第4章 伏兵

1 奇襲

 週末をまたいで二十六日、月曜日の放課後。

 二年A組の教室は、片手で数えきれる程度にまばらだった。窓側最後尾に日向調べ隊のメンバー――祐理、沙弥香、志乃が集まっている。


「想像以上だったわね。紛うことなき変態とはアイツのことよ」


 日向の机に座る沙弥香が、遠い目を曇り空に向けながら呟いた。


「明日は晴れるかなぁ」

「予報だと曇りらしいですよ」

「あまりアテにならないんだけどねー」

「雨が降らないだけ良いじゃないですか」

「まあねー」


 春日野町も梅雨入りしたところだが、どういうわけか毎年雨が少ない。

 山々に囲まれた地形構造が特殊だから、とは地理の先生の弁だが、この時期でもほとんど雨が降らないことは、春高生にとっては周知の現象である。


「ねぇアンタら、聞いてんの?」


 自分をはさんでほのぼのする二人に沙弥香が割り込む。

 足を組み直すと、よく鍛えられ、よくメンテナンスされた素足が強調された。


「聞いてるも何も、今に始まったことじゃないよ?」


 その太ももを祐理がつんつんとつつく。


「私もそう思います。日向くんは常に変態です。そこが良いんじゃないですか」


 すりすりと指で撫でる志乃に対し、沙弥香は祐理も含めて鬱陶しそうにどけながら、


「アンタの好みには同意しかねるわ」


 机を降り、隣の椅子を引き寄せて座る。


「普通あそこまでやる? 授業中に空気椅子や振動スクワットして、休憩時間にあのクソ不味そうな液体プロテイン飲んで、校舎裏で基礎トレして、スマホで練習計画立てて進捗書いて、ってどこのアスリートよ」

「栄養みそ汁っていうみたいだよ?」

「名前はどうでもいいのよ」


 三人は「日向調べ隊」として、日向の学校での動向に注目している。


 プライベートの日向からは何も出てこない。ならば学校生活の日向はどうか――

 そんな志乃の提案のもと、三人は分担して観察、会話、尾行などにあたっていた。


「当の本人も全く気にしてない様子だったし……骨折り損な気がしてきたわ」

「でも金庫の説明がつきませんよ? 必ず何かあるはずです」

「何か、ねぇ……」


 沙弥香は室内に視線を戻す。

 廊下側の席に眼鏡をかけた男子が二人いた。手元には携帯ゲーム機。目線を落とし、絶えず手指を動かしながらも、時折言葉を交わしている。


「ボロを出さないとも限りません。引き続き続けましょう」


 沙弥香は志乃を向いて、


「やけにノリノリじゃないの……」

「はい。想い人のことは、もっと知りたいですから」

「ねー」


 祐理も同意を示したが、沙弥香は吐き気のジェスチャーで対抗した。


「ねぇ祐理。なんか無いの?」

「そのことなんだけど――わたしね、一つ気付いたことがあるのさ」


 祐理が唐突に深長な声調トーンと表情をつくる。


「ふざけたらはっ倒すわよ」

「志乃ちゃん、沙弥香ちゃんがいじめる」

「イジメはいけませんよ沙弥香さん」

「そういうのいいから。はよ」


 くすくすと笑った後、祐理は机に何かを置く。スマホだ。


「日向ってさ、スマホで日誌つけてるみたいだけど、どう思う?」


 沙弥香と志乃は顔を見合わせて首を傾げた。


「別に普通じゃない? もちろんアイツにしては、って意味でよ? 几帳面でストイックって感じがするじゃない。お兄ちゃんもしてたし」

「私もそう思います」

「そうかなぁ」


 祐理はスマホを手に取り、適当にいじり始めた。

 その行動の意味を二人ともはかりかねていたが、やがて祐理がもう一度置く。


「うん、やっぱりしっくり来ない」

「どういうことですか?」

「んーっとねぇ……」


 二人に見守られる中、祐理が言語化を試みる。


「わたしが見た感じ、あまり文字を打っている風には見えなかったの。どちらかと言えばウェブサイトを読んでいるというか、ネットサーフィンしているような感じかな。でも、ちゃんと文字も打ってる。気持ち悪いくらい手慣れたフリックなんだけどね」

「そういえばお兄ちゃんも打つの速かったわね」

「うん。別に速いのはどうでもいいんだけど、なんかね……」


 うんうんと唸る祐理を前に、二人はただただ待った。


 次に祐理が口を開いたのは、数十秒後のことだった。


「そっか、わかりもうしたよ!」


 その言葉遣いに、志乃がぷっと吹き出す。


「日向はね、そういうタイプじゃないの。練習中とか休憩中とか、そういう時にスマホを使うタイプじゃない」

「あー、わかるわそれ」


 志乃だけが汲み取れず、視線をうろうろしていると、沙弥香が補足を入れた。


パルクール実践者トレーサーの練習中の過ごし方って二通りに分かれるのよ。一つは練習と休憩をはっきりと分けるタイプ。練習は真面目にやるけど、休憩はスマホ見ながらだらだらしたりとか。大体はこのタイプね」

「日向くんはそうじゃない、と?」

「そっ。もう一つのタイプは、休憩中も気を抜かないタイプね。頭の中で振り返ったり、次の行動考えてたり、何なら別の負荷をかけるトレーニングをしたりする。こういうタイプは絶対にだらだらしない。スマホに触らないし、通知も切るし、何なら持ち込まない。お兄ちゃんもこのタイプなのよ。ほんと、たまにはLIMEに反応してくれてもいいのにね、これだからパルクールバカは――」


 唐突な不満に志乃は苦笑しつつ、「よくわかりました」納得を示した。

 間髪入れずに議論を戻す。


「つまり祐理さんは、日向くんが普段スマホをいじるタイプでないにもかかわらず、彼が校内での隙間時間を使った練習においてスマホを使っている点がおかしい、と。そう仰るのですね?」


 祐理は志乃が発した長文をしばしぼけっと聞いていたが、間もなく合点。


「そう! そういうこと! さすが志乃ちゃんっ!」


 志乃に抱きつこうとするが、間に机があるため届かない。

 代わりに沙弥香に抱きついた。「暑苦しい」秒で弾かれる。


「方向性が決まりましたね」


 二人が目を向けた先の志乃は、にやりと微笑んでいた。


「スマホを盗み見しましょう」




      ◆  ◆  ◆




 翌日、火曜日の昼休憩。

 誰が見ても曇りと評する空のもと、祐理は特別棟の校舎裏に来ていた。

 メンテナンスに細かい春高にしては珍しく、所々雑草が生い茂り、土が露出している。放置された空き地という有様だ。


 ここは校内の最西部に位置するが、普段立ち入ることはまずなかった。

 というのも南側は駐車場、北側は水道設備に阻まれており、加えて用務員や行事スタッフによる荷物置き場として塞がることも多い。

 特に学校側から立入禁止令が敷かれているわけではないが、逆を言えば、敷く必要がないほど目立たない空間であるとも言えた。


 だからこそなのだろう。日向が我が物顔で居座っている。

 その日向はというと、周辺の段差や建造物を生かし、制服のままでもこなせる程度の、軽めの筋持久トレーニングを課している。パルクールを知らない者でも懸垂、逆立ち、プランクといった動作なら見覚えがあるだろう。


 呼吸のように反復を繰り返しては、休憩をはさみ、スマホをいじる日向。

 その手元によくよく注目してみると、フリック入力というよりも単なるネットサーフィンのそれであることが目立つ。


(……まだ気付かれてない)


 祐理は北側からこっそりと近づいていた。

 全神経と身体能力を費やしている。音は一切発していないはずだ。

 無論、無音は不可能であるが、日向とて人間。動物ほどの察知能力を持っているわけではないことは、一緒に暮らしてきたことからもわかる。


 持ち前の視力をフル投入して、水道設備の物陰から日向の様子をうかがう。

 注目すべきは二つ――スマホと、日向の位置だ。


 スマホをいじっていた日向が、校舎側の壁にスマホを立てかけた。

 祐理は知っている。潔癖な日向の、設置面積を減らすための置き方だ。


 日向はスマホから離れて、校舎とは反対側の、小さな鉄塔の真下に行く。

 ジャンプして細い鉄骨にぶら下がると、再び懸垂を始めた。


(――いけるっ!)


 今なら日向のスマホを奪い取れる。

 日向が意識を戻し地面に降りてから駆けるよりも、祐理が最初から全速力で走った方が速い。


 あのスマホにはロックもかかっていないはずだ。

 手元は確かに見た。ロックした素振りは無かった。

 そもそも日向が日頃からロックをかけていないことも知っている。


(よし行こう。3、2、1――)


 祐理が疾走する。日向の様子など見ず、ただただ一直線に。


 こんなことに全力を出すなんて。

 沙弥香や志乃はともかく、他の友達が聞いたらバカにするだろう。


 でも譲れなかった。

 日向は自宅でもまるで隙が無かったから。

 そもそも練習中はスマホを使わないし、練習に同席できる機会も稀だった。そんな日向から、スマホで何を見ているかを盗み見るなど不可能に等しかったのだ。


 今は違う。

 今はチャンスだ。

 昼休憩という短時間を有効活用しようと、日向は練習と情報収集――何を見ているかはわからないけれど――を並行している。普段の日向がしない行動だ。ゆえにこそ隙が生じうる。

 現に生じているし、こうして突けている。


「っしゃ!」


 スマホを手にした祐理は、女子らしからぬ声を上げた。

 前方への勢いは、転がることで吸収する。トレーサーとして染みついたPKロール。朝飯前だった。


 日向が奪い返しに来る前に、画面を見るだけでいい。

 何も無ければ、ホーム画面に戻る。

 さらに何も無ければ、ブラウザを開いてみる――


 イメージトレーニングの通りに祐理は行動し、画面を目に入れた。


「――えっ?」


 当惑したところで、ざっ、と足音。


「今日は見ないと思ったら、何してんだ……」

「え、なんで、ロックされて……え?」


 そんなはずがなかった。


 ロックした素振りなどなかったのに。

 自動ロックはしていないはずなのに。


 いつもの日向は、スマホを手に取ったら即操作に移る。指紋認証の動作もしなければ、そもそも対応端末でもない。

 ここから言えることは一つ――ロックがかかっているはずがないのだ。


「普通にプライバシーの侵害だからなそれ」


 祐理はしばし放心していたが、考えてもわからないことはわからない。


「嫁には夫の動向を知る権利があるんですー」

「嫁じゃねえし、そんな権利ねえよ」

「なんでロックしてんの?」

「いやするだろ」

「普段してないじゃん」

「してるっての。つかなんで俺がロックしてるかどうかをお前が知ってるんだよ。見せてないだろ」

「そうだけどー……」


 日向はスマホをポケットに入れたまま、鉄塔に向かう。


「頼むから練習の邪魔だけはするなよ」

「ほーい」


 祐理は雑草の上に座り込んで、日向の練習風景を見ていた。


 ロックに閉ざされた何か――。

 それに対する興味と好奇が尽きることは無かった。






 昼休憩終了の予鈴が鳴り響く中、日向は祐理の前を歩いていた。

 並んで道を歩くことを日向は良しとしない。祐理もわかっているため、無理に横には来ない。


 背中から視線を感じる。

 スマホを調べようとして、あてが外れたことがよほど予想外だったらしい。


 何を調べようとしているのかは知らないが、日向は全く心配していなかった。


 (佐藤さんのおかげだな)


 日向のスマホは以前、佐藤によって大改良を施され、生体認証が搭載されている。


 手を離れれば一瞬でロックされ、手を触れれば一瞬で解除される――

 世間の指紋認証をはるかに超えた高速、広範囲、高精度な技術。一般ではまずお目にかかることのない、世界の裏で暗躍するハッカーの成果である。


 バレたら一瞬で社会的に死んでしまう撮り師には、このセキュリティは非常に重宝する。


 (本当に便利だよなこれ。ねだってみて良かった)


 相変わらず背後から視線を感じながらも、日向は確かな安心感に包まれていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る