2 転入生
「突然だが転入生を紹介するぞ。入れ」
日向が窓側最後尾を陣取る二年A組の教室、その喧噪は、担任の一言でぴたりと止んだ。
視線が殺到する先、教室前方のドアががらりと開く。
軽やかな足取りで入ってきたのは一人の女子。
短めのスカートをひらひらとたなびかせながら、堂々と教卓の前に立つ。
ばんっと両手をついて注目を集めた後、右手を挙げて、
「
にこにこと明るい笑顔で、ぺこぺこと可愛らしくお辞儀をする。最後の下りで笑いも取っており、さすがは祐理だなと日向は冷めた目で観察していた。
担任は面食らいながら、
「お、おう、元気がいいのは結構だが、赤点を目標にされると先生としては不安だな」
「えへへ、ですよねー」
さらに笑いが生まれ、あちこちで感心や感動の声が漏れる。
感動しているのは男子だ。日向はすっかり見慣れているが、小中でも大人気だった容姿は健在で、ブラウスを押し上げる胸部や肉付きの良い太もも――日向の位置からはほとんど見えないが――が眩しい。
「沙弥香の負けだな」
「琢磨うっさい」
「ワイはさやちんを推すで」
「誠司もうっさい」
最前列に座るトップカースト達もはしゃいでいたが、その中心にいた沙弥香が祐理と目を合わせたことを日向は見逃さなかった。
何のアイコンタクトを送っているのかは知らないが、二人が知り合いであることさえもわからないようなさりげなさだった。二人の関係性はいつ、どこで暴露するのだろうかと日向は思った。
「それじゃ一ノ瀬の席だが――」
「せんせー、オレの膝の上でいいよー」
春高屈指のイケメンである琢磨が早速爽やかに割り込んで笑いを誘い、
「バカ言うなよ佐久間」
担任が苦笑したが、直後。
「えっと、佐久間くん? タイプじゃないからごめんねー」
その祐理の一言で教室内が爆笑した。「だははっ! タクマン振られてんで!」「一ノ瀬さんグッジョブ」そんな喧噪の中でも、日向は無表情でただただ眺めていた。
日向は祐理の言動に注目していた。
自分に対してどんなコミュニケーションを取ってくるか。それ次第で日向への注目度ががらりと変わる。
一応他人を演じるように、とは伝えてはいるが、祐理が従ってくれるイメージはまるで湧かない。それでも最悪の事態――たとえば一緒に暮らしていることがうっかり漏れてしまわないよう、神経を尖らせているのだった。
「なあなあ、ほんならワイはどうや? この筋肉見てみ? 触りとうないか?」
「うーん。別に」
「でもタイプやろ?」
「全然」
なおも絶えない騒々しさだったが、続く祐理の一言で日向は冷や汗をかくことになる。
「それに筋肉ならひな――あ」
「ひな?」
「ひ、ひなんだよっ! 先生、避難訓練ってあるんですか!?」
「避難訓練?」
担任を始め教室内がきょとんとする中、二人だけはその意味がわかっていた。
(おいバカ祐理、今何言おうとした?)
思わず胸中で毒づく日向だったが、若干一名から視線を向けられていることに気付く。沙弥香だ。とりあえず気付かないふりをした。
「せんせー、早くホームルームを進めてよ」
沙弥香が助け船を出し、担任が改めて祐理の座席を言い渡す。
「そうだな、ちょうど空いてるし、渡会の隣にするか。――渡会、手を挙げろ」
日向と祐理が同じ施設の出身であることは共有されているはずだが、担任はごく自然に隠せている。日向は感心しつつも手を挙げたが、すぐに頭を切り替え、反論する。
「先生。転入生の席は新井さんのそばが良いと思います」
「おお、どうした渡会。珍しいな」
普段の日向は地味で寡黙な男子であり、衆人環視の場で自分から喋ることはほとんど無かった。
「出席番号で言えば彼女は新井さんの次ですし、何より僕が緊張しすぎてメンタルが
頬をぽりぽりとかきつつ、適度におろおろしてみせつつ、と言動でも説得力を持たせる日向。祐理が少しだけ頬を膨らませていたが無視した。
「そうか。なら新井の後ろにしようか。内海から一席ずつ下がってスペースを――」
「待ってよせんせー。そんな勝手な真似が許されるわけないじゃん」
突如割り込んだのは沙弥香だった。
席を立ち、最も遠く離れた席にいる日向を指差す。
「転校生は一番後ろの席に着くのが常識よね。だってそうしないと今の座席レイアウトが崩れるもん。せんせーもそうするつもりだったんでしょ? それを緊張するから変えてほしい? 勝手なこと言ってんじゃないわよ」
後半は日向を睨みながらの台詞だ。
「勝手じゃないよ新井さん」
「気持ち悪いわね。何よ。文句あんの?」
「ありますよ。華やかな新井さんにはわからないでしょうが、世の中には女子に対して過剰に緊張して、勉強にも手がつかなくなってしまうような奥手な男子もいるんです。配慮してほしい、とそう言っているだけです」
「ぬけぬけと……。何考えてんのか知らないけど、普通に受け入れたらいいじゃない。相変わらずアンタはよくわかんないわ」
沙弥香は嘆息し、アンタはどうなのよと言わんばかりに祐理を見る。
祐理は一瞬ニヤりと笑みを浮かべて、
「わたしは渡会くんの隣がいいなー。苦手ならリハビリに付き合ってあげるよ。その代わり、校内の案内とかしてくれると嬉しいかな」
「ぐっ……」
ふざけるな、と言いたいところだが、緊張キャラをつくってしまったのは日向である。はきはきと反論するわけにはいかない。
そうでなくとも、クラスで一番派手で人当たりのきつい沙弥香に対して、ああも堂々と反論してしまっている。琢磨や誠司はもちろん、クラスメイトの見る目が変わっていることに日向は気付いていた。
どうしたものかと考えて、ふと妙案を思いつく。
「えっと、一ノ瀬さん」
「……なあに?」
他人行儀な呼び方に不服を示す祐理に対し、日向はさっき起きたことの
「一目惚れしました。あなたのことが好きです。僕と付き合ってください」
日向が頭を下げると、教室内の空気が固まった。
(これでどうだ?)
そもそも祐理がおとなしく言うことを聞くことなどありえないのだ。
だったら周囲の力を――空気を利用して、そうせざるをえない状況に持っていく。祐理はなんだかんだ空気を読むタイプだ。この衆人環視での真面目な告白を、祐理は断るに違いない。そして日向はいきなり告白した地味男として悪目立ちする。教室という空気が、雰囲気が、祐理との距離を引き離してくれるのに一役買う。日向は気にもしないが、祐理は抗えないだろう。
日向はそう考えていたが、
「うん。いいよ」
「――は?」
顔を上げると、祐理はなぜか真剣な面持ちだった。
「わたしも日向のことが好き」
にわかに教室がざわつく中、日向は面食らっていた。
(真剣な雰囲気までつくってみせて乗ってきた? 何考えてやがる!?)
日向は考える。
人なつっこい幼なじみをどうやったら遠ざけることができるか。
今の状況からどう打開できるのか。
しかし何も思い浮かばないどころか、心の奥底では既に諦めを意識し始めていた。
「あーもうっ!」
叫んだのは沙弥香だ。
「なんで二人ともそんなに他人行儀なのよ! いつもどおりにしてればいいじゃない! 見ていてイライラすんのよ!」
中途半端な茶番に鉄槌が下された。
日向は諦めたとばかりに腰を下ろしてため息をつく。一方で祐理は明るい笑みを浮かべて「ありがと沙弥香ちゃん」まず沙弥香との仲を明かした後、いつもの人懐っこさで日向のもとに走り寄った。
「ひーなたっ!」
机が無いからか、膝の上に座ろうとしてくる祐理。
「あー、わかったわかった。俺が悪かったから。ひっつくな」
そんな祐理を押し退けながら、好奇の視線に晒されていることを痛感する日向だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます