第2章

1 隠れ家

 佐藤との別れを終えた日向は、感慨に浸るのもそこそこに、再び腰を下ろす。

 ノートパソコンを広げると、次の作業に取り組んだ。


「これでよし、と」


 今日の戦果――体操服女子の胸部ズーム動画をコピーし始める。

 ファイルサイズは巨大だったが、通信手段とストレージが規格外ゆえに、まるで手元のマシン上ローカルでコピーしているかのような速度が早速叩き出されていた。


「ワームホールに5Gファイブジー――本当に佐藤さんには頭が上がらないな」


 『ワームホール』とは佐藤製の高速・高機密なオンラインストレージであり、『5G』とは未だ実現されていない第五世代の無線通信システムである。

 ちなみに現在は第四世代こと『4G』が普及しており、『5G』は実証の段階だ。当然ながら一般人が使えるはずもない。


「5Gって企業や国が総力を挙げて取り組んでるやつだろ……佐藤さん本当に何なんだよ」


 先ほど日向のスマホには佐藤からの餞別せんべつメッセージが届いていた。文中にはワームホームを引き続き使っても良いことと、密かに実現した5G――装置の関係で春日野町周辺でしか使えないらしいが――をお裾分けする旨が書かれており、日向の度肝を抜いたばかりだ。


「まあいい。俺も決別しないと」


 コピー中のウィンドウを最小化して、ブラウザを立ち上げる。

 ジンとのやりとりに使っているチャットサービスSTACKスタックを立ち上げ、ジン本人にメッセージを送る。


「当分活動できそうにないです……あ、音声じゃなかった」


 日向は苦笑し、改めてタイピングした。


『連絡。当分活動できそうにないです』


 日向は盗撮活動そのものを一時休止するつもりでいた。


 今回の騒動はさすがに事が過ぎる。確たる証拠こそ残してはいないものの、日向が盗撮に勤しんでいたという疑いはもはや濃厚である。

 いくら日向でも、この状態で撮り師を続けることなどできやしない。


『電話できるか?』


 数十秒と待たず、ジンからの返事だ。

 日向がサムズアップの絵文字リアクションをつけると、間もなく手元のスマホが点灯した。


「もしもし」

「わざわざ報告しなくてもいいのによ」


 ジンは日向を懇意にしているが、関係で言えば動画サイトの所有者オーナー動画の提供者コンテンツプロバイダーでしかない。

 日向の更新頻度は日向の勝手である。

 もっと言えば日向が更新しなくなるのも日向の自由だ。当然ながらジンに同意を求める必要など無かった。


「そうもいかないんですよ。ジンさんにも関係ありますんで」

「とうとうばれたか?」

「物証はまだですが、状況的には黒です」

「そうか」


 こくっと喉を鳴らす音が聞こえた。

 ワインでも飲んでいるのだろう。大男が優雅に楽しんでいる様が目に浮かぶ。


「残念だな。これから盛り上がるところなのにな」

「ええ。惜しいです」


 月末にはケッコンこと『美穴びけつコンテスト』の結果発表がある。ここで優勝すれば知名度は盤石となり、収入の激増も見込める。

 そうでなくとも第二アカウントのは好調な上、第一アカウントJKPJKぺろぺろでも『日常シリーズ』の大量投稿という仕込みを終えている。まだ芽は出ていないものの、ぷるんの勢いもあり、今後さらに盛り上がる可能性は十二分にあった。


「命あっての物種ですからね。致し方ありません」

「で、そんなことをわざわざ伝えに来たのか」

「いえ。本題はここからです。結論から言うと、少なくともしばらくは絶縁したいかなと」

「まあ、そうなるだろうよ。オレに繋がる証拠とか残してねえだろうな?」


 日向の語り口は焦りとはまるで無縁だったが、ジンも変わらず普段通りだった。


「心配ありませんよ。施設長パパへの弁明はこれからですが」

「オレはお前の監督役ということになってるからな。さすがにこの件は放置できん。時間はあるよな? 今日起こったことをかいつまんで話せ」


 早速日向は状況を共有する。






「――なるほど。バカにも程がある」

「ぐうの音も出ないです」


 小言の一つでも飛んでくるかと思った日向だが、次の言葉は意外なものだった。


「なあ日向。正直に言って欲しいんだが――盗撮に飽きてんじゃねえのか?」

「……否定はしませんね」

「潮時かもしれんな」


 ぽつりと呟くジン。

 日向の耳にもしっかりと届いていた。あえて聞かせたのだろう。「潮時」日向は復唱してみせた。


「カミノメのオーナーとしてはともかく、オレ個人としちゃ賛成だぜ。お前はどうにも極限エクストリーム危険リスクを求めたがる。年々酷くなっているきらいもあるな」

「……」

「放っておけば、そのうち自らを滅ぼすだろう。身体的にはともかく、社会的に」


 日向は何も言えなかった。

 当たっていたからだ。


 身体には自信があった。

 今日の戦いと佐藤とのやりとりで、日向は確信している。自分に勝る存在はそうはいない。日向は自信家ではないが、そう断言できた。


 問題は後者、社会的側面の方だった。

 日向も所詮は村上学校という温室で育った子供でしかない。たとえ自らが用心し、慎重を重ねたところで、こんなアングラな生き方で生き続けられる保証などあるはずもなかった。今まで穏便に済んできたことも、ただの偶然まぐれかもしれないのだ。


 そもそも今回に至っては慎重もしの字もない。どころか関係者に喧嘩を売るかのごとき身勝手と暴走を極めていた。

 一歩間違えれば大惨事である。というより、既に渦中にある。


「もう一度言うぞ。潮時だ」

「……アカウントはどうします?」


 後処理はどうするのか、と日向が問う。

 ジンの結論を受け入れたことに他ならない。


 ジンもまた、そんな日向の機微を理解し、早速問いに応える。


「念を言うなら消すべきだが、今消すのは怪しいだろうな。お前の周囲にカミノメユーザーがいないとも限らねえ。もしJKPが急に動画を消した場合に、お前の動静と関連づける可能性がある」

「今日の俺を知っているのは、俺のごく狭い人間関係に限られますけど。十人もいません。大人に限定すれば数人です」

「お前が停学や退学になったとしたらどうなる?」

「……春高の教職員全員が容疑者になりますね」


 もし仮に春高内にカミノメユーザーがいたとして、その者が『JKP』や『ぷるん』のファンだったとすると、当然ながら自身の周囲に中の人が存在することは予想できる。

 そんなときに、『JKP』や『ぷるん』の更新停止と、一生徒の停学や退学が重なったらどうなるか。


 日向の言うように、その生徒こそが中の人なのだと推測する契機になりかねない。


「それでも俺の周囲にカミノメユーザーがいたという可能性は、宝くじ並に低いと思います」

「しかし身バレは撮り師が死ぬ主因でもある」


 世間は狭い、という言葉があるが、これは盗撮界隈にも当てはまる。

 だからこそ撮り師は時間をかけてでも映像と音声にモザイクを入れるし、カミノメも審査という形で提出動画の検閲および加工を施すプロセスを整備している。


「俺は逆に残しておく方が危険だと思ってます。見る人が見たら一発でバレますからね」


 日向の動画では春高内の風景を惜しげもなく映している。もっとも春高――春日野高校だとわかる、あからさまなヒントはすべて伏せられているが、必要最小限でしかない。

 仮に春高の関係者が見ようものなら、秒で気付いてもおかしくはないだろう。


「そんなことはねえよ。今見てねえ奴がカミノメに辿り着くとも思えねえし、辿り着いたとしても


 カミノメは『裕福な変態向け』をうたう盗撮動画販売サイトだ。

 社会的な成功者も多数利用している。ジン曰く、そういった者ほど発散の場が無いがゆえに、裏の顔と歪んだ性癖を持ちがちなのだという。


 そんなカミノメは招待制を敷いており、裕福だからといって誰もが参加できるわけではない。審査も念入りであり、必要ならハッカーや政府関係者といったユーザーが協力して徹底的に調べ上げることもある。


 非合法な楽園パラダイスを守る男達の結束は固い。

 日向もジンの発言は全く疑わなかった。


「仮に現時点で既に見ているとしたら、引き続き素知らぬふりを決め込むだろうぜ」

「たしかに。……でも、そう考えると怖いですね。実はあの人がカミノメを見ている、なんてことがあるかもしれないってことですよね。施設長パパか、春日一久か、あるいは他の教職員か」

「最後はともかく、れっちゃんと春日家当主は想像もつかんがな」

施設長パパについては同感です」


 世の中には『ギバー』と呼ばれる生粋の利他主義者が存在する。

 現代で大きな成功を収める者の大半はギバーだと言われ、彼らは一般人が想像する以上に慈悲深く、奉仕精神に溢れており、自身の些細な欲望など煙のように消え失せている。


 村上烈もこのタイプだと日向は考えている。

 実際、烈は自らを厭わず働き、先進的な児童養護施設を実現してみせた。今も多くの子供を育てては、救っている。


「……」


 日向自身もまた、烈に救ってもらった子供の一人である。


「とにかく悪いことは言わん。残しておけ」

「……」

「日向?」

「……ああ、すいません。ですね。残しておきます」

「収入は引き続き入る。当面生活には困らんぜ」


 日向は表向きではジンから生活費を援助してもらっていることになっているが、実態は撮り師として自らが稼いだ分で暮らしている。収入の減少はそのまま生活水準の低下に直結する。


「ありがたいことです」

「さて、本題はここからだ」


 ぱたんと何かが閉じられた。ノートパソコンだろうか。

 もう一度ジンの喉が鳴り、ことっとグラスが置かれると、すっと立ち上がる音が聞こえてきた。


 ジンの部屋には何度も足を運んでいる。

 ジンの立ち振る舞いも何度も見てきた。


 たとえその場にいなくとも。彼が今、どのように動いているかを、日向は詳細かつ明瞭に思い浮かべることができた。

 そうできる程度には親しくしていた。


 いや、してもらっていた。


「オレはこの件は知らなかったということにしておく。お前はれっちゃんにどう説明するつもりだ? この後どうする?」

「とりあえず施設に帰ります。説教が待っているでしょうね。言い分はまだ考えてないです」

「お前はどうしたい?」


 日向はスマホをハンズフリーモードに切り替え、立ち上がった。


 窓に寄って外を見る。しとしとと雨が降っている。


「最近雨天時のパルクール雨パルしてないな……」

「あん?」


 日向は「いえ」と苦笑する。


(あれだけ動いたのに、まだ足りないみたいだ)


「やっぱり変わらないなぁ、俺」

「……」

「ジンさん。俺は」


 続きを待つジンに、日向は変わらぬ胸中を吐露する。


「俺は――ずっとパルクールしていたいです」

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