第19話 激情、殺意、悲哀

「リコ、大丈夫!?」


 リコの元に駆け寄り、縄を解いてやる。

 彼女の右手を見ると、親指から薬指まで痛々しく折れ曲がっていた。

 なんて悪趣味な痛めつけ方なのだろうか。


「セラ! 怖かった、すごく怖かった!!」


「うん、大丈夫。大丈夫だから」


 涙を流し怯えるリコを優しく抱きしめ安堵させる。

 だけど、彼女にはつらいがもう少し頑張ってもらわなくてはいけない。


「ごめん、リコ。あとはわたしに任せて先に逃げて」


「逃げるって……どこに?」


「ここから東を向かった方にジリアンがいる。離れてからまだそんなに時間は経っていないからすぐに合流できるはず」


「分かった。でも、セラは?」


「アリスを殺す」


 彼女はわたしにとって因縁とも呼べる相手だ。

 今が、彼女を殺せる絶好の機会だ。これ以上、彼女の身勝手な思いで犠牲者を増やしたくない。

 彼女を殺せるなら、形振り構わず春田は選ばないつもりだ。リコが巻き込まれてしまう可能性は大いにある。

 何より、これはわたしとアリスだけの問題だ。


「殺すって……。今のセラ、すごく目付きが怖いよ。放っておけるわけない」


「そうだとしてもリコはここにいてはダメなの。あいつは、わたしの大切な人を全員殺すつもりだ。リコを死なせるわけにはいかない。それに、わたしは死なないから大丈夫だよ」


「…………っ、分かった」


 わたしの言葉にリコは俯き、左手を震わせながら強く握り締める。

 自分は何も手助けにならない、そんな無力感に苛まれてしまっているのだろう。申し訳ない気持ちになってしまってリコに言葉をかけようとしたが、その時には彼女は顔を上げてまっすぐわたしを見つめ返していた。


「ジリアンたちにあったら、またここに戻ってくるから。その時には絶対に倒してね」


「うん。任せて」


 わたしの言葉にリコは頷いたあと、名残惜しそうにわたしを見つめてから踵を返して走り出した。

 それからわたしは背後を振り返り、アリスを睨み付ける。


「どうして、何も手出ししなかったの?」


「あれ、死んで欲しかった?」


「ふざけないで」


 わたしの言葉にアリスはおどけて答える。

 昔から彼女はそういう癖があった。きっと、わたしに向けた狂気を隠すための態度だったのだろう。思い出すだけで吐き気がしてくる。


「三年振りだね、セラ。セラの噂はずっと耳にしていたけど、まさかあたしと同じ不死者になっているなんて驚かされたよ」


「うるさい! あなたたちと一緒にしないで!」


 元はといえば彼女のせいなのに。

 彼女に裏切られたから、大切な家族を殺されたから、わたしは殺意を持ってしまった。そこを咲良に付け込まれ、望まぬ狂気と不死を手に入れてしまった。

 

「そうだ、わたしはあなたたちと違う。自分から不死者になったんじゃない。あなたのせいで、こうなった。わたしは、ただ巻き込まれただけだ!」


「そんなの、ただ自分に言い聞かせてるだけじゃん。そうやって都合の悪いところから目を瞑って逃げる癖も昔から変わらないよね」


「違う、違う!」


「何が違うの?」


 必死にかぶりを振って否定しようとするが、そんなわたしを見たアリスが嘲笑う。


「セラさ、気付いてないみたいだけど。さっきからずっと殺意が滲み出てるよ? リコの縄を解いてる時も何回か刀の柄に触ってたし、折れた指を確認していた時も何度か脈に視線が行ってた」


「違う、うるさい」


「三年前にあたしの首を絞めた時も、心肺停止一歩手前まで追い詰められたけどさ。その時セラはんだよ?」


「うるさい、黙って!」


「そうやってセラは何人も笑顔で殺してきたんでしょ? あたしたち不死者を自らの狂気に従って無作為に命を奪う人殺しって考えているみたいだけど、セラが一番その像に近いじゃん」


「黙ってって言ってるでしょ!!」


 アリスが言い返すたびに、感情が荒れていく。

 ダメだ、それ以上聞いてはダメだ。

 早く、彼女を殺さないといけない。その口を黙らせないといけない。彼女を黙らせるにはつまり、命を奪うのが一番早くてそれには殺す必要があって、ああ早く殺したいアリスを殺したい殺す殺す殺す――――!!

 思考が乱れていく。わたしの中で猛烈な殺意が膨れ上がっていく。きっと、普段のわたしならここで抑えようとするだろうが、相手はアリスだ。何を遠慮する必要があるのだろうか。

 彼女の次の言葉を言わせてはいけない。その前に殺さないと。

 だから、わたしは刀に手を伸ばし――――。



「結局、セラはどうしようもない『殺人鬼』なんだよ」



「――――ッ!!!!!!??????」





 感情が、爆発した。




 直後、わたしの体に異変が起きた。

 ぱっと目の前の光景が閃光に包まれたと思った瞬間、世界からあらゆる色が消えた。

 白と黒と灰色だけの世界。感情が昂りすぎたあまり、瞳の神経が焼き切れてしまったのだろうか。

 だけど、。彼女を殺すのに色彩感覚が無くなったことなど些細な問題でしかない。

 気が付いたときには鞘から刀を抜き、アリスに距離を詰めていた。

 躊躇なく心臓に突き立て、そのまま商品棚まで押し倒していく。

 彼女に馬乗りになり、その首をね飛ばそうと、わたしは一旦彼女の胸から刀を抜く。

 だがその一瞬が隙になってしまった。

 咄嗟にアリスが短機関銃サブマシンガンをわたしの脇腹に押し付け、引き金を素早く引いた。

 だだだだ、と短い発砲音とともに容赦なくわたしの内側へと弾丸が撃ち込まれる。

 激しい嘔吐感を覚え、こらえきれずに吐いてしまうが口から零れたのは吐瀉物ではなく、大きなまっ黒い塊だった。

 それからアリスはわたしに蹴りを一発入れて距離を離す。


 ……だがその程度でわたしが引き下がるとでも思っているのだろうか。

 もちろん、わたしの体は激しい痛みに襲われている。でも

 たかが痛覚や傷口程度でわたしが止まる理由にはならない。

 すぐにわたしは立ち上がり、再び彼女の方へと走り始める。


「!? ちっ」


 わたしがすぐ動くことを予想できなかったのか、アリスは驚いた顔をした後に舌打ちし、隣の商品棚に手を伸ばす。

 どうやら『権能』を行使したようで商品棚のパイプ部分が内側から弾け、わたしの方に向かって吹き飛んでいく。

 どうやら棚の中には食器類が入っていたようで大量のナイフやフォークがわたしに向かって降り注ぐ。

 金属の雨を避けることもせず、わたしはその中に突っ込んで行き所々刺さったり、額が割れて血が流れ出しても構うことなくアリスに向かって走っていく。

 刀はない。だから、せめて殴り殺そうとわたしは拳を握って強く振りおろそうとした。

 だが、わたしよりもアリスの方が早かった。彼女は落ちていた鉄パイプを素早く拾い上げ、わたしに向かって突き出したのだ。

 だが、気付いたところでもう遅い。わたしはもう勢いに任せて拳を振り下ろしてしまっている。だから構うことなくわたしは続けることにした。


「っ!? セラ、やめて!」


 アリスが何事か叫ぶがもう止まらない。


 

 直後、わたしの右手が鉄パイプに直撃した。



 初めに痺れたような感覚を覚え、次に右腕から全身に伝わるように衝撃が走り、最後に激しい痛みが広がり始めた。

右肘からぱきりと骨が折れてしまい、腕が不自然に曲がる。直撃した指の部分は皮膚を突き破り、骨を砕き、完全にひしゃげてしまっていた。手首から先はぐちゃぐちゃで見るも痛々しい姿になってしまっている。

 だが使のは右腕だけだ。残った左腕でアリスの顔面を掴み、わたしがバランスを崩すと同時に倒れこむ。

 再び、彼女の上に馬乗りになり、わたしは左腕でアリスの顔を掴んだまま、勢いよく地面に向かって叩きつけた。

 ぐしゃ、と肉が潰れる不快な音が響き渡る。

 ……やはり、だ。まるで魂が抜け落ちるようなそんな明確に『死んだ』ことが分かる致死的な感触がまったくない。やはり、頭を潰した程度では不死者は死なないようだ。

 だが、関係ない。

 それから、沸き上がってくる殺意に任せ何度も彼女の頭を地面に叩き続ける。


「死ね! 死ねっ、死ねっ、死ねっ!!!!」


 途中から右腕が動かせることに気付き、ふと右腕の方を見るとすっかり再生していた。

 だから、今度は両の手でアリスの全身をひたすら殴り続ける。

 ――――まだだ、まだ死なない。まだ足りない! 殺す、殺す、殺す、殺して、殺して、殺してやる!!

 そして、右腕を高く振り上げて視線が上がり、思わず彼女の表情が目に入って――――。


「――――あ」


 ぴたりと。

 わたしは動きを止めてしまった。



 アリスは。

 泣いていた。



 幼い頃、あるいは恋人として付き合っていた頃。

 その頃とまったく変わらない表情で彼女は涙を流し、わたしを見つめる。

 まるで許しを乞うような。

 そんな悲しげな表情を浮かべ、アリスは一言だけ呟く。


「…………ごめん、なさい…………」


「っ!? アリ――――」


 彼女の言葉に。

 胸が締め付けられる。

 それから、彼女との幼い頃の思い出がフラッシュバックし、様々な想いがごちゃまぜになった形容しがたい感情が湧き上がってきて。

 そこで、わたしは気付いた。



 わたしの左胸。

 そこにアリスの手が伸ばされていた。



「待っ」


 言葉は続かなかった。

 直後、わたしの内側から内蔵が弾け飛び、四肢をもろとも吹き飛ばしてわたしは意識を失った。

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