最終章
1 世話
スポーツテスト結果配布の翌日、その昼休憩。
日向は図書室にてカウンター当番に勤しんでいた。
「渡会君は、その……どんな本を読むんですか?」
隣にはもう一人の当番――
本来なら前半と後半と分け、一人が当番、もう一人は後方のスペースで昼食、という分担のはずだが、志乃は自分の食事時間を削ってまで日向の隣にいた。それは好意があるからこそだが、鈍感な日向は気付かない。
「お昼ご飯まだでしょ、東雲さん。食べなくていいの?」
日向は質問には答えず、小声で応じた。
図書室は何かと利用ルールが厳しく、後方の待機部屋を除き飲食は認められていない。どころか談笑も許されておらず、会話も小声で必要最小限に、がルールだった。
「わ、渡会君と、話したいから……」
「ふうん。物好きだね。俺なんかと」
「渡会君だからこそ、なんですよぅ……」
顔を赤くし、もじもじとする志乃。照れているのは明らかなのだが、日向はまさか自分が好意を抱かれるとは夢にも思っておらず、「人見知りなんだね」的外れなコメントをする。
「私、男子は苦手なんですけど、渡会君となら話せるんです」
「俺がぼっちだから?」
「それもありますけど」
「あるんだ」
盗撮活動がメインの日向にとって対人関係は邪魔でしかない。
嫌われようと自虐に走ってみたのだが、効果は無さそうだ。
「なんていうか、他の男子とは違うというか――安心できるんですよね」
「そうなんだ、ははは……」
日向は苦笑する。
どこを気に入られたのかはてんで見当もつかないが、日向の本質は撮り師である。志乃の下半身も既に盗撮している。見る目が無いんじゃなかろうか、と内心でも苦笑した。
「去年からずっと見てたんです」
「……俺を?」
「はい。いつも西側の端っこで本を読んでましたよね。こうやって手に持って、背筋も伸ばして」
日向は去年からこまめに図書室を利用していた。
しかしそれは本を読むためではなく、スマホで盗撮動画投稿サイト『カミノメ』を読むためである。その際、スマホをそのまま使っていては注意されてしまうため、本をスマホを隠すように持って、あたかも読書しているように見せていた。西側の隅をキープしていたのも、後方から覗かれるのを防ぐためだ。
「絵になってるなぁって、
(見惚れる、か……)
日向はてっきり親近感を抱かれているのかと思っていたが、そうではないらしい。
「どんなところに見惚れたの?」
「えっ、いや、その……」
「今までそんな風に言われたことがなくてさ、嬉しかったから。参考までに詳しく知りたいなって。ダメかな?」
「だ、だめではない、ですけど……」
顔を覗き込むように尋ねる日向を見て、目が合うと、志乃はすぐに逸らす。
お下げの髪が揺れる。ふわりといい匂いも漂ってきた。
「えっと、なんていうか……美しかったんです。こうやって本を読んでいる姿勢をずっとキープしてて、まるで彫刻みたいと言いますか……」
「親の
適当に誤魔化しつつ、日向は内心で警戒レベルを上げる。
(彼女は鋭い)
日向は確かに読書のカモフラージュ中、お手本のような姿勢をずっと崩さなかった。
それは同じ姿勢を微動だにさせず保ち続ける体幹、注意力、集中力――それらを鍛えるトレーニングの一環なのだが、志乃はそんな日向に見惚れたと言った。
卓越した身体的安定感には美が宿る。
逆を言えば、美しいと感じられた振る舞いには卓越した
日向は注目を避けるため、昨日の
ただ、それでは体が鈍ってしまうため、目立たない程度にトレーニングを差し込んでいるのだが。
(彼女には勘付かれるかもしれない)
日向は志乃の観察眼と感性に感心していた。
「そうなんですね。何かスポーツとかされているんですか?」
「スポーツというより筋トレをやってるよ」
厳密に言えば筋トレだけではないのだが、あえて隠さずに応えた。
そもそも今更隠しても意味はない。先々週の図書室リニューアル作業にて、日向は常人以上の力仕事を見せてしまっている。交友関係の乏しい、というより皆無な志乃であれば誰かに漏らすこともあるまい――そう判断してのことだ。
「かっこいいです……」
「このことは誰にも言わないでね。あまり目立ちたくないから」
一応念を押す。
「はい。二人だけの秘密……ですね」
なぜか志乃が嬉しそうにしているのがよくわからないが、快諾なのは間違いない。
(東雲志乃はクリアかな)
学校生活における懸念が一つ解消され、日向は胸中で一息つく。
そんなきりのいいタイミングで貸出依頼が来た。
日向は図書カードを受け取り、対応を済ませる。デジタルな管理システムがあればバーコードで一発なのに、と不満に思わないでもないが、元々利用者は少ないし、何より司書の山下先生がデジタルを嫌っているらしく、デジタル化は期待できそうにない。
対応を済ませた後、再び手持ち無沙汰になる。
「東雲さんは、本を読むのが好きなんだよね?」
「……はい。大好きです」
にぱっと満面の笑みを浮かべる志乃。
地味な印象の女子だが、その童顔の笑顔は無邪気で、守ってあげたくなるような可愛らしさがある。
どんな下着を付けているんだろう。
ブラは?
あそこは生えてるのか?
日向は下品な想像を浮かべる。
志乃は日向にとって
「どんな本を読むの?」
「どんな、と言われると困るんですけど、基本的には雑食で、色々読みますね。最近読んだのは――」
日向は自分から誰かに話しかけるようなタイプではない。
そもそも人に興味がない。沈黙が訪れようが、ノリが悪いと避けられようが知ったことではなかったし、むしろ望んでさえいる。
そんな日向がわざわざ志乃に話を振ったのは、情報収集のためだった。
東雲志乃というコンテンツを、そのポテンシャルを見逃すわけにはいかない。最大限生かすためには情報が必要だ。
話は半永久的に続きそうな勢いだったが、ふと志乃が切り上げる。
「あ、あの……」
「ん? どうかした?」
恐る恐るという様子で志乃が口を開く。
「その、ご迷惑では、なかったでしょうか……」
自分が一方的に喋りすぎたことに気付いたようだ。
「私、本のことになると暴走しちゃって……」
両手で顔を覆う志乃を見て、日向はどう答えるべきか迷っていたが、
(配慮するのが面倒くさいな)
そもそもきめ細かい配慮が行えるほど日向は対人要領に優れていない。そこにリソースを削いでも非効率的だ。
なら、正直に答えてしまえばいい。それで嫌われてしまえば、それはその時である。
「確かに暴走してたね」
「うぅ……ごめんなさい」
「でも、いいんじゃないかな」
志乃がちらりと視線を寄越してくる。
「それだけ本が好きってことでしょ。そりゃ人と接するなら分別は必要だけど、本が好きな自分まで否定することはないよ」
「そう、なのかな……。でも私、未だに友達もいなくて。本を我慢してまでみんなに付き合うのが苦痛なんです。でもそうしないといけないんだよね……」
「え? なんで?」
志乃が目をぱちくりとさせた。
いつもならすぐに逸らされる、その双眸には、好奇と不安が内在していた。
「みんなと仲良くしなきゃいけない? 友達がいなきゃいけない? 誰がそう決めたの?」
「だ、誰というか、一般常識というか……」
「それって自分が決めたこと?」
志乃がふるふると首を横に振ると、「だよね」と日向は続ける。
「これは俺の意見だけど、俺は自分が決めたことに従えばいいと思う。自分の人生は自分のものだし、自分のことを一番よくわかってるのも自分だ」
日向は物心付く前から施設にいたが、当時から浮いていた。
協調性がない、自分勝手すぎる、素直になりなさい、一人は一人では生きていけない――施設長を始め、色んな大人から諭された。
それで皆に歩み寄ったこともあったが、別に楽しくもなかったし、その割には向いていないようで、合わせるのに過剰な努力と負担を要した。
だから日向は捨てた。
自分を楽しみ、満足させる――自分のために生きようと決めたのだ。
浮いてしまっても。
友達ができなくても。
ハブられても。
いじめられても。
頑なに自分を貫いてきた。
志乃の姿は、当時の幼かった自分を思い出させる。
「俺は女子と付き合ったことがない。どころか学校で友達ができたこともない。ひとりぼっちはダメだぞ、もっと努力しなさい、と先生に注意されたこともある。でも俺はそれでいいと思ってる。俺にはやりたいことがあるから。貴重な人生を、くだらない人付き合いにくれてやるほどお人好しじゃない」
「それは渡会くんが強いから言えることだよ……。私は弱いもん」
「弱いのは鍛えてないからでしょ」
「私は女の子だもん。強くはなれない」
「はぁ」
日向は嘆息した。
当たり前のようにストイックに努力を重ねる日向は、大した努力もせず言い訳を並べる類の人間を嫌悪している。志乃のこともすぐに見捨てたい衝動に駆られた。
しかし、見たところ努力のやり方がわからないのだろう。
「ちょっとそこどいて」
背中だけは押してやろうと思った。
「え、何……?」
「パソコン。ちょっと使うから」
日向は慣れた手つきでブラウザを開き、検索サイトでとある単語を検索した。やがて一つの動画を表示する。
それは、とある日本人女性トレーサーの動画だった。
音声をミュートにしてから再生させる。
「パルクールって知ってる?」
「言葉は聞いたことあります。道具を使わず、自分の肉体だけであちこち飛び越えたりするんですよね」
「うん。本当はパフォーマンスというよりも、自分を鍛えて制御するという概念やマインドなんだけど――まあ定義はさておき、パルクールは男がやるものだというイメージがあったんだ」
身長を超える壁を軽々と登る。
柵の並んでエリアをリズミカルに飛び越える。くぐる。
段差から飛び降りるタイミングで宙返り《フリップ》を織り交ぜる――
動画の女性はダイナミックに動き回っていた。
「彼女はパルクールが大好きだったんだけど、そんなイメージのせいでずいぶんと苦労してきてね。はしたないとか、野蛮とか、親からも友達からも言われたらしいよ」
「……」
突然始まった日向の講釈だが、志乃は真剣に聞き、また動画を視ていた。
「普通の女性ならそこで折れるんだけど、彼女は折れなかった。本当にパルクールが好きだったから」
日向は彼女のストーリーをしばし語った。
「――今ではたくさんの仲間がいて幸せそうだよ。どころか同じような人を助けるために、女性向けのパルクール練習会も主催してる。彼女が自ら進んだからこそ成し得たことだ。もし周囲が押しつけてくる常識とかいう偏見に従ってたら、こうはならずに今頃も後悔しながら人生を過ごしてたと思う」
一通り説明を終えたところで、志乃は一言、「……すごい」ぽつりと感想を漏らした。
「といってもさすがにこのレベルになると才能とか運も絡んでくるだろうけどね。もっと手頃なヒントが欲しいところだ。そうだな、東雲さんは本が好きだから――」
固まったまま何かを考え込んでいる志乃に対し、日向は引き続き検索に勤しむ。
しばらくして志乃に声を掛けた。
「こういうのはどうかな?」
「は、はいっ!?」
びくっと震えた志乃のリアクションはスルーして、画面を指差す。
「これは……ビブリオ、バトル?」
「そう。一人五分で本の紹介をして、一番読みたくなる紹介をした人が勝ちというバトル。本好きの東雲さんなら楽しめるじゃない?」
「そんなものが……」
志乃はマウスを手に取り、夢中で画面を読み進めた。
「学校だけが世界じゃない。外に目を向ければ本好きの仲間が見つかるかもしれない。これはほんの一例だけど、行動と努力次第でどうにかなるものだよ。少なくとも俺は今、逆境に打ち勝った女性とネットで仲間を探すこと、という二つのヒントを与えた。あとは東雲さん次第だ」
時計を確認すると、ちょうど昼休憩の半分が過ぎようとしている。
「それじゃ当番は交代だね。俺はメシ食べるから」
志乃の反応を待たずに席を立った。
(……何してんだろうな俺は)
後方の食事スペースに腰を下ろし、がしがしと頭をかいた。
志乃と目が合う。ぺこりと頭を下げられたが、日向は気付かないふりをした。あまり仲良くなっても面倒なだけだ。
それから志乃がこちらを向かなくなったことを確認してから、日向は持参した弁当を食べ始めた。
志乃の後ろ姿を眺めながら、余計なお節介をしてしまった自分を払拭するかのように、今後の盗撮プランを検討し始めた。
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