4 例外

 春日野町の北西端には箱形の建物がある。そのサイズとフォルムは研究所やデータセンターといったイメージを抱かせる。何の施設であるかは住民でさえも把握していないが、出入りするトラックを見て、少なくとも何らかの施設であることは疑っていない。

 しかし実際は違った。ここは一個人の私有地――佐藤の自宅であった。


 あと二時間で日付が変わろうかというところで、日向はいつものように佐藤宅を訪れる。核シェルターのような分厚い扉のそばにあるくぼみに指を置いて開錠。だだっ広い構内を歩き回って、いつもの殺風景な作業部屋にお邪魔する。


「首尾はどうじゃ?」

「最高です」


 忙しなく動いていた佐藤の肩がぴくっと停止した。

 こちらを振り返る。そこそこに老けた顔がニタリと醜悪に歪む。


「見せてみい」

「作業はいいんですか?」


 複数設置された四角のテーブルも、部屋の隅に沿うように配置された長テーブルも、よくわからない機材で散らかりきっている。

 佐藤は四角テーブルの一角で、立ったまま作業をしているらしかった。手元には小型ヘリコプターのような精巧な物体がある。いわゆるドローンである。


「こんなものはいつでもつくれる」

「ちなみに、いくらくらいです?」

「億は超えとる」

「佐藤さんといると金銭感覚が麻痺します」

「くだらん言葉じゃ。重要なのは自分にとって必要なものを必要なだけ調達できる程度の経済力があるかどうか。それだけじゃろうが」


 佐藤が手を差し出してきたので、日向は今日の戦果であるパラサイトくんを手渡した。

 佐藤は乱暴にぶん取り、中から記録メディアを取り出す。それを長テーブルに置かれた装置に差し込んだ。


「佐藤さん。お願いがあります」

「言うてみい」

「俺を泊めてください」

「嫌に決まっとるじゃろうが」

「即答ですね」


 佐藤という人間に情けは無い。逆を言えば、相応のメリットを提示できさえすれば、その首は縦に動く。


「今回の作品を見ても、ですか?」

「鑑賞には時間がかかるぞ」

「ならとっておきの抜きどころを教えます。十分じゅっぷんでシコらせますよ」


 コピーされ始めた動画データを早速チェックしていく佐藤の背中に向かって、日向はいくつか指示を与えた。

 佐藤はティッシュ箱を手に取り、部屋を出て行く。

 日向が空気椅子をしながら待っていると、十分と経たずに戻ってきた。


「日向。何泊でも泊まっていけ」

「ありがとうございます」

「礼を言うのはこっちじゃ。ああいうの、もっと欲しいのう」

「お金積んでくれたらやりますよ」


 日向は割と真面目な提案だったのだが、「ほざけ」佐藤には一蹴された。

 佐藤は仕事を再開し始めようとしたが、なぜかその背中がくるりと反転して、こちらを向く。


「報知くんが収めた一部始終、見たぞ。危なっかしくてひやひやしたわい」


 春子から逃走するシーンについて言っているのだろう。

 日向が佐藤に教えたのは春子を接写した動画だった。佐藤であれば、対応する報知くんの、対応する時間帯の記録を探して確認することなど容易い。


「そうですかね。俺は特に危機感とかは無かったですけど」

「……あれが春日家の長女、春日春子か」

「タイプですか?」

「アワビはの。壁紙にしたいくらいじゃ。とりあえず印刷はしたぞい」

「キモいと思います」

「撮影者本人に言われたくはないわい」


 佐藤と下品な笑い声を交わした。


 それからもしばし女子の容姿や女性器の種類といった話題で盛り上がった後、日向はこの家で過ごすことの要領について佐藤から聞いた。

 最後に挨拶をして、部屋を出ようとしたところで、


「のう日向」

「はい」


 日向は背を向けたまま答えたが、佐藤から続きの言葉が出てこない。

 振り返ると、鋭い眼光を宿した佐藤と目が合った。


「もし今、ワシと殺し合いをしたら、お前はワシに勝てるか?」

「勝てません。ただ、逃げることはできます」

「ワシが袋小路に追い込んでいたとしても、か?」

「はい」

「即答じゃな」

「佐藤さんとはやり合いましたからね。能力スペックはわかってます」


 佐藤が勢い良く立ち上がる。試しにやり合うのかと日向は警戒したが、佐藤は長テーブルの隅に移動しただけだった。

 そこに置いてある機械からコーヒーを抽出する。カップから湯気が立っている。コーヒー独特の香ばしさが微かに匂った。


「ワシが力を隠しているとは考えないのか?」

「人のポテンシャルは見ればわかります。実力者が意図的に隠しているなら別ですが、そのように振る舞うのも相応の力が必要で、かつしんどい」

「つまり、しんどいカモフラージュを実力者がわざわざやるはずもないから、実質、観察結果がへぼい奴は能力もへぼい。そう言えるわけじゃな」

「ええ」


 日向に自覚は無かったが、これは言外に佐藤はその水準ではないと言うに等しかった。


「……今度はワシが教えてもらう番じゃな」

「は?」


 佐藤はずるずるとコーヒーを味わった後、意外な言葉を口にする。


「パルクール。ワシにも教えい」

「ご老体には厳しいかと思いますが」

「誰がじゃ。その辺の若造にも負けんぞ」

「ムスコだけでしょ」

「とにかく、今度教えてもらうぞ」


 佐藤は日向の不満を聞き流しながら、もう一度コーヒーをすすり、作業に戻っていった。

 冗談か本気かはわからないが、日向としては正直言って面倒くさい。次に催促したら、その時にまた反抗しようと考えて、この場は去ることにした。






 日向が出て行った後、佐藤の手が止まる。

 代わりに唇が動いた。


「相変わらずえげつないのう」


 ――勝てません。ただ、逃げることはできます。


 日向の言葉を反芻はんすうする。

 その言葉は、自分に格闘や戦闘の要領が無いことを自覚していながらも、それでも負けることはないと言っており。

 もっと言うなら、自分の能力スペックをもってすれば、そういった技術など取るに足らないとも主張している。


「事実じゃろうな……」


 報知くんの記録に映っていた春日春子とのバトル。

 あのワンシーンだけでも日向の底力が見て取れた。


 佐藤も武術や格闘術には覚えがある。

 エンジニアの資本は身体であるから、身体を鍛えることにも余念がない。また、いざという時に身を守るための護身目的もあった。

 一生ものの習慣でありスキルであるから、佐藤はその頭脳を惜しみなく投じて要領を得た。結果として、素人の喧嘩であれば、多対一であっても軽くいなせる程度の力を得た。


 だからこそなのだろう。映っていた日向は、同じ人間には見えなかった。

 獣と対峙しているかのような錯覚さえ覚えた。


「パルクールというものは、そんなに凄いものなのか?」


 佐藤は少し考えた後、作業を中断して、パルクールについて調べることにした。

 さすが世界的に有名なエンジニアだけあって、操作は軽快。やっていることはただの検索であったが、複数枚のディスプレイそれぞれの画面を分割し、各領域に異なる検索結果を表示して、それらを同時に読んでいるかのようにスクロールしていた。

 数分程度で、佐藤は結論を得た。


「違うのう。あいつがおかしいだけじゃな」

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