2 休息日2

 六月十七日土曜日、朝九時。

 梅雨時つゆどきとは思えない晴天のもと、校内放送により春高祭の開始が告げられる。本格的な喧噪が春高を包んだ。


 日向は祐理と志乃にはさまれる形で歩いていた。

 横に並んで歩いたら迷惑だと日向は主張したが、二人とも譲らない。避けはする。ただ、避ける時にわざとらしく身を寄せてくる。その度に柔らかい感触と匂いが日向を包んだ。視線も刺さった。


「何に致しましょうか」


 志乃が持つパンフレットを覗き込もうとすると、にゅっと指が伸びてきた。


「これ! これがいいっ!」

「メイズアタック――ですか。渡会くんはどうしますか?」

「二人に任せる。無茶ぶりでなければ何でもいい」

「なげやりひなた」

「慈悲深いと言え」


 メイズアタック。

 教室内に構築された迷路メイズを出来るだけ早く抜けるというアトラクション系の出し物だ。パンフレット曰く、豪華景品も用意されているらしい。


 早速向かう。一般棟三階、三年生フロアだ。

 日向は不自然にならないよう視線を走らせる。春高祭仕様で、ラフなTシャツを来た女子が多い。発育の平均も、一年あたりと比べると明らかに高い。明日の本番では、ここには立ち寄らないが、急きょこのフロアで盗撮しようかと考えてしまうほどに、魅力的な風景だった。

 会場となる教室に到着し、列に並ぶ。

 とりとめのない話を交わしながら、迷路で入り組んでいるであろう教室に目を向ける。迷路は机や段ボール、カーテンなどから構成され、プレイヤーは机をくぐったり、しゃがんで通り抜けたりといった動作が必要となるらしい。通路が狭い分、迷路の規模は大きく、数分経っても出てこれないプレイヤーが続出している。


(待ち時間は嫌いだ)


 日向は軽い苛立ちをおぼえた。

 普段は何かしら身体か頭を動かしているし、待ち時間であっても何らかのトレーニングや調整運動コンディショニングは差し込める。また、二人に気付かれずに行う自信もあった。

 しかし今は、そうするわけにはいかない。二重の意味で。


「勝負しよう志乃ちゃん! 勝った方が日向を独占する」

「不公平です」

「さては志乃ちゃん、自信がないんだね?」

「挑発には乗りませんよ。まずはハンディキャップをつけてください」


 表情豊かな二人とは対称的に、どこまでも打算的な自分を再認識して。

 誰にも気付かれない程度に小さく、日向は嘆息するのだった。






 豪華景品は射程外だったものの、メイズアタックは日向が僅差で勝利した。

 意外にも最下位は祐理で、二位の志乃とは二十秒以上の開きがあった。


「身体能力次第だと思っていましたが、これは祐理さんの挑発に乗っておくべきでしたね」


 志乃がにっこりと笑顔を向け、一歩、距離を詰めてくる。腕に寄り添ってきた。


「近いんだが……」

「もう気にしないことにしたんです」

「東雲さんって意外とアグレッシブだよね」

「渡会くんのおかげです」


 図書委員になんてなるんじゃなかった――と言いかけて、口をつぐんだ。そこまで不躾ぶしつけではない。


(しかし、わからないものだよな……)


 当時はまさか祐理以外から好かれるなど夢にも思っていなかったし、そんな酔狂な女子がいるとも思えなかった。

 おかげでパルクールのことがバレたり、交換条件を持ちかける仲になったり、と散々である。ひょっとしたら春高内で唯一の貧乏くじを引いたのかもしれない。

 もっとも後悔しても意味はないし、この関係を無理矢理壊すことが得策だとも思えない。


「……だったら何よりだ。もうちょっと抑えてほしいけどね」

「ふふっ。気を付けます」


 離れる意思をまるで感じない微笑みに、日向が苦笑していると、


「次はどうするー?」


 日向の肩にこつん、と固めの感触。吐息が感じられる距離に祐理の顔がある。背伸びしてあごを乗せてきたのだ。日向と志乃の間に割り込む形である。間近の横顔はぷくっと膨れている。


「ふて腐れてんな。まあ大差だったもんな」


 約束はどうした、などとは言わない。火に油を注ぐようなものだ。祐理も約束を破る人間ではない。露骨に抱きついてこないのが祐理なりのけじめなのだろう。


「だーっ! 覚えにくかったの!」

「この距離で叫ぶなっての……」


 メイズアタックは段差や斜面を設けて立体的につくってあり、もはや立体迷路の域で、高校の文化祭どころか大学の学園祭、いや下手をすれば入場料も取れるほどのクオリティだった。

 この三次元という性質が、祐理には合わなかったようだ。

 迷路のコツは一度通ったルートを記憶して、二度と通らないよう無駄を省くことだが、祐理は昔から三次元の空間認識が弱い。ジャングルジムでの鬼ごっこやタイムアタックが特に弱かった――それでも他の男子以上ではあったが――ことをよく覚えている。


「祐理は運が悪かったんだよ。というより、俺や東雲さんの運が良かっただけかな?」

「はい。渡会くんはともかく、私は確実に幸運でした」

「運も実力だからねー。わたしの負けだよ。というわけで日向に慰めてもらおう」


 祐理が「ほれほれ」とあごでぐりぐりしながら頭を押しつけてくる。浴室や風呂上がりの祐理と同じ匂い。


「違うだろ祐理。慰めるのは二位の役目だ」

「よっしゃ」


 祐理の顔が隣の志乃に移動した。途端、「あっ」志乃が崩れ落ちそうになる。日向基準での力の預け方を継続したからだろう。


「にひひ、ごめんごめん」


 祐理は優しくそっと志乃の肩にあごを乗せた。


「いいんですよ、祐理さんは」


 志乃は祐理の髪を優しく撫でながら、いわゆるジト目を日向に向ける。


「どうせ僅差も意図的なものなのでしょう?」

「……さあ、何のことだか」

「この件、もっとぺらぺらと喋っても良いんですよ? むしろ私は喋りたいくらいです」

「やめてくださいお願いします」


 学校では運動音痴のトップクラスとして過ごしているのだ。本来なら一言でさえも、このような会話はしたくなかった。


 志乃は満足したのか、もう抱きついてはこなかった。パンフレットを眺めながら、


「次は別のアトラクションにしましょうか」

「そだね-。日向の素を引き出しましょうぞ。ふへへ……」


 最後は日向に向けた挑発だった。

 祐理たちは遊び半分のつもりなのだろうが、日向には撮り師という事情がある。こんなに目立っておいて今更なのだが、鷹は爪を隠すに越したことはない。

 二人とも事情を知り、配慮してくれているが、日向としては念を押したいところだった。しかし、シリアスな勝負の雰囲気に水を差すわけにもいかない。


「お手柔らかに頼むぞ……」


 切実に呟くことしかできなかった。

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