昼食 at トゥルエィーノ広場

 名前を呼びながら方々を走り回り、よたよたと辿り付いたのは、トゥルエィーノ広場だ。祭りの最後に雷猿らいえんを調理し、皆に振る舞う場所である。

 雷太鼓は10分ほど前に終了していた。もうすぐ雷人らいじんが下りて来るはずだ。


 もしかしたら、お嬢のことだから、食べ物の匂いを嗅ぎつけてどうにかここにやって来るかもしれない。そう思って。


「――おや、あんちゃん、大丈夫かね」


 俺にそう声をかけて来たのは、2人の子どもを両肩に乗せた筋骨隆々の男性である。


「おじちゃん、泣いてるの?」

「ぼくたちと同じ?」


 涙と鼻水を拭ったのだろう、2人の袖はびしょびしょであり、妹らしき女の子の方は、それにプラスよだれも垂らしたと見えて、襟元まで濡れていた。


「な、泣いてない! 俺は大人だぞ!」


 慌ててそう否定するも、説得力の欠片もないのは重々承知している。


「だいじょぶだよ、おじちゃん。かみなり様は、どぉんっておっかなかったけど、ちゃんとガマンできたから、ごほーびがあるの」

「そうだよ。いっかいも泣かなかったから、『オトコノナカノオトコ』っていうのになれるんだって、おじいちゃんが言ってた!」

「こら、ユルミカ、カジュモラ! ごめんなぁ、兄ちゃん。こいつらおしゃべりで」

「あぁ……いや、別に……」


 ムキムキの父親は子ども達を抱えたまま、がっはっはと笑っている。

 どう見ても『ちゃんと我慢出来た』ようにも『一回も泣かなかった』ようにも見えない。


「あの、その……人を……連れを探してるんだが……」

「お連れさん? はぐれちまったのかい?」

「はぐれたというか……まぁ……」


 はぐれたんじゃなくて誘拐されたんだけどな!!


「放送かけてやろうか?」

「ほ……放送……?」

「そうそう。この集落にいれば必ず聞こえるヤツ」

「いや、でも……」

「良いんだ良いんだ。小さい祭りなんかでも、良くあるからさ。迷子ってのは」

「ま、迷子……」


 もし本当に合意の誘拐なのだとすれば、俺が呼んでるとわかったら、戻って来るかもしれない。


 と期待すると同時に――、


 迷子扱いされたなんて知ったら、お嬢は烈火の如く怒るのでは。


 そう思って、ぶるり、と身震いした。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 


「んもう、サルってば、どこ行っちゃったのかしら」


 なぁーに勝手に歩き回ってんのよ!

 

 とぷりぷり怒りながら、すっかり静かになった会場内を歩く。


「おかしいなぁ、さっきまでここにいたはずなんだけど……」


 サルのきれいなハチミツ色の髪を目印に探すも、あのかなり目立つはずの長身の姿はどこにもいない。


 ――もしかして、置いていかれた!?


 いっ、いやいやいやいや!

 そんなわけない!

 そんなわけないんだから!

 サルが1人でどこ行くっていうのよ!

 そうでしょ? サルは樹人みきじんで、私の箒で……。

 いや、違うわよ! 箒じゃない! 私の大事な相棒よ! 


 でももし、本当に置いていかれてたら、どうしよう……。

 

 魔女は1人で生きるものだっていうけど。

 50年前の私だったら、1人でも良かったんだろうけど。

 きっともう駄目だ。

 だって私は誰かといる楽しさを知ってしまったから。

 もう1人には戻れない。

 寂しいって気持ちも知ってしまったから。

 

「……うぅ。サルぅ……。どこに行っちゃったのよぉ……」


 地面にぺたりと座り込んで、天を仰ぐ。


 サルの馬鹿!

 この私が泣いてるのよ?

 早く来なさいよ!

 ほら、もう涙とか鼻水とかすごいんだから!

 サルが拭いてくれないともう酷いんだから!

 私がみっともないことになってるのよ!

 ほら、指差されてる! 笑われてるんだから!

 良いの? サルはそれで良いの?


「うわぁぁぁん! サルぅ~~~~!!! 寂しいよぉ~~~~!!!」


 わんわんと泣き始めると、通りすがりの人達が慌てて駆け寄ってきてくれた。


「どうしたの、お嬢さん。どうして泣いているの?」

「どこか痛い? 救護テント行く?」

「お姉ちゃん、大丈夫? ほら、飴あげる」

「うぅ……ありがとう……」


 おばあちゃんに顔を拭いてもらい、若いお母さんに立ち上がらせてもらい、そしてその娘さんからもらった飴玉を口に放り込んだ。果物とハチミツの優しい甘酸っぱさに少し元気をもらう。

 いや、人の暖かさに、かな。

 

「それで? どうしたの? ちょっと落ち着いた?」


 救護テントのあるトゥルエィーノ広場につき、ベンチに腰掛ける。おばあちゃんはその隣で私の背中を擦ってくれている。おばあちゃんは結局私に付き添ってくれたのだった。少しだけ腰の曲がった、だけれども声にも肌にも張りのある若々しいおばあちゃんだ。


「ぐす……っ。うぅ……。サルとはぐれたの……」

「サル? 猿?」


 おばあちゃんは空を指差して首を傾げた。


「違うの、そのお猿の方じゃないの」

「そうなの? じゃ、サルさんは、お嬢さんの何なのかしら?」

「私の……? えぇと……大事な人……」

「あらまぁ、大変。どうしましょ。あぁ、そうだわ。放送してもらったら良いのよ!」

「放送?」

「そう、迷子とかね、お祭りには付き物なの。このお祭りは100年ぶりだけど、ここって小さなお祭りが多いのよ。だからね、集落中に聞こえるような放送設備があるの。近代的でしょ? ふふふ」

「そうか、放送すれば私がここにいるってサルにも伝わるわね……」


 うんうん、と頷いていた時、カーン、という鐘の音が聞こえて来た。


「ああ、ホラ。噂をすれば。これよこれ。これが集落放送よ」

「へぇ、そうなんだぁ」


『迷子のお知らせを致します。北北西からお越しのオリヴィエさん、オリヴィエさん。お連れ様がトゥルエィーノ広場運営テントでお待ちです。繰り返します、迷子のお知らせを……』


「……んなぁんだとぉ~~~~っ!!?? わ、私が迷子ですってぇぇえええ!!!」


 勢いよく立ち上がってそう叫ぶと、隣に座っていたおばあちゃんは口をあんぐりと開けたままの表情で固まってしまった。


 ありゃ、ちょっと悪いことしちゃった。

 ごめんなさい、おばあちゃん。



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


「ちょっとぉっ! どうして私が迷子なのよぉっ!」

「うわぁ! お嬢!?」


 真っ赤な顔で運営テントに乗り込んできたお嬢は、俺を見つけると、どすどすと足を踏み鳴らし、固く握った拳をぶんぶんと振り回しながら駆け寄って来た。


「私が迷子なわけないじゃない! サルが勝手に移動したのが悪いのよ!」

「ちょっ、落ち着け、お嬢! あっ、危なっ!?」

「馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿! サルの馬鹿ぁっ!」

「えぇ? 俺? 俺じゃないだろ! だいたいお嬢が勝手に――」

「寂しかったよぉぉぉぉぉぉ!! うわぁぁぁあん!!」

「ぐわぁ!」


 畜生。

 ド叱ってやろうと思ったのに。

 そんな泣きながら抱きつかれたら、叱る気も失せるじゃないか。


「わかった。俺が悪かったって」


 いや、俺が悪いのか、これ?


 でも、その言葉でお嬢の気は収まったらしい。

 鼻水をずるずると啜りながら「わかれば良いのよぅ~」と言って、俺の胸に顔を擦りつけた。鼻水を拭くのは止めてほしい。


「ほら、お嬢。もう少しで空から雷人が来るぞ。雷猿の雷焼き、食べるだろ?」

「たっ、食べる!」


 良かった。食欲はある。


「ああ違う、食べるけど、そうじゃなくて!」

「え?」

「たっ、食べるけど! 食べるけどね!? 食べた後! そう、ちょ――……っと一口食べた後でお願いがあるの!」

「お願い? 食べた後で? あぁ、デザートか。確かに雷猿アレでデザートは作れないだろうからなぁ。……でもこの辺で何か甘いの食べられるところなんてあったかな」

「ちっ、違うの! デザートじゃなくて!」

「えぇっ!? 違うのか!? デザートじゃないのか!?」

「失礼ね! 私だっていつもいつも食べることばっかりじゃないのよ!」

「まさか!」

「また失礼なこと言った! わーん!」

「えぇ? 泣かないで、お嬢! 俺が悪かったって!」


 

「……案外癖がないのねぇ、雷猿」


 雷猿の雷焼きは、シンプルに塩胡椒のみの味付けと決まっているらしい。

 それでも素材そのものが良いのだろう、下手に調味料で誤魔化さないのが良いのかもしれない。雷猿の肉を食べて、お嬢はすっかり落ち着いたようだった。やけに真面目な顔で肉を頬張っている。

 まぁ、一口ではある。確かに。というより、というヤツだが。


「――はぅっ! のん気に食べてる場合じゃなかったわ! 雷人! 雷人はどこ!?」

「何だ? お代わりか?」

「違うもん!」


 驚いたことに違うらしい。その証拠に、というのか、勢いよく立ち上がったお嬢の手には皿もなかった。そんなことがあるなんて! あのお嬢が、だぞ? 

 少々感動にうち震えながらお嬢の後を追う。とはいえ、お嬢は数歩歩いただけで立ち止まり、辺りをキョロキョロしていただけだったが。

 

「お嬢、雷人ならあっちだ。ほら、洗い場にいる」


 肉はすべて切り分けてしまったので、雷人はというと、天に持ち帰るためにその骨を丁寧に洗っているところだった。天獣は死んだ肉をきれいに取り除けば再び命を吹き込むことが出来るのだ。

 その回りには我が子を抱いた数人の大人達がいる。声をかけたいのかもしれない。


「サル、お願い。もし彼が帰りそうになったら、阻止して」

「――は? お嬢は?」

「良いから」


 いきなりそんなこと言われても!


「まだ帰しちゃ駄目よ。頼んだわね」

「え? ちょ、お嬢?」

「頼んだわよ!」


 そんなことを言われたら。

 用なんかあったってなくたって、俺はあいつを何としてもここに留まらせなくちゃならないのだ。


 仕方ない、と呟いて、俺は雷人に近付いた。雷人との距離が縮まり、俺の足が確実にそいつに向かっていると周囲の大人達が気付くと、おいあんた、とか、危ないぞ、という声がそこかしこから上がる。

 いやいや、そんなわけないだろ。雷人に限らずだが、天に住まう者というのは大体が温厚なのだ。


「雷猿の肉、初めて食べたが絶品だった」


 胡坐あぐらの姿勢で浮かび、じゃばじゃばと骨を洗っている雷人に、そう話し掛ける。かなり派手に水が飛び散っているが、彼自身には一飛沫もかかっていない。

 雷人は糸のように細い目をこちらに向け、「ほほ」と笑った。空気のように軽い声だ。


「貴公、みきの子じゃな。噂通りの味じゃったかの」

「まさか。噂以上だ」


 そう答えると、雷人はまたしても「ほほ」と短く笑った。俺達のやり取りを見て、周囲の大人達が一歩前へと進み出る。


「すぐに帰るのか?」

「もうひとつ用を済ませたら、くとぬる」

「ゆっくりしていけば良いじゃないか」

「我が長居すれば子らが怯えるでの」

「そうかなぁ。別に取って食うわけでもないだろうに」

「天に住まうというだけで、我は畏怖の対象よ。それも良し」

「そういうものかもしれないな。それで? もうひとつの用って何なんだ?」


 そう尋ねると、雷人はその細い目をほんの少しだけ開いた。何だ、いままでは閉じていたのか。そしてやはり「ほほ」と笑い――、


「ここに、祭りに参加しなかった娘がおるな」


 と言った。



【昼食:トゥルエィーノ広場】

 老雷猿の雷焼き

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