第15話 『破壊者』アリス・ウェストブラッド

「――――ああっ!?」


 飛び起きるようにリコは目を覚ました。

 薄暗く誰もいない街道。どうやら咲良たちはもういないらしい。

 胸に空いていた傷はどこにも見当たらず、少女特有の瑞々しい肌が顕れている。

 だが、咲良から受けた痛みが忘れられず全身は汗でぐっしょりと濡れていた。


「はぁ……はぁ……、ここは……?」


 周囲を見渡すと商店街のようだった。

 普段この街は賑やかなはずなのだが、住民たちは避難したのだろうか、辺りは静まりかえっている。

 前後の記憶が不安定でしばらく混乱していたリコだったが、ようやく状況を理解し即座に立ち上がる。


「っ!? そうだ、セラは!?」


 途中、咲良と刀を持った幼い不死者に襲われていたはずだが今はどこにも見当たらない。

 だが、すぐにこの街から離れたとは考えにくい。それに咲良はこの街に全ての不死者を呼んだと言っていた。つまり、まだ脅威は去っていない。

 一刻も早くセラと合流しなければ。

 咲良に襲われた時の恐怖と痛みを思い出し、心臓が暴れ呼吸が乱れながらも必死にセラの名前を叫び走り出す。


「セラ! セラぁ!! お願い、どこにいるの!?」


 ――――だが運命の女神はそう簡単に微笑んでくれなかった。


「セラ、セラ! どこなの、セ――――がはっ!?」


「はぁい、そこまでー。今は物騒な世の中だから迷子になってもあまり人の名前叫んじゃダメだよー。特にあたしたちみたいな危険人物がうろついてるなら尚更ね」


 背後から衝撃と痛みを受け、リコが倒れこむ。

 その背中にぎし、と何者かが足を乗せ容赦なく体重をかけてきた。


「いっ、あああああああああ!!」


「はいはい静かにする。あまり騒がしくすると殺すよ?」


 ジャキ、と軽い金属音。同時に頭に硬いものを突きつけられる。

 リコはそれが銃口であることに気付き思わず硬直してしまう。

 その反応に背後の人物は満足気な声で話しかけてきた。


「うんうん、それでいーよ。ありがとねん。で、一個だけ質問あるけどいいかな?」


「し、質問……?」


 恐怖に声を震わせながら視線を背後に向けようとする。

 不意に背後の少女が耳元へ唇を近付けた。

 吐息を当てながら、少女が問う。


「あんた、セラとどういう関係なの?」


「――――! そ、それは……」


 セラの名前を口に出されリコは口籠ってしまう。

 セレスティア・ヴァレンタインではなく、『セラ』という呼称で彼女の名前を出したということは、恐らく彼女の知り合いかもしれない。だが、今の状況から考えて彼女は紛れもなく敵だ。

 確信したリコは、ようやく振り返り背後の人物を睨み付ける。

 ロングの金髪をツーサイドアップに纏め水色の瞳を持つ、少し顔立ちが幼く感じる可愛らしい少女が立っていた。


 ――――だが、その出で立ちはあまりにも異様だった。


 黒を基調としたゴシック調のドレスを着込んでおり、左足は太ももの付け根にまで伸びているほどに長いサイハイソックスを履き、対して右足はくるぶしにまでしか伸びていないアンクルソックスを履いて生足を露出させていた。左腕にはぬいぐるみを抱え、右腕にはその外見と似合わない短機関銃サブマシンガンを構えていた。

 特にリコを震え上がらせたのは、そのぬいぐるみだ。

 大元はピンク色のうさぎを模した可愛らしい外見のぬいぐるみなのだが、どこを見るもツギハギだらけで無残な姿になっている。右足には赤い縫い跡が大きく残り、左腕は手首から先が欠けていて大量の綿を覗かせていた。右目はごっそりと抜け落ち、顔の左半分は真っ黒い布を接合されていて、その左目部分は本物そっくりな眼球が飛び出すようにくっつかれていた。

 いくらボロボロになるまで愛用しているからといって度を越している。可愛らしさは欠片もなく不気味でしかない。

 そんな人形を愛おしそうに抱えている彼女から狂気を垣間見たリコは恐怖に顔を引きつらせながらも、敵意を向ける。

 その様子にアリスはご満悦げに話す。


「あーんなにセラの名前を呼んでいたじゃん。すっかり信頼しきっている様子でさー。もしかしてとか?」


「だったら、何……!」


「否定しないってことは脈アリってことでいいのかな?」


「…………」


 少女の質問には答えず睨みつけるリコ。

 しかし、その態度は先ほどの問いに対して暗に肯定しているということである。それに気付いた少女は「はぁ」と大きなため息をついた。

 そして、リコはわずかでも彼女に反抗したことを大きく後悔することになった。


「ざっけんじゃねえよ」


 先程までの飄々とした態度から一変、静かな怒気に包まれた声をポツリと少女が呟く。

 直後、少女は勢いよくリコの顔面を蹴り上げた。


「がっ――――、……ぁ、ぁぁぁぁああああああああああああああ!!!!??」


 一瞬だけ意識が途切れ、目を覚ました直後に激しい痛みが襲いかかる。

 口の中が切れてしまったのか、鉄臭い味が広がる。鼻は完全に折れ、止めどなく血が溢れ出ていく。

 痛みと熱にもがき叫ぶリコの顔を少女が踏み潰す。


「ぐふっ、ぁぁぁぁあああぁぁぁぁ……!!!!」


「うるさいなぁ。あんまり騒ぐと殺すって言ったじゃん」


 先程までの怒気が嘘のように晴れ、笑顔で、しかしながら容赦なくリコを踏みつける。


「決めた。あんたをこれから人質にするね」


「くっ、ぁ……。お前、何なの……!?」


 痛みと恐怖に慄きながらも、リコは再び顔を上げ少女を睨みつける。

 対して少女は依然としてリコの顔を踏みつけ、飄々とした態度を崩さずに答える。


「あたし? あたしの名前はアリス・ウェストブラッド。セラの元カノだよ」


「は……!?」


 予想外の答えに思わず思考が停止するリコ。

 対してアリスは固まったままのリコの髪を掴み、痛みに呻く彼女を無視して引きずっていく。

 そうして歩くこと数分。彼女がたどり着いたのはとある精肉店だった。


「お邪魔しまーす。おじさん、この店借りるね」


「は? お嬢さん、あんたも逃げな――――」


 だだだだ、と連続して銃声が響く。

 店主の男が何事か言うよりも先にアリスは右手に持った短機関銃サブマシンガンの引き金を引いていた。

 腹部から胸にかけて大量の風穴が空き、血と臓物を垂れ流しながら男が倒れる。

 その光景を直視してしまったリコが短い悲鳴を上げたあと、込み上げてきた嘔吐感を抑えきれず、えずき始めた。


「う、ぁ、ああ……うっ、おぇ」


「ああ、ダメだよ女の子がそんな汚い真似したら。我慢してね」


 そう言うとアリスはポケットからハンカチを取り出し、リコに無理やり噛ませる。

 込み上げてきた嘔吐物は出処を失い、胸焼けするような痛みと嫌悪感に顔をしかめながら何とか飲み込む。

 その様子に満足げに頷いたアリスは乱暴に椅子を取り出し、そこにリコを投げつけた。

 解放されるや否やすぐさまリコが抵抗しようとするが額に銃口を突きつけられ、恐怖に硬直してしまう。


「うん、それでいーよ。大人しくすれば殺さないでおくから」


 そう言うとアリスは縄を取り出し、器用にリコを椅子に縛り付けていく。

 拘束され身動きが取れなくなったのを確認するとアリスはリコの口からハンカチを離してやった。


「ぷはぁ……! こんなことして……どうするつもり?」


 恐怖に体を震わせながらもアリスを睨み付け問う。

 その魂胆に感心したのかアリスは口笛を鳴らし上機嫌に答えた。


「薄々察してると思うけどさぁ。あたしってセラや咲良と同じ不死者なんだよねぇ」


「……っ!」


 不死者。

 その単語を聞いてより、リコは警戒を強める。


「うんうん、不死者が何なのか知ってるだけでも結構。それでさー、不死者って大抵何かしら強い衝動を抱えてるんだけどね、あたしの場合は破壊衝動なの」


 強い破壊衝動。さながら彼女は不死身の『破壊者』といった所か。

 しかし、体を縛り付けられそこまで語って彼女はどうするつもりなのか。

 嫌な想像を働かせるリコに、アリスは楽しそうに答えを教える。



「だからさ、10



「――――は?」


 唐突に言われた言葉に。

 今度こそリコは思考を放棄する。

 今、彼女は笑顔で何を言ったのか。

 どうして、そんな悪趣味なことを平然と言ってのけるのか。

 まさか、これから本当に実行されるのか。

 ぐるぐると頭の中を止めどなく疑問が浮かんでは消えていく。年齢が近い少女の発言にしては現実味があまりにも無く、リコは本気で彼女は冗談を言っているのだと思い込んでいた。

 だから、身を持って彼女の『狂気』を思い知ることになる。


「それじゃ、今から折るね」


「え、ちょっ、待って! ほ、本当にする」


「いーち」


 リコが制止の声を掛けるのを無視して。

 素早く距離を詰めたアリスは、リコの右手の親指に手を伸ばし。

 ぽきりと。

 反対方向に向けて容赦なく折り曲げた。



 思考が。

 弾けた。



「がっ――――ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああ!!!???」


「あはははは! すごーい、骨折は初めてだったのかな? 元気に暴れてるじゃん!」


「あああああああああ!! ああああああああ!! うああああああああああああああああああああああ!!??」


 猛烈な激痛にリコは何も考えられなくなり、ひたすら叫び続けた。

 涙が止めどなく溢れ、身体もろくに動かせず、痛みから逃げようとひたすら拘束された椅子の上でもがき続ける。

 その様子にアリスは楽しげに笑い、リコに再び距離を詰め耳元で囁いた。


「ふふ、まだまだ始まったばかりだよ。たぁっぷり君には地獄を味わってもらうからね」


 痛みで何も考えられないのに、何も考えたくないのに、その言葉は耳に入り込み、理解してしまう。

 未だ叫び続けるリコを無視し、アリスは懐から写真を取り出すと愛おしそうにそれを眺めぽつりと呟いた。


「セラ、早く来ないかなぁ。じゃないと君の大切な人が壊れちゃうよ、昔みたいに」


 そして再びリコに視線を向ける。

 その瞳には、狂気と嫉妬と快楽―――様々などす黒い感情が混じり合い爛々と輝かせていた。


「絶対に――――セラは誰にも渡さない」


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