第2章

1 日常の始動

 不気味に静まり返った校内を、日向は歩いていた。

 昼は祐理の転入によって慌ただしくなり、歩行者天国に放り込まれたかのような不快感をおぼえたが、夜の学校は深夜の路地裏のように居心地が良い。

 設置していた火災報知器型カメラ『報知くん』から記録カードを回収していく。


 回収後、佐藤宅を訪れた。

 今日から撮り師としての新コンテンツ――『日常』シリーズが始動する。

 これは日中の教室内を盗撮した動画をそのまま公開するという作品で、女子高生の日常を日常系アニメのごとく、のんびり鑑賞してもらうことを意図している。

 女子高生の日常を鑑賞すれば、そのリアルさや可愛らしさ、何気ない仕草や言動に愛着を持つようになる。そして愛着は興奮を生む。盗撮動画というと普通は下着姿や局部を映すだけ、のシンプルで刺激的な表現方法を取るが、日常シリーズは言わばそんな常識に対するアンチテーゼでもあった。

 あえてたとえるなら、日常系というジャンルの無かったアニメ業界に日常系を初めて導入し、かつ日常系作品のスピンオフとして刺激の強い――ダイレクトなエッチシーンを含むほどの――ラブコメを交えた作品も展開するという二重の試みに取り組むようなものである。


 日向が記録カードを専用スロットに差し、大容量データ共有サービス『ワームホール』にアップロードしていると、


「本当に十二台設置したようじゃの」


 部屋の主こと佐藤が、コーヒーを片手に話しかけてきた。


「ええ。バッテリーやカードの交換と回収が十二台分、これから毎日ですね」

「日向の手間はどうでもええわい。報知くんは無事なんじゃろうな?」

「もちろん。何度も言うように天井は死角ですからね。ダミーテストを繰り返してきた実績もありますし」


 ダミーテストとは、盗撮カメラを仕掛ける前にダミーの物体を配置し、誰もその物体の存在に気付かないことを確かめるテストである。

 教室、廊下、校門や体育館、果ては女子トイレやクラブハウスまで、日向は春高に入学してから多数のダミーテストを実施してきた。生徒や教職員の死角については誰よりも熟知している。


「何度でも言うがの、報知くんは一台一千万円以上も取れるハイテクな装置じゃ。おいそれと誰かの手に渡すわけにはいかんのよ」

「わかってますよ」


 淡々と応える日向を見て、佐藤は何度抱いたかわからない感心を抱く。

 高価な装置を十二台も扱い、ガシア――学校侵入アプリがあるとはいえ躊躇無く侵入を繰り返し、天井への設置や回収といった重労働も平気でこなしてみせるその身体能力と精神力は、一高校生のものではない。

 コーヒーをすすりつつ、その地味で平凡な容姿を眺める。

 化け物には到底見えない。しかし、その制服の内には、鍛え上げられた肉体があるはずだ。


「日向。お前の力は信頼しておるが、過信はするなよ。言うまでもないじゃろうが、一度のミスが命取りになる」

「知ってますし、そういうのには

「……いざという時、ワシはお前は切るからな」


 たとえば盗撮や不法侵入の容疑者として疑われるような事態になった場合、佐藤は日向を捨てて逃げると言っているのだ。天才的な技術を持ち、クラッカーとして数多の悪事もこなす佐藤であれば容易いだろう。


「言われずともそのつもりです」


 日向は心底楽しそうに笑って、


「ライフは一つのみ。だからこそ楽しいんじゃないですか」




      ◆  ◆  ◆




 アップロードを済ませた後、日向はジンの住むタワーマンションを訪れた。

 ワイン片手にソファーでくつろぐジンに早速仕事の話をする。


「ワームホールにアップしてます。確認してください」


 ジンはグラスをテーブルに置き、ノートパソコンとワイヤレスマウスを引き寄せた。

 手慣れた操作に従い、ぷつんと電源が入ったのは壁際――大型の壁面ディスプレイ。

 ブラウザを開き、データ共有サイト『ワームホール』にアクセス。専用のIDとパスワードでログインし、既にアップロードされた動画のうち一つを開く。

 教室を天井から映した光景が再生された。


俯瞰ふかんアングルか……」

「日中盗撮し続けることのできる死角は天井だけなんですよ」

「日向がそう言うのならそうなんだろうが、正直見慣れないぞ」


 盗撮動画のアングルは基本的に正面か、側面か、あるいは上方向を覗く仰視ぎょうしである。上から下方向を眺める俯瞰ふかんアングルは滅多にない。

 ジンが言っているのは、ユーザーも見慣れていないであろうアングルをあえて提供することの意味は何なのかということであり、もっと言えば――


「日向。俯瞰アングルしか撮れなかったってのはこちら側の都合でしかない。ユーザーには関係がねえんだよ」

「ええ、わかってます」

「ただでさえ見慣れないアングルに加え、さして興奮もない日常の風景が延々と流されるんだ。まともに視聴してくれるユーザーがいるとは思えねえ」

「先進的な試みですからね。成功するかどうかなんて正直わかりません。ただ、可能性はある。だからジンさんも了承してくれたんですよね?」

「期限付きだけどな」


 ――三ヶ月だ。七月の終わりまで協力してやる。


 それが日向に与えられた条件だ。それまでにジンを唸らせなければ結果を出さなくてはならない。


 ジンは他の動画も手早く眺めていき、やがて口を開いた。


「これ、今日撮ったんだよな?」

「はい」

「ずいぶんと仕事が早いんだな」

「スピードはJKPJKぺろぺろのウリですからね」


 適当に応える日向に自覚は無かったが、この作業スピードは客観的に見ればとんでもない業だ。

 日中を丸々盗撮し続けることのできるカメラの設置はもちろんのこと、この高画質を踏まえればファイルサイズは相当になるはずで、丸々アップロードするなら高速な回線でも長時間を要する。それを当日のうちに済ませてきたのだ。


 この迅速さは日向というより佐藤の力によるところが大きい。記録カードという従来メディアよりも高速なコピーを実現する技術に加え、ワームホールはそもそも佐藤が運用するサービスである。日向が佐藤宅で行ったアップロード作業も、インターネット越しのアップロードではなく、言うなれば直接ダイレクトコピー。転送速度は前者と比べて桁違いであり、これゆえに非現実的な作業スピードを実現できていた。


「……わかった。では、こいつらをJKPアカウントで公開する、ということでいいんだな?」

「はい」

「紹介ページはもう出来てるのか?」

「まだです。早急に仕上げます」


 紹介ページとは動画紹介ページを指す。盗撮動画販売サイト『カミノメ』では、撮り師が動画毎の紹介ページ――特にタイトルや紹介文やタグなどを編集することになっている。そこにカミノメ運営側が最終チェックを行った動画を差し込むことで一本の動画ページが完成する。


「まあ焦ることはない。何せ日中を丸々収めた動画が十二個だからな。明日中の公開も難しいだろう」

「そこは頑張って効率化していただくしか」

「容赦ねえなおい……ま、正論ではある」


 ジンはノートパソコンを閉じ、グラスを手にした。

 くいっと残りのワインを飲み干す。大男らしい豪快な動作だが、不思議と気品も漂っていた。

 静かにグラスを置いて、


「クオリティを重視しているから、と言い訳する気はないが、撮り師からいただいた動画を公開するまでのスピードが遅いのはかねてからの課題だ。そこが気に入らず離れていった撮り師もいるしな」

「もういっそのこと運営チェック無しにすればいいんじゃないですか?」

「そうもいかねえんだよ。作家でいう編集者みたいな存在が撮り師にも必要なんだ。そうすることでカミノメ全体で動画のクオリティを維持できる。だからこそ人が集まっている。あとは、不正防止だな」

「……ああ。そこは外せないですよね」


 他者のコンテンツを無断転載したり、あまつさえ販売したりする不正利用の脅威はデジタルコンテンツの宿命とも言えるが、それは盗撮動画においても例外ではない。

 カミノメはその点に厳しく取り組んでおり、日向には知る由もないが、不正利用者を特定し裁くための仕組みが整っている。

 その一環として動画データへの小細工があった。たとえば動画のダウンロードを専用のボタンから行えるようにし、そのボタンを押すと当該動画に固有のライセンス情報を挿入。もし動画が転載された場合、埋め込まれたライセンス情報を調べることで、その動画ががわかる。

 詳しい仕組みは日向も知らない。ジン曰く、企業秘密とのこと。


「ともあれカミノメも盛り上がってきてるからな。うちが遅れていては話にならない。鋭意改善に取り組ませてもらう」

「期待してます」


 そこでいったん会話が途絶える。

 ジンはソファーから立ち上がり、グラスとボトルを手に持った。ボトルを冷蔵庫にしまい、グラスをキッチンに運ぶ。


「そういえば日向よぅ」

「はい」


 キッチンをはさんで会話が飛び交う。


「さっきの動画にはお前の彼女が映ってない、と考えていいんだよな?」

「構いません。あと彼女じゃないです」


 ジンが茶化すのは祐理についてであった。

 元々ジンは日向の出身である児童養護施設『村上学校』の施設長、村上烈むらかみれつと顔なじみであり、烈に対しては『プロのトレーサーパルクール実践者を目指す日向の面倒を見る』という設定になっている。実際はこうして盗撮で金儲けをしているのだが、ともあれ幼少期の日向を知っていた。無論、そばにいた祐理も。


「おちょくってやろうと思ったが、全然照れねえなお前。可愛げがねえ」

「同級生女子の盗撮に勤しむ高校生に可愛げを求められても困ります」

「はっ、ブレねえな。……それでもあの子を盗撮対象コンテンツにするのは気が引けるんだよな?」

「妹みたいなものですからね」

「怪物にはあるまじき台詞だな」

「俺を何だと思ってるんですか……」


 正真正銘の怪物だろ、とは言わなかった。


 ジンは日向を弟のように可愛がっている。出来ることなら幸せになってほしいとも。日向が持つ超高校級の身体能力と、スリルを求めているようにも見える感性は危険だ。自らの身を滅ぼしかねない。

 祐理という存在は、そんな毒を和らげてくれる。だからこそ烈も二人暮らしを許したのだろう。

 ジンはそう捉えていた。


「ひとまず用は終わりました。他になければ帰ります」


 日向につられて壁時計に目をやると、時刻は午後十時に迫っていた。


「ああ。お疲れさん。今後はチャットベースでいいんだよな?」

「はい。何かあったら遠慮無く教えてください。必要なら足も運びます」

「ワームホール様様さまさまだな」


 ワームホールの導入により、日向とジンは動画データを直接手渡しする手間から解放される。通常のクラウドサービスではこうはいかない。ワームホールというアングラ御用達の超高価サービスだからこそできることだった。


「了解した。じゃあな」

「失礼します」


 日向は一礼した後、ジンの部屋を去った。

 グラスを洗い、リビングに戻ってきたジンはソファーにどかっと腰を下ろし、独りちる。


「アイツは将来どんな化け物になるんだろうな。あるいは祐理ちゃんとやらが抑止してくれるのか。望ましいのは後者だが――前者を見てみたい気もする」

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