5 デート4

 日向と志乃は公園を出た後、電車に乗った。

 お互いが好きなことをするという予定が終わったため、日向は帰ろうとしたのだが、志乃がこれを拒否。日向の地元、春日野町に向かうこととなった。


 空席も目立つ車内で、日向はドア付近に立っていた。当然のように直立。時折発生する揺れにも平然と耐えている。

 志乃は日向の腕につかまっていた。


「――というわけで、私は渡会くんが悪いと思います」

「なるほど」


 話題はさっきの公園の件。


「つまり、子供たちが真似することをわかっていながら、あえてあの場であのようなことをしたことが確信犯だと仰る?」

「そうです」

「否定はしない。でも行動を改める気もない」


 子供が真似をして怪我をする可能性――これはパルクールが問題視される原因の一つだった。

 大きなニュースとして取り上げられたことはないが、ネット上ではよく挙がる声だ。炎上というほどではないがSNSやブログが盛り上がった例もある。


「さっきも言ったように、俺の見解は『知ったことか』だよ。勝手に真似する方が悪い。ドラマを見て殺人を真似した犯罪者がいたからといって、制作者や包丁職人が責められるのはおかしいよね。それと同じ。もし判断能力が無いのだとしても、それは管理者の責任だ。この場合はあのお母さんだね」

「言いたいことはわかりますが、もう少し歩み寄っても良いと思います。思いやりは大切です。パルクールでも尊重リスペクトがあるじゃないですか」

「たしかにね。俺も環境には配慮してるつもりだし、人に対しても、たとえば通行人の邪魔になるようなことはしないし、着地音で迷惑をかけたりもしない。でも今回は別。尊重の対象外だ」


 電車が駅に停車する。春日野駅まであと数駅といったところだ。

 ブレーキが下手らしく、ガクンと慣性が働いた。日向はびくともしなかったが、志乃はバランスを崩して一歩踏み出した。

 そんな志乃を日向が見下ろす。志乃は恥ずかしそうに、また拗ねるように一度顔を背けた後、何事もなかったかのように続ける。


「対象外とする理由は何ですか?」

「尊重する必要が無いから、だね」

「と言いますと?」

「パルクールは自然にせよ、都会にせよ、既に存在する環境を使わせてもらっている。そして環境は有限であり、かつ新たにつくりだすことはできない」

「できない、ですか」


 昨今のパルクールは屋内環境――つまりは専用につくられた環境での活動がメインとなっている。屋外だと制約や考慮事項ノイズが多く、練習に集中できないためだ。それでも昔は環境をつくるノウハウも、経済力も、人脈も無かったために仕方なく屋外で練習していたが、今は解消されつつある。

 そんな現状を志乃は理解しているが、日向はあえて『できない』と言い切った。そこに日向のこだわりが――もっと言えばトレーサーとしてのスタイルが表れているのだろうと捉えた。


「うん。だからこそ、環境は尊重しなければならない。使える場所を壊さないためにも。そして


 意味深に呟く日向の言葉を、後者の意味を、志乃は反芻はんすうした。

 窓の外を眺める。青々とした山々が並び、その表面を沿うように住宅が埋め込まれている。一際ひときわ整った町並み――春日野町も見えていた。


「――他の利用者とトラブルになっても、環境は使えなくなると思います。その点はどうお考えで?」

「環境そのものがなくなるわけじゃないから大丈夫。ただ風当たりが冷たくなるか、最悪管理側の対処で禁止事項にパルクールが追加されるだけだね」

「……」


 どこか他人事のようにも聞こえたが、日向の淡々とした横顔を見れば、それが諦念ではなく余裕なのだとわかる。


「ある程度調べてる東雲さんならわかってるかもだけど、パルクールはただでさえ風当たりが冷たい。多数派の、頭の固い保守的な人達に従っていては何もできないんだよ。トレーサーの自由と尊厳を確保するためにも、毅然きぜんとした態度が必要だ」

「屁理屈に聞こえなくもないです」

「それでも結構だが、俺の方から折れる気はない」

「ふふっ」

「どうしてそこで笑う?」

「いえ。渡会くんらしいなと――……渡会くんこそ、どうしてそこで私を凝視するのですか?」

「いや。変わってるなって」

「変わってる?」

「なんでもない」


 日向は自分のことを喋りすぎたと自覚した。

 撮り師としての自分は少しも漏らしていないはずだが、利己的な性格についてはだだ漏れだ。もっとも、あえて漏らすことで嫌われることも――ほぼ無意識だが――狙ってはいたが、志乃には効果がないらしい。


 疎い日向は気付かない。


 彼女の、憧憬の強さに。

 その行動力と、執着に。




      ◆  ◆  ◆




「今日はありがとうございました」


 夕日に照らされた、広い歩道を並んで歩く。

 春高生にはお馴染みの下り坂だ。


「悪かったね。休日なのに春高坂を登らせちゃって」

「いえいえ。いい運動になりましたし、目の保養にもなりました」

「保養って……」


 日向が苦笑すると、志乃も柔らかく同調した。


「あんなところに、あんな静かな公園があったんですね。一年以上通っているのに気付きませんでした」

「まあ春高は寄り道に厳しいからね」

「おかげでのびのび動けました」


 志乃が嬉しそうにはにかむ。


 日向と志乃は、春高の裏手に位置する公園でパルクールをしていた。

 志乃の希望によるものだった。トレーサーとしての日常が見たい、と。

 しかし、一方的に見つめられるのも過ごしづらいため、日向は志乃にもパルクールを勧め、結局マンツーマン練習のような形となっていた。


「センスはあると思うよ。体力と皮膚は心許ないけど」

「それは追々鍛えます」

「鍛えるんだ」

「あった方が、より楽しめるのでしょう?」

「まあね」


 志乃の足取りは軽い。

 パルクールで相当動かしたはずだ。日向の見立てでは確実に筋肉も壊れている。明日は筋肉痛に苦しむことだろう。


「そのうち祐理さんや沙弥香さんとも練習したいです」

「いいね。誘えばすぐにでも付き合ってくれるよ」

「そうですけど、まだ恥ずかしいです」

「あの二人を基準にしちゃダメだよ」


 沙弥香は実の兄でもある日本一のトレーサー、アラタから手ほどきを受けている。また祐理についても、日向が教えを施したわけではないが、施設時代は長時間をともに過ごしてきた。

 いずれにせよ、そこいらの女子とはポテンシャルも違えば、積み重ねてきた物量も違う。文字通りの桁違いである。


「パルクールは実力じゃない。遠慮することはない」


 それでも日向は志乃の背中を押した。

 自分に懐いている志乃から少しでも距離を置こうという悪あがきだ。


「そうでしたね」

「ああ。だからあの二人には積極的に頼るといい。二人も喜ぶと思う」

「でも私は、できれば渡会くんと過ごしたいです。今日みたいに二人きりで練習できたら素敵です」

「……また今度ね」

「社交辞令は通用しませんよ」


 にこにこする志乃に、日向は苦笑を返すことしかできなかった。


 下り坂も終端にさしかかり、ターミナル駅春日野駅が見えてきた。列車の走行音も、駅前の喧噪もはっきりと聞こえてくる。


「改めて確認しておくけど」


 志乃がこちらを向いてきたのを確認してから、日向は続ける。


「春高祭の件は、どうしてもらえるのかな?」


 今日のデートは交換条件であった。

 日向の要求は、図書委員としての出し物『第一回春日野高校ビブリオバトル』の準備を軽減してもらうこと。理由は伏せているが、無論盗撮活動のためである。


「そうですね。タスクをいったん私が受け持って、その一部を適宜、渡会くんにアサインしていくというやり方がいいかなと思っています」

「東雲さんがリーダーで、俺がその下についているチームメンバー。そういうこと?」

「はい」


 志乃のアイデアを採用すれば、山下は作業について志乃とだけコミュニケーションを取ることになる。日向の扱いについては志乃に一任し、山下から直接関わることがなくなるという形だ。

 もっと言えば、普段日向が何をしているかが山下からは見えなくなり、作業もサボれるようになる。志乃が「順調です」と報告すれば、それでいいのだから。


 志乃ならば信用されているだろうから、このような体制は充分通る。そう日向は考える。


「放課後、図書室にいない件については、どうやって誤魔化ごまかせばいいだろう?」

「言い分があればそれをお伝えしますよ」

「そうだな――……家庭がちょっと慌ただしい、ということにしておこうか。細かいところまでは突っ込まないでしょ」

「だと思います。志乃ちゃんがいいなら構わないわよ、と言うでしょうね」


 それから志乃が春日野駅に入るまでの間に、二人は詳細を煮詰めた。

 すべてを決めることができず、日向は連絡先の交換を要求。志乃は「お待ちしておりました」と微笑んでから快諾した。


 こうしてデートという名の交換条件が幕を下ろした。

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