコ。護身用の銃だ」


 そう言ってカレンさんは一挺の拳銃をリコに差し出す。

 リコはそれを真剣な眼差しで受け取り、腰に装着されたホルスターに収納する。


「それじゃあ皆。準備は整ったな」


 大きく息を吐き出して、カレンはわたしたちに告げた。


「出発だ」






※※※※






「もう、行くんだね」


 寂しそうな声音でぽつりと少女が呟く。

 そして、短機関銃サブマシンガンを仕込んだケースを背負い、左手にツギハギだらけのぬいぐるみを抱えた金髪碧眼の少女――――アリス・ウェストブラッドは立ち上がり、歩き出した。

 ――――その瞳に、静かな決意を宿して。


「……許してね、セラ」






※※※※






『ローゲン』へは列車で3時間近くかかる。

 到着したら咲良たちとの戦いが始まる。

 

「…………」


 わたしたちの間で緊張が高まり、重苦しい沈黙が続いていた。

 誰も彼もが俯き、ただ時間が過ぎるのを待とうとしている。

 そんな気まずい雰囲気に耐えかねたジリアンがおずおずと口を開いてきた。


「…………そ、そういえば先輩が付けてるブレスレット綺麗っスね。昨日買ったんですか?」


「あ、うん。リコが…………、ね」


 右腕につけたブレスレットを撫でながらわたしは手を繋ぎ隣に座るリコに目を向ける。

 昨夜にお互いの秘密を晒し、受け入れてからわたしとリコの関係は一気に修復し縮まった。……と思う。

 ジリアンの指摘に照れ隠すように頭を掻いてリコは笑い、同じく右腕につけたブレスレットをジリアンに見せつける。


「綺麗でしょー。私がお揃いで買ったんだ」


「確かに綺麗っスね。いいなぁ」


「……わ、わわ。本当に付き合ってるんだ…………」


 嬉しそうに見せびらかすリコにジリアンはうっとりと眺め、オリヴィアさんは赤面して口元に手を当てていた。

 ……そう、このブレスレットこそが、咲良たちが襲撃する前にリコが買ってきたプレゼントである。

 そのことを知ったのはつい昨日の夜のことだった。






※※※※






 それは、わたしが『生きる』という新たな決意を抱いたあと。

 散々泣き喚いてようやく落ち着いた時のことであった。


「あっ、そういえば!」


 と、思い出したように手を叩きリコは立ち上がる。

 そして借りていたロッカーから一つの紙袋を持ってきた。


「これって……」


「そう。お昼の時に買ってきたプレゼント。色々あって忘れちゃってたけどやっぱり渡しておかなくちゃね」


 と上機嫌にリコは鼻を鳴らしながら紙袋からその中身を取り出す。


「じゃーん! お揃いのブレスレットでーす!」


 そう言いながらリコは二つのブレスレットをわたしに見せびらかした。

 綺麗な、半透明な鉱物で飾られたブレスレットだ。

 流石にルビーやダイヤモンドなどの高級な宝石が用いられているのではないのだろうが、感触は完全に鉱物のそれなのでひょっとしたらそこそこ純度のある宝石が使われているのかもしれなかった。


「去年セラが私の目の色と同じ宝石をしたブレスレットをずっと見つめてたでしょ? だからお金を貯めてここのジュエリーショップで買ったのです!」


 えへん、とリコはドヤ顔で(平べったい)胸を張る。

 ずっと覚えててくれたのが嬉しくて、またしても涙が溢れそうになるが少しだけ残念な点があった。


「リコ、すっごく嬉しいんだけど……。ごめん、わたしはもう色が見えないから、その……よく分からないの…………」


「あっ…………」


 わたしの言葉にリコが、はっと目を見開き悲しそうな顔をする。

 ごめんなさい、リコ。そんな顔させるつもりじゃなかったのに。


「ごめんなさい、私、セラが色見えなくなったことすっかり忘れてて! 嫌な思いさせちゃったよね……?」


「ううん、リコが謝ることじゃないよ。こっちこそ、リコが傷付けるようなこと言ってごめん」


 見るからに肩をしょんぼりさせてリコが俯いてしまう。

 せっかく、リコがプレゼントを用意してくれたのにこのままじゃわたしのせいで台無しだ。それに、わたしが欲しかったものをずっと覚えてくれてそのためにお金を貯めて買ってくれた事実を聞いて喜ばぬ恋人がいるものか。しかも、わざわざお揃いでだ。

 ぽん、とわたしはリコの頭に手を置きそっと顔を寄せる。


「でも嬉しいのは本当だよ、リコ。たとえ色が分からなくても、リコの目と同じ色を選んでくれた事実は消えないし、わたしはずっとそれを忘れない。だから一緒に付けよう?」


「……! うん!」


 わたしの言葉にリコは笑顔を取り戻し、頷いた。

 そしてもう一つのブレスレットを取り出し自らの右腕につけていく。

 リコのブレスレットを見て、わたしはあることに気付いた。


「そういえばリコが付けてるのって、わたしのに比べて色が薄い気がするんだけど気のせい?」


「ううん、気のせいじゃないよ。これはセラの目と同じ、綺麗な空色の宝石なの」


「あっ、そうなの!?」


 つまり、お互いの目の色をしたブレスレットを付けていることになるのか。

 あ、何かこれすごく恋人っぽい。

 思わず浮かれてしまって頬が緩んでしまうのを自覚する。きっと鏡でも見たら今のわたしは気持ち悪い笑みを浮かべていることだろう。


「セラ、すっごく笑ってる」


「ごめん、嬉しくてつい」


「えへへ。それだけ満足いただけると私も頑張って貯金した甲斐があるのです」


 とリコは笑顔でわたしにぎゅっと抱きつくと。

 不意に唇を重ねてきた。

 突然のことにわたしは驚くが、すぐさま彼女との口付けに応じる。

 触れていた時間はごくわずか。

 暖かくてやわらかい感触はすぐに消え、頬を紅潮させたリコは潤んだ瞳でわたしをじっと見つめて一言だけ囁く。


「――――好き」


「わたしも」


 直後にせき止めていた感情が溢れ出して。

 わたしからだったか、リコからだったか分からないけど。

 深い、深いキスを交わした。






※※※※






「どういうつもりなのッ!!」


 少女の怒号が暗い部屋の中で響く。

 全身を鎖に拘束されたヘイゼルは目の前に立つ咲良を強く睨み付け、抵抗しようと体をもがきながら叫んでいた。


「話が違うじゃない! セシリアがセラと戦うから私は黙って見ていなさいって? 冗談じゃない! 私はこんなことをするために不死者になったんじゃないの!」


「まあまあ落ち着きなよヘイゼルたん。これはね、アンタにとっても必要なことなの」


 と咲良はヘイゼルの頬を撫でながら拘束した彼女を、人型にかたどった箱の中に入れていく。

 扉部分の内側には大量の長い針が伸びており、一度閉めてしまえば中の人間がどうなってしまうのか想像には難くなかった。

 

「これは『アイアンメイデン』といってねー」


 上機嫌に咲良が箱の正体を説明する。


「見ての通り、人を閉じ込めて前方位から針でぐしゃって串刺しにする素敵な拷問具なんだよ。こんなことされても死なないだろうけど、アンタを痛めつけるには打ってつけの拷問具なんじゃない(笑)」


「何でそんなことを!」


「アンタを『臨界点』から超えさせる」


 言いながら咲良は扉を閉めていく。

 彼女の柔肌に針が突き刺さる寸前で、動きを止めヘイゼルの顔をじっと見つめた。

 悪趣味にも、瞳に当たる部分は針がなく、更に扉自体に空洞が空いていて外の光景を見ることができるようになっていた。

 

「そのためにはこの方法が一番効果的かなって。アンタはただその場で動けず、激痛の中無意味に肉と血を再生させながら、憎くてたまらないせっしーが殺されていくのを見つめることしかできないの」


「……ッ! やめて!!」


 セシリアが自分以外の手で殺される。

 それはヘイゼルにとって何よりも恐怖であった。

 セシリアを自分の手で殺すことだけが彼女の生きがいであった。それが叶わなければ彼女がこうして己の身と魂を焼きながら生きている意味が失われてしまう。

 

「あはははははははは! そう、その顔!! この咲良がずーっと見たかったの、その絶望にまみれた顔!! やっぱアンタみたいな熱血系が心折れてる姿を見せるの、すっごく堪らないねっ!!」


 そんな絶望感に襲われるヘイゼルを咲良は嘲り、蔑み、嗤う。

 そして咲良はずい、と唇を重ね合わせるほどにまでにヘイゼルとの距離を詰め、逃がさないように彼女の首に手を回し、一切逸らさずに瞳を見つめ続ける。

唇同士が触れ合ったまま、熱い吐息をぶつけるように頬を紅潮させてうっとりと咲良が言う。


「ねえ、もっと魅せて?」


「っ」


「アンタの絶望はそんなものじゃない。アンタの憎悪はそんなものじゃない。アンタの狂気はその程度で終わるほどのものじゃない。もっと壊れて? もっと狂って? もっと醜い姿をこの咲良に魅せてよ!!」


「ぃ、あ、ふざけ」


 気がおかしくなりそうなほどの異様な雰囲気を醸し出す咲良に気圧されながらも、怒りを取り戻し咲良に反論しようとしたところで。

 容赦なく、咲良はその扉を閉めた。


「じゃ、そういうわけでおやすみ~✩ 安心してせっしーが死ぬところ見届けてね✩」


「げぇっ、がはっ、いいっ、痛っ、ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!????」


 直後、中からくぐもったヘイゼルの絶叫が響き渡る。

 扉の隙間から徐々に粘り気のある赤黒い液体が溢れ出してきた。

 セラたちが来るまであと三十分ほど。

 その絶叫をBGMに、優雅に咲良は椅子に座りグラスに注がれたワインを一口飲む。


「んっ……。ねえ、。最っ高の舞台でしょ」


 誰にでもなく、もうここにはいない亡き愛しい少女の姿を思い浮かべて咲良――――否、アーテーが語りかける。

 少しだけ憂いを帯びた表情を浮かべ、すぐさま見る者全てを凍りつかせるような、そんな恐ろしく狂気的な笑顔を浮かべていた。

 そんな自分の有様にすら気付かず、アーテーは誰に言うでもなく一人小さく呟いた。


「……ふふ。ワタシのワタシによるワタシのための、壮大な出来レース。それを完成させるピースは誰になるのかなあ✩」

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