5 休息日5
食後は再び校舎に入り、アトラクション系以外の出し物を一通り体感。
その後、体育館に赴いた。
体育館ではステージプログラムが催されており、タイムテーブルに従って歌唱、演奏、演劇、演舞などが行われる。
入退場は土足のままで自由だ。椅子は設置されていないが、屋内ステージのように高低差が設けられており、どの場所からでもステージが見えるようになっている。また二階も側面の通路を除き開放されていた。
客入りはまずまずで、どの位置でも陣取ることができそうな程度には空きが目立つ。
祐理の先導で三人は中央、ステージの近くに陣取った。
「もう少し前に座らないのですか?」
「ううん。これくらいじゃないと全体が見えないんだよ志乃ちゃん」
このあたりは、普段なら全校朝礼など出席番号順で一ノ瀬祐理らトップネームが座る位置だった。
「そんなものなのですか――あっ、本当ですね」
「ここは経験豊富な一ノ瀬さんに任せなさい」
祐理が胸をどんと叩く。ぽよんと聞こえてきそうな視覚的弾力。
「どう? 日向も初耳でしょ?」
「ああ。渡会だからな。ここは縁のない位置だ」
口ではそう言った日向だが、志乃のように無知ではなかった。
日向は体育館含め、学校全体を既に――一年以上も前に下見しきっており、地形や壁や段差の位置関係、
どこで座れば最低限ステージが見渡せるか、など一瞬で回答できた。
祐理、志乃、日向の順に並んで腰を下ろす。
祐理と日向は同時に座ったが、志乃は一瞬、ためらった。しかし、二人が気にすることなく地べたに座るのを見て、吹っ切れたようで、すとんと腰を下ろした。
日向はというと、そんな志乃の生足を品定めしてしまわないよう、意識的に前だけを見ていた。
今はちょうど休憩時間のようだが、次の出し物が間もなく始まりそうだ。何だったかは覚えていない。
祐理と志乃にも、パンフレットを確認する素振りはなかった。始まってからのお楽しみらしい。
照明が薄暗くなっていくのを日向は察知した。
少し経ってから、喧噪が一気に静寂へと向かい始める。準備が整った頃には、全校朝礼のような静けさが出来上がっていた。二日目はこうはいかないだろうが。
ステージが照らされる。
重厚感あるメロディが流れ始める。
舞台袖から人が出てきた。
右から一人、左からも一人。スウェットとパーカーを着ている。
後ろ向きで、地面を滑るような移動だ。
「わぉ、ムーンウォーク」
祐理が小声で呟き、手元で音の鳴らない拍手をする。おぉ、と感嘆も複数箇所から漏れている。
「ダンス部のパフォーマンスか」
「そのようですね」
二人のダンサーはステージまで移動すると、ぴたりと止まって、ロボットのような動きをした。
しばらく曲調に合わせて動いたかと思うと、激しくその場で足踏みを始める。
いや、足踏みと呼ぶにはいささか複雑なモーションだ。滑っているようにも、走っているようにも見える動き。
しかし身振り手振りはダイナミックかつパワフルで、不思議と見る者を引き込む迫力があった。
「なんか滑らかだねぇ」
「あれは――シャッフルダンス、でしょうか」
「シャッフル?」
横目で見る祐理は、バーテンダーのような仕草をしていた。
「それはシャッフルというよりもシェイクですね」
「じゃあこれだ?」
今度はカードを切る動作。
「それもシャッフルですけど、もう一つ。滑るとか引きずるとかいった意味があるんです」
「そんな単語は知らないもん。滑る、ならスライドじゃない? 日向はどう思う?」
黙って演技を見ろ、という言葉は飲み込んで、一応答える。
「そうだな……祐理の言い分も一理あるが、全面的には同意しかねる。俺が思うに、スライドという単語のニュアンスは、途切れることなく滑り続けるイメージだ。でもあのダンスは、素早く足を引く動作を繰り返すことで、あたかも滑っているように見せている。片足を二回ずつ引くのが基本みたいだな」
「そういうのいいから」
「お前が振ってきたんだろ。黙って見ろ」
結局言う日向だった。
「……なるほど、そういうカラクリだったんですね。よく見えましたね」
志乃が小声で話しかけてきた。顔は前を向いたままだ。
「いや、明らかに
シャッフルダンスは日向の指摘通り、一歩ずつ足を引く動作を繰り返すことで、あたかも滑っているように見せるダンスだ。
実を言うと、今踊っている両名は、その界隈でもそこそこ知られた実力者であり、特に一歩ずつの引きがわかりづらい引き方で踊っている。素人目には判別しづらいはずで、志乃も目を凝らして注視してようやく見えた。
「私の動体視力がポンコツだと仰る?」
「デジタル、という言葉で通じたのが気持ちいいね。東雲さんとの会話は楽しいかもしれない」
「ありがとうございます。でも話を逸らさないでください。誤魔化されませんよ」
「それは厄介だ。言って損した」
「冷たいんですね」
「まあね」
ダンスパフォーマンスを見ながら雑談していると、祐理が日向の後方に回ってきた。
日向の肩の上で、器用に頬杖をつく。
「それが志乃ちゃんの武器なんだね。手強いですなー」
「何の話だ」
「恋の話」
至近距離の、見下される角度から祐理を――その視線を受け取る。
祐理の特徴である明るさもなければ朗らかさもない。意図的につくって、見せているのだとわかるシリアスな双眸。
当たり前のように一つの屋根の下で暮らし、兄妹のように慣れきっているものの、決して忘れてはいない。本気なのだという、そんな強烈な意志が込められている。
「ああ、女子が好きな恋バナというやつか。どうぞどうぞ。二人でお楽しみを」
日向がするりと頬杖の土台を崩す。
祐理も倒れそうになったが体幹で持ち直した。空いたスペースに腰を下ろし、日向を肘で小突いてから志乃を向く。
二人が本当に恋バナを始める中。
孤独の時間を得た日向は、これ幸いとばかりにステージのダンサーを観察し始めた。
一時間ほど体育館で過ごしたところで、どこかで休憩しようという話に。
体育館の隅を歩いて出入口に向かうところで、日向は対向の男子と目が合った。
左右をミニスカートの女子にはさまれた眉目秀麗のモデル体型。容姿はさておき、自分もああ見えているのだろうか、と日向が他人事に思っている間にも距離は縮まり、会話が届く範囲まで詰まったところで、向こうからの第一声。
「やあ日向ちゃん。楽しんでるみたいだね」
「そう見えるか?」
左右の女子は「誰こいつ?」とも言うかのようにアイコンタクトを交わしているが、日向は二人を知っていた。
琢磨は「先に行ってて」と女子二人を手際よく離した後、
「そういえばオレ、メイズアタックで一位を出したよ」
「へえ。そりゃ凄い」
脈絡の無い雑談に聞こえるが、日向は警戒心を一気に引き上げた。
「受付の奴に聞いたんだけど、日向ちゃんも結構な好成績だったみたいだね。何か不正でもしたの?」
「運が良かっただけだ」
「ふうん」
琢磨は興味無さそうな表情をつくりつつ、祐理と志乃を見る。
「二人とも日向ちゃんのどこが好きなの?」
「いきなり何だ。用がないならこれで――」
「全部。日向のことは全部好き」
「語りません。ライバルを増やしたくはありませんので」
全部好きは嘘だろ祐理。
語らないならそのままスルーしろよ東雲さん。
日向は不満を飲み込みつつも、無視して離れるわけにはいかないので静観する。
「あはは、そっちの気はないって」
「念のためです」
志乃はなぜか日向を横目で睨んできた。
「俺もないぞ」
「あー、日向はあるかもねー」
「適当なこと言うな祐理」
「だってわたしらに全然なびかないじゃん」
好意を向けていることを隠そうともしない物言い。別に平常心を乱されることはないが、こういう経験が圧倒的に足りてないからか、どうにも落ち着かない。
「なるほどね-、日向ちゃんはそうだったのか-。案外オレが勝っちゃったりして」
「気持ち悪いこと言ってんじゃねえよ」
日向はれっきとした異性愛者であり、性に関しては何らかの障害を持っているわけではない。
ためしに琢磨と行為に及ぶ想像を膨らませてみて、生理的嫌悪感を催したことで再確認した。
「日向ちゃん、そういう発言はよくないよ。誰もが異性愛者だとは限らないんだから」
「ここでジェンダー論を出されてもな……」
「ジェンダー論という言葉はありませんよ渡会くん。強いて言うなら、そうですね、最近読んだクィア・スタディーズの本では――」
「東雲さん、そういうのいいから」
志乃が唇を尖らせたが、脱線の長話を聞いてやるほど日向はお人好しではない。
それは琢磨も同様のようで、「それじゃ話を戻して」すぐに軌道修正してきた。
「結局日向ちゃんはどうしたの? 二人とも振った? もしかしてキープしてる?」
前言撤回。脱線よりもたちの悪い踏み込み。
しかし、日向が二人から言い寄られていることはもはや周知の事実であり、隠す意味もない。
「振ったよ」
「え? そうだっけ?」
あっさり答える日向に、祐理がすっとぼける。
日向が睨むと、ちゅぱっとキスのジェスチャーを返してきた。冷めた視線で応えると、今度は舌を出して不服を示してくる。
何度も見たことがあるが、清潔で血色の良い舌だ。仮に舌のモデルという仕事があるならば、務まるに違いない。そういえば施設時代、
――こんなことを覚えてどうしようってんだ?
――あいつをゆーわくするのっ!
小学校時代、まだ祐理と対立していた頃の話だ。
施設一の美人にして女ジャイアンでもあった祐理は、はじめて出会った、敵わない男子が気に入らなかったらしい。日向は幾度となく突っかかられた記憶ばかりだったが、それゆえによく覚えていた。
「やっぱモテモテだねー、日向ちゃん。一ノ瀬さんが物好きなのか、それとも日向ちゃんに魅力があるのか――どっちなんだろうね?」
なおも何かを言いたそうに視線を送ってくる祐理を眺めながら、日向は心からの感想を述べる。
「前者に決まってる」
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