第27話

 夏の朝は早い。

 4時を過ぎた頃から空が薄く白み始めて深い紫の色が追いやられていく。

 小鳥がさえずり始め、締め切られたカーテンの隙間から柔らかな陽の光が漏れ始めた。


 そんな時分、突然カッと目を開いたのは刀義トウギだった。


 腰から伸びるコンセントケーブルを引っこ抜き、服を整え急いで李子リコの元へと駆け寄る。

 そのドスドスという衝撃のような足音に、周りで眠っていた人間たちも目を覚ました。


「マスター。起きてください」

 ヨダレを垂らしながら口を開けて眠る李子リコの肩をユサユサ揺さぶる刀義トウギ

「まだもうちょっと食べたい……」

 夢から覚醒し切れない李子リコはムニャムニャ古典的な寝言を言う。

「夢の中でのお食事中失礼します。マスター。ご報告したい事が」

 無理やり李子リコの肩を掴んで上半身を起こす刀義トウギ

 グラングラン揺れる李子リコの頭を刀義トウギは片手で抑えつつ、だらしなくなった彼女の襟元を綺麗に整える。

「どうしたんだ……?」

 少し離れた所に眠っていた加狩カガリ弘至ヒロシが、目をこすりながら刀義トウギの側へと近寄ってきた。

「先生。工場内の電圧が急激に低下しました。何者かが工場内の電力を使用しています」

 変わらず落ち着いた渋い声ではあったが、心なしか緊迫した雰囲気を醸している。

「誰かが工場内の機械のスイッチ入れたんじゃないの?」

 起きたてとは思えぬしっかりとした口調で、四葉ヨツハが伸びをしながら刀義トウギの疑問に答える。

 しかし、それを否定したのは真輔シンスケだった。

「こんな早くにONにする事はないよ」

 刀義トウギの足音ですぐに目覚めた真輔シンスケは、昨日この部屋に持ち込んだ自分の道具袋の中を整理しなから四葉ヨツハに告げる。

 そう、いくら辺りが明るくなってきているとはいえ、夏の朝だ。工場を稼働させるには、時間的にはまだ早朝過ぎた。


「じゃあ気のせいじゃないの……?」

 ようやく覚醒してきた李子リコが、若干面倒臭そうに呟く。

 ふぁぁと大きな欠伸あくびをして、まだ開ききらない目をこすっていた。

 埒があかないと気づいた刀義トウギは、クルリと真輔シンスケの方へと向き直る。

真輔シンスケ様、この家には監視カメラなどはございますか?」

 素早い彼の動きにビクリとした真輔シンスケだったが、言われて記憶を掘り起こす。

「え……? あ、あるよ。工場の入り口に1台と、事務所内に1台、あと場内に2台……あ、母屋の入り口の方にも1台」

「クラウド型ですか? クライアント型ですか? ロックはかかっていらっしゃいますか?」

「……どうかな。多分ネット接続はしてないんじゃないかな……爺ちゃんがそういうの苦手だし。設置したのは父さんだけど……ロックはしてないかも。してても初期値のままなんじゃないかな。クラウドじゃないし……」

「この部屋にルーターはありますか?」

「テレビの横に……」

 それを聞いて、刀義トウギはすぐさま立ち上がって部屋の隅にあるテレビの横に詰め寄る。

「無線型……」

 そこに気づいて刀義トウギは立ち上がり、唖然とする他の人間たちに向き直った。

「この家の無線LANからホームネットワーク上へ誰かが侵入している可能性があります。直ちに移動する事をお勧めします。それに……」

 刀義トウギ真輔シンスケとの距離を突然詰める。

 予想だにしていなかった為、あまりの近さに真輔シンスケは仰け反った。

真輔シンスケ様、貴方は今スマホをお持ちですか?」

 言われてポケットに入れていたスマホを取り出し、真輔シンスケは違和感を覚えた。

「あつっ……」

 スマホが熱を持っている。

 刀義トウギ真輔シンスケの手からスマホを半ば奪い取って稼働させる。そして鋭い顔をした。

「カメラが起動しています。盗撮アプリが入れられておりますね」

 刀義トウギはスマホを強制的にシャットダウンして真輔シンスケに返した。

「どういう事?! 突然何?! 説明しなさいよ!」

 今まで、手鏡で身なりを整えていた眞子マコが、突然意味不明に動き出した刀義トウギにくってかかった。

「今は説明している時間はありません。我々は監視されています。このままここにいたら、胡桃クルミ様の家のようにご迷惑おかけする事態になりかねません。早く移動しましょう」

 その言葉を聞き、真輔シンスケ弘至ヒロシがビクリと肩を揺らした。


 真輔シンスケの脳裏には、窓ガラスが割れて踏み荒らされた胡桃クルミ京子キョウコの家の様子が蘇った。

 そして弘至ヒロシには、なんの保証もない自分たちを信頼して部屋を貸してくれた真輔シンスケの祖父の顔が浮かんだ。


 迷惑はかけられない。


 二人の男たちが足早に動き出す。

 弘至ヒロシは充電中の鈴蘭スズランを起こす。

 真輔シンスケは周りを手早く片付け始めた。

「よく分かんないけど……とにかく行こう!」

 さっきまでボンヤリしていた李子リコが、周りの緊迫した空気にやっと覚醒し、身なりを整えてすぐに部屋の出入り口の方へと向かった。

 それに続く四葉ヨツハ

 眞子マコも自分の鞄を引っ掴んで移動し始めた。

 鈴蘭スズランも含めた全員が部屋を後にした後、最後に刀義トウギが部屋を出て扉を閉めた。



 工場の二階──工場の天井は通常家屋より高い為、実質三階──から、外階段で足早に降りていく李子リコ四葉ヨツハ

 金属製のその階段を降りていた李子リコの足が突然止まり、勢いがついていた四葉ヨツハ李子リコの背中にぶつかる。

「どうして──」

 急に立ち止まったの?

 そう聞こうとした四葉ヨツハも、李子リコが足を止めた理由がすぐ目に入った為、言葉を飲み込んだ。


 金属製階段の終了地点すぐそばに──


 グレーの袖なしパーカーのフードを目深に被り、ポケットに手を入れて仁王立ちする女──睡蓮スイレンが佇んでいた。


「あなたはっ……」

 李子リコの言葉は続かなかった。

 彼女の脳裏に、先日睡蓮スイレンから純然な殺意を向けられた事がフラッシュバックした。


「さ。遊ぼうか」

 フードを下ろした彼女の顔は、その言葉の意味とは反して無表情であった。

 冷めた目で李子リコを射抜いている。


 と、その時。


 ズシャァン!


 金属の塊がコンクリートにぶつかるような音がする。

 最後尾にいた刀義トウギが、階段から飛び降りたのだ。

 着地したコンクリートは盛大にヒビ割れクレーターのようになる。

「脚部損傷率17.4%……即時稼働に問題なし」

 刀義トウギが少しだけ足を軋ませながらゆらりと立ち上がる。

 そして、階段前に立つ睡蓮スイレンを真っ直ぐに見た。

 瞳孔が鋭く紅く光る。

「目標確認。排除します」

 短距離走のクラウチングスタートのような体勢でそのまま地面を蹴り、砲弾のような勢いで真っ直ぐに睡蓮スイレンへとタックルを仕掛けた。


 無表情のままの睡蓮スイレン

 しかし、それに反してグローブやブーツから蒸気を立ち上らせて、刀義トウギのぶちかましを回避した。

「廃棄寸前のスクラップがっ……」

 そう憎々しげに呟き、睡蓮スイレンは着地後すぐに地面を蹴って刀義トウギへと立ち向かっていった。


「今のうちよ!」

 そう叫ぶ眞子マコの声に、弾かれたように意識を取り戻す李子リコ

 四葉ヨツハに背中を押されるがままに、戦う2人の横を通り過ぎて道へと走り出た。


 先頭を走る李子リコ四葉ヨツハ、続いて真輔シンスケ、そして弘至ヒロシ鈴蘭スズラン

 先ほど妹の背中を押した眞子マコは、刀義トウギ鈴蘭スズランの戦いを見届けるかのようにその場に留まっていた。



 兎に角李子リコは走った。

 自分の命が狙われている。

 その恐怖は尋常じゃないほど彼女を駆り立てる。

李子リコ! 早い! 待ってっ……」

 だんだん引き離される四葉ヨツハが、恐怖に焦る李子リコの背中に声をかける。

 しかし、李子リコの耳には届かなかった。


 李子リコの足を止めたのは、四葉ヨツハではなかった。


「!!」

 走っていた李子リコは、目の前から飛んできた小さな固まりの一撃をデコで受けてすっ転ぶ。

 勢いがつき過ぎていて、転んでも暫くゴロゴロと道を転がった。

「いったぁ……」

 全身に走る痛みとデコの痛みにうずくま李子リコ

李子リコ!」

 そこへ慌てた四葉ヨツハ真輔シンスケ、少し遅れて弘至ヒロシ鈴蘭スズランが駆け寄った。


 弘至ヒロシ李子リコをなんとか立たせようと彼女の二の腕を取った時、各々は周囲を妙な音を立てながら飛ぶデカイ虫のような存在に気がついた。

 最初蝉かと思った弘至ヒロシだったが、よく見ると独楽こまのように見えた。

 不自然に周囲を飛ぶその物体は6つ。

 暫くの間5人の周囲をグルグルと回ったかと思うと、何かに呼ばれたかのように一方向へと飛んで行った。


「……!」

 四葉ヨツハが眉根を寄せる。

 その変な飛行物が飛んで行った先には、ヨレたシャツに痩せぎすの男──タカが立っていた。

 黒い手袋を両手に嵌め、オーケストラの指揮者のように両手を不自然にあげたその男は、下卑た笑いを顔に張り付かせて5人を見ていた。

「よォ。待ってたぜ。ま、こんなのに体当たりされたぐらいじゃ、別になんともないだろ」

 赤くなってきたデコを押さえつつ起き上がった李子リコに、タカは一瞥して目を細める。

 李子リコは、蝉でもぶち当たってきたのかと思ったが、どうやらタカの持つ何かだったようだと気がついた。


「さーてとォ。どう料理してやろうか……ん?」

 ヒビ割れてカサカサな唇を舌舐めずりしたタカは、ふと、その視線を鈴蘭スズランに留めて眉根を寄せた。

「お前……」

 凝視されている当の鈴蘭スズランは、キョトンとした顔でタカを見返していた。

 タカの疑問が確信に変わる前に、弘至ヒロシが動く。

 立たせた李子リコ真輔シンスケに押し付けて背中を向けた。

「早く逃げるんだ!」

 弘至ヒロシは腰を低く落として構える。

鈴蘭スズラン! 子供たちを!」

 緊張感なくその場にただ淑やかに立つ鈴蘭スズランに、弘至ヒロシはそう叫んだ。


「逃すかよ!」

 頭の疑問を打ち消したタカは、右手を高く頭上に掲げる。

 すると、彼の周囲を回りながら飛んでいた独楽こまのうち3つが、彼の頭上高くまで飛び上がった。

「取り敢えず動けなくしてやるわ!」

 彼のその言葉と振り下ろされた右手の動きに応じて、飛び上がっていた3つの独楽こまが横に放物線を描いて李子リコたちに迫る。

「わっ!!」

 李子リコたちは頭を抱えてしゃがみこみ、飛んできた独楽こまを避ける。

 通り過ぎた独楽こまは空中で弧を描いて方向転換すると、さらに速度を上げて李子リコたちに迫ってきた。

 四葉ヨツハを突き飛ばしつつ一緒に転がる李子リコ。彼女が先程までいた空間を独楽こまが猛烈なスピードで通過した。


「……ッ!」

 弘至ヒロシ独楽こまをはたき落とそうと上着を脱ぎ右手に構えた。

 再度空中で大きく弧を描き飛んでくる独楽こまを目で追いながら、上着を振りかぶる。


 バヂンっ


 弘至ヒロシは背中に衝撃を受けて地面に手をついた。

 彼の背中に命中したソレは地面に落ちてバウンドし、再度空中へと戻っていく。

「3つだけじゃないぜー。気を付けなー」

 ニヤニヤし、楽しくて仕方ないといった口調のタカ。左手を弘至ヒロシの方に突き出していた。

 しかもその隙に

「きゃぁ!」

 逃げ出そうとしていた李子リコの、顔を庇った右腕に独楽こまが命中し、彼女を痛みで弾き飛ばした。


中邑ナカムラ!」

 真輔シンスケが転んだ李子リコを抱きとめる。

 彼女の肩を支えつつ、再度空中へと戻って行く独楽こまを目で追いながら、真輔シンスケは声を張り上げた。

「先生! こういう時は操縦者を狙って!」

 その言葉に成る程と納得した弘至ヒロシは、上着を投げ捨てタカへとダッシュする。


「そうはいくか!」

 タカは両手を自分の体の前でクロスさせる。

 すると、今まで李子リコの周りを回っていた独楽こまたちが、タカの方へと戻ってきた。

 弘至ヒロシの腕がタカに届く前に、独楽こま弘至ヒロシの背中に激突。

 弘至ヒロシは痛みでバランスを崩し、タカの足元に転がった。


「今のうちに!」

 真輔シンスケ李子リコの二の腕を取って走り出す。

 四葉ヨツハもその後を追った。

 しかし鈴蘭スズランは、その3人をそのまま見送りその場に残る。


「チッ……」

 走り去る3人の背中を目で追いながら、タカは小さく舌打ちした。

 そして、足元に転がる弘至ヒロシを、酷く嗜虐的な目で見下げる。

「邪魔なんだよオメェ」

 タカが一歩下がって両腕を広げると、その動きに応じて独楽こまが二手に分かれて大きく弧を描いた。


「まァ、殺しゃあしないよ。後が面倒だからな」

 顔をいびつに引きつらせて笑うタカ。


 弘至ヒロシに迫る独楽こまが、放電しているかのような音を立てて、立ち上がろうとする弘至ヒロシに迫ってきていた。

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