コップの中の漣

凪乃ひすい

コップの中の漣

 見上げた空からは、絶え間なく雨が降りつづけている。ろ過装置がきちんと機能していることを確認してから、コップを灰色の空の下に置いた。漏斗の形になった上部へ、ゆっくりと雨水が流れこむ。

 ぴちょん、ぴちょん、と洗浄された水がコップにたまっていく。飲用水を確保する大切な作業だけれど、美空みそらは時間がかかりすぎるといつもぼやいている。ひとつの場所に留まりつづける危険を考えると、もっともな言い分ではある。

 それでも僕は、この時間が好きだ。ぴちょん、というすずやかな音。透明にちかい色に変わった液体。音と同時にひろがる波紋。それを見ていると、ときには命のやりとりも発生する旅で、ひどく疲弊した心が癒されていくように感じるのだ。

 大地だいち、と呼ぶ声にふりむいた。夕飯の支度ができたようだった。水のたまり具合と対人センサーの様子を確認して、僕は彼女のもとへ戻った。




「ずっと見てるね。飽きないの?」

 波紋を見つめる僕を、彼女は困ったように笑った。

「うん。なんだか落ち着くんだ。美空は、バタフライ効果って聞いたことある?」

「ううん。バタフライは、蝶のことだよね」

「そう。蝶のはばたきのような小さな現象でも、遠くでは竜巻のような大きな現象になるかもしれないって意味らしいよ」

 ふぅん、と美空は感心したようにつぶやいた。こんなとき、彼女は少し唇をつきだした表情になる。戦闘時の凛々しい顔とはうってかわった、子供のような彼女に、僕はどうしようもなく愛しさをおぼえるのだ。

「それで、そのバタフライ効果がどうしたの?」

「きれいな波紋がひろがって、世界が前みたいにきれいになってくれたらいいのに、って考えていたんだ。たとえば、直接雨水を飲めるようになる、とかね」

「それは無理だよ」

「そうだね」

 今度は僕が、困ったように笑った。

 ――対人センサーに反応。

 僕はコップを回収して美空に状況確認をお願いする。手早く荷物を片づけるとリュックサックを背負い、ライフルの安全装置をはずして美空に駆けよる。フードをかぶって、常に降りつづけている雨から身をまもる。

「数は三。銃器あり。センサーには気づいていないみたい」

「やり過ごせるかな?」

「難しそうだね。近づいてきているし、それに、車までの進路上にいる」

「やるしかないか」

 ため息をつくと、僕は地面にうつ伏せになってスコープを覗いた。

 ぴちょん。

 ひとりずつ狙撃しながら、僕はあの音を思いだす。

 ぴちょん。

 残るひとりに照準を合わせながら、僕はあの美しい漣を思いだす。

 ぴちょん。

「状況終了。センサーに反応なし」

 ほっとした美空の声に、今日も彼女を守ることができたという事実に、僕はとても安心した。

「泣いているの?」

「そんなことないよ。きっと、雨だよ」

「そう。そうだね」

 美空は、しずかに僕を抱きしめた。僕も、彼女の背中に手をまわす。


 広大な地面も、美しい空も、もはや僕たちのものではなかった。

 それでも僕たちは生きつづける。

 仲間うちで殺しあいながらでも、生きて波紋をひろげつづけるのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

コップの中の漣 凪乃ひすい @oto_nagino

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ