5 お泊まり5

 祐理と志乃が仲良く入浴する一方、沙弥香は兄――新太に電話をかけていた。

 新太はパルクール界隈のトッププレイヤーで、多忙な毎日を過ごしている。沙弥香は無闇に連絡することを禁じられていたが、日向の話題なら食いつくと踏んでいた。


『悪いけど新技の開発で忙しいんだ』

「アイツの話題よ? 前は相談に乗ってくれたじゃない」

『日向君のことなら僕じゃなくて本人に訊いてくれ。祐理ちゃんも詳しいと思うよ』

「あ、お兄ちゃん、待――」


 通話があっけなく切れる。


「もうっ!」


 もう少しくらい構ってくれてもいいのに、と口を尖らせる沙弥香だったが、再試行リトライするつもりはない。

 新太の声音は冷たかった。息は切れていなかったから、パソコンと向き合って動画でも見て研究しているのかもしれないが、いずれにせよ忙しいのは間違いない。嫌われるのは目に見えている。


「おかしいわね。アイツの話題には目が無い感じだったのに。この前の練習会でもしれっと仲良くなってたし、夜は一段と打ち解けたみたいだったし――」


 今、居座っている部屋内を見回す。

 沙弥香は日向の部屋にいた。祐理や志乃とは違い、日向の事などどうでも良かったが、日向の秘密には興味があった。


 目につくのは、やはり金庫だ。

 どっしりと隅に鎮座する、大型の金庫。仮に日向が使っているとして、中に何が入っているかはまるで想像がつかない。

 沙弥香が知っている、日向の趣味や特技と言えばパルクールくらいだが、少なくとも『パルクール絡みの、人に見られたくない物品』など思い当たる節がない。


「そういえばお兄ちゃん、あの日から変わった気がする」


 最近、新太はいつも以上に熱心だと沙弥香は感じている。住まいが違うため、様子を直接知ることはできないが、ツブヤイターや公開動画の更新ペース、家族LIMEの既読ペースなどを見ればおおよそは分かる。ペースは明らかに落ちていた。

 あの日――練習会があった日の夜。遅くにホテルに戻ってきた新太と日向は、妙に仲良くなっていた。

 思い当たる要因はこれだけだった。


 変わったのは熱心さだけではない。日向に対する執着も薄くなったように思える。だからさっきも一蹴されてしまった。


「お兄ちゃん。アイツと何してたのよ……」


 沙弥香はその場に腰を下ろした。

 どんっ、と乱暴な音が響く。手と尻で乱暴にぶつけたのだ。


 沙弥香は苛立っていた。

 新太が自分に構ってくれないことは今に始まったことではない。問題は、それが露骨に強まったことであり、その原因が日向にあることだった。


 新太の一番になりたい沙弥香は、未だに見向きもされていない。

 一方で、日向は明らかに一目置かれているし、新太自身は親友とまで言っている。


 最愛の人に興味を持たれているということ。日向が妬ましかった。


 沙弥香は考える。日向には何があるのだろう。

 新太を引きつける何かがあるはずなのだ。


 新太を「いい人」と評価するトレーサーや顧客クライアントは多いが、本質は違う。本質は、打算的で利己的なパルクールバカだ。本当にパルクールのことしか考えていない。無駄なことはやらない。人付き合いや恋愛さえも。

 そんな新太が、誰かに心を開くことなど、沙弥香の知る限りではありえなかった。


 対人関係は確かに豊富だ。日本一の知名度と実力だけ合って顔は広い。

 しかし多いのは知り合いと、仕事仲間と、友達だけだ。親友がいないタイプとも言える。事実、兄が親友という言葉を使った機会など沙弥香には覚えが無い。特に親しいであろうリイサやフウジライジに対しても「仲間」や「家族」といった表現を使っている。

 家族、というと親しさの表れに見えるが、それはパルクールの文化でしかない。パルクールには他者への配慮と尊重を重視する精神性があり、実際、複数人が同じ場でトレーニングを行い、寝食も共に過ごすことも珍しくない。特に他県や海外に行く時は、現地トレーサーの家に泊まるのが通例となっているほどだ。


「アイツには何かがある。それはパルクールに関することで、お兄ちゃんが放っておけないほどの何か」


 おそらく実力なのだろうが、まるでピンと来ない。

 演技方面ならシュンシュンこと速見瞬のようにパルクール俳優がいるし、大会方面ならフウジライジがいる。また身体能力に至っては既にオリンピックのアスリート並と評されているため、参考は不要だろう。


「もーっ! 一体何なのよ……」


 わからなくて歯がゆい。

 とん、とんっ、と指先で地面を打ち続ける沙弥香だった。




      ◆  ◆  ◆




 女子三人を自宅に残した日向は、春高に忍び込んでいた。

 いつものように『ガシア』――春高専用のセキュリティ操作アプリでセキュリティを解除し、軽快な動きで校内を巡る。足下すらおぼつかないほどの暗闇であるが、地形構造を熟知している日向には何ら障害にはならない。ペンライトは携帯しているものの、念の為の備えであり、普段は出番が無い。今回も無かった。


 お目当ては教室の天井に仕掛けた火災報知型カメラ『報知くん』だった。

 日向が手がけた新シリーズ――『日常』シリーズは、この報知くんにて日中の教室内を撮り続けるというものだ。

 女子高生の日常を映すと言い換えてもいい。これらは盗撮動画における前菜として機能し、女子高生に対して親しみや愛着を持たせることができる。ひいては興奮に繋がり、既存の盗撮動画をより楽しめるようになる――それが日向の狙いだったが、結果は不評の嵐。


 特に大多数を占めていたのが撮影角度――アングルだった。

 今は真上から室内を映す俯瞰ふかんアングルとなっているが、女子高生の日常を鑑賞する上では非常に見辛い、というより馴染みづらいものだった。

 それでも従来の刺激的な盗撮作品――下着や陰部を映したものであれば、それらを拝めること自体に価値があるため、大した問題にはならなかった。

 ところが、この『日常』シリーズにおいては、単に教室の風景を収めただけである。見辛さという苦痛を我慢してまで視聴する価値はない。


(……絞るか)


 報知くんには俯瞰アングルの他に、もう一つ別のアングルを設定できる。


 オールレンジアングル。


 俯瞰アングルが真下を映すのに対し、オールレンジでは真下以外を映す。

 たとえば教室中央の天井に設置した場合、俯瞰だと室内中央の席に座る生徒は映せるが、出入口や窓、ロッカーや黒板といったへんの領域は映せない。逆にオールレンジだと中央付近の生徒を映せない代わりに、辺を捉えることができる。


 日向はスマホを取り出し、報知くんを操作するアプリを立ち上げた。

 報知くんには無線通信にて遠隔で命令を送信できる。アングルをオールレンジに変更する命令を送った。

 続いて夜間撮影をオンにする命令を送った後、テスト撮影命令を送り、十秒ほどの撮影を実行。最後に動画取得命令にて動画ファイルをダウンロードした。


(9席分か)


 早速動画を再生してみたところ、天井中央の真下にあたる領域が漏れていた。座席で言うと3行3列分、計9席である。


「……」


 日向は動画を見返しながら頭を回転させる。


 オールレンジでは同時に四方向分の動画を撮影する。

 そのためバッテリー消耗が激しく、日向が日常シリーズで想定する『日中の様子を全て収める』を実現できない。必然的に撮影時間を絞らなくてはならない。

 報知くんのスペックと、レポート命令で出力させてみた実測データから察するに、オールレンジでもたせられる時間はおおよそ二時間。この二時間をどの時間帯に充てるべきか。


 朝のホームルーム前。

 午前中。

 昼休憩。

 午後。

 それとも放課後か――


 日向は記憶を辿りながら、日常シリーズとして最も映えそうな時間帯を模索する。


(あるいは分散する手もあるが……)


 報知くんは現状、一学年に四台、つまりは四クラス分設置しているため、たとえば各々に対して午前、昼休憩、午後、放課後と異なる時間帯を設定してやることもできなくはない。むしろ日常の多様性を少しでも盛り込むという意味では有用な方法だろう。


(いやダメだ。負担がかかる)


 無難に思える方法だが、日向は即座に否定した。

 時間帯をばらつかせてしまうと、視聴者に「どの時間帯を見ようか」という判断を背負わせることになる。日常シリーズの肝は愛着を抱くまで視聴してもらうことであり、テレビ番組のような長時間かつ長期間の視聴が想定される。視聴に付随する負担は少しでも軽くするべきだ。日向はそう考えていた。


 それからも日向は何度か報知くんを操作しつつ思考を重ね――

 報知くん全台への設定適用を始めるのに三十分を要した。

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