第30話 前夜

「――――それが、私の過去です」


 リコはそう締めくくった。

 明かされたリコの過去にわたしたちは絶句するしかなかった。


「リコが人間じゃないってのはつまり、ホムンクルスだったってことか……」


 と、カレンさんが開口一番に呟く。

 それを聞いたリコは重々しく頷く。


「……はい。ずっと黙っててごめんなさい」


「気にするな。そういえばお前の赤い目、最初は珍しいものだと思っていたがもしかすると」


「多分、カレンさんの想像している通りで間違いないと思います。少なくともこの大陸では遺伝子的に瞳に赤い色素を持つ人間はいません。ホムンクルスは必ず目の色が赤くなるんです」


 思えば、わたしを襲ってきた霧乃という不死者も赤い瞳を持っていた。

 だとするとリコの『お母様』という発言は文字通り、彼女を作った咲良は『母』にあたる存在なのか。

 尤も、リコも彼女を家族と認めたくはないのだろうが。


「それで。セラの話の通りなら、姉だったはずの凜華は今は不死者になっているんだろう? 覚悟は決めたのか?」


「――――っ」


 カレンの問いにリコは目を伏せ唇を噛み締める。

 拳をぐっと握り、体を震わせながらもリコは真っ直ぐわたしの目を見つめて答えた。


「本当はセラにおねえちゃんと戦って欲しくないです」


「リコ…………」


 凜華は不死者であり、大勢の一般人を殺したどうしようもない殺人者だ。はっきり言って生かすわけにはいかない。

 でもリコの意見も最もだ。最愛の『姉』が恋人によって殺される。わたしが当事者なら絶対にやめさせる。

 

「でも、セラは言っても止めないつもりなんでしょ?」


「うん。でもリコは嫌なんでしょ」


「私のことはいいよ」


 リコがそっと微笑む。

 けどその笑顔は引きつっていて目尻には涙を浮かべていた。

 言うまでもなく、彼女は無理している。

 わたしはそんなリコの姿に胸が張り裂けな思いを抱きながらも目を逸らさないようにした。


「言っても無駄なのは分かってるよ。それに、おねえちゃんはもう私のこと覚えて、ないっ、し…………」


 リコの声が震え始め嗚咽が混じり始める。

 やはり、頭では理解していながらもリコにとってはつらい事実だ。実際に凜華が不死者になった光景を見させられても本当は否定したいのだろう。自分の『姉』はそんなことをする人間なのではないのだと。

 泣きながらも言葉を続けるリコをわたしたちは黙って聞く。

 

「でもっ、おねえちゃんは敵だから……。もう、優しいおねえちゃんじゃなくなったから……!」


「リコ」


「だから、終わらせて」


 ぎゅっと。

 わたしの手を握り、リコが涙を流しながらもわたしの目を見つめて言う。


「おねえちゃんを終わらせて。きっと、そうした方が私たちにとってもおねえちゃんにとっても正しいことのはずなんだ」


「…………うん」


「それに私、『お母様』が……ううん、咲良のことが許せない」


 わたしの手を握るリコの両手にぐっと力が入る。

 瞳に強い怒りが宿る。ふるふると体が震え、血が出そうなほどに強く唇を噛みしめる。

 彼女の思いと決断は充分すぎるほどに伝わった。ならばわたしはその気持ちに応えるだけ。

 

「分かったよ、リコ。凜華は終わらせる。咲良も殺す。全部終わらせよう」


「セラ……。ごめん、私のわがままばっかりで」


「いいよ。それに前にリコが言ったじゃない。『セラのわがままは聞いてあげるのに、私のわがままは聞いてくれない』って」


「あ、あの時はごめん……」


「あれ、結構傷ついたからね。それに確かにリコのわがままなんて聞いたことなかったなってことに気付いたし、今回は聞いてあげる」


「セラ!」


「おい、いちゃつくのもいい加減にしないか」


 カレンさんの言葉でわたしもリコもはっとしてお互いに離れる。

 リコの手の感触は正直に言うと名残惜しかったが。

 カレンさんは「はあ」と呆れたようにため息をついて言う。


「明日はすぐに出発するんだ。そんな緊張感のないやり取りをされても目のやり場に困る」


「すみません……」


「とりあえず、もうこの話はいいな。じゃ、解散だ。各自すぐ部屋に戻って明日に備えろ」


 カレンさんの言葉にぞろぞろとジリアンたちが去っていく。

 わたしもリコと手を繋いで、一緒の部屋に戻っていった。






※※※※






「んっ、んんぅ、ふぁっ」


「は、ぁ、んむっ、ぷぁっ……はぁ……はぁ……」


 ベッドの上で。

 カレンとアイリスはお互いに生まれた姿のまま、激しく舌を絡み合わせ体を重ねていた。

 少しばかり生々しくも大人びた二つの女体が絡み合う光景はある種の美しさすら覚える。

 そんな激しく淫靡な情事が終わるやいなや、カレンは服も着ぬままおもむろに煙草を吸い始めた。


「……ちょっと」


 大の煙草嫌いであるアイリスが嫌悪感を顕にしかめっ面をカレンに向ける。

 一方のカレンも不貞腐れたようにアイリスから目を逸らし煙を吐く。


「少しぐらい、いいだろ。最近ストレスが多くてな」


「だからと言ってそんな体に悪いもの」


「ああ、はいはい。この一本で終わりにするよ」


 そうおざなりにカレンが言い放ち、お互いに黙って気まずい雰囲気が流れる。

 そうして静かに時が経つこと数分、吸殻を捨ててカレンが口を開いた。


「それにしても今日のお前、やけに激しく求めてきたな」


「なっ!?」


 特に表情を変えることなくあっさりと呟くカレンに対し、アイリスは赤面してシーツを手に取り口元を隠す。……胸元は一切隠れていないが。

 この情事はカレンが部屋に入るなり強引にアイリスが彼女の唇を奪い、始まったものだ。思えば最近アイリスとしていなかったな、とカレンはぼんやりと思い出す。

 そして照れ隠ししていたアイリスはやがておずおずと口を開き話し始めた。


「だって、貴女が」


「うん?」


「貴女、クーデター事件の後から急に様子おかしくなったじゃない」


「あー」


 がしがしと頭を掻いてカレンは誤魔化すようにアイリスから背を向ける。

 エレナに寄生されてからというものの、周囲とどう接すればいいかカレンは迷ってしまった。

 不死者を強く憎むセラに彼女らと同じになった、などと言えるはずもなく。かといって信頼している間柄であるアイリスに相談するのですら憚られてしまった。アイリスのことなら、きっと親身になってカレンのために動いてくれることだろう。そうして巻き込まれてしまうのをカレンは恐れたのだ。

 その結果、彼女たちと距離を置くことになってしまい、結果的にはアイリスと多少ぎくしゃくしてしまうことになってしまった。

 だからこそ、こうして体を重ねたことを内心カレンは嬉しく思っていた。彼女が自分を求めてきたことに興奮と喜びを感じていたのだ。

 ――――ひどいエゴだな、と自分でも思う。

 だが、アイリスは予想の斜め上の答えをカレンに返してきた。


「それに……」


「?」


「それに、貴女がどこ遠くに行ってしまうかもしれない。私から離れてしまうかもしれない。そう考えるとすごく寂し……かっ、た…………のよ」


「っ」


 赤面し瞳をうるわせ小さく呟くアイリスにカレンは脳を直接叩かれるような衝撃を受けて。

 そのまま押し倒し、唇を重ねていた。


「んんっ!?」


 突然の出来事に驚くアイリス。

 少しだけ顔を離し、二人の舌の間に透明な糸が繋がれながらカレンは囁く。


「ごめん、ちょっとだけムラっときた」


「はぁ!? 何言って――――んむぅ!?」


「は、んんっ」


 アイリスの言葉を待たぬまま再びカレンはアイリスと深い口付けを交わす。

 そして二人の激しい情事が再開された。



 ――――カレンとアイリスは恋人同士ではなく、ただの肉体関係を結んだだけの仲でしかない。

 アイリスはカレンに恋心を抱いている。そしてカレンはアイリスの気持ちにとっくに気付いている。

 だけど、いくら体を重ねてもカレンはアイリスと同じ感情を抱くことはなかった。結局、彼女は己の欲を満たすだけの都合のいい女でしかないのだ。


「ん、あぁっ、カレ、ン……は、ぁ……す、きっ、好きなのぉ………」


「…………」


 だから、時折こうして体を交えていると彼女は好意を吐き出しカレンにぶつけることがある。

 そしてカレンはいつもその言葉を聞いてはこう返しているのだ。


「ああ、私もだよ」


「! んんぅ、あああぁぁぁ!」


 我ながらひどい女だ、とカレンはアイリスの嬌声を耳にしながらぼんやりと考える。

 彼女のことを好きだなんてこっれぽっちも思っていないのに。

 そして彼女も感情を込めず淡々と返していることに気付いているはずなのに。

 

「はぁ…………はぁ…………ふふ」


 と何故だか嬉しそうに笑うのだ。

 いいや。

 どうせ振り向いてもらえぬのなら嘘の言葉でもいいから欲しいのだろう。

 結局、彼女も同じなのだ。

 己の欲を満たすだけの、決して報われることのない歪な関係。

 

「……ったく、本当にイカれているのは私たちの方かもな」


「ふぇ……?」


「何でもない」


 思考を振り切るようにカレンは何度目になるか分からない口付けを交わす。

 夜はまだ長い。

 二人の間にできた決して埋まらない溝を空虚に埋め続けた。






※※※※






 わたしはリコと一緒のベッドに座り背後からリコに抱きつかれていた。

 リコはわたしの胸にそっと触れて恨めしそうに一言。


「……おっぱいおばけ」


「離すよ」


「ごめん」


 それからリコはわたしの肩に顎を置き、頬をすり寄せてくる。

 気まずそうに口を開いてきた。


「……ねえ、セラ。死ぬために戦っているって本当なの?」


「っ!?」


 どくん、と。

 一際大きくわたしの心臓が脈打つ。

 何で。

 どこで、リコはそのことを――――!?


「カレンさんから聞いちゃった、ごめん」


「……秘密にしてって言ったのに」


「ごめん、でも私から聞き出したのもあるし責めないで。ねえ、セラ。本当に自殺するために戦っていたの?」


 リコが不安げに目を揺らしながらわたしに再度尋ねてくる。

 彼女にわたしの秘密がばれてしまった以上、隠す意味はもうない。観念してわたしはリコに答えた。


「……リコの言う通り。不死者を殺す方法を探していたのは全部、わたしが死ぬためだったの」


「……なんで?」


「だって、わたしなんかが生きていたらダメじゃん」


 三年前、わたしは衝動に飲まれ地元であった村の人たちを皆殺しにした。

 彼らだけじゃない。ここに来るまでにわたしは多くの無関係の人を殺してきている。

 そして最近はリコにまで――――。


「わたしね、最近どんどん殺したいって欲求が抑えられなくなっているの。気が付かないうちに飲み込まれていることが多くなっている」


「…………」


「そんな危ない人を放っておいたらどうなるの? いずれみんな殺す。それにわたしは不死身。もし、完全な『殺人鬼』に堕ちてしまったら誰も手がつけられなくなる」


 そうなってしまうのが怖い。

 だから、わたしはわたしがいられなくなる前に不死者を殺す方法を探していた。そうして不死者を全員殺し、これ以上悲劇を生まないようにわたし自身も死ぬつもりだったのだ。


「だから、わたしは最後に死ぬつもり。ごめん、リコ。こればっかりは聞いて欲しい――――」


「そんなのダメ!!」


 突然、わたしの言葉を遮ってリコが叫んだ。

 驚いて、わたしはリコの方に振り返る。

 彼女は涙を浮かべながら怒った表情を浮かべていた。


「もっと自分のことを大切にして! そんな悲しいこと言わないでよ。私、セラに死んで欲しくない!」


「でも、わたしのせいで多くの人が死ぬんだよ!? 自分でも怖いんだ、人を殺して笑う自分が! 仕方ないじゃん、わたしだって好きでこうなった訳じゃない! でもわたしがいなくならないともっと酷いことになる!」


「そんなことさせない!!」


 リコの言葉にはっとする。

 今、リコはなんて……?


「セラは人殺しなんかじゃない! 人殺しにならないし、させない! 言ったでしょ、セラが道を間違えそうになったら私が導いてあげるって!!」


「……っ」


「もうたくさんの人を殺しちゃったならその罪を一緒に贖おう? 私も一緒に謝る。弔う。だから、死ぬだなんて悲しいこと言わないでよぉ!!」


「なんで……?」


 何でリコはそんな優しいことを言ってくれるの?

 何でわたしのことを肯定してくれるの?


「そんなこと言われたら死にたくなくなるじゃん……」


「死ななくていいんだよ! 私はセラのことが好きだから。セラの味方だから!」


「でも、わたしは生きてちゃダメで――――」


!!」


 リコの言葉に。

 強い衝撃を受けた。


「もし、セラの周りが生きてちゃダメだって否定しても私は違うって言い続ける。私がセラの生きる理由になる! だから、だからお願い」


 そして。

 涙を流しながらもリコはわたしに抱きついて優しくこう言ったのだ。


「生きて」


「…………う」


 瞬間、言いようのない感情が湧き上がってきた。

 その感情を抑えきることができず、わたしは涙が溢れ出てくる。

 視界が滲み、声を震わせながらリコに問う。


「いいの……?」


「うん」


「わたしは、生きててもいいの……!?」


「当たり前だよ」


 霞んで前がよく見えなくなりながらも。

 リコが笑顔でそう答えたのを確かに見た。

 直後、堰が切れたかのようにわたしの感情が爆発した。


「あああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……………!!!!」


 不死身になってから初めて自分が肯定されて。

 それがどうしようもなく嬉しくて。

 止めどなく溢れ出てくる涙を流し続けながらわたしは声を上げて泣いた。

 その間も、リコはずっとわたしを優しく抱き続けていた。



 ――――この日、わたしは新たに『生きる』という決意をした。

 いつか、死が分かつ日が来るまでリコと共に生き続ける。

 咲良を倒し、全てを終わらせてリコと共に生きるんだ。

 そうしてもいいのだと、リコが許してくれたのだから。





















 ――――そして、その決意はわたしの新たな『呪い』となる。

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