第33話

 とある無駄に広い1LDKのマンションの一室。


 重かったをソファの上に転がし、天龍テンリュウはハァと盛大にため息をついた。

「お望みの品を持ってきたぜー」

 先に戻っていた睡蓮スイレンの方を向きそう声をかけるが、彼女は窓から外を眺めたまま動かない。

「おい!」

 無視されたことにイラついて、再度背中に呼びかけるが彼女は振り返らない。

「分かってる。うるさい」

 睡蓮スイレンは背中越しに一言そう鋭く返事しただけで、視線を天龍テンリュウの方へと向ける気はないようだった。


「やめとけやめとけ。今睡蓮スイレン様はご機嫌斜めだ」

 独楽のような機械を分解して布で丁寧に拭きながら、痩せぎすの男──タカがへへっと笑った。

 その横には、ニコニコ笑顔をたたえた美女──鈴蘭スズランが正座して座っている。

 彼女もタカと同じように、手にした布で分解された独楽を一つ一つ丁寧に拭いていた。

 

 丁寧に丁寧に、鈴蘭スズランはそれを扱っていたが滑りやすく、向きを変えようとした瞬間にその細い指からポロリと落っこちた。

 その途端、タカの振り上げた右手の甲が鈴蘭スズランの頬を強く打つ。

「何してンだよ! 壊れんじゃねぇか!」

 男の全力のビンタを受けて、鈴蘭スズランは横へとよろけて手をついた。

 その瞬間、手元に転がっていた独楽の部品たちが散らばる。

「ふざけんなテメェ! 余計な仕事増やすんじゃねぇ!」

 タカは再度、肘をしならせる勢いで鈴蘭スズランの頬を殴りつけた。

 既に手をついていた鈴蘭スズランはそれ以上バランスを崩す事はなかった。

 ゆっくりと、もとの正座の状態に戻る。

 ──その顔には、相変わらずの笑顔があった。

「申し訳ありません。ご主人様」

 顔を二度も殴られたとは思えない何もなかったかのような笑顔を、鈴蘭スズランはタカへと向けた。


 そんな彼女の姿は、首に巻かれた黒いベルトも相まって──奴隷のように見えた。


 謝られても、タカはその手を止めない。

 笑顔を向ける鈴蘭スズランの頬を、何度何度も打ちつけた。

 彼は、胡桃クルミ京子キョウコにしてられれた怒りがまだ収まっていないのだ。

 そのフラストレーションを、目の前にいる鈴蘭スズランへとぶつけていた。


 すると、先ほどまで回りをガン無視していた睡蓮スイレンが、タカの方を見ずに背中で告げる。

「うるさい。やるならあっちでやれ」

 その言葉に、タカは鈴蘭スズランを殴る手を止めた。

「へーへー。すみませんでしたー」

 そう言いつつ頭をガリガリと掻き、よっこいしょと立ち上がる。

 そして、鈴蘭スズランのサラサラな髪をむんずと鷲掴みにした。

「こっち来い。まだお前には仕置きが残ってんだよ」

 乾いてひび割れた唇を舌舐めずりして、鈴蘭スズランを引きずるように隣の部屋へと連れて行く。

 勢いよく閉められた扉に、天龍テンリュウは気持ち悪い物でも見たかのような軽蔑の目を向けた。

「けっ。物好きめ」

 天龍テンリュウはそう吐き捨てで、テレビをつける。

 他の音が聞こえないように、音量を大きくした。


 テレビの音も、時折振動として伝わってくる重い衝撃音すらも、

 窓の外をじっと見つめる睡蓮スイレンの耳には届いてこなかった。

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