9.14 それほど抵抗がない、というか
「それじゃ、説教はこれでおしまいだ。何か聞きたいことがあれば受けつけるぜ?」
シドの変わり身はあまりにも早かった。
ついさっきまで、間違っても話しかけてくれるなよと陰鬱な顔をしていたのに、いつの間にか何かを吹っ切ったように元気よく、どんと来い、とばかりに胸を張っている。その
「どうした、遠慮はいらねーぞ?」
「いえ、ずいぶん切り替えが早い、と思いまして……」
「聞き分けのない相手だったらブッ飛ばしてでも従わせるだろうけど、君はそうじゃないからな。言えばだいたいのことは理解してくれるし」
「……恐縮です」
ひとまず納得した様子のローズマリーは、「では遠慮なく」とシドを質問攻めにしようとする。先程まで伏せていた人間には酷すぎないかと思うが、それだけ疑問が堆積していたのだろう。
「先生やガーファンクル卿の魔法について教えていただきたくて……」
先ほどとは一転して、少女の瞳はやたらキラキラと輝いている。初めて見る魔法に興味津々なのか、さあ早く話せとばかりに静かな圧をかけてくる弟子を落ち着かせながら、シドは要点をまとめて話す。
「前に立てこもり犯を相手にした時に、クロスケがヤツの自爆を抑えこんだことがあったろ? 基本はあれと変わらない。ただ、クロと協力して、いつもより強力な魔力を使ったってだけの話だ」
「使い魔と契約すると、そんな事ができるようになるんですか?」
「まあ、
彼の知り合いの魔導士の中でも、使い魔を使役するものはほんの僅かな上、その誰一人として【同調】を使うものはいない。だからこそ、クロとの連携は切り札として作用する。ただし、【同調】を制御下におけるかどうかは当人の精神力次第だし、使った後の尋常ではない消耗というリスクと背中合わせなのだが。
「ガーファンクル卿の弾丸は……追尾弾、ですか?」
魔力の【弾丸】を放つというのは珍しい技術ではない。ただし、弾が翔ぶ軌道は例外なく、直線。軌道を変え、目標を追尾させるなんて、並の技量の魔導士には不可能だ。
だが、高名な魔導士を幾人も排出してきたガーファンクル一族の中でも、ユリウスは規格外といっていい存在であることを忘れてはいけない。老いてなお、その魔法は冴え渡っている。
「俺がまだ
「……どういうお答えだったのですか?」
「目標さえ設定してやれば、後は勝手に飛んでいく、だってさ」
一体何を言っているのですか、と首を傾げたままのローズマリーに、示すべき回答なんて存在しない。彼自身も【弾丸】を飛ばせるわけでないので、卿の言葉の真意がわからないまま、今日に至っているのだ。
「どうやってるかは知らねーけど、あの人は魔力を感知して飛んでいく、自律型の【弾丸】を撃てる」
そこまで説明してようやく、わざわざ自分に【弾丸】させた師匠の振る舞いの意味を察したのだろう。少女は関心したように何度も頷く。
「最初は先生の魔力を追尾するように仕向けたんですね?」
「君が
「ある程度【弾丸】が飛んだところで、先生が魔力を消散させれば、矛先が
――どこかで機動力を奪う必要はあっただろうが、あのタイミングと方法である必要はない。
シドの言葉を思い出したのか、ローズマリーは得心がいったとばかりに、深く、何度も頷く。
「私が無理をする必要なんて、なかったんですね」
「兵は神速を尊ぶ、って言葉はあるけど、物事には順番があるからな。適材適所、各自がやるべきことを把握してことに当たる必要がある。それがちゃんとわかったなら、今回の出張は無意味じゃなかったな」
師の忠告をしっかりと、きれいな字で手帳に書き留めたであろうタイミングを見計らって、シドは少々言いづらそうに口を開く。
「CC、一つ詫びというか、確認というか」
先ほどとはうってかわって、シドの物言いは歯切れが悪くなる。何のことか思い当たらずに、少女は眉根を寄せて小首をかしげた。
「いつものように、思ったことを素直に言ってくださって構わないですよ?」
「いや、一応、君と話すときは俺なりに気を使ってるんだぜ?」
「そうだったんですか?」
「そうだよ!」
冗談ですよ、とクスクス
「それで、いかがなさいました?」
「……名前だ」
「名前?」
「君は誰にでも、ファミリーネームを呼ばせたがるだろう? 今日だってそうだし、カレンと初めて会ったときも、俺の事務所にきたばっかのときもそうだった」
ローズマリーが向ける真っ直ぐな眼差しを、シドはのらりくらりとかわしながら遠回りな物言いをする。いつもよりも態度が不審な師匠をみて、少女は何かを思いついたのか、ぽんと手を叩いた。
「もしかして……私の
「……察しが良くて助かる。もしかしたら嫌だったんじゃないかな、と」
ずぶ濡れになった犬を思わせる、申し訳なさと情けなさが半々に入り混じったシドの顔を見て、ローズマリーはつい吹き出してしまう。
「なんだよ、笑うことないだろうが」
「ごめんなさい、先生。悪気はないんです」
ひとしきり笑った少女は、ハンカチで目尻の涙を拭う。
「下の名前で呼ばれるのが嫌というわけじゃないんです。ただ、初対面の人からというのは、どうも苦手で……。親しさよりも、馴れ馴れしさを強く感じてしまうんです」
悪いことしちまったかな、とばつの悪そうな顔をしたシドを見て、ローズマリーは少々慌てたように言葉を接ぐ。
「でも、先生なら、一緒に事件を潜り抜けてきましたし、それ以前に師匠と弟子の間柄ですし。名前で呼んでいただいても、それほど抵抗がない、というか」
少し頬を紅く染めているような気がするのは、シドの気のせいだろうか?
「普段の生活態度を改善なさってくれると、私としては言うことがないんですけど」
「善処はする。でも、あまり期待はするな」
内心を悟られまいとしたのか、小言をチクリと挟んでこられては、シドも渋面を崩せなくなってしまう。
そんな師匠を前にして、少女は静かに微笑んだ。
「そこまでいろいろ、気を配っていただいていることには、感謝しているんですよ?」
「そりゃあ、ねぇ……」
ローズマリーは出来の良い娘だ。教養もあるし、仕事も早いし、細かいところまで気が回る。
だが、魔導士を志した理由そのものは、あまり褒められたものではない。そもそも魔導士としてもまだ駆け出しだし、大人びてこそいるが年端もいかない子供であることに変わりはない。
どんな相手でも、弟子として付き合う以上、それなりの苦労は発生する。本人の前で決して口にしないだけだ。
実際にその立場になるまで、師匠というものがこんなに大変なものだとは、彼も予想していなかった。単に魔法を教えるだけではなく、業界特有の慣習、彼女の知らない世間一般の常識も教えないといけない。おまけに彼らの場合、性別が違う師弟が一つ屋根の下で暮らしているから、外の目も気にしなければいけない。自然、シドは相応以上に、気を使わなければいけないのだ。
「子供が大人の仕事を気にすんじゃねーよ」
「また子供扱いなさるんですから……」
「子供扱いされたくなきゃ、とっとと一人前になりやがれ」
「わかってます」
少しむくれたように言い放ったローズマリーは、静かに席を立ち、いつもそうするように綺麗に一礼する。
「これからもご指導、よろしくお願いしますね、シド先生」
「ん、しっかりついてこいよ、ローズマリー」
――彼女が望む限り、俺がついている間に教えられることは、全部教えてやる。
気のなさそうな返事の裏に静かな決意を隠しながら、シドは少女の名を呼ぶのだった。
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