間食 at トゥルエィーノ広場

「祭りに参加しなかった娘?」

「ほほ」


 何がおかしいのか、雷人は再び笑った。

 そして腰に巻いていた布を地面に広げ、洗い終えた骨を丁寧に並べる。骨はもちろんびしょびしょに濡れていたが、不思議と布はからりと乾いていた。


「その娘、はらわたがな、病んでおる」

「わかるのか、そういうことまで」


 骨をきれいに並べながら、雷人は「ほほ、ほほ」と笑っている。


「ほほほ。我は天の者ぞ。愛しい子らのことは、すべてわかるでの」

「すごいな、それは」


 愛しければ、すべてわかるのか。

 俺はまだまだだな、などと思ってみる。


 しかし、お嬢、遅いな。


「それでさ、その娘をどうするんだ?」


 雷人はその布の角と角を合わせ、ぎゅっと結ぶと、それを軽々と持ち上げた。雷猿はかなりの大きさだったが、骨自体は軽いらしい。それを膝の上に乗せ、雷人は「ほほ」と笑った。何がおかしいのか、まったくよく笑うヤツだ。


「その、病んだ臓を喰らう」

「おぉ、成る程。で? 喰われた方はどうなる?」

「悪いものがなくなる。それだけのこと。――おや」


 そこで雷人は軽く首を傾げ、ゆっくりと手を伸ばした。すらりとした指が示す方を見ると、そこにいたのは、2人の少年を引き連れて仁王立ちしているお嬢だった。なぜかかなり怒っている。


「お、お嬢? あいつらは――、誰だ?」


 何だ? 何で怒ってるんだ? 俺、何かしたか? 

 俺はただお嬢の言いつけ通り雷人を返さないようにだなぁ。


「樹の子よ、真ん中の女はお主の――」

「主人、だな。何かすまん」

「ほほ、良きこと良きこと」


 雷人はにまにまと笑っている。


「ちょっとそこの雷人! 私あなたに話があるんだけど!」


 ビシッとこちらを指差し、お嬢が高らかにそう叫べば、周囲の大人達は腰を抜かさんばかりに驚いている。よせ! だとか、この余所者をつまみ出せ! なんて物騒な声が聞こえてきて、俺は思わず彼女の元へと駆け寄った。


「お嬢! いきなりどうしたんだ!」

「サル、ナイスよ。ちゃんと引き留めておいてくれたのね!」

「いや、引き止めるも何もだな。雷人はもうひとつ用があるみたいで――」

「用?」


 その言葉に顔をしかめたのはお嬢ではなく、少年達だった。俺にもわかるくらいの敵意を雷人に向けている。大人達はお嬢が雷人に喧嘩を売った――ように見えるのか、どうにかこの不躾な余所者を排除せんと様子を伺っているようだった。とはいえ、雷人の前で滅多なことも出来ないらしい。何せ今日はそのの祭りなのだ。


 雷人が胡坐を解き、素足を大地にぺたりとつける。雷人が、すぅ、と一歩踏み出す度、少年達がびくりと肩を震わせる。

 す、す、と足を滑らせるようにしてこちらに向かってきた雷人は、相変わらずにまにまと笑っている。「ほほ、ほほ」と。


「――我に用かの?」


 何の重さもない軽い声でそう問い掛けると、無関係なはずの大人達が「ひぃ」と小さく叫んだ。


「ねぇ、あなたの用って何よ。もしかして、サスラハちゃんを連れて行く、ってヤツじゃないでしょうねぇ」


 一際凄味のある声でお嬢が問う。俺だったら少々怯むところだが、そこはさすが天に住まう神の使いである。穏やかな笑みを湛えたままだ。


「そうだと言うたら、どうする」

「聞きたいのはこっちの方だわ。サスラハちゃんを連れて行ってどうするつもり」

「あの娘の臓は病んでおる。放っておけば長くは持つまい」


 雷人は表情も変えずにさらりと言った。

 少年達の顔がさぁっと青ざめる。


「我が喰ろうてやろうぞ。その臓を」

「そ……」


 お嬢を押し退けて、一人の少年が前に出た。若草色の長い髪を後ろでひとつに結っている。


「そんなことしたらサスラハ死んじゃうだろ! 俺の妹だぞ! 大事な家族なんだ! お前なんかに渡すもんか!」

「む、ムジコ、落ち着け」

「落ち着いてられるか! い、生きたまま臓を喰らうなんて――」


 ムジコと呼ばれた少年はわなわなと震え、もう一人の少年に背中を擦られている。落ち着け、と言ったもう一人の少年も呼吸はかなり荒い。


「も、ももも申し訳ございません、雷人様! だっ、誰か、この子らを向こうへ――」


 慌てて駆け付けて来たのはこの集落の長である。彼の顔もまた色がない。


「お前達も何を見ている! は、早う!」

 

 その言葉に急かされて、大人達はようやくゆるゆると動き始めた。まず、我が子を下ろし、そうしてから、じりじりと近付いて来る。が、


「ほほほ、良い良い」


 それを雷人は軽く笑い飛ばした。

 

「我は何も気にしておらぬ。それよりも――」


 音もなく、すぅ、と少年の前に移動し、ずい、と顔を近付ける。


「――その娘を連れて参れ。死にはせん。生かすために喰ろうのじゃ」

「ほ――、本当か。サスラハは、死なないのか」

「我が子を喰い殺す親がどこにおるか」

「サスラハはお前の子じゃない。父さんと母さんの――」

「その父も母も、我らの子よ。地に住まう者は、皆、天の子なりや」

「待って。本当に、大丈夫なの? あなたを信じて良いの?」


 お嬢が問うと、雷人はやはり目を細めて「ほほ」と笑った。


「案ずるな。娘はすぐに返す」

「でも、100年前の祭りの時には!」

「何と?」

「帰さなかったんでしょう? コウトレアのこと!」

「コウトレア……? 何を言うておるか。コウトレアならばそこに――」


 すぅ、と指を差したその先にいたのは。


「おばあちゃん!?」


 どうやらお嬢の知り合いらしい老女であった。


 少年達もまた目を丸くして口をパクパクさせている。

 大人達は一様に首を傾げている。

 俺は、というと――、


 何が何やらわからず、ただひたすらそこに突っ立っていた。



「ねぇ、ねぇってばぁ! ねぇ! ねーぇっ!!」


 お嬢が俺のシャツの裾をぐいぐいと引っ張っている。

 それを無視してずんずんと歩けば、より強い力で引っ張られる。

 伸びる。もしくは破れるんじゃないかと思うくらいに強く。


「サル! サルってばぁ! んもう! ねぇ! 怒ってるの?」

「……当たり前だろ」

「勝手に別行動したのは悪かったわよぅ! ごめんなさい! ごめんなさいぃ~!!」


 何が何やらまったくわからないうちに、「これで一件落着ね」と話を畳まれ、俺はそこでやっとお嬢に対して怒っていたということを思い出したのである。


「俺がどれだけ心配したか」

「だから……ごめんなさいってばぁ……」

「もう会えないかと思ったんだぞ」

「ごめんなさい……」


 しゅんと項垂れたその姿を見れば、つい甘い言葉をかけてしまいたくなる。だけど駄目だ。たまにはがつんと言ってやらんと。


「……お嬢は良いのか、俺と会えなくなっても」

「良いわけないじゃない!!」


 今日一の大声でお嬢が叫んだ。

 雷人も空へと帰り、祭りムードの冷めた広場に、その声は良く通った。数人の大人がこちらを見たが、先程の雷人とのやり取りを見ていたからだろうか、誰一人としてこちらに近付こうともしない。触らぬ神に――というヤツだ。


「私は、サルとこれからもずーっとずーっと一緒にいるんだからぁ!」


 じたじた、どすどすと足を踏み鳴らす。人はこれを逆切れと呼ぶ。


「だったら、あんな風にいなくなるのはもう絶ッ対に駄目だ。わかったな」


 そう強く念を押すと、お門違いの怒りでパンパンに膨らんでいたお嬢は、再び、ふしゅる、としぼんだ。


「はい……」


 と、そこへ。


「オリヴィエさん」


 とやって来たのは、先の少年達である。間に小さな女の子を挟んで。つい数分前に体内の病んだ臓を喰われたとは思えないほど、顔色も良い。まぁ、『喰った』といっても、まるごと喰ったわけではないらしい。臓に住みついていた病の部分のみ、なんだとか。

 とはいえ、しばらくは要安静らしいが。


「あの、ありがとうございました」


 そう言って頭を下げたのは髪の長い少年ムジコである。


「良いわよ、お礼なんて。私がややこしくしなくたって、結果は変わらなかったんだから」


 そう、何が何やらだが、とりあえずいまわかっているのは、お嬢があんなことをしなくたって、そこの少女――サスラハは雷人に病んだ臓を喰われていた、ということだ。


「それでも、オリヴィエさんがいなかったら、俺達きっとあの雷人様を信じられなかったと思う。もしかしたら、サスラハを連れて逃げたかもしれない」

「そしたら私、死んじゃってたんでしょう? だったら、やっぱりオリヴィエさんのおかげだと思うわ」

「それで、これ、その――お礼ってほどじゃないんだけど」


 髪の短い少年が、紙袋を差し出して来る。ふわりと漂ってきたのは甘い香りだ。


「あ! オー何とかって焼き菓子! これ美味しかったのよ! 何だっけ、ランドル、名前もう一回教えて」

「え? オールデュブウシェジャナだけど」

「そうそう、オール……デュブブウー……それね! サル、メモよろしく!」

「お、おう……。オールデュブウシェジャナだな。了解」

「さすがサル。よく一発で覚えられるわね。感心感心」


 ふん、こんなことで褒められたって嬉しくなんか嬉しくなんか。


「――あ、そうだ。オリヴィエさん」


 ちょいちょいとサスラハに手招きされ、お嬢が屈む。内緒話なのか、「え?」とか、「へぇ~」と言って、うんうんと頷いている。

 別に気になったりしないけどな。別に。



 子ども達と別れ、目的である西の国へ行こうとお嬢を抱える。

 すると、お嬢は、何やら満足気にほくほくと笑っている。


「どうしたんだ、お嬢」

「ん? うふふ。あのね、最初から順を追ってお話するわね――」


 そう言って語られたのは、100年前の恋の物語だった。


「――それで、その破れたページのことなんだけど」

「え? わかったのか?」

「うん、それがさっきサスラハちゃんが教えてくれた話につながるんだけど。あのね」


 そこでお嬢の声のトーンが一段低くなる。


「ラブレター、だったんですって」

「ほぉ。成る程、ページを破って渡したってわけか」

「おばあちゃん――コウトレアさんがね、大事に持ってたのよ。丁寧に折り畳んで、真鍮製のカードケースに入れてね。で、そこにはもちろん名前が書かれてたんだけど――」

「そうだな、そりゃ宛名は書くだろうから」

「それがね、どうやらムジコとサスラハちゃんのひいひいおじいちゃんだったみたいなの」

「へぇ、そうなのか」

「うん、実はコウトレアさんはあの時、親が決めた外の人と婚約してたみたいで、お祭りの後すぐに集落ここを出てしまったんですって」

「それで『さよなら愛しい人よ。』ってわけか」

「そういうこと。それでね、雷人に病んだ臓を食べてもらったからか、もうすっごく長生きになっちゃったらしくてね。若かったでしょ? あれで116歳だっていうんだから!」


 いや、お嬢なんて軽くそれの10倍は生きてるじゃないか……って年齢のこと言うと怒るからな、黙っておこう。


「それで、旦那さんに先立たれたんだけど、そのラブレターをくれた人が忘れられなくて戻って来たみたい」

「ほぉ、でも……」

「うん、ひいひいおじいちゃんも別の人と結婚しちゃってるのよね。だけど、何だろ、良い思い出ってヤツなのかな」

「成る程なぁ」

「良いよねぇ、ラブレター」

「まぁ、良いんじゃないか」


 結局恋は実らなかったみたいだけど。

 でもしっかり気持ちは伝わったわけだ。


「良いわねぇ、ラブレター」

「うん? うん、良いな」

「だから! ラ、ブ、レ、ター!」

「うわぁ! 何だよ! 耳元で大声出すな!」


 もう今日は爆音で太鼓聞きまくってたからちょっと耳が痛いんだよ。


「私にも書きなさいよ! ってこと!」

「はぁ? 何でだよ。こんな近くにいるのに」

「んもぉ~~~~っ! ロマンがないっ! 馬鹿ぁっ!」

「えぇ? 何で俺が怒られるんだよ!」


 まったくお嬢ってヤツは。

 今回ばかりは、怒るのは俺の方じゃないのか?




【間食:トゥルエィーノ広場】

 オールデュブウシェジャナ(砕いたトツプペコクルミ入りのまんまる焼きドーナツ)


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