第38話 二人の絆

 一瞬だが、意識が飛んでいたようだった。その間に、リアは昔の夢を見た。もう忘れていたような、懐かしい記憶だった。


 目を覚ましたリアの目には、丘の上に上がろうとしているメリルの姿があった。もうリアへの興味もなくなったのか、聖剣も鞘に納めている。



「さて、向こうもそろそろ終わっていることでしょうね。早く帰ってお菓子でも食べたい……ん?」



 メリルの足が止まる。その足には、何かがしがみついていた。血で赤く染まった手。リアの手だった。


 リアはメリルに追いすがり、何とか足をつかむことが出来た。



「……なんですか、この手は」


「い、行かせない……わよ」


「私の慈悲がわからないんですか? 殺さないのは、せめてもの情けだったんですよ?」


「行かせない……。例え弱くたって、馬鹿にされたって……私は『勇者』なんだから」


「まだ、『勇者』のつもりだったんですか?」



 メリルが再び聖剣を抜く。



「あいつは苦しんでいる。助けてくれって、そう言っている気がするの……」



 メリルの聖剣が高々と振り上げられた。狙いは、リアの首だった。



「助けたいの……。私は、『勇者』だから……。『勇者』は、目の前で苦しんでいる人を助けるのが、『勇者』だから!」


「もういいです。死んでください。リアさん」



 メリルの聖剣が、振り下ろされた。そのとき。



「うっ」



 振りおそろうとしたメリルの腕に、黒いナイフが刺さった。深々と刺さったそのナイフにより、メリルの腕から聖剣が零れ落ちる。



「こ、このナイフは……まさか!」



 丘の上。夕日を背にして、黒い影が立っていた。額には十字の傷。真っ黒な装束は、忍者を想起させるには十分な格好だった。



 その姿を見た瞬間、リアは涙がこぼれそうになった。



「ト、トラマル……」



 トラマルは次々と影のナイフを投擲する。メリルはそのナイフを聖剣で弾きながら後退していく。あっという間に、リアとメリルは距離が開いた。


 トラマルはリアのもとに近づくと、その場に跪く。トラマルとリアの目が、しっかりと絡み合った。


「ト、トラマル……! 生きていたのね。トラマルゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ!」


「うるせええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!」



 ゴツン、とトラマルはリアに頭突きを食らわせた。リアの頭上には少し早いお星様が舞った。



「な、何するのよ! ここは感動の再会を果たすところでしょう!?」


「何が感動の再会だ! 別れてから半日しか経ってないわ! あと、俺とお前はそんな仲良しでもないだろう!」


「えー! そんなことを言う!? 私がどんな思いでメリルを食い止めていたのか、あんたは知らないっての!?」


「知らんわ! 何で知っていること前提に話が進んでいるんだよ!」


「あんたなら私の気持ちは全部汲み取ってくれると思ったのに!」


「俺はエスパーか!」



 一通り叫んだトラマルとリアは息を切らせて言葉を止めた。



「でも、まあ、お前の言葉は聞こえたよ。だから、心配するな」


「え……?」


「お前は、十分立派な『勇者』だよ」



 その言葉をいい終わると、トラマルはすっと立ち上がった。トラマルの視線の先には、厳しい眼つきをしたメリルがいた。



「白馬の王子様の登場ですか。いえ、見た目は漆黒の暗黒騎士って感じですけどね」


「すかした言葉は好きじゃないんでね。ここは素直に、〈影の一族〉って名乗っておく」


「つれないですね。しかし……」



 メリルは解せない顔つきだった。想像していた事態とは、違ったことが起こっている。そんな顔だ。



「不思議か?」


「やはり、あれではダメでしたか」


「ああ。おそらく、もうすぐ追いついて来るかな」


「???」



 二人の会話を、リアはまるで理解できなかった。二人だけの秘密の暗号で話されている気分だ。どうにも納得できない。



「ねえ、トラマル。一体何の話よ」


「今にわかる」



 相変わらず意味深な発言しかしないトラマルに不満なリアだったが、確かにすぐにわかった。丘の上で爆発が起こったかと思うと、メリルのすぐ近くに赤い何かが舞い降りた。それは、すぐにあの赤い男であると気づく。



「あんた、サイゾウ!?」



 サイゾウは片膝をつき、メリルに頭を垂れていた。



「申しわけございません。不覚を取りました。まさか、トラマルのやつがここまでやるとは……」



 言葉遣いまで変わっている。リアは何が何だかわからなかった。



「あいつ、メリルに操られているみたいだな。きっと、あの町であのおかしなお菓子でも食べさせられたんだろう」


「お菓子? お菓子を食べたくらいで、何であんなにも変わるのよ」


「まあ、確証はないが、あのお菓子は普通じゃなかった。きっと、何か食べたものをおかしくさせる特殊な成分でも入っていたんだろう。さすがにサイゾウも不用意にあのお菓子を食べるとは思えないから、きっと無理やり食べさせられたんだと思う」


「え、あのお菓子、そんなにヤバイもんだったの?」


「やっぱり気づいていなかったか……」



 町全体がお菓子で出来ているという時点で、普通ではなかった。トラマルはそこに怪しさを感じ、あの町では持参の飲食物以外は口にしないと決めていた。だからこそ、リアにもジュース一つ飲ませなかったのである。


 実際、メリルのお菓子には麻薬成分が入っていた。その麻薬成分と、メリルの魔法が感応し、洗脳に近い状態にすることが出来た。ビュレットの町の人々は、全員がこの洗脳状態にあった。



「だが、メリルは一つミスを犯した。サイゾウは、あの狂気とも言える戦意があってこそのサイゾウだ。あんな従順な犬となったサイゾウは、怖くも何ともない」


「確かに……」



 今のサイゾウには、あの狂気に満ちた瞳も、獣性も感じられなかった。それは、サイゾウをサイゾウのまま殺しているようなものだ。とても『勇者』のすることではない。


「メリル! あなた、それでも『勇者』なの!」


「あなたに言われたくはないです。勘違いしてもらっては困りますが、ビュレットの町に住んでいる人は全員が元犯罪者です。一般人は、お菓子を食べてもまたビュレットの町に来たいと思うくらいにしかなりませんよ」


「十分影響が出ているじゃない! 今すぐそんなことはやめなさい!」


「……? みんなが幸せになっているのに、やめるわけがないじゃないですか」



 狂気。メリルも、一種の狂気を身にまとっていた。洗脳されてビュレットの町に閉じ込められていることが、麻薬によって再びビュレットの町を訪れることが、それが普通だと思っているのだ。これが狂気と言わずになんと言おう。



「まあ、いいです。獲物からこっちに来てくれたんですからね。ついでに、リアさんも一緒にやっつけてしまいましょう」



 無垢な笑みが、逆に狂気を際立たせる。トラマルはリアを立たせ、地面に落ちていた剣を拾い上げた。



「やれるか?」


「当然よ」



 リアはトラマルから錆びた剣を受け取り、軽く振るう。風を斬る音が、妙に心地よかった。



「サイゾウは俺がやる。メリルだが、何とか時間を稼げるか?」


「誰に向かってそんなことを言っているのよ。当然でしょう?」


「さっきまでボロボロだったじゃねえか」


「あれはまだ、本気の私を見せていなかったのよ。次からは本気よ。本当だからね!」


「はいはい」



 トラマルはリアの言葉を適当に流し、サイゾウとメリルを見た。リアも同様に二人を睨む。



「馬鹿女。今だけは、お前のために戦ってやるよ」


「じゃあ、私はあんたのために戦うわ」


「抜かるなよ?」


「そっちこそ」



 トラマルとリアは頷くと、同時に地を蹴った。



「行くぞ!」


「うん!」



 二人の絆が、つながった瞬間だった。

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