九つの尾(3)
大きな爆発音の後、さらに続けてもう一つ。大きな霊気のぶつかり合いが、余波となって猿師たちの元へ届く。
伊万里は居ても立ってもいられない様子で猿師に詰め寄った。
「先生、私も深入へ参ります」
「姫、猿はここを動けません。拓真も里の狐たちを守る責務がある。お一人で大丈夫か?」
猿師が厳しい顔で伊万里を見返す。その瞳には伊万里に対する心配が微かににじんでいた。しかし伊万里は力強く頷いた。
「もちろんです」
「分かりました。では、せめて阿丸をお連れください」
彼女の覚悟を受け止め、猿師が頷き返す。瞳から心配の色はすっと消え失せ、彼の厳然とした表情は、危険を承知で務めを果たそうとする鬼姫を当然のごとく見送るものになっていた。
「正気か? あんたも止めんのか!」
さすがに拓真が反対する。
「ついさっきまで蠱毒に侵され昏睡状態だったっていうのに──。挙げ句、そんな鞘を持って里中を歩き回ってみい。一気に的にされるぞ!」
しかし伊万里は、毅然とした顔で首を左右に振った。
確かに、まだ足元はふらふらする。でも今は、踏ん張るときだ。
心の奥、母親が自分を支えてくれている。
大丈夫、頑張れる。
「今、渡さないといけないの」
「いけないのって言うても……。頼む、大人しくしとってくれ」
強い意志を見せる彼女の前に、拓真は思いとどまらせる言葉が思い浮かばない。彼は困惑気味にため息をついた。
刹那、深入の方向、
「な……んだ??」
拓真や伊万里、そして千尋が、見たこともない光景にぎょっとする。
灰色の空を
猿師が目を見張って呟いた。
「──
しかし、そう呟いた直後、彼がはっと顔を強張らせ小さく叫んだ。
「いかん! あれは尾振りだ!!」
猿師がバッと両手を前に突き出して印を組んだ。
(結界を──!!)
ただ単純にそう思った。
さっき飛ばした式神数体のうち、近くの二体の場所を瞬時に捉える。そして、その二体を起点として境界線を引く。突如、里の平地のど真ん中に目に見えない結界が巨大な壁となって現れた。
どこに誰がいるのか、この結界で全てを防げるのか、さすがの猿師もそこまで気を配れる暇などなかった。今の状況で彼が最速かつ最大に結べる結界がこれだった。
放射線状に広がっていた九つの光がすっと集まり一本の光の柱になる。
「来るぞ!!」
次の瞬間、大地を割くような激烈な音と衝撃が別邸を襲った。
堅固な屋敷が衝撃でぐらぐらと揺れる。
あまりの衝撃に伊万里と千尋はうずくまり、拓真が二人の上に覆いかぶさる。
ややして、揺れが収まり、三人はゆっくり顔を上げた。
どこかで大地が削れた。
誰もがそう思った。
「今のは、なんじゃ……。光が九つ見えたぞ」
拓真が声を絞り出した。
「おそらく壬だ」
猿師が落ち着いてはいるが、さすがに驚きを隠せない様子で答える。
「あれこそ、
「知らんぞ、そんな
唖然とする拓真の隣で、今度は伊万里が尋ねた。
「では先生、尾振りとは……?」
「尾に高密度の霊気を溜めて一気に放つ、御屋形さま最大の山をも削る荒技です。姫も千尋も、そして谷の者も、かつての御屋形さまが残した爪痕を見ております」
そう言われ、伊万里と千尋は顔を見合わせた。ややして二人は「あっ」と声を上げた。
「谷の
言葉を失う伊万里と千尋に猿師が頷き返した。
「あの川と峡谷は、かつて御屋形さまが尾を振るい山を削って出来たもの」
「……」
大妖狐・九尾が開いた狐の谷。今でも感じる谷を覆う大いなる霊気。昔語りでしかなかった大妖狐の存在が、本当にあった物語として甦る。
そして今、壬がそれを引き継ごうとしている。
もう一刻の猶予もない。
伊万里は意を決したように立ち上がった。
「阿丸、」
狛犬がのそっと伊万里の前に歩み寄り膝を折る。彼女は阿丸にまたがった。
「本当に行くんか。あいつのところに」
拓真が複雑な顔で伊万里を見た。何としてでも止めたいという気持ちと、彼女の意志を決して邪魔したくないという気持ちが激しくぶつかり合っているようだった。
「勝算はあるんか? 里に向かってあんな大砲ぶっぱなすなんて──、おまえのこと分からんかもしれんぞ」
拓真の言葉に伊万里は少し考え込む。しかし、彼女はすぐに笑い返した。
「大丈夫です。壬は、いつだって私を受け止めてくれました。だから、今回もまるっと飛び込んでみます」
「飛び込むって……」
拓真が苦笑する。そして彼は、「あいつにフラれたら俺にせい」と茶化し気味に付け加えた。
「姫、」
猿師が伊万里に声をかける。
「蟲使いが暗躍しております。姫に
「蟲使い……」
「四洞という、鬼伯の側近です」
顔を曇らせる伊万里に猿師は答えた。
「鞘を持ったあなた様が動けば、おそらく
伊万里は黙ってこくりと頷いた。
猿師がさらにカラスを数羽、空に放った。一羽だけ伊万里の出発を待つように別邸の上を旋回している。そして彼はさらに続けた。
「壬の元へ行くことを第一に考えてください。仮にも奴は鬼伯の側近、奴をどうにかしようなどと思ってはなりません」
「これほどのことをしでかした者だというのに、四洞なる者を裁くことは出来ないのですか?」
「奴を裁くのは我らではない」
納得のいかない表情を浮かべる伊万里に猿師は言ってきかせた。
「我らの目的はあくまでも篠平から手を引かせることです」
「それは分かります。でも、それではいったい誰が奴を裁くというのです?」
その時、
「四洞の件は、こちらで預かろう」
ふいに庭先で声がした。
いつの間にか庭の低木の脇に人影が二つ立っていた。その影に、猿師が勝利を確信したような笑みを浮かる。拓真と千尋は不審な者を見るように顔をしかめ、伊万里がその見知った顔に「えっ」と驚いた声を上げた。
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