4 番人と部外者

 昼休憩。日向はリュックを持って教室を出た。

 祐理が追いかけてくる様子はない。ゲーム機片手のメガネ男子集団に混じっているようだ。祐理はクラスメイトに興味津々で、休憩時間中も男女問わず声を掛けては会話を交わしていた。


 図書室に向かう。今日はカウンター当番だった。

 廊下の途中で志乃と出会う。


「あ、渡会くん。お久しぶりです」

「ああ。久しぶり」


 東雲志乃しののめしの。隣のB組に属する女子で、日向と同じ図書委員であり当番のペアでもある。

 女子中学生とも見間違えられそうな童顔に、お下げの髪をちょこんと垂らし、制服も学校紹介パンフレットの見本みたくきっちりと着ている。開放的な春高でも数少ない、膝下スカートだ。

 並んで歩く。


「あの、ゴールデンウィークは……いかがお過ごしでしたか?」


 てっきり沈黙から始まるかと思いきや、やけに積極的だ。その割には顔が強張っているが。


「東雲さん。堅い堅い」


 苦笑を返してみると、志乃は顔を赤くする。


「す、すいません……。その、緊張しちゃって……」

「俺なんかに緊張しなくてもいいって」


 相変わらずの人見知りだと日向は思った。その紅潮に隠された意味には気付かない。


「のんびりトレーニングして過ごしてたよ。東雲さんは?」


 実際は大阪の練習会で盗撮と真剣勝負を繰り広げていたわけで、どう捉えてものんびりではないのだが。


「私は古本屋さん巡りをしていました」

「へぇ、楽しそうだ」

「それと以前渡会くんに教えていただいたビブリオバトルも、一度ですけど参加してきました」

「ビブリオ、バトル?」


 日向が首を傾げると、志乃は頬を膨らませて、


「渡会くんが教えてくれたことじゃないですかっ! もう忘れたんですか?」

「そうだっけ?」

「インターネットで外の世界のことがわかる、という話です」

「……ああ」


 そういえば偉そうに講釈を垂れたことがあったような気がする、と日向は他人事のように思い出す。


「本の感想を共有することがあんなに楽しいことだとは思いませんでした。お友達もできたんです。LIMEも交換しちゃって」


 志乃が嬉しそうに話す。

 好きなことになると緊張など吹き飛ぶらしい。むしろ声量が大きめで道行く生徒からちらちら見られるほどだ。


 そういうしているうちに図書室に到着。

 カウンター前に新刊を並べている先生がこちらを向く。


「あら、仲良いわね」


 司書の山下先生だ。

 相変わらず地味な格好でありながら、一目で美人とわかるオーラを放っている。『図書館の番人』らしくルールには律儀で小声だったが、その麗しい顔が少しニヤついているのは気のせいか。


「偶然遭遇しただけです」

「遭遇? 志乃ちゃんのことが嫌いなの?」


 突然そんな質問をぶつけてくる意味がわからず、志乃を見ていると、悲しそうに顔を伏せていた。


「別に嫌いというわけではないですけど。いやむしろ好ましいくらいです」


 どっかの幼なじみとは違ってやかましくもなければ、どっかのトップトレーサーの妹とも違ってあたりがきついわけでもない。

 もし仮に誰かと同棲しなければならないとしたら、日向は迷うことなく志乃を選ぶ。


「ほ、本当ですかっ?」


 志乃が顔を上げた。少し赤面しながらも、どこか嬉しそうだ。

 赤面の理由を考える。台詞として堂々と発言したことが気恥ずかしいのか。それとも友達が少ないからたとえ相手が冴えない男子であっても嬉しいのか。志乃の気持ちをそんな風に捉えていると、前方からため息。


「渡会君もまだまだね」

「はぁ」

「そっちに気付いてないのもそうだし、言葉の意味にも疎いわ。図書委員なのにね」

「話がよくわからないんですが……」

「遭遇、の意味よ。この言葉に含まれる『遭う』という言葉は、好ましくないことに出会うという意味があるのよ」

「……ああ、なるほど」


 志乃と出会ったのは好ましくないことだった、と言っているようなものだったか、と日向は一人納得する。といっても罪悪感は無い。日向は他人からどう思われるかなど気にもしない。


「ふふっ。先は長そうね」


 山下は志乃に向き直り、ウインクも交えて言う。


「頑張りなさいな」

「もうっ! からかわないでくださいっ!」

「志乃ちゃん。声」

「……すいません」


 私語は小声で、のルールに従い志乃をたしなめた後、山下は書架の方へと去っていった。


「当番。俺からでいい?」

「あ、はい」


 興味もないやりとりはスルーして用件を言い渡す。

 カウンター当番は前半後半に分かれて一人ずつ行うことになっている。交代で昼食を食べるためで、当番をしていない側はカウンター奥のテーブルで食べる。

 日向は特に順序にこだわりを持たないが、話し合うのはだるいため、自分から即決する形を取っていた。志乃も特に不満は無いらしい。


 日向がカウンターに座り、志乃が背後のテーブルに腰掛ける。

 利用者は来ない。元々春高の図書室は閑散としており、昼休憩も数えるほどしか来ないのが普通だった。

 日向は背中から視線を感じつつ、また、弁当が開封され食事が始まったことを示すかすかな咀嚼音をも捉えつつも、考え事――直近の盗撮活動に意識を投じていた。

 その最中、聞き慣れた快活が耳に刺さる。


「やっほー、ひーなたっ」


 見るまでもないが、顔を上げてみると、祐理がいつもの笑顔を浮かべていた。


「……本を借りに来たのか? 利用前には図書カードの作成が必要だぞ。そっちの申請用紙に――」

「ううん? 遊びに来ただけだよ? あっ、あの子はっ!?」


 日向が言葉を返す前に、祐理がカウンターから身を乗り出す。豊かな胸部がバランスボールみたく圧縮されていた。


「志乃ちゃんだっ!」


 がたっと後方から席を立つ音。


「……一ノ瀬、さん?」


 そういえば二人は知り合いだったか。以前夕食時に話題になったことがあった。祐理は友達だと言っていたが、いつ、どこでどのように出会ったのだろうか。

 それはともかく、沙弥香のように祐理を繋ぎ止める友人の一人にでもなってくれれば楽なのだが、と日向が考えていると、


「転入生。声が大きいわよ」


 小声だが威圧感のある声。山下先生だった。


「え、あっ……ごめんなさい」

「図書室は本を読む場所よ。私語がしたいのなら外でしなさいね」


 美人であるにもかかわらず、いや、美人だからこそ際立つ注意の迫力。なるほど生徒が遠のくわけだ、と日向は感心する。


「――日向、外行こうよ。お弁当まだでしょ?」

「カウンター当番中なんだが。教室で沙弥香とでも食べればいいだろ」

「だって日向といたいんだもん」


 さらっと距離感の近い台詞を言ってのける祐理のそばで、山下が「ははぁん?」とでも言いたそうな表情を浮かべた。


「二人は仲が良いみたいね?」

「はいっ。付き合っています!」

「付き合っているっ!?」


 背後で志乃が声を荒げた。


「志乃ちゃん、声」

「す、すみません。でも……」


 ちらりと視線を向けられる日向。何をそんなに驚いているのか日向は理解しかねたが、否定はしておく。


「ただの幼なじみだ」

「近いうちに付き合うもんっ」

「ない。というかそのネタやめろ。ことあるごとに恋人面しやがって」

「だってー……」


 日向の一蹴に照れや遠慮は無く、祐理は露骨に項垂れた。

 そんな祐理の肩を山下はぽんぽんと叩き、


「とにかく、二人はカウンター当番だから雑談はダメよ。話したいなら後にしなさい」

「うー……わかりました」


 渋々といった面持ちで祐理は出て行った。


「手強そうね」


 ぽつりと山下が呟く。志乃に向けられた言葉のようだ。志乃は恥ずかしそうに顔を伏せていた。

 そんな志乃を一目見た後、「それじゃ当番お願いね」山下も図書室を後にした。


「なんか悪かったね。やかましい奴なんだよ」

「……あ、あの」

「ん?」

「お二人は、その、どんなご関係なんですか?」

「だから幼なじみだけど……東雲さん?」


 志乃はなぜかカウンターの受付席に腰を下ろした。


「前半は俺の番だよね。交代してほしい?」

「その割にはずいぶんと好意をもたれているように見えました」

「東雲さん?」

「本当にただの幼なじみなんですか? 渡会くんも一ノ瀬さんのことが好きだったりするんじゃないですか?」


(やけに食いつくなぁ)


 その前のめりな相貌と姿勢に、日向は若干ひいていた。


「早く弁当食べないと。時間なくなるよ?」

「私はお二人について知りたいんです」


 日向はため息をついてみせたが、志乃はひるまなかった。

 結局前半――昼休憩の半分が過ぎるまで志乃と肩を並べ、その意図がちっともわからないまま、主に幼なじみとの仲についてしつこく訊かれたのだった。

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