回想 紅崎リコの過去・前編
まるで水底から引き上げられるかのように。突然、彼女を中心として世界が広がっていった。音が、光が、感触が、あらゆる刺激が全方位から彼女に向かって襲いかかってくる。
明滅、混濁、覚醒。意識がはっきりとし、彼女は自我を自覚し思考回路が徐々に回り始める。
「やっほー。お目覚めはどうかな、キミ?」
燃えるような赤い髪に血のように赤黒い瞳を持つ少女が彼女の顔をずい、と覗き込んでくる。
自分が何者なのか、目の前の少女が何者なのか。
それを認識するよりも早く、少女の声を聞いた途端、彼女は口を動かしていた。
「……『お母様』?」
そしてまた一人。
藍色の髪に赤い瞳を持つ幼い容姿の。
名も無き
※※※※
その『人形』に転換が訪れたのは目覚めて間もない直後だった。
目の前に立つ『母』――――咲良が少女の周りをぐるぐると回りながら饒舌に語りかける。
「はぁい、それじゃあいつも通り『テスト』するからねー。キミたちホムンクルスは普通の人間と違って生まれた直後にある程度の知識や技能が
「はぁ……」
咲良の言葉にいまいち実感が湧かない様子の名も無き『人形』。
咲良は少女の真正面にぴたりと止まると、彼女の前で手を広げる。
「で、今回するテストっていうのはその
そこまで言ってパチン、と咲良は指を鳴らす。
不意に、目の前に小さな女の子が現れた。
全身を縄で拘束され、口には猿轡を咥えられ、目隠しで視界を覆われて。
「んぅー!」と声にならない叫びを上げながら体をくねらせ必死に抵抗する少女。
突拍子もなく巻き起こった異常な事態には『人形』は理解が追いつかず困惑する。
不意にぽとり、と足元の方から物音がした。
視線を向けると拳銃、包丁、大きな縄、斧にナイフに棍棒……様々な凶器が『人形』の足元に転がっていた。
そして咲良は『人形』の眼前まで迫るとぱん、と両の掌を合わせ笑顔で告げる。
「今から、好きな物使ってこの子をぶっ殺してね✩」
「……は?」
言ってる意味が分からなかった。
何故、笑顔で平然とそんな非常識なことを言えるのか。
咲良の音葉を聞いた少女が恐怖により抵抗を強め、『人形』もこの場の異様な雰囲気に後ずさっていく。
その様子を見た咲良は眉をひそめ、怪訝な顔で少女を見つめ返す。
「どしたの? ほら、ここにある物から好きなの使いなよ。やり方分かるんでしょ?」
「……ゃ」
「うん? 何だって?」
「嫌、です…………」
か細い声で『人形』は否定する。
その言葉を聞いた咲良の顔から表情が消えた。
一切の感情を交えず空虚な声で咲良は『人形』に問う。
「……嫌って何? この子を殺すなんて簡単なこともできないの?」
「は、はい……。できません」
「何で? まさか罪悪感でも?」
「だ、だって、人殺しはよくないんじゃ……!」
と口籠る『人形』に咲良は「はあ」とため息をつく。
そして少女の頭に足を乗せて。
ぐしゃり、と容赦なく踏み潰した。
「うあああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!? ううっ、おえええっ!!」
「あーあー、この程度で吐いちゃうの? 嘘でしょ、やらかしちゃったなーこれ」
骨が砕け、脳漿と血飛沫をぶちまける光景を直視した『人形』は込み上げる嘔吐感を堪えきれず、胃液を吐き出してしまう。
その様子を見た咲良はひどく残念そうな表情を浮かべ、頭を抱える仕草をした。
「見事に道徳的な人格になっているじゃん。失敗しちゃったなあ、ちくしょう」
「はぁ……はぁ……。あっ、ああっ、『お母様』、何を!?」
「残念ながらテストは中止。どうやらキミの犯罪意識だけが見事にすっぽりと抜け落ちているみたいだね。こんな奇跡的なバグある?(笑)」
それからポリポリと頭を掻いて咲良はあっさりと『人形』に告げる。
「ごめんね、せっかく完璧に道徳的な人間として生まれてきたのに。この咲良の『計画』にそんな人材は求めていないんだ」
「つまり、どういうことで……?」
「お疲れ様だね。残念ながらキミは『失敗作』だよ」
「しっぱ、い…………!?」
『失敗作』。
それが何を意味するのか『人形』には想像が
このまま『処分』されてあっけなく命を落とすのか、もしくは『インテリア』にされて朽ち果てるまで放置されるか。
どちらにせよ、ろくでもない最期を遂げるのは間違いなかった。
「い、嫌です……『お母様』、お許しを!」
「あはは、そんなにビビんなくてもいいよ。もうキミをどうするか決めているから」
自身の末路を想像し恐怖に震える『人形』を咲良は一笑する。
そして『人形』に名も与えぬまま、咲良は彼女への顛末をあっさりと告げた。
「今日からキミはここの奴隷。ある人間の世話役をしてもらうよ」
※※※※
――――薄暗い牢屋の中を『人形』と咲良は歩いていた。
いずれの部屋の中には『人形』と同等か近しい年齢の少女たちが閉じ込められていた。だが、『人形』のように生気を感じられる者は誰一人いない。
ある者は死んだかのように倒れ伏し、ある者は気が触れたかのように歪な笑みを浮かべながら自傷し続け、ある者は「くひひ」と不快な哄笑を上げ、そしてある者は……。
「っ!? ひああっ!!??」
頭はひしゃげて脳漿を垂れ流し、ぱっくりと裂けた下腹部からはぶよぶよしたピンク色の腸を覗かせ、その屍肉に飛び交い這いずり回る虫たちに貪られる少女の姿があった。
それも一人だけではない。同じような屍体は少なくとも10ほどあった。
「なーに怖がってんのさー。ここじゃあこんなの当たり前の光景だよ?」
「ど、どうして……どうしてこんなことに!?」
「かつての研究の名残と材料」
笑顔を崩さず、咲良は『人形』に自慢げに語る。
――――まるで、かつての想い人を思い出すかのような表情で。
「生命って本当に神秘的でさ。セックスで生まれた『魂』ってこれ以上ないぐらい綺麗で完璧な構造をしてるの。科学ではとても観測しきれないような奇跡の賜物なんだよ」
「…………?」
突拍子もなく現実味のない話に『人形』は困惑し首を傾げる。
そして咲良は『人形』の方に振り返り、残酷な真実を告げた。
「そしてキミたちホムンクルスは人工的に命を吹き込んだ状態。つまり、『魂』を一から研究して作り上げたわけなんだけど、さてここで問題。この『魂』を人工的に製造できるようになるのに必要な実験台は何だったのでしょーか?」
「…………そんな」
答えを聞かずとも察してしまった『人形』の顔が青くなっていく。
咲良の言葉が本当だとするならば、彼女はつまり……。
「答えは簡単。キミたちと同い年ぐらいの女の子たちさ。どう、この咲良も中々えげつないことするでしょー?」
「あ、ああ…………」
「そして『魂』を作る材料も天然物、つまり人間から『取ってくる』方が遥かに早いっていうわけ。無から有は作ることはできないからね」
「ああああああああ!!」
呼吸が乱れ、涙が止まらなくなり、『人形』は自分の正体に絶望する。
そして、とどめを刺すように咲良は『人形』が無意識に目をそらしていた事実を容赦なく突きつける。
「つまり、キミもさ。数十人以上の犠牲のもとに生まれた存在なんだよ?」
「うああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ…………!!!!」
年相応の精神と倫理観を獲得した『人形』にとって、その真実はあまりにも残酷であった。
数十人もの少女たちの命を奪って生まれたのが自分。
その事実に打ちのめされ、『人形』は膝から崩れ落ちてしまう。
「この程度で心折れちゃうなんて、やっぱどうしようもない『失敗作』だな~✩ ほら、さっさと立てよ」
特に仕草をするわけでもなく、咲良の一言で『人形』の体が上に引っ張られる。
無理矢理立ち起こされ、『人形』は再び咲良の後ろをついて行くように歩き出した。
「ほら、目的はあいつの世話役なんだから、さっさと気分転換しな」
「ひっぐ……うぇ…………」
気遣うわけでもなく適当に言い放つ咲良。
『人形』は立ち直れず嗚咽を漏らし続けていた。
しばらく歩き続け、とある部屋の前に咲良たちは到着する。
鉄格子をゆっくりと開け、咲良は『人形』をその中に入れさせた。
「じゃ、今日からキミはその子の世話役になるからよろしく」
咲良にそう言われ、『人形』は未だ止まらない涙を流しながら目の前の少女を見つめる。
黒いボサボサの髪に長い切れ目の黒い瞳。顔つきから東洋人のようでボロボロの布切れをまとい、肌のいたるところに傷跡と痣があった。
だが、それほど傷ついた外見でもなお『人形』はその少女に惹かれていた。
閉じ込められていた他の少女たちとは明らかに違い、彼女は強い生気を瞳に宿していた。
咲良に捕らえられた、そんな絶望的な状況であるにも関わらず少女は折れた様子など一切見せておらず、むしろ抗ってやるという意思すら感じてくる。
「じゃ、この咲良はお暇するからね。その子は紅崎凜華っていう名前だから。まずは仲良くしてってねー✩」
「っ! 待って!」
咲良の言葉にぴくり、と凜華と呼ばれた少女が反応し叫ぶ。
だが、咲良は彼女の声を無視して鉄格子を閉め立ち去っていった。
密室に二人きりになる『人形』と凜華。
気まずい雰囲気に『人形』はオロオロと慌てふためくが、凜華が口を割って彼女に尋ねる。
「……あんた、名前は?」
「へっ!? 名前!? な、ないです……」
「――――そっか。見た感じあんた、あの女に無理矢理連れてこられた口に見えるね」
「そ、そんな感じですかね……」
厳密に言えば彼女に作られて『失敗作』と判断され、奴隷としてここまで連れられてきたのだが。
しばらく凜華は「うーん」と唸ったあと、なにか閃いたのか手を合わせてはにかむように笑った。
「決めた! じゃあ私が名前をつけてあげる!」
「えっ!? い、いいんですか……!?」
「うんうん。何かあんた妹っぽいし、気に入った」
「妹!?」
予想外の評価に『人形』は驚いた声をあげる。
そして凜華は数分考えた後、彼女の名前を口にした。
名も無き『人形』に、祝福を与えるかのように。
「……じゃあ
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