第76話 プレゼント

 案内された部屋は、湖に面したツインルームだった。……そう言えば「若い人に人気の……」と言っていた気がした。人気というだけあって、落ち着いた花柄のベッドカバーと、落ち着いた色調の壁や床。……別に和室じゃないといけない訳では無いんだけど。

 ちらり、と透を見る。

 仲居さんが「ごゆっくり」と部屋を出て行って、扉の閉まる音がした。


「あの、エメラルドグリーンに見えるのが芦ノ湖でしょう?」

「うん、そう……」

「どうしたの、凪。元気ない」

 透が背中から腕を回してくる。頬と頬が重なりそうになる。

「ここ、源泉かけ流しだって、贅沢だね。しかも、洋室って意外とやらしいね。シングルがふたつってなんかさ……」

「和室じゃなくてごめんね」

「シングルふたつって離れてるじゃん?」

「うん」

「今夜は片方しか使わないから覚悟して」


 かぁーっと赤くなる。それは夜のことだけじゃなくて、わたしが旅館をミスチョイスしたかもしれないと沈んでいたところを、彼が上手く受け流してくれたから。

「いつも行くようなとこはさ、ダブル基本じゃん? シングルに忍び込んで、ぴったり朝まで誰にも邪魔されないで寝られるのって、しあわせだよね?」

「透……」

「なに?」

「透と来られて、すごくしあわせ……」

 心から素直に言葉が出た。そして彼は極上の笑顔で、

「さぁ、お風呂の準備しないとね」

 と言った。


 お風呂は大浴場と貸切露天風呂があって……恥ずかしいから嫌だなぁと思ったんだけど、透に埋め合わせをと、貸切露天風呂の予約を入れた。

「じゃあさ、大浴場行って、食堂でご飯食べて、貸切露天風呂ね。すごく楽しみだな」

「浴衣、あるよ?」

「あ、凪はダメ」

「?」

「寝る前まで着ないでね。約束だよ。絶対ダメ」

 何となく腑に落ちなかったけれど、うなずいた。


 お風呂は芦ノ湖を見下ろすように作られていて、浴槽を取り囲むように三面がガラス張りだった。ちゃぽん、とお湯に入ると意外と足がむくんでいたらしく、温泉がじーんと身に染みる。気づかないうちに気が張っていたのかもしれない。

 ……もっと透に頼ればいいのかもしれない。

 透はわたしの中ではいつまでも男の子のような気がしてしまうのだけど、本当は彼はもうすぐハタチだ。手を伸ばせばすっと抱き寄せてくれるだけの包容力が、年相応どころかそれ以上に彼にはあるように思える。


 わたしはどうなのかな?

 いつまでも変わらない。怖がりで、卑怯者。自分からはなかなか動けなくて、他人のやさしさに甘えている。……そんな自分を変えたいと思い始めたのは、彼がいてくれるからだ。




 すっかりのぼせそうになってお風呂を出ると、みんな浴衣になっていて、なんだかひとり場違いな感じがする。

 出口を出たところにベンチと、麦茶が用意されていた。

「気持ちよかったよね?」

 知らない人かと思ってよく見なかったら、透だった。


「何そんなに驚いてるの?」

 彼はわたしが驚いたことをネタに笑っていた。

「鍵がさ、ひとつしないし。それに、凪は部屋、迷いそうだから待ってた」

「あ、わたしが持ってたんだよね。ごめんね、長湯で」

「いいから、麦茶飲んだら? 冷えてて美味しいよ?」

 透が注いでくれて麦茶をいただく。冷たい麦茶が体の中をすーっと通って体の火照りを冷ましてくれる。

「……湯上り美人、だね」

「もう!」


 ふたりで部屋に戻る間、迷わないようにつないでくれた手が、うれしかった。手なんていつもつないでいるのに、特別に思えた。




 部屋に戻って荷物の整理をして、食堂に行く。和室だとお部屋食が選べるのにな……とまた贅沢なことを考えてしまう。

「お、美味そう」

 食事はイタリアンと和食の融合したもので、様々な色合いの、食欲をそそるハーフビュッフェスタイルだった。要は、ドリンクやサラダバーは自分で取りに行かなくてはいけない。

「なんか、豪華だね」

「普段、あんまり高いところに食べに行かないからね」

「たまに特別だからいいんじゃないの?」

 豚肉のトマト煮込みを食べながら、透が言う。


 わたしたちには、わたしたちの速さがあるってことかなぁ、と思う。そもそも数ヶ月前まで彼は受験生だったわけだし、そんなに大手を降るって遊べなかったわけなのだけれど。

「あのさ、今日の記念」

 彼が突然、テーブルの上に小さな包みを置いた。

「え、やだ、わたしは何も用意してないのに」

「そんなのいらないよ」


 

「ボクが欲しいのはいつでも凪だから。……今日は、聞きたくないかもしれないけど言わせて。あんなことがあって凪を失望させたけど……。凪しかいらない。神様に感謝してる。たった一度しか会わなかった人に恋をして、再会できたことを。その人と両思いになれたことを。それから、今日、一緒にいられることを」



 彼の瞳はいつもより真剣だったけれど、言葉は穏やかだった。わたしは彼のくれた包みを受け取って、包装紙をなるべく破らないように開いた。箱の中はカタカタ音がした。

「これ、寄木細工だよね?」

「うん、たまたま見つけたんだけどネックレスになってるの、珍しいと思って。どうかな?」

「寄木細工、ずっと欲しかったの。なかなか高くて買えなくて。これ、高かったんじゃない?」

「残念だけど、これはそんなに高くなかったんだ」

 子供の頃、両親と箱根に来た時に寄木細工の箱を買ってもらったのに無くしてしまった。それ以来、新しい物を探していたのだけどなかなか踏み切れずにいた。

「ありがとう……すごくうれしい」

「その程度の値段のものでそんなに喜ばれると恐縮するな」

 彼は照れ笑いした。


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