2 勝負の裏で
練習会を終えた祐理と沙弥香が国際庭園の外に出たところで、大きな出入口に鉄門が敷かれた。
他に参加者はいない。ベテラン勢が集まるライジ宅へのお泊まり組、意気投合した初中級者によるファミレス組、女性参加者が大半を占める帰宅組の三手に分かれ、既に解散している。
沙弥香が鉄門越しに中を覗く。何かを疑っているような目つきだった。
「沙弥香ちゃん、帰らないの?」
「お兄ちゃんを待つわ。先に帰ってていいわよ」
新太の手配でホテルを予約している。
日向が一部屋、祐理が一部屋、そして沙弥香と新太がスイートルームで一部屋だ。
「じゃあわたしも待つー」
祐理は自分と日向分の荷物を置き、その場に腰を下ろした。
日向のリュックを開き、物色してみる。
「およっ、これはなんぞー?」
ビニール袋に入った何か。
手を入れてみると、湿った感触。取り出したそれはスウェットだった。
「こんなに動いてたっけ……?」
「ん? 何?」
「ううん。日向のジャージ。すっごく汗かいてるけど、そんなに動いてたっけなーって思っただけ」
「アタシも覚えはないわね……。一人でどっか行ってたみたいだし、こっそり遊んでたんじゃない? アイツ、みんなに混じって遊ぶの苦手そうだし」
兄がすぐには戻ってこないと思ったのか、沙弥香も祐理の隣に腰を下ろす。
「んー、そうでもないんだけどなー」
沙弥香のイメージは普段ぼっちで過ごしている日向だが、祐理のイメージは公園で子供達と遊んでいる日向だった。
「ってアンタ、何してんの?」
「日向の匂いを嗅いでる」
祐理は日向のジャージを広げて顔に押し当てていた。
「臭そうね」
沙弥香がうげえとでも言いたそうな顔をした。
「わたしは好きだよー。沙弥香ちゃんも新太さんのとか好きでしょ?」
「そうね。お兄ちゃんが風呂に入った後はよく――って何を言わせるのよ!」
「沙弥香ちゃんもエッチですなぁ」
アンタもやってるのか、とは言わず沙弥香は恥ずかしそうに黙りこくった。
その隣で祐理はリュックを物色し続けている。
続いて取り出したのはカメラ。
重さが一キロ近くはありそうな高級な代物だ。
「カメラ……?」
祐理が首を傾げる。
「今日は構えてなかったわよね」
「うん。というか日向ってカメラ使わないんだよねー……」
トレーサーは自分の動画をつくる関係上、撮影には何かとこだわり、それゆえ詳しくなりがちだが、日向がカメラを使っている光景は見たことがない。
日向ほどの実力者なら、少なくとも自らを撮影して研究や改善に役立てるはずだが、
――自分がどう動いてるかはわかる。
以前そんなことを言っていたのを祐理は思い出していた。
「何を撮ってるのかな」
電源を入れ、横に向いた三角のボタンを押してデータ閲覧モードに入る。
ずらりと表示された写真は――鶴見緑地の風景。というより一部の地形や建造物を映したものばかりだった。
人は映っていないどころか、意識的に排除しているようにさえ見える。
「何これ、スポットの写真?」
「たぶん」
「パルクールバカね」
「これ、スポットというより障害物に注目してるかも」
「……確かに、場所というよりは壁とか
「そういえば日向、障害物フェチって言ってたよ。パルクールで面白く遊べそうな物を見ると興奮するって」
ちなみに飛び越えたり登ったりする対象のことをパルクールでは『障害物』と呼ぶ。
「訂正するわ。変態ね」
本人の知らないところで変態扱いされる日向だが、この反応は狙い通りだ。
障害物フェチという設定を仕込んだことも、障害物の写真を保存していたのも、全ては――特に祐理に対して――盗撮をカモフラージュするため。
今日、日向が盗撮した戦果は別のSDカードに記録されており、それは日向自身が肌身離さず持っていた。
日向は誰かに見られるというヘマをするタイプではない。どころか祐理に持ち物を物色されることも想定するほど用心深かった。
祐理はしばらく写真を見ていたが、フェチでも何でもないためすぐに飽きた。
カメラの電源を切ってリュックに戻した後、しばしのんびりしていたが、手持ち無沙汰なのが耐えられず沙弥香に話しかける。
「新太さん、なんか遅いねー」
「色々後処理があるらしいわ。にしても遅いわね」
「だ、だよねー……日向も先に帰っちゃうし」
白々しさが漂うのは、嘘をついているからだ。
今頃日向は新太と真剣勝負の真っ最中だろう。
「――ねぇ祐理」
「な、何っ!? どうしたのっ?」
「何そんなに慌ててんのよ……臭わない?」
「わたし? 制汗スプレーはしたよ?」
「そうじゃなくて二人のことよ。渡会は本当に先に帰ったの? お兄ちゃんがいう後処理って何? 挨拶して終わりじゃないの?」
「さ、さあ? どうなんだろうね?」
視線を逸らしながら、祐理はとぼけてみせる。
そんな祐理を見て沙弥香は「はぁ」と嘆息。スッと立ち上がる。
びくっとして見上げた祐理には構わず、鉄門の隅で雑談する係員二人に「ねぇおじさん」話しかけていた。
「お兄ちゃんがまだ帰ってきてないんだけど、通してもらえないかしら?」
「ダメだよ。もう閉園だ」
「でもお兄ちゃんがまだ――」
「新井新太君の妹さん?」
兄の名前が出てきたことが意外だったが、沙弥香はすぐに持ち直し「ええ」頷いた。
「なら心配は要らないよ。新太君一人で延長申請を出している。本来なら個人での延長はできないんだけど、彼には世話になっているからね」
新太は以前、鶴見緑地でパルクールイベントを開催して大いに盛り上げたり、テレビ番組出演時に鶴見緑地の良さをコメントしたりしている。そうでなくとも、元々トレーサーらが好き勝手に鶴見緑地でパルクールを行い、スポットの汚損や破損を起こして問題になっていた件を見事解決した実績もあった。
新太の名前と顔は、職員全員に知れ渡っている。
「なら付き添いということで許可してください」
「悪いけどダメだよ。例外は認められない」
一蹴する係員を睨む沙弥香。その胸中には疑念が広がっていた。
「どうしたの?」
突如、背後から女性の声。
振り返ると、リイサだった。
「全員見送ってきたところよ。私は二人と過ごしたいから」
リイサは他の女性参加者全員を牽引して見送ってきたところだった。
現状がリイサにも共有される。
リイサも交えて、改めて係員に入場の許可を求めたが、それでも係員は首を縦に振らなかった。
顔見知りのリイサ――リイサもまた鶴見緑地でのイベントやら何やらで親交があった――でも通らないとなると、為す術がない。二人はいったん引き下がった。
少し離れたところで地べたに座り、祐理も含めて顔を突き合わせる。
「私も怪しいと思う」
リイサは新太が日向に何やら持ちかけている光景を見ている。そこには祐理もいて、おそらく事情を知っていると思われるが、その時訊いた時は誤魔化された。
リイサが祐理をじろりと睨むと、祐理はばつが悪そうに目を逸らした。
(――もしかして本当に勝負をしている?)
相手はあの新太だ。勝負になるはずがない。
しかし、その新太がわざわざ持ちかけていたのだし、そもそも祐理は両者の実力差を全く疑っていない。
私が知らないだけで、本当は凄腕のトレーサーなのだろうか、とくすぶっていた疑念が燃え上がろうとしていた。
「何とかして中に入れないかしら?」
「難しいと思う。私でもダメだったから」
リイサはちらりと周囲を確認した後、言う。
「でも一つだけ方法があるよ」
祐理と沙弥香にちょいちょいと手招きをする。
二人が距離を詰め耳を寄せてきたところで、
「――強行突破するの。そんで捕まらないようガーデンまで突っ走る」
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