九つの尾(4)

 圭はぼんやりと目を開けた。一瞬、どうして気を失っていたのか分からなかった。それからすぐ、自分を庇うように覆いかぶさっている亜子の存在に気づいた。

「亜子さん!」

「う……ん」

 亜子が呻きながら圭に支えられ体を起こす。

「亜子さん、しっかりして!」

 狐姿の壬の尾が光をまとい、九つに分かれたように見えた直後、それが一本の光の柱となり振り落とされた。激しい爆音とともに何もかもが真っ白になった。

 きっと亜子は、とっさのわずかな間に自分を守ってくれたのだろう。

 圭の呼びかけに亜子が頭を軽く振りながら、大きく息をつく。そして彼女は、眉間にしわを寄せながら辺りを見回した。

「どうなった……」

 軽い脳震とうを起こしていたようだ。少しの間だが記憶がない。辺り一面に土埃が立ち、視界が悪い。地鳴りのような音が聞こえ、地震か何かが起こったのではないかとさえ思えた。

 少しずつ視界が晴れる。そのもやの合間から様子を見ると、地面は大きく削られ、地割れのような険しい溝が里の東地区に向かって走っていた。

「そんな……」

 亜子は目の前の惨状に声を震わせた。

 空を見上げる。視線の先には黄金こがねの狐。さっきより霊気がさらに増している。

 圭も青ざめながら変わり果てた風景に言葉を失くした。

「圭、立てるかい?」

 亜子が空に悠然とたたずむ狐を真っすぐ見据え、立ち上がる。言われて圭も頬の汚れをぐいっと拭いながら立ち上がった。

 亜子は壬から目を離さず、左の山裾を指しながら圭に言った。

「今から、こちらの方向に境界線を引く。ちょうど山を背に壬を取り囲むようになる。単純なやつでいい。最高に堅い結界を結んでくれ。私は上から蓋をする。ひとまず一時的にでもあの化け物を閉じ込める」

 化け物──。亜子の言葉に圭は心臓を鷲掴みされたように苦しくなる。

 彼女はすぐに返事をしない圭に少し苛立った声で念を押した。

「圭、分かったね?」

「……分かった」

 圭はぎゅっと口を結んで頷き返した。

 どうして壬がああなったとか、さっきの九つの尾は何だったんだとか、壬は化け物なんかじゃないとか、あれこれと考えていられる暇はなかった。

 とにかく壬を止めないといけない。これ以上、大切な自分の片割れが誰かを傷つけないためにも。

「行くよ!」

 亜子の刀身が狐火をまとう。彼女はそれを大きく振り上げると、一気に山裾に向かって振り抜いた。鋭い刃から一筋の風が放たれ、狐火が蛇のように地を走る。地面に長い炎の境界線が出来た。

 圭が自身の刀を地面に突き刺し、目を閉じる。彼はびゃくの力を借りながら大きくて堅い壁をイメージした。

 亜子が近くに落ちている木の葉を拾い、ツバメ4羽に変化させると空に放った。ツバメが滑るように空を飛翔し、壬の上空四方へと散っていく。

「今だ!」

 亜子の合図で、四方に散った上空のツバメが起点となり、天板のような結界が空に現れた。それに合わせて、地面から結界壁がそそり立つ。

 山を背にして縦横の大きな結界が出来上がり、壬を閉じ込めた。

「よしっ」

 亜子が小さく叫んだ。圭も大きく肩で息をつく。しかし、この結界が今の壬に対してどこまで通用するか分からない。

 さっきの尻尾のやつは危険だ。あれはおそらく防げない。

 壬は急に現れた結界に戸惑った様子で唸り声を一つ上げ、結界に向かって火炎を吐いた。火炎が結界に弾かれ、壬に跳ね返る。壬がさらに激しく火炎を吐く。

 その怒り狂う様子からは、いつもの壬を感じ取ることは出来ない。 

「亜子さん、早く先生にこのことを──!」

「ああ。こんだけ派手にぶっ放してんだ。たぶん別邸にも伝わっているはずだ」

 その時、一羽のカラスが急降下し、亜子の肩へと降り立った。猿師の式神だ。

 猿師の伝言が思念で二人に伝えられる。そしてカラスは、一気に空へと舞い上がった。


── 今から姫が鞘を持って阿丸と壬の元へ向かう。死守せよ。


「姫ちゃんが、助かった──」

 圭が喜びで口元を震わせた。しかしすぐに、結界に閉じ込めた壬に目を向ける。伊万里が生還し、こちらに向かっているのはいいが、こんな壬に彼女を会わせられるわけがない。

「亜子さん、」

 圭が困惑した顔で亜子を見ると、彼女は飛び立ったカラスを仰ぎ見た。

「分かってて来るんだよ。鞘を壬に渡し、本当の意味で九尾を襲名させるために」

 その瞳が凛と光る。

「圭、鞘が表に出てきたとなれば、きっと蟲使いが動く。伊万里を守るよ」

 圭が亜子に頷き返す。亜子が口の端に不敵な笑みを浮かべた。 

「悪いが、私も本気で行く。おまえさんは、後からついておいで!!」

 言うなり、亜子がどんっと地を蹴って飛び出した。



 伊万里は阿丸の背に乗り、深入に向かって空を駆けていた。その手には焔の鞘。猿師の式神カラスが護衛のように彼女の側を飛んでいる。

 遠くに見える深入の山からは煙が上がっている。

 きっと壬が火炎を吐いた。伊万里は直感的にそう思った。

 空から里の様子を見下ろすと、深入から東地区へ大きな地割れのような溝が走っている。先ほどの「尾振り」の痕だ。伊万里は胸が締め付けられた。

 壬は平気で里を破壊するような狐じゃない。だとしたら、力を御せず悪戦苦闘しているのかもしれない。いや、悪戦苦闘ならまだいい。力に飲まれ、何も分からなくなっている可能性が高い。

 これを見たら、壬は自分を責めてひどく傷つくだろう。これ以上、彼に里を破壊させてはいけない。

 壬を助けに行った亜子と圭のことも気になった。二人は、先ほどの「尾振り」を間近で受けたはずだ。伊万里は何事もないことを祈った。


 

 阿丸は伊万里を乗せ、その太い足で空を力強く蹴っていく。深入がすぐそこまで見えてきた。ふと、山の一角に大きな結界が結ばれていることに気づく。遠目ではあるが、黄金こがね色の生き物が中に閉じ込められているのが分かった。

「壬!!」

 豆粒のような小ささであっても、その姿を見ることが出来たことに涙が出そうなほど嬉しくなる。同時に、結界に閉じ込められているという痛々しい状態に胸がかきむしられる思いがした。

(きっと亜子さまたちがやったんだ)

 伊万里は思った。そして、やはり壬は暴走状態にあるのだと確信した。

 早く、彼の元へ──。

 その時、


「これはこれは、端屋敷はやしき贄姫にえひめとお見受けいたします」


 背後でじとっと絡みつくような声がした。

 はっと伊万里が振り返ると、白い毛を襟巻のように首にまとった巨大な蜂の化け物が目の中に飛び込んできた。

大首蜂おおくびばち!」

 言う間に、その巨大な蜂は伊万里の前に立ちはだかり、阿丸が唸りながら立ち止った。

 大首蜂おおくびばちの頭上に、鬼が一人立っている。頭には二本の角、油を付けたようなねっとりした髪が顔にまとわりつき、その髪の隙間から二つの深紫の目が、いやらしい光をまとい覗いていた。

「おまえは……」

「四洞と申す蟲使い。どうぞお見知りおきを」

 四洞と名乗る鬼がにやりと笑う。伊万里はぎりっと彼を睨んだ。

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