11 交換条件

 調整コンディショニングをこなす新太の元に一本の電話が入った。妹の沙弥香からだ。


『聞いてよお兄ちゃん。マジでムカつくんだけど』


 いきなり不機嫌丸出しだった。


「そんな言葉を使うものじゃないよ」

『誠にはらわたが煮え繰り返りそうでございます』

「丁寧に言えばいいというものでもないよ」


 苦笑しつつ、トレーニングを中断する。

 生活に差し支えるため、沙弥香にはよほどのことがない限り電話しないようにと念を押している。今はよほどのことなのだろう。聞かないわけにはいかない。


「それで、どうしたの?」


 話をしばし聞く。


「――なるほど。ダントツの成績でありながら隠しているわけね。で、そのことを問い詰めたら家庭の事情を盾に逃げられたと」

『おかしくないっ? スポーツテストの結果を隠さなきゃいけない家庭の事情って何よ? 先生も先生でなんであんなにマジトーンなの? もう意味わかんないっ!』


 新太には一人だけ心当たりがあった。


(日向君だろうな)


 出会いは児童養護施設『村上学校』にパルクールを教えに行った時で。

 変わり者の教え子であり、友人であり、弟のような存在でもある男の子。沙弥香と同じく春日野かすがの高校に通う同級生二年生


(目立つことには興味は無さそうだからなあ。沙弥香に目撃されたのが運の尽きか)


『お兄ちゃん? 聞いてる?』

「ああ、聞いてるよ。しかし沙弥香が男子に執着するとは珍しいね。ブラコンなのに」

『そんなんじゃないわよ。アタシはお兄ちゃんだけよ?』

「それはそれで困るんだけど。いいかげんブラコンは卒業しないか沙弥香」

『お兄ちゃんがなびいてくれたら卒業してあげる』

「その気はないみたいだね……」


 沙弥香は相変わらずブラコンらしい。

 身なりこそ整えてはいるものの、沙弥香曰く憧れの兄に近づくための自分なりの努力でしかないらしく、男にはこれっぽっちも興味が無いとか。

 そんな沙弥香が興味を持ったということは、相当の何かがあるはずで。


(えぐい結果を出したんだろうなあ、日向君)


 おそらくは見慣れた兄に匹敵するか、あるいはそれ以上の。

 沙弥香自身も驚いたに違いない。日向の身体能力は確実に超高校級だし、スタミナなど一部要素において新太をも凌ぐ。


 新太は長電話になる前に切り上げた後、スマホを持つ手をだらりと降ろす。


「これで沙弥香の興味が僕から移ってくれたら嬉しいんだけど――悔しいなあ」


 スマホはぎりぎりと握りしめられていた。






 トレーニングを終わらせてシャワーを浴びた後、新太は日向に電話をかける。


「やあ日向君」

『こんばんは。新太さんから電話とは珍しいですね』

「そうだね。まずは謝っておくよ。妹が迷惑をかけたようで」

『妹……?』


 しばし声が途絶える。ここまで言えば気付くだろう。


『――新井沙弥香、のことですか?』

「そう。僕の妹なんだ」

『……どおりで』

「どおりで、なんだい?」

『少し鬼ごっこをする羽目になったんですが、動きが女子離れしてました。たぶん祐理といい勝負』


 あはは、と新太は笑う。


「祐理ちゃんが君に懐いてたように、沙弥香も僕に懐いてたからねえ」

『その様子だと、もしかして相談というか愚痴というか、共有されてる感じですかね?』

「そうだね。めちゃくちゃ不機嫌だったよ」

『うえぇ……』


 電話越しに露骨な嘆息が漏れてきた。


「日向君は妹にどうして欲しい? 僕が言えば大抵のことは聞いてくれると思うけど」

『そうですね……俺が能力を隠してることを誰にも口外するな、とかでもオッケーですかね』

「うん。問題ないと思うよ」

『……それで。新太さんの要求は何ですか』


 新太が日向の事を知っているように、日向もまた新太のことを知っている。

 親しいとはいえ、無条件に便宜を図るほどお人好しではない。新太は苦笑して、


「ゴールデンウィークの予定は空いてるかい? 大規模なパルクール練習会があるんだけど」


 練習会とは特定の場所にパルクール実践者トレーサーが集まって自由に練習したり交流したりする場のことだ。

 パルクール界隈では当たり前のように全国各地で開催され、運営も個人による無償制から団体による有料制、果ては会員制まで幅が広い。最近は女性向けの練習会も増えてきた。

 ここで新太が言っている練習会とは、ゴールデンウィーク中に開かれる日本最大規模のイベントである。全国各地から実力者が集まるだけでなく、新太のような大物トッププレイヤーも参加する。

 トレーサーなら誰もが参加したい垂涎すいぜんモノのイベントだった。


『空いてないです』


 もっとも日向がそんなことに興味を示さないのはわかっているが。


「じゃあこの件は白紙だね」

『ぐっ……汚いですよ』

「それが社会というものだよ日向君。ウィンウィンと行こうじゃないか」

『俺が練習会に出ても白けるだけですよ。ノリ悪いし、口下手だし、宙返り一つもできないし』

「構わないよ。あー、日向君と練習したいなー」

『何が狙いなんですか……。下手したら俺を招待した新太さんの評価も下がりますよ』


 新太は怯まない。日向の魂胆は筒抜けだ。早速潰しにかかる。


「そう言ってやる気を削ごうとしても無駄だよ。第一トレーサーはみんな心が広いからね、君も個性の一つとして尊重リスペクトされるさ」


 電話から声が途絶えた。


 何やら考え込んでいるようだ。

 どんな面倒くさい人付き合いがあるかを懸念しているのか。それとも新太の意図を図ろうとしているのか。

 前者はともかく、後者についてはわかるはずもない。新太はただ日向を表舞台に引っ張り出して、日向がどんな言動をするのか、あるいは場にどんな化学反応を起こすのかを見たいだけだった。


 十秒経っても言葉が出てこない。相当迷っているらしい。

 新太は追撃を試みる。


「妹とは一年間同じクラスでしょ? 既に目を付けられてるんだよね。この先、学校生活が面倒くさくなるんじゃないかなあ」

『他人事みたいに言って……。確かにその通りです。けど練習会はイヤだ』

かたくなだねえ。なんで嫌がるの? 楽しいよ? 色んなトレーサーがいるし」

『そのトレーサーに興味が無いので』

「……ははっ。日向君らしい」


 一瞬、別の誘い文句――というより『実力で劣るとわかるのが怖い?』と挑発しようとも考えた新太だったが、日向の場合は素で『別に劣っていないので怖くないです』などと返ってきそうだ。

 少しだけ平静でいられなくなる気がして、新太は控えた。


「でもよく考えてみなよ。学校生活の面倒臭さよりはずいぶんとマシだと思うよ。数日付き合うだけだからね」

『ですね』


 即答だった。


『そろそろ活動成果も更新しなきゃいけないし』


 その発言は小言で、いまいち聞き取れなかったが、ともあれ、やる気にはなってくれたらしい。


「参加してくれるんだね?」

『はい。詳しい日時を後で教えてください。あと寝床はホテルにしますからね』


 トレーサーは年齢層が若いということもあり、遠征時の宿泊先を現地トレーサーの自宅にすることが多い。宿泊費を浮かすだけでなく、トレーサー同士で仲を深める目的もある。

 何より圧倒的に楽しい。同じ趣味や志を持つ友人と泊まるのだ。楽しくないはずがない。日向はそんな常識を意図的にへし折ったのだ。


「ああ、それで構わないよ。それじゃ日向君のお願いを聞こうか。うちの妹にどうしてほしい?」

『そうですね――』


 それから日向から要望を聞き終えるのに十分以上を要した。

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