九つの尾(5)
「おまえが四洞──!」
すると四洞はそんな伊万里の鋭い視線を軽く受け流しつつ、彼女の腕に抱かれた鞘を見てほくそ笑んだ。
「
その舐めるような視線に悪寒が走る。伊万里は気持ちを落ち着かせながら、思いっきり皮肉げに笑ってみせた。
「あれは、かなり雑な出来だったよう。改良も何も、そもそも蠱毒と言えるかどうか」
四洞の目がぴくりと引きつる。少なからず自尊心が傷つけられたようだ。しかし彼は、すぐさま表情を平静に戻し、柔和な笑みを浮かべた。
「ご感想、痛み入る。それはさておき、その鞘をこちらに渡してもらおうか」
「断る。これは、焔を振るう九尾さまにお渡しするもの。篠平の里から手を引き、月夜に戻れ」
伊万里が毅然とした態度で四洞に答える。彼は呆れた様子で伊万里を見返した。
「贄姫におかれては、心根まで狐となってしまったようだ。狐などにかような妖刀を持たせても仕方あるまい。しかるべき御方がお持ちになるべきだと思わぬか」
言って四洞は指をぱちんと鳴らした。彼のすぐ脇の空間がぐにゃりと歪み、そこから大きなナマズのような生き物が出てくる。人が丸ごと入るような大きな口から灰色の鋭い歯が覗く。
「これを、今まさに逃げまどっている里の狐たちに突っ込ませても良いのだぞ?」
「やることが、いちいち卑怯ですね。鬼伯さまは、おまえのような者を側に置いておられるというのか」
忌々し気に顔を歪め、伊万里が吐き捨ているように言った。
これが同じ月夜の鬼の所業だと思うと
(我らの一族を滅ぼし、母を死に追いやり、他者の命を虫けらのようにしか思っていない──)
怒りでうち震える伊万里を見て、四洞が「さあ、鞘をこちらへ」と迫る。
しかし伊万里はきっぱりと首を横に振った。
「そのような脅しは効きませぬ。あなたが思うほど狐は弱くない」
その時、カラスがもう一羽、伊万里の側に舞い降りた。
伊万里が四洞を睨みながら口の端に優雅な笑みを浮かべた。
「ほら、来てくれました」
刹那、
「蟲使いぃぃ!!」
荒々しい声とともに、亜子が弾丸のように飛んで現れ、そのまま四洞に体当たりした。
四洞が
「会いたかったよ! 蟲使い!!」
亜子は殺気をはらんだ笑みを浮かべ、空中で四洞に蹴りを入れた。そして、足元に小さな結界を張り、そこを足場にして体勢を整える。
「覚悟しなっ」
言って彼女は刀を大きく振りかざした。四洞がぎりっと歯ぎしりして彼女を睨んだ。
「このっ──、
亜子が四洞に斬りかかったのと、四洞が新たな雑蟲を呼び出したのが同時だった。
四洞の盾となり、大きな羽虫が真っ二つになる。
「亜子さま!」
「伊万里、行きな!!」
四洞と対峙しつつ落下しながら亜子が叫ぶ。伊万里はきゅっと口を結び直すと、深入へと視線を向けた。
「阿丸!」
大きな咆哮を上げ、阿丸がどんっと宙を蹴って飛び出した。
すかさず
阿丸が身を
強い衝撃とともに、阿丸が地面に着地した。そして、そのまま野を疾走する。大きな結界と、そこに閉じ込められた壬の姿が見えてきた。彼は火炎を吐き散らし、咆哮を上げて怒り狂っている。結界の一部にひびが入っている。
背後から
しかし、体調が万全ではない状態で投げつけた鬼火は勢いもなく弱々しく、
しかし、そんな弱音を吐いている場合じゃない。
もう、これで自分を守る式神もいない。
結界を──!!
もう力が入らない。壬はすぐそこなのに。
彼女はぎゅっと目を閉じた。
「姫ちゃん!!」
圭の声がして、彼女の背後に大きな結界が現れた。
刹那、圭が伊万里と
「こういうのは燃やすのが一番だって、ジロ
すかさず圭が
巨大な蜂が一気に燃え上がる。
阿丸を止め、伊万里は大きく息をついた。圭が
「姫ちゃん、無事でよかった!!」
「圭がいてくれて助かりました」
「や、亜子さんに置いてきぼりを食らっただけなんだけどね」
圭がばつの悪い顔をする。
「結界を足場に空中を移動するなんて、反則もいいところだろ?」
肩をすくめてぼやく圭に伊万里は苦笑した。
しかし、二人はすぐに顔を引き締め、結界と悪戦苦闘する壬に目を向けた。
圭が彼女の手の中にある鞘を一瞥する。
「姫ちゃん、何か算段はあるの? 今の壬に鞘を渡すなんて無理だ。だけど、もう結界がもたない」
「大丈夫です」
伊万里は力強く答えた。似たようなことを拓真にも言われた。実際のところ、算段も勝算も何もない。しかし、彼女は「大丈夫」と答えた。
折しも、雑蟲があちこちから溢れ出てくる。
圭が忌々しげに舌打ちをした。
「亜子さんが相手をしてるんだろ? こっちに気を割く余裕があるのか」
そして圭は、伊万里に背を向けると、雑蟲たちと向かい合った。鋭い視線を四方に動かしながら刀を構える。
「姫ちゃん、早く壬のところへ。そんで、その鞘で壬の頭の一つも殴ってやって」
伊万里が小さく頷き、阿丸が踵を返して地面を蹴る。すぐに雑蟲が彼女たちの後を追いかけようとしたが、結界がそれを阻んだ。
「だめだよ。おまえらの相手は俺なんだから」
言い終わるが早いか、圭は雑蟲の群れに飛び込んだ。
「阿丸、壬に出来るだけ近づいてください!」
深入の山裾に辿り着き、伊万里が阿丸に声をかけた。空中では壬が暴れ回っていて、結界のあちらこちらにひびが入っていた。もう限界だ。
「急いで!」
阿丸が地面を蹴って大きく飛翔する。
同時に、とうとう壬の火炎に耐え切れなくなり、バシッという鈍い音とともに結界が崩壊した。
「いけない!」
荒れ狂ったように壬が火炎を周囲に吐き散らしながら飛び出してくる。阿丸がそれを避けながら彼の頭上近くにまで詰め寄った。
「壬っ! 私です!! 壬!!!」
伊万里の必死の呼びかけも、火炎の熱にかき消された。
よく見ると、壬自身が燃えている。
(ああ、苦しいんだ──)
彼は暴れているんじゃない。その身を焦がす炎に焼かれまいと、必死に闘っているんだ。
伊万里の瞳から涙がぼろぼろとこぼれ落ちた。しかし、彼女は歯を食いしばって涙をぐいっと拭った。
泣くな。今はその時じゃない。
ややして、逆立った
「あれは──」
伊万里は全身から血の気が引いた。
だめだ。やってはだめ。
もうやめて。これ以上、自分を傷つけないで。
やっとここまで来たの。伏見谷で初めて会ったあの日から、迷って悩んで、やっと辿り着いたの。
伝えたいことがいっぱいあるの。
算段も勝算も何もない。あるのは、私と焔の鞘だけ。
だから、
「壬!!!」
伊万里はありったけの声で壬の名前を呼ぶと、彼めがけて阿丸の背中から飛び降りた。
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