第5話 魔王ちゃんは食べ物ですか?(2/2)
女の子は咳払いを一つ挟んで気を取り直した。
「まあいいわ。話を戻しましょう。確かに私は魔王の孫娘。といっても、おじいさまが亡くなったって以上は一応私が当代の魔王ってことになるんだけど。お父さまはとっくに死んでるし」
そう言われて、ようやく俺は自分のしてしまったことに理解が及んだ。
「ええと、つまりあれか……。俺はお前の仲間をやっちゃったわけか? いや、魔王……元魔王以外はみんな死んではいないと思うけど……」
俺が少し頬を引きつらせて尋ねると、女の子は顔の前で軽く手を振った。
「ああ、仮に死んでたとしても気にする必要ないわ。魔族と人では死という概念が異なるもの」
「というと?」
「魔族の命の本質は魂にあるの。魂の方に千年近い寿命があって、受肉と死を繰り返してる。赤ん坊として生まれて、人間と同じくらい、だいたい70年前後を生きて死ぬ。それからしばらくするとまた赤ん坊からやり直し。そういうものなの。だからあなたはそのサイクルを少し速めただけ。別に気にすることないわ」
「そうは言っても……」
側近のやつらについては、正気だったらもっと穏便に済むよう手加減できてたはずだ。魔王の命も、直接奪ったわけではないとはいえおそらく俺が訪れなければもっと長生きしていたはず。
どちらにしろ、俺のせいで仲間が傷ついたり肉親を失ったやつをこうして目の前にするとさすがに良心が咎める。
俺が後悔に唸っていると、女の子の口から笑い声のようなものがこぼれた。
「ふふっ、おかしな人」
「何がだ?」
なぜか笑っている女の子に、俺は首を傾げた。
「だってあなたは人間で、魔族は数え切れないほどたくさんの人間を殺してきたのよ? 奪った命の数を考えたら、彼らを殺すことなんて蚊を潰す程度の重さよ。だから人間は血眼になって魔王たちを探してたんでしょ? なんであなたが気に病むの?」
「正しいとか間違ってるとかどうでもいいんだよ。お前が悲しそうだから」
女の子は口を半開きにして目を丸くした。そのまま数秒の間見つめ合う。
「……私?」
「お前」
「え、いや……まあ、そりゃ、悲しいけど……」
困惑したように目を泳がせて頬を赤くする女の子。
「えと、ごめんなさい。こう……同情っていうの? こういうの初めてで、どうしていいのかよくわからなくて」
「とりあえず俺を罵っておけ」
「罵るって……あなたは意図的ではないにしろ、人間として当たり前のことをしただけだし」
「当たり前とか正しいとかそういう話じゃなくて、お前自身の気持ちの問題だ。悲しいことがあったときは吐き出すべきだ。目の前に元凶がいるならなおさら」
「それは……」
女の子は一瞬言いよどむと、頭の中を整理するように頬に手をやった。
「実は私ね、おじいさまと話したことってあまりないの。基本的に魔術の研鑽に忙しい人だったから。あんまり可愛がってもらった記憶はないわ。おじいさまが私をどう思っていたのか、正直よくわからない」
難しい顔で言うが、悲壮感のようなものはなかった。
「でもときどき気まぐれにお菓子をくれたり、実用性なんてまったくない手品みたいな魔術を見せてくれたりしてね、魔王の血族であるせいで外を出歩けない私を、おじいさまなりに気にかけてくれていたのはわかるの。愛なんかじゃなくてただの哀れみだったかもしれないけど、それは間違いなく私にくれたものだから」
そう言って今度は、悲しそうに笑った。
「確かにおじいさまはいずれまた受肉するけど、それは私が生きてる間のことじゃない。つまり、おじいさまにはもう二度と会えないってこと。だから……それは少し、寂しいかも」
床へと逸らされた女の子の目は、わずかに赤くなっていた。声も、震えていると言うほどではないが少し先程までよりはか細かった。
俺は女の子に向かって、小さく頭を下げた。
「すまなかった」
しばらくの間そのままでいてから顔をあげると、女の子は考え込むようにうつむいて固まった。それから少しして顔を上げ、俺に向かって柔らかく微笑んだ。
「いいわ。許す。……どう? これで合ってる?」
「許すことが正しいかはともかく、謝罪への答えとしては間違ってはいないな」
二人の間に妙な沈黙が横たわる。女の子はちらちらと、気まずそうに俺の様子を窺っていた。
「――って、違う違う! あなた、私も殺さないと駄目でしょ!」
女の子は突然弾かれたように顔を上げ、ぶんぶんと勢いよく首を振った。
「え、なんで?」
「さっきも言ったでしょ! 私、魔王! 現魔王、私!」
言いながら胸元をはだけさせて鎖骨の下辺りを見せつけてくる。そこには何やら赤い複雑な紋様が刻まれていた。……ん? どこかで見た気がする。
「これ魔王の魔術刻印! 赤の刻印は継承者の証!」
「それが?」
「人類の敵! 殺すべき相手!」
「でも俺も基本人類の敵だし」
「……へ?」
女の子は間抜けな顔で小首をかしげた。
「細かいことは省くけどいろいろあって王都を追い出された身だからな。俺の方には人間に肩入れする理由はない」
「そ、そうなの?」
「そうなの。だからお前をどうこうする気もない。というかむしろそっち側につくにやぶさかでない。お前を独りにした責任もあるし」
「責任……」
女の子は俺が口にした言葉を、何か不思議な未知の呪文であるかのようにつぶやいた。
「どうだ? 俺と組む気はあるか?」
言いながら差し伸べるように左手を出す。女の子は下を向いたまま真面目な顔で思案にふけっていたが、ふと俺の手のひらを見た瞬間目の色が変わった。
「あれ、その刻印……」
「ん? ああこれ? なんでこうなったのかよくわからなくて」
「黒の魔術刻印は何かしらの契約を結んだとき、契約が有効な間刻まれ続けるものよ。私なわけないから……おじいさまよね? なんの契約をしたかわからないの?」
「何しろ腹減ってたから」
完全に本能だけで生きていた。腹が減ったからとにかく食い物探す。襲われたら反撃する。それ以外の人間らしい仕組みは全部機能を停止していた。二度とあんな状態にはなりたくない。食事、大切。
「魔力を込めた指でなぞれば契約の内容はわかるわ。ちょっと手を貸して」
言われるがまま、女の子が腕を取るに任せる。女の子が人差し指を立てると、その指先が紫色に淡く光った。指先はそっと俺の手のひらの上に置かれ、そのまま複雑な形状の紋様をなぞっていった。
思ったよりくすぐったい。でも暴れたり変な声を出したりしたら馬鹿にされそうなので静かに我慢する。
「――ぷっ、あははははははっ!」
指先を俺の手から話した女の子は突然体をくの字に折り、腹を抱えて笑い始めた。
「どうした? そんなに面白い契約だったのか?」
「え、ええ……ふふっ、すごく面白い。だって……うふふ、この契約なんの意味もないんだもの」
「意味がない? どうして?」
笑い続けながらもなんとか俺と視線を合わせてうなずく女の子。
「だってあなた、契約と関係なく契約通りのことことしようとしてる……ふふ、ふ」
「同じこと? なんのことだ」
「ごめんなさい……あははっ、ちょっと笑うのに忙しいから、あとで教えるわ」
あとで? なんかそんなに笑われるとこっちとしては妙に気まずいというかばつが悪いと言うか。別に不愉快になったりはしないが、ますます気になってくるのは間違いない。
「……でもおじいさまの気持ちが知れてよかった」
「気持ち?」
「ええ。――あ、一つだけ先に伝えておくわ」
「ん?なんだ?」
俺が尋ねると、女の子は満面の笑みで言った。
「これからよろしくね」
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