3)彼と彼女の境界線

彼と彼女の境界線(1)

 次の日、圭たちは午後から千尋の家に集まった。集合時間は、夜の間に伊万里のスマホに千尋から連絡が入っていた。

 朝起きて、圭は伊万里から今日の予定を聞かされた。同時に「千尋と喧嘩になったんですね」と、あらためて謝罪された。伊万里と千尋は、圭たちも知らないところで女子らしく情報を共有しあっている。今回のことも、どこまで千尋から聞いたのか気になった。しかし、それを問いただすのもばつが悪いので圭は聞くことができなかった。

 壬はと言えば、昨日、言いたいことを言ったらすっかりリセットされているらしく、まったく普段と変わらない。かえってそれが圭には居心地が悪かった。


 午後になり、御前みさき神社に行くと、神社の鳥居近くで木戸が待っていた。彼を見つけると、壬が真っ先に手を振った。

「木戸、本当に来たな」

「もちろんです」

 それから木戸も一緒に社屋の奥にある千尋の自宅へと向かう。玄関でチャイムを鳴らすと、千尋がすぐに出てきた。

「いらっしゃい。あ、木戸くんも!」

 木戸が遠慮がちに会釈をした。伊万里がすぐさま千尋に手みやげを渡す。

「これ、きよ屋の栗ようかんです」

「わあ、栗シーズン来たねえ」

 嬉しそうに千尋が菓子箱を受け取った。そんな彼女に伊万里が何かを耳打ちする。千尋の笑顔がふっと消え、彼女は少し緊張した面持ちで圭をちらりと見た。

「千尋、和真さまは?」

「応接間でみんなを待ってるよ」

「入っても?」

「もちろん」

 伊万里が、壬と木戸に声をかけた。

「では、壬と木戸さんは私と一緒に先に入りましょう」

「え、圭と千尋は──?」

 刹那、伊万里の肘鉄ひじてつが壬の脇に突き刺さる。

「壬、行きますよ」

 脇腹を押さえて震える壬を伊万里が強引に引きずっていく。木戸も、そんな壬を気の毒そうに見ながら後に続いた。

 そして圭と千尋の二人きりとなった。

「昨日はごめん」

 まっさきに圭は頭を下げた。

「まさか千尋がそんなこと考えているなんて思いもしなくて……。ちょっと、カッとなった」

 千尋がちいさく首を左右に振る。

「私も一方的に怒って帰っちゃってごめんなさい。圭ちゃん、驚くとは思っていたけど反対するとは思ってなかったから」

「反対とか、そうじゃなくて、俺は千尋のことが心配なだけ。千尋は人間だし、俺たちあやかしとは違うから」

「………」

 千尋がふと視線を脇へそらし、戸惑い気味にうつむく。ややして彼女はぽつりと呟いた。

「そう……だね。私は人間だものね」

 言って彼女は小さく笑った。

 線を引かれた。

 そう感じた。

 例えば、圭や壬が鬼で、伊万里も鬼だったとか、逆に圭も壬も伊万里も狐だったとか、それなら分かる。確かに自分だけ違う。

(狐と鬼が大丈夫で、人間だけはどうしてダメなの)

 子供の頃からずっと一緒に同じように育ってきた。今さら違うなんて言われても困る。ともすると涙が出そうになるのを必死に我慢して、千尋はわざと大げさに笑った。

「さあ、圭ちゃんも入って。みんな待ってるし」

 本当ならここで圭の腕を引っ張りながら案内したい。でも、

 もう出来ないや。

 千尋は思った。




 応接間では、お茶とクッキーを囲んですでに話が始まっていた。圭たちが姿を現すと、「こんにちは」と和真が穏やかな笑みを見せた。彼は地元の大学に通っていて、大学の近くで一人暮らしをしているが、週末には自宅によく戻って来る。

「カズさん、突然ごめん。巻き込んじゃって」

 圭が言うと、和真は「ぜんぜん」と笑った。

「だいたいの話はイマちゃんや壬くんから聞いたよ。座敷わらしだって?」

「うん。それと、座敷わらしを閉じ込めたっていう──」

「ああ、妖縛の絵師のことだね」

 和真が軽く頷いた。

伊東屋いとうや右玄うげん、有名な結界術師だ」

「そうなの?」

「ただ、謎の多い結界術師でもある。およそ百年前、大正時代に実在した人物ではあるけれど、記録がほとんど残ってなくてね。あるのは真偽の分からない逸話ばかり」

 言って和真は傍らから古い書物を取り出してみんなの前に置いた。

「これ、午前中に知り合いの古書店から借りてきたものなんだけど、」

 伊万里が一冊を手に取りパラパラとめくる。

「なるほど……。確かに、御伽草子おとぎぞうしのようですね。これは、子供の頃の逸話でしょうか」

「おまえ、読めるの?」

 流麗りゅうれいな草書で書かれた書物をふむふむと読む伊万里を見て壬が驚いた顔をした。

「ええ、日本語ですから。学校の英語という言葉より、よほど分かりやすい」

「そうかよ」

 壬が肩をすくめる。和真がはははと笑った。

「ほら、ここに齢五歳にて術を施すと書いてある。これが本当なら天才だね。どの話にもあやかしを絵の中に閉じ込める描写があって、それで付いたあだ名が『妖縛の絵師』」

「天才の結界術師か……」

「その天才の結界術師がなぜ、わらし様を閉じ込めたのでしょう?」

「分からない。けれど、座敷わらしは財と幸運をもたらすあやかしだから、閉じ込めて我が物にしようとしたのかもしれないね」

 和真が答えた。木戸が複雑な顔をした。

「そんなものが大橋の家に……」

 モモの家の豪華さは、すべて座敷わらしのおかげ。それが、強引に手に入れたものなのか、それとも偶然に手にしたものなのか。その場にいた全員がそう思った。


「さて、」


 和真があらたまった口調で言った。

「そんな天才結界術師が施した結界をどう解くかってことなんだろうけど、そもそも結界について教えないといけないね」

「俺、知ってる。玄関も結界みたいなもんなんだろ?」

 先日、伊万里が話していたことを壬が得意げに言った。和真が笑いながら頷いた。

「その通り。イマちゃんから聞いた?」

「うっ、なんで分かった?」

「そりゃ、分かるよ。じゃあ、ちょっとやってみるね」

 和真がお皿にのっているクッキーを二つ手の平に乗せる。次の瞬間、クッキーを囲むように四角いガラス張りの壁が現れた。

「これ……そうだな、木戸くん取ってみて?」

「俺がですか?」

「うん」

 木戸がおそるおそる手を伸ばす。すると、彼の指はそのガラスの壁をすり抜けてクッキーに届いた。彼はクッキーをひょいと一つ摘み取った。

「これでいいですか」

「オーケー。じゃあ、次は圭くんでも壬くんでも」

「じゃあ、俺」

 壬が意気揚々と手を伸ばした。刹那、壬の指がパチッとはじかれた。

「いてっ」

「圭くんも千尋もやってみる?」

 和真に促され、圭が静かに手を伸ばす。すると、圭の指もはじかれた。今度は千尋が試してみた。やはり、彼女もはじかれた。

「カズさん、これってどういうこと?」

 驚いて圭が尋ねると、和真がにこっと笑った。

「境界なんて、所詮こんなもんだって言うこと」

 言いながら和真は木戸を見た。

「木戸くんはクッキー以外は何も見えていないよね?」

「ええ」

「だから取れた。でも、他の三人は違う。しっかりはっきりこのクッキーを囲む境界が見えている。その時点で、境界が結界として出来上がる」

「気の持ちようってこと?」

「そうだね。これは気持ちが大きく関わるっていう実験だったんだけど、当然それだけじゃない。目に見えなくても越えられない境界が実在しているよね。つまり、どれだけ無意識という意識に働きかけられるかで結界の精密さ、強度は決まってくる」

「どうやって?」

「基本は気のり。反立と同調」

「また、それ」

 壬がげんなりした口調で言う。隣で伊万里があきれ顔でため息をついた。

「だから何度も言っているではないですか。気のりはすべてに繋がると」

 すると、圭がおもむろに口を開いた。

「カズさん、俺たちで出来るかな?」

「ん?」

「わらし様の結界、俺たちでほどきたい」

「おい、圭。天才結界術師の結界だぞ?」

「分かってる」

「やってみればいい」

 和真が言った。

「必要なことは教えるから。い経験になると思うよ」

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