夕食 at ナギノシオサイ海岸

「……風向きが変わった」


 フジシロがぽつりとそんなことを言ったのは、マホロシ島での最後の食事を食い終えた頃だった。茶を淹れる手を止め、空を見上げる。



 四方を海に囲まれた島は新鮮な魚が手に入り安いので、とれたての魚介を生で食べるのが醍醐味というところがあるが、


「そんなの普通すぎてつまんないよ。ここでしか食えないとっておき、食わせちゃうから!」


 と言ってフジシロは七輪を持って来たのだった。


「リビちゃんもサル君も、島の美味いモン=生の魚介って思ってるんだもんなぁ。浅い浅い」


 ニヒヒ、と笑いながら、フジシロがどこからか運んで来たのは、人が1人すっぽりと入れそうな大きさの木箱だった。そんなにデカいものをよく1人で運べたなぁと感心していると、どうやら底に車輪がついているらしい。それをゴロゴロと押して来た、というわけである。


 ふんふんと鼻唄混じりに開けられたその箱の中には――、


「うわぉ!! 大きい!」

「確かにデカい……けど、フジシロ」

「何?」

「いや、これ……大丈夫なのか?」

「え? 大丈夫って何が?」


 フジシロはきょとんとしている。

 お嬢もまた「どうしたの?」と首を傾げている。


「いや、だって……これ、『ダイナゴンニンギョ』だろ? 猛毒の哺乳魚じゃないか」

「えっ!? 毒ぅっ!?」


 お嬢が箱の中のダイナゴンニンギョとフジシロを交互に見つめる。

 半透明の薄い粘膜で覆われたダイナゴンニンギョは、時折ピクリピクリと痙攣している。こいつは頭を切り落としても、表面の粘膜部分が全て乾いたり削り取られたりしなければしばらくの間生きていられるらしい。

 とはいえ、頭がないわけだから、何かを考えたり、身体を動かしたりすることは出来ない。ただ、死んでいない、というだけである。


 ちなみに毒はすべての臓器にあり、筋肉にも舌が痺れる程度の弱いものがある。つまりは、完全に食用魚ではないのだ。どこを食べても大なり小なりの毒がある。

 いくら俺達が多少の毒に耐性があるとはいっても、さすがにこれを食べるのは厳しい。3日は寝込むだろう。


 するとフジシロはぴんと立てた人差し指を顔の前で左右に振り、「ちっちっちっ」と舌を鳴らすと、ニヤリと笑った。


「やだなぁ、サル君。情報が古すぎ。いつの時代の話~?」

「え? いつの時代って言われても……」

「ダイナゴンニンギョの毒抜き法なんて20年も前に確立されてるって」

「20年……成る程」


 俺が森を出たのは50年前。

 そりゃ人間だって進化してる。食べられないものが食べられるようになったとしても不思議じゃない。


「まぁでも、外の人間は知らないかもね。ダイナゴンニンギョはここの近海でしか捕れないし、毒があるのをわざわざどうにかして食べようなんて思わないもんな」

「でも、チップを弾めば食わせてくれるんだろ?」

「あれだけのチップで初めて出すんだよ。だから、俺が外の人間でこれを食わせるのは、リビちゃんとサル君が初めてかな」

「うふふ。良かったぁ、サルが太っ腹で」

「感謝しろよ、お嬢」

「ありがとありがと。大好きよ、サルちゃん」

「おっ……、おう」


 そう言われると照れる。


「へぇ、サル君も照れたりするんだなぁ」

「うるさい」


 さて、そのダイナゴンニンギョだが既に毒抜きは完了しているらしい。後学のために……というか古い情報を書き換えるためにやり方を聞くと――、


 何てことはない、ベンケイノナミダという米の磨ぎ汁に2時間程度漬け込むだけだった。


 ちなみにこのベンケイノナミダという米だが、ウシワカゴジョウという米をベースにして品種改良を重ね約30年ほど前に誕生したもので、東方ではかなりメジャーな品種らしい。粒が大きく、粘り気が強いという特徴があり、寒さや病気にも負けないので、厳しい環境でもへこたれずに育つ。


 そんな毒抜き済みのダイナゴンニンギョだが、七輪があるということは、軽く炙って食べるのだろうか、とフジシロの様子を伺う。

 彼は懐から小刀を取り出すと、慣れた手付きで表面の粘膜をこそぎ始めた。


「粘膜が残ってると焼いた時に網にくっついちゃうんだよねぇ」


 そんなことを言いながら。

 しかし、全てはこそがず、肩の辺りから肩甲骨の下までで止める。そして、腰に引っ掛けている布で小刀を丁寧に拭くと、今度はそれを斜めに傾けて、身を削ぐように薄く切り取った。


「粘膜取るのはね、食べる分だけにしないと。鮮度が一気に落ちちゃうんだ。やっぱり最後まで美味しく食べないとさ」

「そうね。その通りだわ」


 お嬢がうんうんと強く頷いているのを見てフジシロも満足そうである。薄く切ったダイナゴンニンギョを炭がパチパチと燃えている七輪の網にそっと乗せると、厚さ1cmにも満たないその身はじわじわと縮み始めた。


「良い? 結構あっという間だから。これがくるんって巻かれたら食べるんだよ」

「巻かれたら?」

「そ。完全に火が通ると端からくるくるんってなるんだよ。ほら、見てて……」


 そう言って指を差すその先を注視していると、網の上のダイナゴンニンギョが、まるで見えない誰かにそうされているかのように、端からくるくると巻かれていった。

 おお、と声を上げている間にそれをお嬢がさっと箸でさらう。


「あぁ、いま感動してたのに……」

「はっやいものがっちぃ~。むっ……、美味しいっ! 何これ!!」

「何っ?! 俺も食べたい! フジシロ!」

「はいはい~。こっからはどんどん焼くからね。焦げる前に食べてよ~?」


 どうやら最初のは食べるタイミングの説明用に1枚で焼いただけで、基本的には数枚一気に焼くものらしい。フジシロは時間差でどんどんと身を乗せ、わずかな時間で粘膜をこそいだり、身を削いだりしている。さすが手際が良い。


 さすがに1匹丸々食べるとなると味に飽きて来るのではと思うのだが、こいつの場合、上半身と下半身とで味も食感もまるで違うため、これが意外と食べ続けられるのだ。とはいえ、塩コショウやフジシロ特製のタレなんかも当然のように用意されていたが。


 哺乳魚であるダイナゴンニンギョは上半身が人に近い形をしていて、下半身は完全に魚である。

 とはいえ、2本の腕のように見える部位は厳密にいうとヒレだし、目や口はあっても人間のような形ではないし、鼻もない。

 頭髪のように見える長いものはヘイアンオカメといって、ダイナゴンニンギョなどの大型哺乳魚の頭部に根を張る海藻だ。ダイナゴンニンギョ達はこの長い海藻を上手く使って外敵から身を隠したり、衝撃から身を守る。そして海藻達の方では生命活動に必要な栄養を彼らから摂取しているというわけだ。つまりは共生というやつである。

 なので、泳いでいる姿は人間に見えなくもないわけだが、陸に上がれば独特な上半身を持つただのデカい魚だ。

 

 ちなみに頭部のヘイアンオカメ達だが、頭を落としても、それを海に戻すと新しい宿主を求めて移動する。なので、大型哺乳魚を捕獲すると、早めに頭を落として海に戻す決まりとなっているのだ。

 特にヘイアンオカメは海をきれいにすると言われているので、必ず戻さなくてはならない。彼らは毒こそないものの、常人の歯では噛みきれないくらいの弾力があって、その上味もないとくれば、それに異を唱える者はいないのである。

 それに、例えば栄養面などで、どうにか加工してまで食べる価値があるかというと、それもない。ただひたすら顎が疲れるだけの海藻、それがヘイアンオカメなのである。

 とはいえ、やはり変わり者はいるもので、「顎を鍛える」と言って日がな一日小さく切ったヘイアンオカメを噛み続け、ついには顎の骨を疲労骨折させる者も毎年1人は現れるのだとか。


 さて、冒頭に戻る。


「風向き?」


 空を見上げるフジシロにそう尋ねる。風の向きなんてさっきから一方向ではなかった。東から吹いたり北から吹いたりしていたはずだが。


 するとフジシロは「まぁ聞いてよ」と笑った後で、再び茶を淹れ始めた。それを俺達に勧め、その場に胡座をかく。


 湯気の上がる淹れたての茶を、ずずず、と啜る。柔らかな甘味と渋味のある緑茶だ。


「実はさ、この島には『鬼』がいるんだ」

「『おに』? それっておにぎりと関係ある?」

「お嬢、フジシロの言う『おに』ってのは化け物モンスターのことだ。食いもんじゃない」


 まったくこの魔女は。


「うーん、なくもないかなぁ」

「なくもないのかよ!」

「だって鬼もおにぎり好きだし」

「うっふふ~。ほぉ~らぁ~」

「何だよ、好きってだけだろ」

「まぁまぁ」


 フジシロが語ったところによると。


 俺達が昼に登った『ハラキリゲイシャ山』のどこかに鬼の住処があり、風向きが変わると里に下りてくるのだという。


「下りてきて何をするんだ? 人を食うのか?」

「まさか。マホロシの鬼はそんな野蛮じゃないさ」


 では、わざわざ下りてきて、何をするのか。


「娶るんだ」

「――は?」

「だから、娶るの。お嫁さんもらうの」

「いやいや、言葉の意味くらいわかる。そうじゃなくて」

「鬼って独身なのねぇ」


 お嬢はのん気だ。たぶん食い物の話じゃないからあまり興味がないのだろう。


「でも、鬼もわかってるからさ。自分が人とは違う生き物だってことくらい」

「まぁ、そうだろうな」

「だから、子どもだけ作って、また山に帰る」

「へぇ。じゃその子どもは鬼との混血ハーフになるわけだ」

「そそそ。だから、その子どもはさ、母親がナウマリだろうとビイトロだろうと、金属やらガラスやらの体質は受け継がないんだ。鬼の血の方が強いからさ。まぁ、それでもまともに産まれる方が珍しいけどね。大体は流れちゃうから」

「――ん?」


 待て。

 と、いうことは。


『俺さ、純粋なナウマリじゃないんだ』


 出会った時、フジシロはそう言ったのだ。


『だからほら、こうして『服』を脱いで歩いても全然平気』


「ということは、フジシロ、お前もしかして」

「え? 何何? フジシロがどうしたの?」


 案の定お嬢は途中から話を聞いていなかったようだ。


「そうだよ。俺は鬼の子なんだ」


 そう言って、長めの前髪をかき上げると、右の生え際にこぶのような突起があった。


「もうすぐが山から下りてくる。だから、いますぐ島から出た方が良い」

「フジシロ……?」

「父さんて、俺と同じで面食いなんだ。いや、俺が父さんに似たのか。まぁとにかく、リビちゃんが危ないだろうな。俺としては、この島にずっといてくれたら嬉しいけど、そうもいかないだろ?」

「そうね。まだまだ色んなところで色んなもの食べたいもの!」


 話をどの辺りから聞いていたのか、とにかくお嬢は高らかにそう言い放ち、すっくと立って、どん、と胸を叩いた。


「よくわからないけど、とにかくそういうことなら長居は無用だわ。行きましょう、サルメロ」

「あ、あぁ」


 相変わらずの切り替えの早さである。

 お嬢をひょいと抱きかかえると、わずか数秒のうちに俺達の身体はふわりと宙に浮いた。フジシロは目を丸くして口をパクパクさせている。とはいえ、まだ本格的に飛んでいるわけではなく、彼の目線より少し上にいる、という程度なのだが。


「え……? と、とと飛ん……?」

「あれ? 言ってなかったっけ? 私、魔女なの。サルは私の樹人みきじん

「まぁ、わかりやすくいえば『空飛ぶ箒』だな、人の形してるけど」


 東にも魔女はいるだろうに、随分な驚きようだ。いや、この様子からして初めて見たのかもしれない。


「ありがとうね、フジシロ。美味しいもの、たくさん食べられたわ」

「ど、どういたしまして」

「ガイド頼んで良かったよ」


 まぁ、正直ちょっと複雑だったけど。


「ほんと。まさかこんなに案内してもらえるなんて。私ってばツイてるぅ」


 そんなことを言って、お嬢はキャッキャと笑った。


「ちょっ……! お、お嬢!?」


 それは聞き捨てならない。

 確かにフジシロは金髪緑眼だけれども!

 金髪で緑眼といえば俺! 俺だろ!!


「なぁによぉ、良いじゃない」

「そうそう、妬くなよサル君」

「別に妬いてなんかない!」

「あはは、お似合いだなぁ、2人共」


 大きな八重歯を見せながらあははと笑った後で、フジシロはお嬢の右手を取った。

 俺が「成る程、あの八重歯は成長途中の牙か」などとのん気に考えているほんの一瞬の隙をついて、フジシロは――、


 そのお嬢の手の甲に、ちゅ、と唇を付けた。


「――む?」

「――あ!」

「お別れの挨拶! 2人共、元気でね!」


 そう言って、フジシロは俺達を――、いや、俺の身体をぐい、と押した。まるで、「早く逃げて」とでも言うかのように。そのタイミングで、ゴゴゴ……と大地が大きく揺れ始めた。もちろん、宙に浮いている俺達にその震動は伝わってこないのだが。


「フジシロ、大丈夫か?」

「え? 全然平気だよ、これくらいの揺れ。だって俺、鬼の子だよ? ささ、ほら、早く行った行った。父さんに見つかると厄介だから」

「わかった。達者でな」

「うん」


 短い挨拶を交わし、俺はお嬢を抱えて空高く飛び上がった。決して小さくはないあの島が、あっという間に手のひらよりも小さくなる。そのうちに、周囲の島々と同化してしまい、もうどれがマホロシ島だったかわからなくなってしまった。


「神秘の島、かぁ……。ん? あれ? お嬢?」


 浮き上がったは良いものの、一向に移動する気配がない。

 お嬢が方向を示してくれないと、俺は前にも後ろにも進めないのだ。


「どうしたお嬢。顔が赤いぞ?」

「……むむぅ……むぅ……」

「何だ、今度は『む』かよ。この島は随分と相性が悪いんだな」


 お嬢は右手をぎゅっと握りしめ、ふるふると震えている。しかし、案ずることはない。この手の呪いの解呪法は学んで来た。


「……オリヴィエ、行こう」


 名前を呼べば良いのだ。こんな簡単なことで良いらしい。いやこんな簡単なことのはずなのに、何だか恥ずかしいのはどうしてなんだ!?


「――はっ! 何かいま聞こえた!」


 案の定、お嬢は正気に戻ったようだ。

 そして、俺の首に手を回し、ぎゅっとしがみつく。


「……お嬢? そんなにしがみつかなくても良くないか?」

「良いのっ! 今日はこんな感じなのっ!」

「まぁ良いけどさ」

「……ねぇ、もしかして、いま私の名前を呼んだ?」

「うん、まぁ」

「……もっかい」

「は?」

「もっかいちゃんと呼んで。ワンモア。私がちゃんと聞いてる時に」

「駄目。解呪法なんだから。あんまり何回も呼んで効力が薄れたらどうするんだ」

「そんなぁ。ケチ!」

「ケチとかじゃなくて!」


 お嬢はしばらくぶーたれていたが、腹が膨れて眠たくなったらしく、「西の果ての地下の国に行きたい」と指示を出した後、すぅすぅと寝息を立てて寝てしまった。


 弱い風が頬を撫でる夜空を飛ぶ。


 ――ふと。


 ふわり、と甘い香りに包まれていることに気付いた。

 ははぁ、この香りはオイランアゲハ入りのコハクカンだな。フジシロのヤツ、お嬢にこっそり持たせたんだろう。あいつめ。


 そういえば俺は食べてないんだよなぁ、アレ。

 俺にも1つくれって言ったら、お嬢くれるかな。


 しかしやけに良い香りがする。

 

 風がお嬢の髪を撫でる度、その香りは一層強く俺の鼻腔をくすぐるのだ。まるでお嬢自身があの美しい紅色の蝶にでもなったかのような――


 そこでやっとその香りがお嬢から発されているものだということに気付くと、俺の胸はなぜかざわつき始めた。


 俺はそれがお嬢にバレませんようにと祈りながら、柔らかく甘い香りを抱えてひたすら西へと飛んだ。

 




【夕食:ナギノシオサイ海岸】

 ダイナゴンニンギョの炙り焼き

 〈フジシロ特製つけダレ3種〉

  ①ヌッペホフ岩塩+ネコマタ酢+ツクモカボス果汁

  ②ウスクチショウユ+ヤマブシワサビ

  ③メクラマシクロゴマ+ホトケガマ油+センゴクトウガラシ+ギョショウ




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