8 温度差
翌日、二十四日水曜日の昼休憩。
日向は図書委員のミーティングに参加していた。
場所は図書室。閉館はしておらず、カウンターには他クラスの当番が座っている。
カウンター奥のテーブル、その隅っこには、後半の番のために待機する女子が一人。退屈そうにパンを食べつつ、反対側の三人をちらちら見ていた。
その反対側には志乃と山下先生が隣り合って座っている。
日向はその向かい側で、弁当箱を黙々と消化しながら聞いていた。
「それで、私としてはこっちの方がバランスが良いと思うんだけど、どうかしら?」
山下が壁を指差す。プロジェクターによって画面が投影されており、文書編集ソフトウェア上に記述された開催告知文が表示されていた。
表題は『第一回春日野高校主催ビブリオバトル(仮)』。
日時は6月18日、日曜日の午後1時から5時半まで。
場所は春日野高校の図書室。
参加人数は20人で、1ブロック4人が計5ブロック。各ブロックの勝者で決勝戦を行い、総合優勝が決まる。そのため条件の項には『二冊以上のプレゼンネタを用意すること』とある。
「私は賛成です。せっかくの春高祭は、やはり楽しみたいですから」
志乃が照れくさそうに日向をちら見しながら言う。
今現在の話題は、投影画面下部に長々と並んだタイムテーブルだった。
当初は朝から夕方まで丸一日を費やすスケジュールで、どう考えても三人では人員が足りない状態であったが、思い切って圧縮に踏み切ったらしい。今は午後だけとなっている。これなら準備時間を含めても、午前中は春高祭を楽しむ余裕がある。
「俺も賛成です。特に楽しみにはしてませんが」
志乃の好意をかわしつつ、頷きも交えて日向は同意してみせた。
「私はとても楽しみですよ」
ちらちらとわざとらしく視線を寄越す志乃。「そうなんだ」日向は適当にあしらい、
「それで先生。今日は何について話し合うんです?」
やや強引だが、話を先に進めることにした。
志乃の落ち込んだ表情には気付かないふりをして、山下の説明を聞く。
聞きながら、どうやってサボるかの算段を考えた。
日向にはケッコンでの優勝という目標がある。図書委員の出し物なぞに費やす暇はない。
しかし断るわけにもいかない。こっちを断れば、クラスの出し物を手伝わされる。
もっとも、わがままを押し通して嫌われてしまえば孤立という形で準備こそ回避できるものの、今はまだ事を荒立てたくないのが本音だった。まだ高校生活は半分以上残っているのだ。
幸いにも見ての通りタイムテーブルは圧縮される。その分、作業時間も短縮されるはず。一見すると日向には吉報ではあるのだが――
「大事なのは参加者集めね。私の
「はい。参加させていただいてるコミュニティで、皆さんに掛け合ってみます」
「瀬野市ビブリオバトルクラブ、だったかしら? 月一くらい?」
「月に二、三回くらいですね」
(二人とも熱心なもんだな……)
昼飯の消化を進める日向とは対称的に、二人は一口も付けずに話し合っている。この様子を見る限り、そう甘くはいきそうにない。
物事には量だけでなく質もある。量が少なければ、質を高めようという話になるのは自然なことだ。やる気の無いメンバーはともかく、この二人ならなおさらだろう。
そして質を高めるということは、それだけ時間を費やすということでもある。
日向の内心では早くも嫌気が差し始めていた。
依然として二人の会話は盛り上がる。
そこに生産的な進行は存在しなかった。
己の趣味を、わかり合える仲間と語り合っている光景。
趣味に効率は必要ない。楽しければ良いのだ。
しかし、日向は違った。趣味どころか負担でしかない。
そもそも仮に趣味だったとしても、今は春高祭の出し物を決めるための集まりである。遊びに付き合う義理はない。
「すいません、いいですか」
同時に目を向けられた。二つの綺麗な唇が開く前に、日向は続ける。
「思いつくままに喋っても収拾がつかないので、まずはタスクリストをつくりませんか」
「と言うと?」
「本番までに何を完了させればいいかを全部洗い出すんです。たとえばですけど、こんな風に」
日向は席を立ち、「少し借ります」山下先生のノートパソコンを操作する。
キーボードを叩く。
会場レイアウト設計。
告知文のFIX。
告知分の印刷。
告知先の洗い出し。
各告知先への交渉――
タスクを思いつつままに打ち込んだ。
志乃は「ほわぁ」などと間の抜けた表情と声音で感心していた。
「まるで意識高いビジネスマンね。渡会君はそういう本が好きなの?」
「自己啓発本やビジネス書ってやつですか。嫌いではないですね」
「前から気になっていたのよ。他にどんな本を読むの?」
「……今は打ち合わせを進めませんか」
それは本心でもあったが、山下に対する警戒でもあった。
志乃にはバレてしまっているが、日向は特に読書好きではない。図書室に通っていたのもトレーニングと盗撮目的でしかなかった。
山下にはまだバレてないだろう。あるいは、バレているのかもしれないが、少なくとも山下から切り込んでくる様子はない。ならば現状を維持すれば良い。下手に雑談を進めて、無関心が露呈してしまえば、じゃあ図書室で何をしていたのかという話になる。
(パルクールをしていることは、知られたくない)
志乃には既に口止めしている。だからなのだろう、普段は日向のプライベートにがっついてくる志乃も、今は気にする素振りがなかった。
「つまらないわね。効率ばかり追い求めていると人生、味気ないわよ」
「非効率によるストレスで消耗するよりはマシです」
「言うじゃないの」
山下は両腕を組んだ。豊満な胸が強調されている。
「でも正論ね。余裕があるわけではないから、ちゃっちゃと進みましょう」
ノートパソコンの主導権を山下に譲る。
山下は白紙の文書画面を開き、日向が書き込んだタスクをコピーアンドペーストした。手慣れた操作だ。
「それじゃ思いつつままに挙げてもらえる? そうね、まずは引き続き渡会君から」
「えっと、そうですね――」
日向は十以上の項目を挙げた。
志乃はしきりに感心していた。
昼休憩残り五分というところでタスクの洗い出しが終わり、解散となった。
次回のミーティングは明日。作業分担を決めるらしい。
「あー、大変そうだなぁ……」
志乃と教室に戻る途中、日向は思わず呟いた。
志乃はふふっと微笑み、「ですね」と同意する。横目に見たその横顔は、週末に親と出かける子供のように楽しそうだ。
「頑張りましょう」
「うーん……」
「何か気がかりなことでもあるのですか?」
盗撮のために出来る限りサボりたい、などとは言えない。
しかし、何の反発もしないまま作業時間が減るとも思えない。
「正直言うよ。あまり時間かけたくないんだよね」
「本当に正直ですね」
志乃はくすりと笑った。
「やはりパル――練習していたいですか?」
「まあね」
「取り
「……え?」
日向はぴたりと立ち止まる。文字通り、ぴたりと。意識して見なければわからないが、体幹と脚力の強さを物語る強烈なブレーキだった。
「やっぱり渡会君は綺麗だと思います」
それが急停止に関する感想であることは明らかだった。
志乃が自分の、トレーサーとしての動きに惚れていることを日向は知っている。経験者にしかわからない、基礎的な安定感や正確性を、志乃は芸術的だと評する。
トレーサーとして嬉しくないと言えば嘘になる。
しかし同時に、自分の手の内が知られているという気持ち悪さも確かにあった。
「渡会君は、それを磨くために時間を使うべきです」
廊下のど真ん中で、志乃が言った。
控えめな声量だが、重みがあった。
「東雲さんとの時間を潰してでも?」
「それは悲しいです」
しゅんとしてみせる志乃。
少し前までは常時、顔を赤らめて緊張していた女子だったというのに。恋はここまで人を変えるのか、と日向は他人事に思いながらも、一方で。
打算を働かせた頭が、一つの解を出す。
「放課後、時間ある?」
「デートのお誘いですか?」
「違うけど、相談がある」
「構いませんよ。玄関で待ち合わせましょうか?」
「うん、それでいい。ありが――」
「あーっ! 日向が志乃ちゃんを口説いてる!」
突如、最も聞き慣れた女声が刺さる。日向が露骨に顔をしかめると、志乃は何がおかしいのか、くすくすと笑った。
そんな
「志乃ちゃんに何話してたのー?」
「別に大したことじゃねえよ」
「いいもん。志乃ちゃんに訊くもん」
「別に大したことではありませんよ」
「志乃ちゃんまでっ!? ひどい!」
泣きつく祐理を、志乃は「よしよし」となだめた。
間もなく昼休憩の終了が鳴る。
日向は何の声も掛けず、その場を去った。
祐理は志乃との雑談を選ぶと考えていたが、予想と反して、間もなく背後から飛びつかれた。
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