2 別邸2

「本題に入ろう。君の処遇だが、どこまで聞いている?」


 日向は昨日大浴場で共有された事項を余すことなく告げた。


「――今時珍しい破天荒ぶりだ。元気があって良い」


 一久がからからと笑う。

 既に屋内を何周も歩いている。早歩きにも近いペースだが、疲れは無さそうだ。


 日が昇ってきたらしく、初夏の朝日が差し込んでいる。よく効いたクーラーの中では不快感は無い。


 日向は一久の横顔をちら見した。

 温厚な面持ちだが、何を考えているかはまるでわからない。


「……あの、怒らないんですか?」

「ん? 何をだ?」


 日向は生唾を飲み込み、不安の種をぶつける。


「その、娘の恥部を盗撮したわけですが……」



 ――日向君なら多少人を殺めたとしても問題ないさ。


 ――春日家がバックアップする。



 さきほど一久から大絶賛を受けたばかりだが、自分の罪を許してもらえるのか日向は不安だった。


(この人も父親、なんだよな……)


 自分を子供扱いした時の、意外と大きな手。笑顔。ぬくもり。

 それらは烈や施設の職員にも通じるものがあった。偽物ではないはずだ。


 なら、常識的な感性を持つと考えるのが妥当だろう。

 そんな者が娘を盗撮されて黙っているはずがない。そう日向は考えていた。


「普通なら怒って当然だろうな。しかし日向君にはそれ以上の価値がある。怒る意味はない」

「……」


 本音か、建前か。相変わらず一久の横顔は何ももたらさない。


「そもそも私に、君を叱る資格などないよ」


 意外な言葉が飛び出してきて、日向は首を傾げた。


「春高がセキュリティの全てをIT化しているのは知っているな?」


 春高では警備員の常駐や巡回といった仕組みがない。代わりにすべてをシステムによる施錠とセンサーの制御によって担保しており、不審者が引っかかったらアラートを発行。警備員が駆けつける仕組みになっている。

 無論、この件は機密情報である。生徒の一人である日向に知る由はない。


 にもかかわらず、あえて問うてきたことの意味は。


 視線を寄越してきた一久の双眸は、すべてを見通しているかのような透明感があった。

 抗う気にはなれなかった。


「……はい」

「なぜそんな真似をしていると思う? この私がデジタルの弱点を知らなかったとでも?」


 IT化により人件費の削減、手順の効率化、人為的ミスの防止といったメリットが手に入る。

 一方で機器の故障やソフトウェアの欠陥バグといった弱点を抱えることにもなる。

 特に脆弱性ぜいじゃくせいは深刻だ。ひとたび突かれてしまえば、それだけで突破を許してしまいかねない。現に佐藤はガシアこと学校侵入アプリを開発しているし、世の中でもこの手のサイバー事件は枚挙に暇が無い。


 もっとも、そんなことは一久にもわかっているはずだ。

 一久が何を言いたいのか。日向には皆目見当がつかなかった。


 そんな緊張五割、当惑五割の沈黙だったが、間もなく破られることになる。


のためさ」

「……は?」

は読んでいるかね? 以前熱弁したのだがな」

「び、ビルディング……いや、まさか……」


 日向が真っ先に浮かんだ言葉は一つだけだった。


 盗撮設備を搭載した施設ビルディング


 カミノメの一ユーザー、『石油王』が提唱した盗撮手法である。

 ショッピングモール、銭湯、ジムやスパなど大衆施設に最初から――建造の段階で盗撮設備を仕込むというものであり、従来の手法よりもはるかに長時間で高品質な動画を撮ることができる。

 無論、実現は容易くなく、少なくとも莫大な資金が必要になるのは言うまでもない。


「まさか、あなたは……」

「うむ」


 一久は立ち止まり、手を差し出してくる。

 作り笑いには見えない、いやしい笑みを浮かべて、


「お初にお目にかかるな。JKPJKぺろぺろ殿」

「石油王、さん……?」


 首肯した一久。日向は当惑しつつも、再び握手を交わした。


「少し脱線しようか。春高はな、石油王の新作になる予定だった」


 一久はテーブルにもたれ、上機嫌そうに言う。


「ガーディアン――春高のIT化したセキュリティシステムのおかげで必要なデータは揃っていた。あとは盗撮機能を持った同様のシステムを組み込んで稼働させるのみ、という段階だったのさ。予定では去年から始めるつもりだった。ところが、君という先客がいた」


 日向は新一年生になってからすぐに盗撮を開始している。

 というより最初からそのつもりで春高に入学した。発案は佐藤であり、家の手配など全面的な協力も得ていた。


「対処にこまねいている時のことだ。カミノメで見覚えのある風景を見た。教室で着替える女子が映ったものをな」


 日向は目を逸らし、頬をかく。


 盗撮とは一種の表現であり、妄想をぶつける小説家と同等、あるいはそれ以上に性癖を盛り込むものだ。佐藤やジンなど、同業者が相手でもなければ、その恥ずかしさはまさに穴があったら入りたいレベルだと言える。

 もっとも日向自身はさほど性欲に強いわけではないものの、性癖がなければ作品はつくれない。つくれているということは、少なからず存在していることに他ならないわけで、下手に言葉で濁しても見苦しいだけだ。


「一目でわかったよ。これはただ者ではない。同時にガーディアンが突破されたこともな。そんなハッカーがバックに潜んでいるとなれば、こちらも迂闊には動けぬ。何とかして接触したかったが、静観を決め込むしかなかったのだ」

「……」


 佐藤の存在にも気付かれている。日向は平静を装うのに忙しかった。


「ようやく会えた。この出会い――いや、に感謝せねばな」

「なっ」


 はっとした日向を見て、一久は「ははは」さぞ愉快そうに笑った。


「説明は割愛するが、君がそのハッカーと決別したのは明らかだ。ならば恐れることはない」

「……超能力者か何かですか」

「日向君に比べれば大したことないよ。多少頭の回転が速いだけさ」

「……」

「気にすることもない。取って食ったりはせんよ。同志ではないか」


 ばんばんと肩を叩かれる。

 気さくな振る舞いで気を紛らわそうとしていることが明快に伝わってきた。


(これが春日一久……)


 日向は一瞬だけ超集中ゾーンに入り、警戒するとともに観察していた。

 肩の叩き方から声の調子、表情から立ち位置まで、一久の言動はすべてが最適化されたプログラムのように動いていた。


「ところで日向君。撮り師はもう続けないのか?」

「当面は休止します」

「暇くらいあろう」

「俺は器用じゃないんで。競技が忙しくてそれどころじゃないでしょうしね」

「残念だな。私もファンなんだ。JKPもそうだが、も素晴らしかった」

「お褒めにあずかり光栄です」


 一久が懐から何かを取り出す。ライターのような細長い容器だった。

 飛び出てきたのは火――ではなく板ガム。それを加え、もぐもぐと口を動かす。


「食べるか?」

「結構です」

「市販のガムとは違うぞ。添加物が一切無く、味が二十分以上持続するガムだ。一枚三千円で、容器は四十万円。流行らなかったから今や非売品だが、だからこそ貴重。二度と手に入らんよ?」


 ちらちらと容器をかざしてくるが、日向は構わず淡々と応える。


「嗜好品には興味がないので、遠慮します」

「ストイックじゃないか。そんな日向君に聞いておきたかったのだが、一ノ瀬祐理はどうするのかね?」


 突然飛び出してきた幼なじみの名前に、日向は押し黙った。


 内心では理解している。

 一久は熱心なカミノメユーザーであり、春高の理事長として全権を握る立場でもある。春高の生徒全員を把握した上で、焦点フォーカスの当たらない、優れた女生徒が存在することに気付いていてもおかしくはない。


「……どうして彼女の名前が」

「君の作品には彼女だけが映っていなかった。日常シリーズには一部映っていたが、そこは割り切ったものだろう。違うかね」


 当たっている。


 日向は唯一、祐理だけは盗撮対象にすることなく過ごしてきた。カミノメのオーナーたるジンにも相談して配慮してもらったほどだ。

 しかし一方で、日常シリーズ――日中の室内をひたすら撮影し続ける作品において、偶然祐理が他教室で映り込んでいるシーンを放置している。


「君と彼女がじゃれている光景も見たことがある。君にも大切に思うものがあったのだな」

「まあ、そんなところです」


 言いながら、日向は苦笑いを浮かべた。


 何が大切だ。

 本当に大切なら、祐理が映り込んだ動画はすべて廃棄するべきだ。

 そもそも祐理が転入してきた時点で、盗撮をやめるべきだった。


 美味しそうにガムを咀嚼する一久には、やはりすべてを見通されている気がした。

 その一久が、意地の悪い笑みを向けてくる。


「彼女の作品が欲しい。彼女の作品を用意してくれたら許してやる――もし私がそう言ったとしたら、どうするかね。ただし競技化の話は最初から無いものとしよう」

「やります」

「日向君が大切にする彼女の恥部が、我々裕福な変態に晒されることになっても、かね?」

「はい」


 日向は即答を続けた。


「カミノメの皆さんは紳士なので、直接危害が加えられることもないでしょう」

「そういう問題ではないのだがな」

「知らぬが仏とも言います」

「そういう問題でもないのだがな。日向君、君自身はどうなんだ?」

「正直言えばやりたくないですが、やりたくないことをやれない生活はもっと嫌です。迷う余地はない」


 一久のあごが止まる。

 ごくんと喉が動いた。飲み込んでも問題のないガムなのだろう。


「良い。私が見込んだとおりだ。そうさ、それでいいのだよ。障害者と確信犯は違う」


 一久はもう一枚ガムを取り出し、くわえた。


「才能とは何だと思う?」


 口からガムが突き出ている様が、煙草をくゆらせているようで妙に様になっている。

 体格は似ても似つかないが、そのどこか得意気な表情はジンを想起させた。一流の大人が纏う雰囲気オーラ


「才能とは慈悲と無慈悲を使い分ける覚悟のことだ。慈悲だけでは歩みが遅くなり大成できぬ。逆に無慈悲だけでは機微を理解できず、仲間も得られず敵に阻まれ、やはり大成できぬ。大成するほど進むためには、両方を使い分けることが大事なのだ」


 ぞくりと。日向は冷や汗をかく。


 家族を決して犠牲にしない優しき父親でもなければ、家族を何とも思わないろくでなしでもない。どちらも使い分けられてこそ、と一久は言っているのだ。


(やはり気のせいではなかったか)


 人間よりも人間らしく動ける機械――

 それが春日一久なのだと日向は理解した。


「そういう意味で君には才能がある。もしパルクールに飽きたら言ってくれ。私の右腕としてしごいでやろう」

「そんな時は来ないと思います」

「ははは、君も新太君も筋金入りだな。頑張りたまえ」


 それからも二人は話に花を咲かせ、室内には陽気な笑い声と足音が響いていた。

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