2 ケッコン

 祐理転入の翌日。クラスは早くも落ち着きを取り戻していた。


 祐理は誰に対しても気さくで、取り囲まれるほどの人気がしばらく続くと思われたが、一緒にいる沙弥香が抑止力となっていた。沙弥香と言えば校内屈指の容姿と運動神経を持ち、ずけずけ物を言う性格も含めて有名なカースト最上位である。

 そんな二人に遠慮無く割り込めるのは琢磨と誠司くらいだが、彼らもまたトップカースト。祐理は言うなればトップカーストの新入りという見え方になっていた。

 そこに日向の姿はない。祐理は積極的に日向に絡もうとするが、その度に日向は機敏な動作で男子トイレに逃げ込んだり、沙弥香を刺激して反発を買ったりすることで器用に回避していた。


 そして現在、昼休憩。

 日向の定位置である教室の窓側最後尾は、今までの静寂空間から一転、最も目立つ空間となっている。


「一ノ瀬ちゃん、運動神経良かったよね。沙弥香に張れるレベルじゃなかった?」

「スタイルはさやちんの大敗やけどな」

「セクハラよ誠司」


 沙弥香が誠司の腕に爪を立てる。誠司が悲鳴を上げ、祐理が苦笑する。


「二人も凄かったよー。女子もみんな見てた」

「せやろせやろ。惚れた?」

「ううん。全然」

「もー、一ノ瀬さん、つれんのう……って、なんか豪快な弁当しとるやん」


 祐理の弁当箱には焼きそばがぎゅうぎゅうに詰められていた。


「え、栄養重視、的な? あはは……」


 祐理がちらりと隣席をうかがう。

 二人分を調理した張本人、日向はというと、会話には加わらず、同じ焼きそばを黙々と消化していた。


「ていうか一ノ瀬ちゃんのメシ、日向ちゃんのと同じだよね?」

「ぎくっ」

「その反応。怪しいなぁ――どうなの日向ちゃん?」


 琢磨が日向に話を振る。うろたえた祐理に対し、日向は至って冷静に、


「別に。こいつの両親は共働きで忙しいから、ついでに俺が作ってるってだけだ」


 さらりと嘘を吐く。


「へぇ意外。料理できるんだ、日向ちゃん」

「さっきの体育は女子みたいにヘボかったのにな」

「いや下手な女子よりもひどいと思うよあれは」

「しかも長袖長ズボンって。自分、暑くないんか?」

「体が弱いんだよ。ほっといてくれ」


 日向はぶっきらぼうに返しつつも、食べる手を止めない。

 沙弥香が白々しいものを見るような目つきで睨んでいたが無視した。


「男は運動できてナンボやろ。なっ、一ノ瀬さん?」

「そ、そうだね、あはは……」

「何やねん、その反応。さては料理男子萌え~ってやつやな?」


 体をくねらせながら裏声で発してみせる誠司を「キモい」沙弥香が冷たい目で一蹴した。


「さやちんはわかるよな。料理男子よりも運動男子やろ?」

「狭いわね。料理も運動も両方できた方がいいに決まってるでしょ。ね、祐理」

「う、うん、そうだよね、あはは……」


 祐理はばつが悪そうに苦笑する。


 そんな会話が繰り広げられている間に、日向は焼きそばを完食する。

 手早く片付け、スマホに目を落とした後、午後の授業用に教科書を机に出してから教室を出て行った。


 その後、間もなく沙弥香も立ち上がる。


「飲み物買ってくるわ」


 琢磨が机に視線を向けると、確かに沙弥香のペットボトルは空になっていた。


「さやちん。ワイのも頼んだ」

「千円くれるならいいわよ」

「冗談やろ」


 誠司のノリをあしらった沙弥香が財布を持ち、教室を出る。


「……」


 その様子がどこか急いでいる風だと琢磨は感じていた。


「……あー、オレも買ってくるわ」

「タクマン、ワイの――」

「パシリは受け付けないよ?」

「ちぇーっ、ケチやな。まあええ、一ノ瀬さんと仲良うしとるわ」

「うえー」


 祐理の露骨に嫌そうな声音を聞いて、琢磨は思わず吹き出す。


「悪いね一ノ瀬ちゃん。すぐ戻るから」

「ちょっと二人とも、何やねんそれ」


 琢磨は沙弥香を追いかけるように教室を後にした。






「さてと」


 日向は特別棟五階の男子トイレに足を運んでいた。

 中に誰もいないことは確認済。同時に耳を澄ませており、人の接近を察知できる態勢に入っていた。


 窓から外を覗き、目撃者がいないことを確かめてから飛び乗る。

 落ちたら死の危険もある高さだが、日向が動じることはない。外壁側、垂直に伸びている配水管に飛び移り、するすると上っていく。頂点のふちを掴み、ふわりとクライムアップで引き上げて――屋上に着いた。

 ずんずんと奥へと進み、一般棟の五階廊下から目撃されない程度の位置で静止。スマホを取り出し、ジンから届いていた二通のメッセージを読み返す。


 一通目、特設サイト『ケッコン』について。


 美穴びけつコンテスト、略してケッコン。

 それは盗撮動画販売サイト『カミノメ』上で行われる盗撮動画コンテストだった。穴とは女性器を指す隠語であり、参加要件にも『トイレ盗撮であること』と明言されている。


(やる気を出してくれたか。相変わらず仕事が早い)


 何より目を引くのは入賞賞金だ。大賞が三百万円、三枠ある優秀賞も百万円。カミノメを盛り上げようとするジンの心意気が伝わってくるが、日向は表情をしかめた。


(トイレ盗撮に、審査は視聴者投票……厳しいな)


 二通目を開く。

 日常シリーズについて打ち合わせしたい旨が書かれていた。断る理由は無いが、今日も帰りは遅くなるだろう。昨日も午後十時を過ぎてしまい、祐理に怪しまれた。表面上は日向の言い訳――「トレーニングしていた」に納得しているようだが、部屋を物色された形跡が何度も残っている。

 災難は忘れた頃にやってくるという。何か対策を考えねば。


 日向が考え事に溺れていると、手に持つスマホが振動した。ジンだ。


「……タイミングがいいですね」

『まあな。特設サイトに日向のアクセスがあったから電話したんだ』

「しれっと怖いこと言いますね」


 日向はその場で空気椅子の体勢をつくる。

 スキマ時間を活用したトレーニングであるが、膝と腰が直角をつくっており重力の存在を感じさせない見た目となっている。もし新太が見たら嫉妬を抱くに違いない、怪物とも呼べる体幹だった。


『二通とも読んだか』

「ええ」

『ケッコンに連動して日常シリーズも早く立ち上げたいってのがオレの思いだ。今日中に不明点を潰したい。ASAPできるだけ早くで来てくれないか』

「わかりました。午後の授業をサボって向かいます」


 日向は瞬時に午後のサボタージュを決断した。


「用件はおわりですか」

『ああ。ここからは雑談だが――ケッコン、どうするよ日向? 分が悪いだろ?』


 トイレ盗撮はカミノメでも一、二を争うメジャーコンテンツである。それだけにケッコンでは激戦が予想される。少なくともただ女子高生の局部を映しただけでは入賞には届かない。


『いくら設置による盗撮トラッピングが優秀な日向でも、現地で直接撮影する撮り師ソルジャーには勝てやしない』


 ソルジャーとは女性撮り師であり、トイレや銭湯、その他更衣室等に違和感無く溶け込み、器用に盗撮することを生業とするタイプである。当然ながら侵入すらままならない男性撮り師とは作品の質に雲泥の差が生じる。下手をすれば勝負にもならない。


「それはそのとおりですけど、女撮り師には致命的な欠陥があるじゃないですか」

『まあな』


 ジンも理解しているようだが、日向は整理のため、あえて言葉にする。


「女にはフェチの機微というものがわからない。いわゆる『エロい』のニュアンスがわからないんです。だから子が通りがかっても追いかけないし、巨乳なら何でもいいと勘違いしてデブを撮ったり、ロリなら誰でもいいと知った気になって幼女を撮ったりする」

『例外もいるけどな』

「ビビ、とかですか」

「ああ」


 撮り師『ビビ』。

 日向も何度か顔を合わせたことがある。いかにも経験豊富という感じの女性で、ジン曰く経験を通じて男の好みを学習しつつあるらしい。実際、ビビの撮った動画は人気があり、特に銭湯盗撮シリーズはカミノメユーザーなら誰もが知るほどの定番コンテンツだ。


「……手強いですね。なんでトイレにしたんですか。嫌がらせですか」

『それもある』

「あるんかい……」

「冗談はさておき、トイレ盗撮もマンネリ化してるからな、何とかしたいんだよ。お前にも期待してるんだぜ。ほら、前にえぐい動画を撮ってたろ。今年の始業式前のやつ」

「始業式――」


 ――こりゃ凄い。具がモロ見えじゃねえか。


 ――感謝する。百五十は堅いぜ。


「ああ、あの時ですか。あれは運が良かっただけです」

『運、ねぇ……。周到に計画しなければ成し得ない芸当に見えたけどな』


 日向はジンの詮索を無視して、


「ですが方向性はそれで間違ってないかもしれませんね」

小アワビ幼い女性器、か』

「はい。――ふぅ」

『なんだ、オナってんのか?』

「トレーニングです」


 日向は空気椅子を解除し、その場に座り込んだ。


『とにかく楽しみにしてるからな。それじゃこの後、待ってるぞ』

「はい。では」


 通話を終えた日向は。口角が自然と上がるのを自覚した。


「面白くなってきたぜ……」

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