10.16 僕らが動くには十分だよ

 一体何をおっぱじめる気だ、とシドが気色ばんだのは一瞬のこと。

 ラウンジにいた客のほぼ全員が立ち上がったのを見て気圧された彼は、危うく椅子からひっくり返りそうになる。


「な、何じゃあこりゃあ!」

「聞いたな、諸君!」


 聞き覚えのある声に彼が振り向くと、そこにいるのはおなじみのアンディ警部に、神経質そうな顔がどうにも馴染めないハルパ警視だ。

 アンディはシドの方を見てニヤリと笑うと、部下たちに指示を飛ばす。


「これまでの魔法使いもどきの情報を今一度洗い直せ! 通院歴、違法薬物の使用歴のあるやつがいたはずだ、そこを徹底的に詰めろ! 使っていた薬が手に入ったならすぐに分析に回せ! 薬学研が渋るようならケツを蹴っ飛ばしても構わない! 最適の健闘を!」

「了解!」


 威勢の良い返事を返した捜査員たちは、イヤホンを外して表へ出てゆく。その様子を見て、シドはようやくカレンの言葉の意味を理解した。

 話を通すも何も、彼ら警察は最初からここラウンジにいて、東屋のどこかに仕掛けられたマイクが拾った会話を聞いていたのだ。カレンが王都随一の高級ホテルをわざわざ会場に選んだのも、人払いができ、事前の仕込みもしやすかったからに違いない。

 淑女の方を振り返ると、少し申し訳無さそうな、複雑な笑みを浮かべている。


「ごめんなさい、ムナカタ君。悪気はなかったんですのよ」

「なかなか役者だったろ、センセイ?」


 混ぜっ返すように割り込んでくるアンディの笑顔は、彼女と対象的に悪意しか感じない。


「私達が後から話を伝えるよりも、直接、警察の皆さんに聞いていただいたほうがいいと判断したんです」

「で、管理機構ギルドから要請を受けた僕たちは、ホテルの客のふりをして一部始終を聞いてたと、こういうわけだ。悪いねセンセイ」


 ニヤニヤ笑いをしながら謝られたところで説得力はほぼゼロだ。だったらもうちょっと申し訳なさそうな顔をしろ、と本格的にふてくされたシドは、ふかふかのソファで頬杖をつき、人差し指で肘掛けをコツコツと叩く。


「最初は半信半疑でしたが……結果的には、ガーファンクルさんの提案を受け入れてよかったですね」

「公安や軍との連携はどうします、警視?」

「そちらの折衝には私が出向きましょう。ヴァルタン君は引き続き、現場の指揮を頼みます」


 よろしくどーぞ、と敬礼して上司を送り出したアンディが、カレンから資料を受け取るのを見届けたシドは、素直に不満を口にした。


管理機構ギルド警察あんたたちの間に同意が取れてるなら、俺に口を挟む余地はねーわけだけど……せめて一言くらい説明しておいてほしかったぜ」

「文句は警察ウチ管理機構ギルドの上層部に言ってくれよ。互いが意地を張り合って、結構ギリギリまで決まらなかったんだ。セニョーラ・ガーファンクルの一喝がなかったら、僕らはここにいなかったよ」

「一喝?」


 何のことかカレンに問いただそうとするシドだが、お返しとばかりに微笑ってはぐらかされるばかり。アンディもそれ以上は語ってくれなさそうだ。暖簾のれんに腕押しぬかに釘とはよく言ったもので、彼女が一体何をしたのか、結局真相はわからないまま。もっとも、自分の言動を振り返るとあまり文句も言えない。


「いずれにせよ、あのちびっ子先生の資料のおかげで、少しは捜査も進むはずだよ。センセイの紹介のおかげだ、感謝する」

「頼まれた仕事をしただけだ、後は払うもん払ってくれりゃ問題ねーよ」


 実のところ、彼がやったことと言えばエマへの取次くらいのもの。それだけでそこそこの報酬は転がり込んできたので、単体でみれば仕事ではあった。もっとも、この後どんな無理難題が振ってかかるかわからないので、喜んでばかりもいられないのだが。


「それにしてもこの事件、どんどん混迷の色が深まるね。最初はただの無免許モグリの魔法使いが起こした事件だと思ってたんだけど、気がつけば魔導士管理機構ギルドを巻き込む大捕物だ」

「警視、軍とか公安にも声をかけるって言ってたよな? 大丈夫か?」

「魔法使いが増えることよりも、得体のしれない薬物がはびこるほうが問題さ。それが正しく使われているならまだいいけど、魔法使いもどきが起こした事件を考えれば、看過できる限度はとっくに越えてる。が動くには十分だよ。

 だから、これからもよろしく頼むぜ、センセイ」


 「僕ら」という単語をことさら強調したあたりからまさかとは思っていたが、やはりシドも頭数に入れて勘定されているようである。


「地獄の沙汰も金次第、だな」


 危ない橋を渡るのは少々気が重いが、これも報酬のためと割り切るほかない。


「セニョーラ・ガーファンクルも、引き続きよろしくお願いいたします。管理機構ギルドへも、都度つど要請が行くはずです」

「承知しましたわ。こちらも情報が入りましたら共有いたします。ムナカタ君もそのつもりで」

「あいよ」

「では、はこれで失礼します。ウルスラ、行きますわよ」

「はい、お嬢様」


 堅い返事の主は、管理機構の有能な秘書・ウルスラ。気配もなく現れたことにぎょっとするシドとアンディだが、それ以上に彼らを驚かせたのは彼女の出で立ち。

 いつものパリッとしたパンツスーツではなく、メイド服だ。

 彼女も警察の面々と同様、お嬢様と姫君の会話を聞いていたのだろう。扮していたのがホテルの利用客かそうでないかという違いだけだ。それに、ラウンジを行き交うウェイトレスの装いを考えれば、ウルスラの服装自体が場に合わないというわけではない。さらにいえば、弟子ローズマリーの趣味嗜好の関係で、シドやアンディもメイド服自体を見慣れてはいる。 

 問題は、ウルスラが纏うそれが、フリル全開でスカート丈の短い、華美にもほどがあるデザインだということ。お姉さんがお酒の相手をしてくれる夜のお店にこういう趣向の物がある、とシドも聞いたこともある。

 何れにせよ、秘書が着ているメイド服にはシンプルさと、それに裏付けられた作業着としての実用性がない。その代わりにの実用性はありそうなものだから、着ている本人もそのあたりを自覚しているらしく、耳まで赤く染まっている。


「……言いたいことがあるなら目を見ていいなさいな、ムナカタ」

「いえ、別に……」

「セニョーラ・ベラーノ、よくお似合いです!」

「ええ、私の見立ては間違っていませんでしたわ! あなたは何を着ても見栄えがしますのね!」


 シドとウルスラの間に流れた剣呑な空気を察して、警部と淑女が少々食い気味に割って入る。即席とはいえ見事な連携で、アンディがウルスラをおだて、カレンが目線で「余計なことを言うな」とシドに釘を刺してみせた。その効果は絶大で、もしカレンに制されていなければ、今頃うっかり「熱でもあんのか?」とでも口走り、ほっぺたに紅葉をこさえるハメになったところだろう。


「で、ムナカタ。なにか言いたいことは?」

「大変良クオ似合イデスヨ?」


 刺すような視線を前にしてしまえば、本音なんか言えたもんじゃない。自然、シドのイスパニア語はどこか浮足立ったものになる。


「どうして片言なのよ……まあいいわ。参りましょう、お嬢様」

「それではお二人とも、ごきげんよう」

 穏やかな微笑みと共に一礼したカレンの後を追って、ウルスラもラウンジを後にする。スカートが気になるのか、秘書の足取りはややぎこちなかった。 「それじゃ、僕も署に戻ろうかと思うんだけど、なにか伝達事項はあるかい?」

「近いうちに、あんたに人を紹介するかもしれないから、予定空けといてくれ」

「へえ? 誰だい?」


 まだ確定ではないので、シドの表現は薄ぼんやりとしたものにならざるをえない。 


「象牙の塔に拠点を構える兄妹さ」

「ヘンゼルとグレーテル、ってところか」

「そんなに素直そうな連中じゃねーよ」


 わかったわかった、とメモを済ませたアンディは、キョロキョロとあたりを見回す。聞き耳を立てるものがいないことを確認すると、小声で問いかけてきた。


「正直な感想を聞かせておくれよ」

「何のだよ?」

「セニョーラ・ベラーノの恰好さ」


 あれねぇ、とシドは渋い顔をする。ウルスラはどちらかというと格好いい女性だ。シンプルで飾り気のない装いのほうが、彼女には似合っていると思う。

 率直にそう伝えると、どうもアンディも同じ意見だったらしい。我が意を得たりとばかりに何度も頷いている。


「やっぱりそうだよね、僕もそう思うよ」


 ――カレンが止めてくれて、本当に良かった。


 年甲斐もなくなんつー格好してやがる、なんて言おうものならものなら、ビンタでは済まなかったかもしれない。


「それじゃセンセイ、今日はありがとう。またいろいろ頼むけどよろしく」

「頼むのは決定かよ……」


 シドのボヤキは、アンディには届かないらしい。

 少々鼻につく小憎らしい笑顔を浮かべて去っていく警部を見送ったシドは、ソファに深く腰掛けて足元に目線を落とす。一難去ってまた一難、混迷の様相をさらに深めつつある事件のことが気がかりなのは確かだが、それ以上にウルスラの逆鱗に触れずに場を乗り切れたことに安堵していた。


 ――沈黙は金、とはちと違うかもしれないけど、余計なことは言うもんじゃねーな。


 そんなことを考えた彼は、殴られずにすんだ頬をなでると、例のに話をつけるべく電話をかけに出向くのだった。

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