第6話 『痛み』
最初に飛びかかってきたのはセシリアの方だった。
一瞬にして間合いを詰められ、腕を振り上げる。その指先に僅かな光が反射したのを見て、即座に左斜め後ろへ転がり込んだ。
「……ピアノ線か!」
ピアノ線、もとい炭素鋼のワイヤーだ。恐らく太さは一ミリ以下だろうが、それでも数メートル伸ばせばそれなりの重さにはなる。加えて高い身体能力。狂信者故に体力は低いと舐めてかかっていた。こいつは、かなりの実力者だ。
「くひっ、あまり私を舐めてもらっては困りますねえ。時には身を削ってでも天罰を与えなければならない時がありますので」
「ちっ。やっぱり簡単には殺せないか……!」
即座に起き上がり、全体重をかけて刀を振り下ろす。だが、セシリアに容易く
「ぃぎっ……!?」
一瞬、意識が飛んだ。ぽたぽたと鼻血が垂れてくる。間違いない、鼻骨が折れた。
頭を打った衝撃で体を上手く起こせない。何とか起こそうと格闘しているとセシリアが脇腹を蹴ってきた。
みしみし、とつま先が食い込んでいく。
「ぐっ……、ぁぁぁぁあああああああ!!」
「くひひ。精神は万全でも肉体の方は限界ですか。いくら再生能力が高いといっても、これだけ傷を負えば時間はかかってしまいますものねえ」
やはり、華奢な体格の割に彼女には途方もない力がある。正面から太刀打ちするのは厳しいようだ。
だから、わたしは持っていた右手の刀で彼女の右足を突き刺した。
「いっ……!? このっ……!」
流石の彼女も痛みに呻き、即座にわたしから離れようとする。
だが残念。足の骨を貫き完全に地面に縫い付けられた状態だ。意識を失っても刀を手放さなかったのは奇跡だった。こればかりはわたしの殺意に感謝する。
そのままわたしはセシリアに突進し押し倒す。武器は手元になく、殴り合いでは悔しいが完全に相手が上手だ。ならば、どうするか。
狙い通り、まず倒れたセシリアの頭が岩に打ち付けられた。後頭部を直接打った衝撃でセシリアの意識が一瞬飛ぶ。その隙にわたしは腰から拳銃をすぐさま抜き取り、眉間に銃口を押し付けた。
「死ね――――!」
躊躇なく引き金を引く。
ぱぁん、という乾いた音と共に返り血と肉塊がわたしの頬にへばりついた。
※※※※
「これで、最後――――!」
残り一人。元々集まっていた信者の数が少なかったのが幸いした。
リコは最後の信者に向かって頭ではなく、脇腹を撃ち抜いた。生かしておいた理由は非常に単純。尋問するためだ。
「……うぷっ。げぇええええええええ!!」
「わあああああああ!? リコさん何してるんですか!?」
空っぽになった銃をしまった途端、リコが盛大に吐く。猟奇的なものが苦手な彼女にとってはよく持ちこたえた方だろう。
「はぁ……はぁ……。もう無理。二度と銃なんか使いたくない……」
顔を青くしながらリコが信者の方に向かう。本当ならゆっくり休みたいところだが事は終わっていない。セシリアの目的を聞き出し、情報を軍に提供するのも立派な仕事だ。
(でも、やけにこいつら静かだったな……)
確かに彼らはリコたちに襲いかかっていたのだが……。意志を感じられなかった。何も語らず、みな単純かつ同じような行動ばかりしていたのだ。与えられた命令だけをこなす機械のようだった。
(まあ、それも聞いてみれば分かるか……)
そう考えながらリコは信者の顔を隠していたフードを取る。
中にいたのは約三十代ほどの男だった。ガタガタと体を震わせ目はどこか上の空のようだ。ひと目で分かってしまった。こいつはもう正気じゃない。
銃弾はないが、脅しとして頭に突き付けておき質問をする。
「答えて。お前たちの目的は?」
男は最初、黙ったままだったが笑みを作ると口を開き始めた。
「かっ、神の……、選ばれ、し、せいじょ、に……くひひ、『贄』と、となっ……て、神に、くひ、くひひひひ」
「やっぱりダメか……」
よく分からない答えが返ってきただけだった。だが『神』と信仰している対象に生贄だか何だかを捧げようとしているようだ。せいじょ、という単語は恐らく『聖女』、そしてセシリアの言葉からその聖女というのはヘイゼルのことであろう。リコは何故ヘイゼルが選ばれたかったのかを聞きたかったのだが。
そして明らかに正気じゃない様子。そして信仰対象へ生贄を捧げることを躊躇なく行おうとしていることから、セラの言う通り彼はセシリアの『権能』によって洗脳されているかもしれない。残念ながらリコにはその洗脳を解く方法がまったく分からないので対処しようがないのだが。
だが、そこで異常は起きた。
「……いいか」
「? 何て?」
「これで、いいのか?」
男の言葉にリコがはっとする。
見るとその目には光が戻っている。先程から体が震えているが、歯もかちかちと震わせている。そして何かに怯えたような顔。彼は何かに恐怖を抱いていた。
「なぁ……、これでいいんだろ? ひ、くひひ、これで『神様』とやらは満足してくれるんだろ!? くひひ、くひひひひひ、さっきからあの女の笑い声が耳から離れねえんだよ、痛いのが、苦しいのが、止まんねえんだよお!! ああ、嫌だ、やめてくれ、くひ、痛いのはもう、くひひひひ、嫌なんだ!!」
「な、何? 何が起きてるの!?」
痛み、苦しみ? 何のことだ。
彼は何かに怯えたような態度から一変、今度は苦しみだし抵抗しだした。がしっ、とリコの肩を掴み強く揺さぶる。
「おっ、お願いだ、くひ、俺をっ、くひひひひ、殺してくれ! もう、ひひっ、くひひひひひ、終わりにしてくれ!! あの女の声が、くひっ、止まらねえんだ、あの女の、『天罰』がっ、くひひひひっ、くひ、くひひひ、ずっとっ、続いてるんだくひひひひひ!!」
「おっ、落ち着いて! 気をしっかり保って!!」
必死にリコが呼びかけるが男は無視をする。
より抵抗は激しくなり、支離滅裂な言葉を叫んでいく。
「くひひひ、くひひひひひひ!! 『神』に、『贄』をぉ!? 違う、俺はっ、俺はあの女に痛めつけられくひひひひひひひ、殺せ、殺してくれぇ!! 殺せ、死ね、死にたい、早くっ、くひひひ、殺せ殺せ殺せ殺せ早く早く早く早く殺せ早くころせころせころせくひひひひひひひひひひひひひひひひ――――」
ぴたりと。
男が動かなくなった。
「――――は」
思わず止めていた息を吐き出す。
リコが意識の確認をしようと肩に触れた瞬間、男の口が開いた。
「ひっ……!?」
直視したリコは硬直した後、すぐに口を手で覆う。そうでもしないとまた戻してしまいそうだったからだ。
男の口の中は血だらけだった。だらー、と血が幾度なく流れてくる。
不意にぽつり、と草むらに何かが落ちる音がした。リコはそれを見てすぐさま後悔した。
舌があった。
「うっ……げええええええええ!」
耐えられなくなったリコは再び胃液を吐き出してしまう。
舌を噛み切った痛みで男は気絶したようだが、どのみち出血多量で助からない。しかし舌を噛みちぎるには苦痛を伴うし、かなりの力と勇気がいるのだが、それを躊躇なく実行してしまうほどに彼は追い詰められていたのか。
ひょっとすると、セシリアの『権能』とは洗脳ではなく、もっと別の何かかもしれない。それもいとも簡単に人を狂わせるようなもっと恐ろしい何か。
「ぜぇ……ぜぇ……セラ…………」
青白い顔で呼吸を整えながら恋人の名を呟く。
今も、彼女はセシリアと激しい戦闘を繰り広げているはずだ。セラはよく無茶をするが、彼女は精神的に脆いことをリコは知っている。かと言ってリコが助太刀になれないのも事実だ。大人しく、事が過ぎるのを待つしかない。
「ヘイゼル、セラが来るまで待とう。あいつ、想像した以上に危険な存在だよ」
そう言いながらリコは振り返る。
そこで気付いてしまった。
「…………あれ?」
いない。最初に吐いた時は背中をさすってくれたのだが、今は周囲を見回してもどこにもいない。
「あれぇ!?」
まずい、完全に目を離してしまっていた。
恐らく、いや間違いなく彼女はセシリアの方へ向かった。このままでは彼らの言う『贄』とやらにされてしまう。
「ああもう、気分悪いのに……!」
使える武器はもうない。だが黙って見殺しにするわけにもいかない。
仕方なしとリコはセラの方向に走り始めた。
※※※※
頭から上が吹き飛び、脳を露出させるセシリア。
いくら不死者といえども、これだけ激しい損傷を受ければ動くこともできない。
「とはいえ、死んだわけじゃないけど」
恐ろしいことにこれだけの致命傷を与えても再生するのが不死者だ。脳、呼吸、心臓、その全てが止まったとしても死ぬことはない。ここまで来ると残す方法は跡形もなく消し飛ばすしかないのだが……。
「現実的じゃないわね。かと言ってあなたをこのまま放置するわけにもいかないけど」
激しい損傷を受けると応じて再生する時間もかかる。だが再生することに変わりはないので、いずれも時間の問題だ。
まずは彼女の体を拘束しておこうと縄を持つ。だが、そこでまたわたしは詰めが甘かったことを認識させられた。
再生の話はあくまでもわたしの場合だったのだ。個人差が出るとは一つも考慮していなかったのだ。
がっっ、と首を掴まれた。
「ぎぁっ!?」
思わず喉から変な音が漏れる。セシリアはわたしの体を持ち上げ、そのまま強く絞め上げた。
未だ再生が追いつかず、ぼとぼとと脳と爛れた肉を額からこぼし、左目は今にも落ちそうになっているのだが彼女は気にも留めず嗤う。
「ひっ、ひひっ、くひひっ。いい、でしょう……。貴女には、もうウンザリです。肉体を滅ぼせないのなら、その精神を灼けばいいのです……!」
「がふっ……、な、にぉ……」
だが、そこで言葉が出なくなってしまった。
セシリアが何かをした様子はない。だが、明確に何かが起きた。
「――――っ!? あ、あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!?????」
全身を痛みが襲った。
痛い。ただただ痛い。あるのは激痛だけ。それ以外、何もなかった。
「くひっ、くひひひひひひひひひひひ!! ええ、そうです、これが私の『権能』! 『天罰』です! 人間から小さな蟻、果てにはこの大地までありとあらゆる『痛み』を収束し与える『権能』です! くひっ、どうでしょう! いくら貴女でもこの痛みには耐えられないでしょう!?」
セシリアが何かを言っているが何一つ理解できなかった。
いや、そもそも五感が機能していなかった。今わたしの視界に映るもの全てが、聞こえてくる音全てが、入り込んでくる匂い全てが、口いっぱいに広がる味全てが、体中の感覚全てが『痛み』として刺さってくる。
思考などできるはずもなかった。わたしは初めて、『死んだ方がマシ』だと思える痛みがあることを知った。
だがこれほどの痛みを受けてもなお、わたしは意識を失えずにいた。いや、意識を失えなかった。
「くひっ。『天罰』には痛みの上限がありません。その気になればこの国全土に渡る痛み全てを貴女に与えることができるのですよ? くひひ、ですがこれは『天罰』。神からの罰なのです。それを受けて頂くのに気絶など神がお赦しになるわけがないでしょう?」
このままでは間違いなく発狂する。文字通り精神が灼けて廃人となってしまう。
だが、わたしは動くことができなかった。当たり前だ、今のわたしには激痛しかない。『神』が与えた痛みだけがあって――――。
「……おや?」
あっさりと。
『痛み』が消失した。
「あああああああああ、あ…………?」
何が起きたのか理解できない。
だが先程までわたしを襲っていた痛みは嘘のようになくなっている。未だ体は動かせないが思考は徐々に取り戻してきた。
というか、今わたしは何を考えていた? 『神』がどうのこうのって――――!?
「くひひ、ヘイゼル・ラドフォード! 来てくださったのですね!?」
「!?」
この場にいないはずの少女の名前に驚愕する。彼女の方に顔を向けようとしたが、セシリアが掴んでいたわたしの首を離し、地面に打ち付けられた。
「ぁがっ……!? ヘイゼル、来ちゃダメ――――」
必死に声を上げるがヘイゼルはその目に怒りを宿し聞く耳を持たなかった。
「セシリア・ウェイトリー! あなたは、絶対に殺す――――!!」
「くひひ、ああ、ヘイゼル! 会えて嬉しいです! 何と、何と美しいのでしょう!」
会話が全く噛み合わない。
ヘイゼルは憤怒と憎悪の色を目に浮かべるのに対し、セシリアは歓喜と……。
――――あれは恋?
ふと、頭に浮かんだ考えに否定するが、彼女のあの表情はどう見ても恋する乙女のそれだ。
「ああ、ああ、一目見た時から確信しました! あなたは『神』の元に選ばれし聖女なのだと! 神に愛されし、故に神に身を差し出すべき『贄』なのだと!」
「意味が分からない!」
セシリアの戯言にヘイゼルが吼える。
「さっきからごちゃごちゃと……! あなたのせいで、私が、私の家族が滅茶苦茶にされたんだ! 絶対に、絶対に、殺してやる!」
「くひひひ、ああ、素敵です、その顔! こちらの身が、焦げてしまいそう――――!」
ヘイゼルの殺気溢れた顔を見たセシリアは体を震わせ、恍惚とした表情を浮かべる。その異常な様子に思わずゾッとする。
そして、ヘイゼルは激情のままにセシリアに飛びかかった。
「!? ヘイゼル、やめて!」
わたしの声も虚しく届かず、ヘイゼルはセシリアに突っ込んでいく。
体は未だに動かない。もう、ダメなのか。
そう思った時だった。
「はいはーい。セラちゃんも、せっしーも、そこのロリっ子もそこまでー☆」
突如、軽い口振りの女の声が響いた。
その声を聞いた途端、わたしは硬直してしまう。
――――嘘、なんで。何でこんな所に!?
いつの間にか。
ヘイゼルとセシリアの間に少女が立っていた。
「おうおう、
燃えるような赤髪に、血のように赤黒い瞳。
間違いない。あいつは――――!
「
彼女の名前を叫んだわたしに少女が振り返る。
そして、その瞳に狂気と残虐性を滾らせて彼女は微笑んだ。
「せ・い・か・い。 みーんなの『管理者』こと、咲良でーす☆ そこのロリっ子も、よろしくね♡」
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