7.11 あまり素敵な理由ではないんだがの

 木曜日。

 ハンディアに来てからというもの、クロは今ひとつ調子が良くないらしい。日を追うごとにくしゃみの数が増え、一同を心配させていた。本人は大したことないと言い張っていたのだが、クロは万屋ムナカタの切り札。丸一日、大事を取って宿で寝かせておくことにした。

 残りの女性陣をハンディアに送り届けたシドは、そのまま引き返して近くの街に出向く。ローズマリーが作ってくれた文献のリストを、知り合いの司書に送りつけて調べてもらうためだ。

 幸いなことに、とある小さい商店キヨスクで、コピーを引き受けてもらえることになった。その合間に、店主のおばさんの世間話をうまいこと受け流しながら、下手くそな字の手紙を書く。

 リストのコピーと手紙を封筒に放り込み、郵便局に持ち込めば、最初の仕事は終了。公用車に飛び乗るとそのまま引き返す。

 今日の彼は単独行動。ハンディアについてあまりにも知らなすぎるので、少し一人で調べてみたいと申し出たのだ。

 ただ、自分勝手な提案に、カレンがあっさり首を振ってくれたのはいいものの、正直、どこから調べたものか少々途方に暮れている。

 

 ――さて、どうしたものやら……


 初日のエマの説明をもとに描いた地図をみて、シドはしばし考える。

 ハンディアの街の形状は概ね円形。大きめの道路で、東西南北と中央の五区に区切られている。

 彼がいるのは南地区、ハンディアの玄関口にして交通機関の起点である。麓に降りるためのケーブルカーやトロリー・バスの乗り場、街を巡るトラムのターミナルが置かれていることもあり、人の流れも多く、最も活気のあるエリアだ。雑貨店やリストランテが軒を連ねており、休憩時間になると多くの人で賑わう。とはいっても、まだ昼食には早い時間なので人影はまばら。ハンディアでは内燃機関エンジン付きの個人用車両の乗り入れが禁止されているのも相まって、余計静かに感じる。

 遠くから聞こえる風切り音に眼をやれば、高地で機嫌よく風車が回り、陽の光に照らされて太陽光発電パネルが輝いている。それらもハンディアの資産で、隣国ド・ゴールから購入した分と合わせてここの電力を賄っているという。二十四時間運転の設備もあるだろうに、あんなお天気任せの発電設備に頼っていいのかと訝しんだシドだが、それこそ余計なお世話だな、と自嘲する。

 そういえば西地区には行ったことなかったな、とシドは再び地図に目を落とす。

 エマの屋敷や再生医療研究棟がある北地区、リハビリ棟のある東地区、事務棟や蔵書庫、庭園のある中央地区あたりをぐるぐる巡る一方で、インフラ設備や廃棄物処理施設が集中する西地区には、そもそも行く用事もなかったのだ。もちろん、初日に簡単な説明は聞いているが、それは微に入り細に入ったものではない。施設の中には入れなくとも、外から様子を見るくらいなら構わないだろう。

 興味に背中を押されるままに、シドは西地区方面を目指す。

 西地区の面積自体は他と比べれば小さいが、そこにある処理施設は街の規模に対してやや大きいようにも見受けられる。医療廃棄物は危険なものも多いので、物によっては外部に処理を委託しているのか、時折小さめのトラックが出入りしている。車両の個人所有も乗り入れも禁じられているなかで、唯一例外として認められている内燃機関エンジン付き車両だ。


「坊主、こんなところで何しとるんじゃ?」


 不意に響く声に振り向けば、そこにいるのは黒衣の幼女。不敵な笑み・腕組み・仁王立ちと、尊大な態度も毎度おなじみだ。

 

「見てわかんねーのか、サボってんだよ」

「残念な大人じゃのう」

「そういうあんたはどうなんだ? ここの代表なんだから、やらなきゃなんない仕事、相当抱えてるんだろ?」


 ちびっこい見かけでも、彼女はハンディアの統治者。毎日忙しい日々を過ごしているらしく、見学対応は現場の研究者に一任している。

 だが、カレンいわく、エマはちょいちょいこちらの様子を伺っていたらしい。毎度毎度、数分とたたずに長身のメイドに見つかって連行されていたというのだが、シドは気づけなかった。


「見てわからんか、鈍いのう……我輩もサボタージュじゃ」


 顔立ちだけは悪戯に夢中の子供だが、紛いなりにもこの街の代表である。サボりで生じる損失は、シドの比にはなるまい。


「てっきり、小娘共に愛想でもつかされたかと思ったんじゃが、違うのか?」

「そのへんは当たらずとも遠からず、ってところだな」


 サボり仲間の認定でもいただけたのか、エマも彼を本気で咎める様子はないらしい。勘違いしてくれるのならそのほうがありがたい。本当の目的を包み隠す手間も省けるというものだ。


「坊主、暇なら少し我輩に付き合え」

「なんでだよ」

「両手の華から見放された淋しい男を慰めてやるって言ってるんじゃ。つべこべ言わず、黙ってついてこんか」


 ずいぶん上から慰めてくれるもんだぜ、と苦い顔をするシドだったが、少し考えて思い直す。

 忙しいエマから直接話を聞ける機会は、決して多くない。ことと次第によっては、現場の研究者が知りえない情報だって手に入る可能性すらある。


 ――街をブラブラしてたら、好機が向こうから飛び込んでくるとはね。


 百パーセントの打算混じりの振る舞いを悟られないように、シドはわざと苦い顔をしたまま、黒衣を翻して先を歩くエマについて行くことにした。




「いくらなんでも食いすぎじゃねーのか……」


 テーブルに並んだ色とりどりのデザートを前にして、シドは幼女の誘いに乗ったことを早くも後悔し始めていた。

 甘いものをダシに情報を聞き出すという安易な発想八割、大人の男として多少の見栄を張りたいという打算二割で「支払いは俺が持つから好きに注文しろ」と言ったのはいいが、結果的にかなり高くつきそうである。シドの財布は見事なまでにすっからかんだ。領収書で落ちりゃいいけど、と肩を落とす。


「好きなものを頼め、と言ったのはお主じゃろ? 男に二言はないとはよく言ったもんじゃな」

「好きなだけ頼んでいい、とは言ってねーぞ?」


 傲慢なのは食欲もかよ、とシドは眉間のシワを深くする。メニューを指さして「ここからここまで」なんて注文をされるとは、さすがに彼も予想していなかったのだ。

 一方、渋面を崩せない彼の対面に座るエマは、たいへんご満悦。眼の前に並んだデザートの群れ、その量は彼女の小さな体躯とはまるで不釣り合いだが、ニコニコ顔でパフェを頬張るその姿だけは見た目相応だ。


「甘いものは別腹、女の子はお菓子が主食じゃ」


 ほっぺたにクリームをつけたエマは、どこぞの国のOLを思い起こす言葉で高揚感をあらわにする。成長期を控えた娘がお菓子ばっかり食べているようじゃ、健康面が心配だ。医者の不摂生とはよく言ったものである。


「で、わざわざ西地区までお散歩とは、ずいぶん優雅なことじゃの?」

「興味本意さ。よくできた街だって思ってな」


 シドは遠くの風車に目を向ける。街が静かなせいか、ブレードの風切り音が遠くまでよく響く。


「この街の中で全てが完結する。医療がどれくらいの経済効果をもたらすのかわからないけど、一つの国として機能していると言っても過言ではない」


 そうじゃろうそうじゃろう、と満足げに頷いていたエマだったが、やがてその表情を曇らせる。


「……あまり素敵な理由ではないんだがの」


 この街の話をきっかけに、踏み込んだ情報が得られるかもしれない。シドは何も言わず、エマが話すに任せる。


「ここの住民は、半分が病人じゃろ?」

「そりゃ無理もねーだろうな」

「症例も特殊なものが多いからの、ここで一生を終える患者だって少なくない」


 パフェのグラスを一つ空にしたエマは、どこか遠くを見ながら話し続ける。


「そういう患者に向かいあっていると、自然と心に重荷とか、負担を抱える者が増えるんじゃ。毎日どこかで誰かが痛みに苦しみ、悶えて、死んでいく。医療の現場は、お主が思っている以上に過酷での。

 医者や看護師とて人間じゃ。そんな環境で頑張っとる者たちのために、せめて環境だけはきちんと整えてやりたいと思うのは、おかしいかの?」


 普段の尊大な態度からは想像のつかない細やかな気遣いに、シドは素直に感心する。業種は違うとはいえ、弟子兼部下を持つ身となった彼にしてみれば、見かけは小さくとも彼女は先達。学ぶことも多いというものだ。


「立派な心がけだと思うけどな。若いのに大したもんだ」


 何か皮肉か嫌味でも返されるかと思っていたが、エマは苦笑するばかりで、シドも少々拍子抜けである。

 だが、そのかげりは長くは続かない。二皿目、ショートケーキに手を付けたエマの顔には、興奮と期待感が満ち溢れている。


「で、事件の手がかりは、なにかつかめたかえ?」

「ぼちぼちだな」

「確かお主ら、魔法使いもどきとやらを追ってるんじゃったな?」


 追ってるという言い方は正確ではないが、それはこの際どうでもいいし、問題の本質ではない。肝心なところ以外は、誤解しておいてもらったほうが都合がいいことだって、この世にはあるのだ。

 エマはショートケーキを六手ほどで片付けると、すぐさま次のクレームブリュレに手を伸ばす。甘いものがそれほど得意でないシドからすれば、見ているだけで胸焼けしそうなハイペースだ。


「魔導回路がないのに、魔法を使う連中か。もどき、とはよく言うたもんじゃの」

「そういう症例って、見たことあるかい?」


 んー、と唸るエマだが、スプーンを止める気配は微塵みじんもない。


「魔法が使えなくなった、って患者はよく来るがの。魔法が使えるようになったからどうにかしてくれって相談は受けたことがないな」

「魔法を使えるようになりたい、ってヤツは来ないのか?」

「そういうやからこそ、普通は管理機構ギルド養成機関アカデミーの門を叩くのではないか?」


 それもそうか、とシドは思い直す。

 もっとも、魔法を使えない人間がその手の組織に相談しに行ったところで、「魔法を使えるようになってから、またお越しください」とやんわり門前払いを食らうのがオチなのだが。


「お主ら、人工魔導器官はもう見ておったはずじゃな? あれもだいぶ難儀な技術での」


 クレームブリュレを討伐したエマは、紅茶で喉を潤すと、すぐさま次のティラミスに挑まんと手を伸ばす。


「工業的に作るのも、生体から取り出して培養するのも、難しいことに変わりはない。魔法を使うメカニズムが解明されれば、もう少しうまいこと作れるのかもしれんが、メイドの小娘が調べたとおりで、そっちはそもそも計測技術の問題じゃ」

「仮に、人工魔導器官ができたとして、それを移植する技術は問題ないのか?」

「なめてもらっちゃ困る、我々の技術は完璧じゃ……と言いたいところじゃが、そうも行かないのが難しいところでの。

 人工臓器の移植っていうのは、単に手技だけで成否が決まるもんではない。予後に拒絶反応が出てしまえば、その移植は失敗と見なさざるをえないからの」

「拒絶反応ってのは、具体的に何が起こるんだ?」


 首を傾げるシドを尻目に、ティラミスを制覇したエマが挑むのは苺のミルフィーユだ。食べているものと話の内容が見事に噛み合っていないが、ふたりとも全く気にしていない。


「人間には、体内に侵入した異物を排除しようとする機能が備わっている。それくらいは知っておるな?」


 免疫のことか、とシドは頷いた。日本ジパングにいた頃に本で読んだことがある。


「もし仮に、本来存在しない、あるいは自分のものでない器官や臓器を、人体に移植したとする。その時、体はどういう反応を示すか?

 ……ここで何も起きなけりゃ、医者はもう少し枕を高くして寝られるんじゃが、そうは問屋がおろさんのよ。程度はともかくとして、ヒトの免疫というのは移植された臓器を異物とみなして攻撃する。それが拒絶反応じゃ」


 滔々とうとうと語ったエマは、既に倒壊しているミルフィーユに少々乱雑にフォークを突き立て、大口を開けて一気にかぶりついた。


「往々にして、

 数ヶ月かけてゆっくり症状が出る場合もあれば、数時間で容態が悪化して、最悪死に至ることもある。程度はともあれ、必ず起こる反応じゃ」


 数手と持たずにしてしまったミルフィーユのパイ生地を口に放り込んだエマは、その軽やかな歯ごたえを楽しみながら、あっさりと臓器移植のリスクと死の可能性について言ってのけた。


「長々話をしてきたが、つまるところ、全ての患者が人工臓器を受け入れられる体質とは限らないし、むしろ術後の経過観察のほうが重要じゃ。拒絶反応が比較的弱ければ、薬で免疫側を少し弱らせて定着を待つことになるし、劇的なものなら再摘出しなきゃならん」

「それじゃ、人工魔導器官を移植しても、魔法使いの一丁上がりってのは」

「相当甘い見通しと言わざるをえないな。できたとしても一朝一夕にというわけにはいかんだろ。その後に魔法を制御できるよう訓練しなけりゃならんから、手術から実際に魔法を使うまでは、年単位でスケジュールを組まねばならんだろうな」

「その間はずっと病院通いで、定期的に検診を受けなきゃいけないってことか?」

「訂正せい。その後も、じゃ」


 ふむ、と顎に手を当てて考え込んだシドの思考は、それこそ混迷を極めつつある。

 エマの言葉を真実とするなら、魔導器官を移植して魔法使いもどきを仕立て上げるという線は、ほぼ完全に否定される。手術痕もさることながら、魔法を使うまであまりにも時間がかかりすぎる。魔法使いもどきたちに通院歴があったかどうかはアンディに確認しないとわからないが。もしないとするなら、魔導器官を移植するという線は消える。

 

――魔法使いもどきあいつらはどうやって、魔法を使うに至った?


「顔に出ておるぞ、坊主よ」


 考えが振り出しに戻って苦悩するシドを、幼女の顔には似合わない、悪趣味な笑みを浮かべたエマが茶化す。


「あまりにも細い一縷いちるの望みが絶たれた、とでもいいたそうな顔じゃの」

「……そうでもねーさ。専門家が無理って言ってるなら、そっちの方針も諦めがつくってもんだし、その分他の可能性を調べるのに集中できるからな」

「やる気のなさそうな面構えの割には、考えがずいぶん前向きじゃの?」

「そうでも思わねーとやってらんないのさ」


 苦笑いを浮かべるシドだが、そこには昏さはない。むしろ、どこか吹っ切れたような潔ささえ感じさせる。それを見たエマは、おかしなやつじゃのう、とドーナツにかぶりついた。

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