第7話

 いつ来ても、ここは居心地がいいな。



 胡桃クルミ京子キョウコの馴染みのある家の居間に通され、頂いた麦茶をチビチビ飲みながら、改めて中邑ナカムラ李子リコはそう思った。


 古いが和モダンなアンティークの階段箪笥。

 天井に備え付けられクルクル回るサーキュレーターは羽が竹でできており、見た目も涼しげな演出が施されている。

 窓も竹のロールスクリーンでお洒落であり、畳も縁がない今時なモノだった。

 壁際にはロータイプで同じく和モダンな机が配置されており、何故か何の違和感もなく24インチ3面のマルチディスプレイとタワー型パソコンが乗っている。

 実はよく見ると、ルーターやモデム等とそれぞれを繋ぐ配線も其処彼処そこここにあるのだが、上手く隠されていて李子リコたちはその存在に気づいていなかった。


 胡桃クルミ京子キョウコの家も、中邑ナカムラ李子リコの家と同じで古い木造の一軒家である。


 李子リコの家は、その古い外見を裏切る事なく部屋の中も昭和然としていた。

 畳にちゃぶ台に吊り下げ型の電灯。

 キッチンも古いタイプのもので、李子リコや母親の身長だと丁度いいが、姉はいつも『低すぎて腰が痛くなる』とブチブチ文句を言っていた。

 冷蔵庫も洗濯機も扇風機も食器棚もテーブルも何もかも、李子リコが物心ついた頃から変わっていない。


 しかし、物を大切に扱う両親のお陰で、古い家電も問題なく稼働しているし、家具も壁も天井も古びてはいるが綺麗であった。

 その代わり、12月末は地獄の3日間耐久年末大掃除があるが。


 胡桃クルミ京子キョウコの家は、外見は昔の古い木造家屋の雰囲気を残しつつも、フルリノベーションされている。

 お洒落なのに機能的。

 李子リコは、自分の家も好きだったが京子キョウコの家も好きだった。


 同じように部屋を改めて見渡す四葉ヨツハも、自然と李子リコと同じ感想を抱いていた。


 無駄なものがないのに、生活感とそこに住む人の人柄が感じられる不思議な温かみのある部屋。


 ──自分の家とは大違い。


 この部屋に居心地の良さを感じつつも、自分の家との違いに苦々しい気持ちになる四葉ヨツハ


 四葉ヨツハの家は公営団地、2DKの一室。

 母親と二人暮らしである為、決して狭くないはずなのに、物が溢れかえってゴチャゴチャ雑然とした家だった。


 将来独立出来たら、こんな部屋に住みたい。

 これと同じでなくてもいい。

 シンプルでいて機能的、そして統一感のある色の部屋。余計なものは無い住み心地の良い──自分だけの家。


 そんな夢を抱きつつ──それが夢でしかない無力感も同時に四葉ヨツハは抱いていた。


「……うん、そう。私の家サ。詳しくは後で説明するよ。うん、じゃあ後でね」

 そう言い終わり、胡桃クルミ京子キョウコは電話を切る。

 はぁ──大きな溜息を一つついて、京子キョウコは二人──李子リコ四葉ヨツハの方に振り返った。

「まーちゃんが迎えに来てくれるってサ。その前に家の様子を見て来てくれるそうだよ」

 まーちゃん──中邑ナカムラ眞子マコ李子リコの年の離れた姉である。


 中邑ナカムラ家と胡桃クルミ家はご近所さんであり、付き合いは李子リコが生まれる前からである。

 李子リコ眞子マコの両親は共働きで、小さい頃はここに預けられる事も多かった。

 その為、李子リコにとっては二つ目の自宅といった感覚で、実の祖母ではないが、李子リコ京子キョウコの事を『お婆ちゃん』と呼んでいた。



 あの後──真っ裸マッパの大男を追い返した後。

 家に通された二人は、何があったのか──全て見たままを京子キョウコに説明した。

 京子キョウコは説明を聞いても、イマイチ状況が飲み込めなかったが、二人の混乱した話ぶりから察して『二人が見たままの状況が起こったのだろう』と推測した。


 まぁ、見たままの状況だったとしても、は分からないけどねェ……

 理由は本人たちも知りたいところだろうサ。


 京子キョウコは二人の様子をジッと観察し、そう結論づけてこれ以上の詮索をやめた。


 李子リコはちょっと短絡的だが悪戯イタズラに嘘をつく子ではないし、むしろ嘘はつけないタイプである事を、京子キョウコは重々承知している。

 また、あまり強く物事を断言しない四葉ヨツハが、やけにハッキリと言い切っていたので、紛う事なくソレが事実であるのだと思えた。

 四葉ヨツハ李子リコほどの付き合いはなくとも、京子キョウコは同じぐらい可愛がっている。

 疑う意味も理由もない。


 最後に一つだけ、京子キョウコ李子リコに質問する。


「りっちゃんは、あの男を知らないんだね?」

 京子キョウコに改めてそう尋ねられ、李子リコは再度記憶をまさぐった。

 しかし、どう記憶をひっくり返しても、あんな大男の知り合いはいなかったし何処かで見かけた事もない。


 ──あのタイプの男性なら、一目見たら絶対記憶に残ってる。だって──


「絶対知らない」

 李子リコは強くそう言い切った。


 それを見て、京子キョウコはまた一つ大きな溜息をつく。

といい今日といい、りっちゃんにちょっと早い厄年でも来たのかねェ」

 特に今回は心配だよ──

 やれやれとそう告げて、老眼鏡を外して眉間を揉みしだいた。


「この間?」

 李子リコ京子キョウコの言葉に首を傾げる。


 何か、今回みたいなヒドイ目にあったっけ?

 あれか?

「アニソンを全力で歌いながら自転車漕いでいたら、すれ違いざまに宅配便のお兄さんに『上手いね(笑』と言われて顔から火が出るかと思った時かな?

 それともあれかな?

 郵便局行った時に間違えて受付のお姉さんを全力で『お母さん』って呼んで、周りの人に大爆笑された時のこと?」


「そりゃ確かに酷いね。……色々と」

 四葉ヨツハが、李子リコの言葉にドン引きした。

「えっ?!」

 ドン引きされてから、思考が途中で声に出ていた事に驚く李子リコ

 京子キョウコも苦笑いしながら李子リコの話を聞いていたが、そうじゃなくて──と李子リコが醜態をこれ以上晒さないよう、やんわりと言葉を遮った。


「半月ぐらい前にりっちゃん、何時間か行方知れずになったろう? 学校帰りに……あれは大騒ぎだったじゃないかい」

 当時の状況を思い出すだけで、京子キョウコは頭がきしんだ。


 半月ほど前のある日。午前中で授業が終わって、昼には家に着くはずが──李子リコは家に帰って来なかった。


 寄り道しているのだろうと思っていた両親だが、昼過ぎになってもおやつの時間になっても帰ってこない娘に異変を感じてスマホに電話をかける。

 しかし、繋がらなかった。

 両親は兎に角ご近所と李子リコの友人で連絡先が分かる家に、片っ端から連絡した。

 どの家庭も、李子リコの行き先ではなかったし、李子リコの行き先を知ってもいなかった。


 テレビでは、様々な年代の女の子が数多あまたいる凶悪犯の餌食になったニュースがセンセーショナルに報道されている。

 最悪な状況を想定した両親と仲の良いご近所さんたちは、最寄りの交番に連絡して総出で李子リコの行方を捜した。


 無事でありますように、と願いながら。


 しかし、下校後四葉ヨツハと別れてから李子リコの足取りは、全く掴めなかった。

 日が暮れて──両親もご近所さんも途方に暮れた頃──


 李子リコはフラフラとした足取りで家に帰ってきた。


 感動の再会を果たす両親。

 感極まって泣きだすご近所さん。

 良かった良かったと胸をなでおろす警察官。

 散々お涙頂戴ドラマを展開した後──

 心配が怒りに変わった両親は、李子リコを怒鳴りつけた。


 迷惑をかけたんだから、ご近所さんにも警察の方にも謝りなさい。


 両親がそう詰め寄ったが、呆然とした李子リコは一言も発しなかった。

 ただ、焦点の合わない目でぼんやりと遠くを見ているだけ。

 李子リコの様子がおかしい事に気づいたご近所さんの一人──京子キョウコが、怒れる両親をなだめ、念の為病院へ連れて行く事を提案した。


 結局。

 李子リコに身体的な異常は見つからず、本人も何があったのか、憶えていなかった。



「そんな事……あったね。全然憶えてないんだけど」

 李子リコは苦笑いしつつ首を掻く。

 後から事情を聞かされたが全く身に覚えのない出来事の為、思いつきもしなかった。

 お陰で知らせなくてもいい醜態を披露してしまった。

 しかし李子リコはメゲない。

 仕方ない。

 だって自転車漕ぎながらアニソン歌うと気持ちがいいから。

 今度は見かけた人が拍手するぐらい上手くなろう。

 彼女は見当違いの決心を固めた。


「全然憶えてないんでしょ? 思い出したりもしないの?」

 四葉ヨツハにそう問われるが、ブルブルと首を横に振る李子リコ

「ぜーんぜん」

 思い出そうとする努力は前にしていて、その時全く思い出せなかったので即答する。


 手にした老眼鏡をかけ直し、さてと、と立ち上がる京子キョウコ

「ま、なにはともあれ。まーちゃんが迎えに来るまで暫くかかるから、ここでゆっくりして──」

 そう言いかけた時だった。


 和モダンで落ち着いた家には似つかわしくない


 けたたましい警告音が鳴り響いた。

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