第33話 プレッシャー

「今の人、誰?」

 すっかり帰る準備をした透くんが、わたしのバッグも一緒に持って現れた。

「荷物、ありがとう」

「……誰と話してたの? 聞きにくいんだけど、ボクも」

「ああ、高校のときの同級生」


 閉館間近の図書館で、透くんは荷物を下ろしてわたしの隣の席に座った。

「……」

「別に、何もないよ」

「うん。でも、こんなに近くにふたりで並んでずっと話してたのかと思ったら、さ」

「考えすぎじゃない?」

「もういいよ、帰ろう」


 彼はさっさと立ち上がると、振り向かずに図書館を出た。自転車を取りに行くと、かごに荷物を入れて、もたもたしていたわたしの肩に頭を預けてきた。


「……どうしたの?」

「ダメかも」

「何がダメなの?」

 わたしは少しだけ、教師だった自分を心の中に呼び出した。そのほうが今は、彼の話をきちんと聞いてあげられる気がしたから。


「凪……だらしないんだけど、やっぱ試験、怖い」

「誰でも怖くなるから、だらしないとか気にすることないよ」

「凪も緊張した?」

「当たり前じゃない。透くんが緊張してるのに、わたしがしないわけないよ」


 彼は少し落ち着いたので、一緒にうちに向かった。先に部屋に行ってもらって、温かい紅茶を二人分、トレイにのせて運ぶ。彼は参考書を見て待っていた。

「一旦、しまってお茶にしない?」

「落ち着かないんだ」

「誰でも『本命』前にしたら緊張するよ。当たり前だから、そのことで気に病む必要はないよ」


 それでも彼は陰鬱な面持ちでティーカップを見ていた。

「どこでも受かる自信があったんだ。でも、この間Y大に落ちたから。『本命』も落ちたらって思ったらさ」

「……がんばってるから大丈夫。わたしはずっと見てたし。偏差値、Y大より低いでしょう? センター受かってるんだから大丈夫だよ」


「凪、今日、先生みたい」

「透くんだけのね」

「ごめん……嫌なことさせて」

「ううん、役に立てるなら、うれしいから」


 そういう空気になって、久しぶりに本格的にキスをした。床に置かれた指と指が重なる……。

「もう少しだけ」

 彼は小さく呟いた。

わたしは彼の気持ちをできるだけ受け止めてあげたいと思い、求められることに応じようと思った。口づけをして、ブラウスのボタンを上だけ外されて、そのまま首筋をなぞるようにキスを何度も受ける。首元に強くキスをされる。


 キスされたまま、わたしも息づかいが変わってくる。相手が高校生の男の子であっても、彼はわたしには男性だから。

 彼に腕を回す。

 ウエストのところから、服と肌の隙間を縫うように少し冷たい指が入ってきて、ふと、雰囲気に流されそうだった自分に気がつく。彼の手を押しやる。


「ダメ?」

「……ダメじゃないんだけど、ダメって約束だったから」

「ボクが言ったんだね」

「そうだよ」

 ふたりして、口をつぐむ。時計の針の音が、時を刻む音がする。


「凪さ、やわらかかった」

「……そういうこと言わないでよ」

「試験まで大人しくするから、もう少し……」

 抱きしめられた背中の、服が少しまくられて、素肌をゆっくり撫でられる。彼は深呼吸をして、手が震えているようだった。

「さっき、キスマークつけちゃったから、襟が開いた服は着ない方がいいよ」

「……わかってるよ」


 そのとき、LINEの通知音が鳴って、ふたりとも少なからず驚いてあたふたした。

「あ、ごめん、わたしみたい。でも別にあとでもいいから」

「上、脱がしていい?」

「ダメ」

「じゃあ服の上からでいいよ」

 捕まって彼の手がすすすっと肌を滑って胸に向かう。


「それは……」

「約束破り。そういうことって、あるでしょう?」

 形をなぞって、そっと下着の中に指が……また腕で押しとどめた。

「ここまで。ここから先はダメ。本当に。……流されてしちゃうなんて、イヤなの」


「ごめん。甘え過ぎた。でももう大丈夫。凪の感触は指が覚えたし、それに凪はまで、待っててくれるでしょう?」

「ずっとそう言ってるじゃない」

「帰るね、送らなくていいよ、寒いから」

 彼はそう言って居間にいた母に「お邪魔しました」と挨拶すると帰って行った。




 LINEを見ると、小田くんからだった。

『今日は久しぶりに会えてうれしかった。よかったら、変な意味じゃなくてお茶でもしませんか?

 図書館ではそんなにしゃべれなかったから。連絡するよ 』

 返事をどうするべきかと迷う。

 無難なのがいちばんだと思った。


『わたしも驚きました。お休みが合う日があるといいですね。わざわざありがとう』


 これなら誤解されないかな、と思う。

 今、誤解されるようなことをしたくないというのがいちばんの本音だから。

 ……でも。

 からだに触ることで彼の心が休まるというなら、ただわたしはからだを触らせるだけの女になっちゃうんじゃないかな、とちょっと怖くなる。


 そんなことないと思いながら、彼が触れた部分の指の感触を思い出す。

 決して触られて嫌なわけじゃないんだけど、それだけで終わってしまうのは……。

 触られたい気持ちもあるから、余計に面倒なことになる。


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