間食 at オリヴィエの自宅
北北西の森の奥にあるお嬢の家に着いたのは、旅館を出発して4時間後のことだった。
着くや否やお嬢は薬釜のある部屋へと飛び込んだ。
まぁ、火が消えているということは、飛び込まずともわかったが。
何せ家の中はひんやりとしているのだ。
もしずっと火を焚いていたのなら、まぁたかだか1週間だからよほどのことがなければ火事になったりなんかはしないだろうが、それでも室内の温度はかなり上がっていただろうし、多少煙くなっていてもおかしくはない。
なのに、部屋の温度は家を出た時よりも低かったし、空気も澄んでいた。
俺達がここを出てからずっと冬眠していたかのように、もしくは、時が止まっていたかのように。
が、気になるのは、
「だけどこれ、私が消したんじゃないわね」
というお嬢の一言。
どうやら魔女の薬釜というのは消し方に一定の手順があるようで、それを守らずに消すことも出来るものの、釜の底が煤まみれになってしまうのだという。お嬢が見た釜は下半分が煤で真っ黒になってしまっていたらしい。
「ま、使えないわけじゃないから良いけど」
じゃ、その釜の火は、誰が消したのか、という話になる。
鍵はきちんとかけていた。
これといってなくなっているものも――多少の調味料やシリアルバーのストックが減っていたのを除けば――なかった。
ということは、物取りではない。
ということは、だ。
棚と棚の隙間、ソファやベッドの下、それから、普段使わない引き出しやら、鍋の中。それらをひとつひとつ確認し、そして――、
「おーい、お嬢。見つけたぞ。犯人――じゃないな。恩人だ」
その2人を手のひらにちょこんと乗せ、ゆっくりと歩く。俺にとってはわずかな揺れでも彼らにとっては大地震なのだ。出来るだけ腰から上を動かさないよう、慎重に、そぅっと。
「まぁ、とうとうウチにも現れたのね、
俺の手の上の2人を見たお嬢は、胸の辺りで両手を打ち、嬉しそうな声を上げた。
角小人、というのはまぁ見たままの生き物だ。
角が生えた、小人である。
身の丈は大きいものでも20㎝に届くか否か。大きさは年齢に比例せず、親より子の方が大きいなんていうことも決して珍しいことじゃない。
1本角が男性でウォーフィヤットといい、角は額の上部から生える。力が強く、角に傷が多いほど魅力的とされている。
両眉の上に1本ずつ、計2本の角が生えているのが女性のウォーフォビット。手先が器用で、角の手入れを欠かさない。表面が滑らかであればあるほどモテるのだそうだ。
そんな角小人が居付く家の条件というのは、清潔で、手入れが行き届いており、且つ、何よりも家人が皆幸せそうにしていることがあげられる。かといって、無理やり家に招き入れようとすると、家中の家具という家具を駄目にしてから忽然と姿を消すのだ。それを逆恨みして害種だと騒ぎ、彼らを一斉駆除をしようとした貴族達がいたらしいがそいつらの末路は知らない。
その、幸せの使者ともいえる角小人が。恐らく夫婦で。この家に。
「ようこそいらっしゃい。あなた達、ご夫婦?」
少しだけ見を屈め、彼らと目の高さを合わせて優しく問い掛けると、彼らはぱちぱちと瞬きをしてから、無言で頷いた。頬に張りがある。まだ若い夫婦のようである。
「釜の火を消してくれたのね?」
「ええ」
「ありがとう。私ったら、消すの忘れてしまったみたいで」
「良いのよ。私達も、ご挨拶もなしに勝手に住んでしまってごめんなさい」
「あなた達なら歓迎するわよ。ねぇ、サル?」
「もちろんだ。ゆっくりしていってくれ」
「ありがとう。もてなしは不要だ。少々調味料と保存食を分けてもらえれば。それで」
「あぁ、好きにやってくれ。俺達はまたすぐ旅に出るから。お前達はここを荒したりはしないんだろう?」
「好きで住処を荒らす阿呆などおらん」
「確かに」
1本角の名はフィアン、2本角はビッテといい、聞けば夫婦になりたてて、まだ式も挙げていないのだという。
硬い表紙の魔法書を机代わりにし、半分に割ったペッコチクルミの殻の中に綿を詰め、ぐらぐらしないようにと周りに毛糸を巻いたものを椅子にして、フィアンとビッテは茶を飲んでいる。ドライフルーツが多いところを狙って小さく切り分けたシリアルバーをちびりとかじり、ペタラナッツの殻に淹れた茶を、2人揃って、ぐい、と飲んだ。
「角小人って、式はどう挙げるの?」
そう尋ねたのはお嬢だ。
「そんなに変わったこともしないわよ。美味しいものを食べて、お酒を飲んで、歌って、踊って。それでお終いなの。自分達がそう思ったら、もう夫婦なんだもの。それでももし、私達以外の誰かにも祝福してもらえたら、太鼓判だわ」
その言葉で「それなら」とお嬢が言った。「そうだな」と返す。
「結婚式を挙げましょうよ。私達が祝福するわ」
「まぁ、嬉しい!」
両手を合わせ、そう言ったのは、ビッテだ。フィアンは何やら照れたように頭を掻いている。
「しかし、お嬢、その『美味しいもの』はどうしようか」
「そうねぇ……」
「俺が作ろうか?」
「――ぅえっ!? サルがぁ!?」
と、ものすごい嫌そうな顔をされてしまった。
まぁ。
まぁ確かに。
こないだ作ったサンドイッチが酷かったのは認める。認めるけど。でもそんな顔しなくたって良いじゃないか。俺だって傷付くんだぞ。
「じゃ、ひとっ飛びして何か買って来るか? さすがに祝いの席にシリアルバーじゃ味気ないもんなぁ」
「うんにゃ。行くのは裏の温寒室よ」
「温寒室? あそこには野菜と果実と草花しかないだろ」
「むっふー、大丈夫大丈夫。この私にお任せなさいな」
そう言って、お嬢は、鼻を膨らませ、どん、と胸を叩くのだった。
がしかし、全くの傍観者でいられるわけもなく、収穫作業と諸々の道具を揃えるのは俺の役目らしい。フィアンとビッテも何か手伝わせてほしいと進み出てくれたので、お言葉に甘えることにする。角小人は基本的に休みなく働くことが美徳とされていて、それは、式を控えた主役達であっても同様らしい。
角小人が住み着いている家には、彼らの手形が至るところにつけられている。もちろん、つけられた直後は目に見えないのだが、数年経つと、それがぷくりと姿を現すのだ。この手形がたくさんある家というのは、その角小人が去った後も家人が皆健康でよく働くようになるのだという。
だから、家を貸してくれた家主への礼という意味でも、彼らはあちこち歩き回ってよく働き、そこらじゅうに手形をつけるのである。
お嬢に命じられたのは、
「とにかく水分の多いものを大鍋いっぱいに!」
だった。
水分さえ多ければ、野菜でも果実でも何でも良いらしい。
手当たり次第に収穫し、それを庭にある竈まで運ぶと、フィアンとビッテは慣れた手つきで火をおこしていた。
「――おお、おサル殿」
「おサル殿、もうしばしお待ちになってね」
……おサル殿?
いつの間にそんな呼び名が?
「おーい、おサルちゃーん!」
やっぱりお前か、お嬢!!
そんな思いを乗せてギッと睨むと、お嬢は「何よぅ」と口を尖らせてから「私じゃないもん」と反論してきた。
「何かね、その家の人には名前に『お』を付けるのが2人の中の礼儀なんですって。だから、私なんて最初『おオリヴィエ殿』って呼ばれたんだから!」
「それは……酷いな」
まぁ、お嬢の場合、もともと『オ』から始まる名前だから仕方がないんだが。
「だから、私は『おリビ殿』でどうにか手を打ったわ」
「成る程。まぁ、それが礼儀だというんならまぁ、仕方ないか」
種族によって色んな文化がある。それに加えて、個人の中のルールや礼儀の形もある。こちらに害のないものであれば、それは尊重されるべきだと俺は思う。
「さて、お嬢。これからどうする? 俺も調理の助手くらいはさせてもらえるんだろ?」
広げたビニールのシートの上に野菜やら果実やらを並べていたお嬢は、こちらを見ずに「もちろんよ」と言った。一体どんなポイントで分けているのだろう。色で分けているのかと思えば、真っ赤な果実の中に真っ青な葉野菜が紛れていたり、黄色のつる草と緑色の
「それじゃ、まず、こっちのをお鍋に敷き詰めて。一番下はサンサバよ。で、きっちり詰めたら、竈に乗せてちょうだい」
「よしきた」
こんもりと山のように積み上げられているサンサバの実とタデシコタ、ニニニロを敷き詰め、竈の上に乗せた。火加減はどうするのだろう。
「次はこっち。あぁでも、もう少し水分が出て来てからの方が良いわね。たぶん、あと10分もすれば、ひたひたになるくらいの水が出るはずよ」
「了解。10分だな。火力はこのままで良いのか?」
「だぁ~いじょうぶ大丈夫。それから、フィアンとビッテ、こっちで手伝ってくれる?」
「うむ」
「わかったわ」
角小人の新婚夫婦は仲良く手を繋いでお嬢のもとへと駆けていく。お嬢が手に持っているのはカギハナオオバチの巣だ。外殻が乾ききっているところを見ると、既にハチ達は別の住処へと旅立ったらしい。彼らは年に2回巣を変える性質がある。その中に、ハチミツを残して。
ハチミツを残すのは天敵対策だ。
カギハナオオバチは、他のハチと異なり、尻に針がない。彼らの武器は名前にもある鋭い
そこで、彼らが巣から出る時をいまかいまかと待っている捕食者を、巣の中のハチミツに引き付け、その隙をついて引っ越すのである。
とはいえ、彼らを食べる鳥などは
フィアンとビッテはその巣の中から、専用のスプーンを使ってハチミツを掻き出している。
お嬢の言った通り、10分も経つと鍋の中は真っ赤な汁でひたひたになっていた。身体中の水分を吐き出してしまった具材達は皆一様にくたくたに萎んでいる。
次は鮮やかな黄色のつる草。これはトッテモといって、主に耳の病に効くことから、大きな耳に宝石を埋め込んだり、刺青を彫ったりするトラヴァタ族が日常的に摂取している薬草だ。
それと、ゴルゴンフラウという根花。これはその名の通り、うねうねと長く伸びるたくさんの根がゴルゴンのように見えたことからその名がついた。土を丁寧に洗い流すと美しい緑色が現れるので、調理の際には必ず先端を切り落とすこと。そうしないと、水を替えながら8時間は煮込まないと毒が抜けない。しかし、その先端が最も美しい緑色をしているため、その知識がないものはその部分をうっかり口にし、命を落とすのである。
それからもお嬢の指示のもと、シートの上の食材達をそれぞれのタイミングで鍋に入れる。
火加減は終始強火だ。焦げ付いてしまうのではないかと気が気ではなかったが、一番底に敷いたサンサバの実がそれを防いでくれるらしい。サンサバはごくごく薄い果皮の下はほぼ果汁しかなく、ストローを刺すだけで手軽に水分補給が出来るという果実である。種子もゴマ粒よりも小さいため、そのまま飲み込んでも気付かない者がいるほどだ。さらにその果皮についても熱に弱く、すぐに溶けてしまい、かすかにとろみのある液体へと変わってしまう。
成る程、さすがお嬢。
「さ、あとはこのまま放置放置。次はお庭を飾り付けましょ。そして、お昼は結婚式よ!」
お嬢が、ぱん、と両手を打ち鳴らすと、フィアンとビッテはハチミツまみれの頬をほころばせ、ぴょん、と跳ねた。
【間食:オリヴィエの自宅】
ドライフルーツとナッツのシリアルバー
プァーヌヴァー茶
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