第10章

10.1 どうも反りが合わない気がする

 万屋ムナカタ、午前十時。来客二人は定刻通りにベルを鳴らす。


「やあ、CC」

「お待ちしておりました」


 彼らを出迎えたメイド服の少女――ローズマリー・クリーデンス・クリアウォーターだったが、その顔は例によって涼しげ。看板娘らしい愛想は見て取れない。接客業務にあるまじき態度ではあるが、来客者の方もさほど気にしている様子はない。彼女の振る舞いには、もう慣れている。


「シド先生は中でお待ちです。どうぞ」


 ローズマリーの表情は、一向に雪解けの気配を見せない。その要因は、来客の片割れにある。

 見知った顔の方は、王都警察所属の警部・アンディ。万屋ムナカタと協力関係にあり、かつ、少女の本来の上司に当たる人間だ。


「バングルス君、このお嬢さんが、例の?」

「ええ。まあ、まずはセンセイに話を通しましょう」


 もうひとりの客人は、少し神経質そうな面持ちで少女を眺めている。アンディが連れてきているのだから身元はしっかりしているのだろうが、面識がないのでどうしても不信感を拭い去れない。とはいえ、客人であることに変わりはないから、警戒心はおくびにも出さずに客間へ案内する。


「やあ、センセイ」


 よう、と小さく手を挙げるシドは、どことなく虫の居所の悪そうな顔だ。その矛先が向くのは気安く打ち合わせにやってくるアンディか、同行している連れの男か。シドは無駄にコトを荒立てるような血の気の多い男ではないのだが、少女としては、下手に火の手が上がらないことを祈るだけだ。


「時間どおり、か」

「なんだい、感慨深げに」

「ここしばらく、約束アポなしでひょっこりやってくるお偉いさんに辟易へきえきしててな。おまけに面倒な仕事まで背負い込まされる始末さ」


 そいつはご苦労なことで、とソファに座るアンディ。その口調が少し楽しそうなのが気に障るのか、シドの眉間のシワが一層深く刻まれる。


「その案件はもう解決済みなんでしょうね、ムナカタ君?」

「ええ、とりあえず一段落しました。ですから何なりとお申し付けください」


 静かだけれど、どこか絡みつくような粘度を感じさせる、もうひとりの来訪者の声。統計をとったわけではないが、ローズマリーが少々苦手とする手合の連中はこういう声色の持ち主が多い気がする。


「そういやセンセイ、CCが警視に会うの、初めてじゃないかい?」

「そうだっけか?」

「いやだなぁ、冗談きついぜ!」


 いかにも面倒くさそうな顔をしたシドは、そのままアンディに説明を丸投げする。任された方も任されたほうで、断るどころか芝居っ気たっぷりに紹介する始末だ。売れないコメディアンを彷彿ほうふつとさせる見え透いたやり取りに、この人たちの本職は一体何だったかしら、と少女も一瞬戸惑ってしまう。


「CC、こちらはミゲル・ハルパ警視。僕の上司ってことは、君の本来の上司でもある。本属が警察だってのに、今更はじめましてってのもおかしな話だけどね。人事異動で、ちょっと前から一緒に仕事をしてるんだ」


 ローズマリーは涼し気な顔を一切崩さないまま敬礼する。

 背筋をぴんと伸ばしたその立ち姿は、さっきまでちょっと失礼な印象を抱いていたなどとは微塵も感じさせない。手の角度といい間のとり方といい、どこぞの教科書マナー・ブックに出てきそうである。


「よろしく、CCさん」


 言葉は丁寧だけれど、ハルパ警視の粘着質な喋り方はやっぱり好きになれそうにない。そんなことは間違っても口にせず、ローズマリーは薄く微笑み、こちらこそよろしくご指導ください、と小さく答える。

 隣りに座ったアンディと異なり、ハルパの身なりは実にしっかりしている。スーツにもシャツにもシワやヨレの類は見あたらないし、ネクタイも当座の流行の柄。左腕の袖から覗く腕時計や、懐から取り出したボールペンは、年若い彼女でも知っている有名ブランドの製品。

 身につけるものも、立ち居振る舞いも、紳士と呼ぶにふさわしい。

 ハルパ警視はどちらかと言えばローズマリーに近い文化圏の人間のはず。シドやアンディとは明らかに違う。それでも少女は、心の底に横たわる淀みのようなものを浚い切れずにいた。


 この人とは、どうも反りが合わない気がする――


 そんなローズマリーの心配をよそに、ハルパは資料を広げ、静かに説明の準備を整えると、対面に座るよう勧めてきた。


「今日ここに来たのは、CCさんに署内研修制度の説明をするためでしてね」


 ハルパ自らがテーブルの上に並べたのは、警察の昇進制度や資格取得に関する資料だ。

 少女はそれらを手に取り、しげしげと眺める。昇進試験やそれに必要な研修についての冊子は目を通しているが、これほどいろいろな資格の試験や講座まで斡旋しているとは知らなかった。化学薬品や危険物の取扱免許に、重機の運転免許といったいかにもなものから、秘書検定や上級メイド資格など、一見警察の仕事とはあまり関係なさそうなものまでよりどりみどりである。


「彼女は現在、万屋ここに出向という形をとっておりますが、いずれは警察に戻り、職務についてもらいます」

「センセイには捜査協力をしてもらうと同時に、魔導士育成のノウハウがない警察に代わって、CCを教え導いてもらってるわけだ」

「過去の報告書を含めて、いろいろ拝見しましたが、大変よくやってくれているようですね」


 そいつはどうも、とシドが短く答える。褒められているにもかかわらず渋面は崩れないままなのは、何か気に入らないことでもあるのか、それともどこか居心地の悪さでも感じているのか。


「CCさんがいくら優秀な魔導士であったとしても、本来は警察の人間であるということは、常に念頭においていただきたいのです。彼女は警察われわれが初めて受け入れた魔導士の一人、いわばモデルケースだ。彼女がたどるキャリア・パスが、後進の魔導士たちの規範になる。ムナカタ君にも、その意識を常に持っていただきたいのです」


 シドは何も答えず、指先で万年筆をもてあそぶ。

 それが話半分で会話を聞いているときの彼の悪癖であることを、弟子――ローズマリーはよく知っている。だからといって彼を責めるというのもお門違いだ。シドが受けた依頼はローズマリーを護り鍛えることであって、警察の中での昇進について一緒に考えることではないのだ。

 だいたい、警察のなかでの昇進昇給のシステムなんてのは、シドにしてみれば門外漢もいいところ。知らないことは知らない、推測できないことはできないと、きっぱり断るのがシド・ムナカタという人間である。

 そんな万屋ムナカタの事情を知ってか知らずか、ハルパは少し踏み込んだ質問を少女に投げかける。


「CCさん、これから警察の中でどう身を立ててゆくか、考えていますか?」

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