6.2 いつまで猫をかぶっていらっしゃる気なのかしら

 魔法使いと魔導士の違いってなんですか――?


 魔法使いは魔法を使う者のことだ、と説明すると、大抵はこういう質問が返ってくる。

 結論から言ってしまえば、「国家機関のお墨付きを得て、魔法の使用を許可されている魔法使い」が魔導士と言い習わされているのである。有資格者であるが故に、「士」の一字が与えられることこそその証左しょうさ。魔法使いの明確な違いはそこにある。

 つまるところ、「魔法を使いたいなら魔導士の資格をとりなさいよ」ということだ。「資格持ちホンモノ」と「無資格モグリ」の差は天と地ほどに開く。シドとローズマリーがこれまで逮捕してきた連中のように、無資格の者が魔法を使えば、それは刑事罰の対象になりうる。

 ただし、その解釈の幅は、個人によって相当にばらつく危険性がある。アンディのように、事件として大事にならない限り目をつぶる穏健派もいれば、指先から炎をだしてタバコに火をつけるのもまかりならん、と厳しく取り締まる姿勢を見せるものもいる。

 ただ、使える人間が限られている点を除けば、魔法の本質なんてちょっと生活が便利で豊かになるシロモノ、便利グッズや白物家電とそう大差はない。そういう事情があって、各国ではガイドラインを定め、資格なしでも使える魔法の規模と運用範囲の枠組みを定めてどうにか対処している。

 これまで幾度か名前が出てきた魔導士管理機構ギルドだが、単に魔導士資格を発行・更新するだけでなく、魔法を運用するあたってのルール作りも担う、大変重要な組織である。シドやローズマリーといった魔導士だけでなく、クロのような使い魔も含め、魔法に関わる者は必ずお世話になる組織なのだ。


 ローズマリーとクロを伴って管理機構の呼び出しに応じたシドは、正門前で腕を組んで仁王立ちしているウルスラを見て思わず回れ右をした。


「待ちなさい、ムナカタ」

「やなこっ……ぐぇ」


 【加速】魔法で一足飛びに距離を詰めたウルスラは、シドの首根っこをひっつかんで中へ引きずってゆく。万屋の女性陣に助けを求めるシドだが、どちらも呆れ顔で助け舟を出してくれる様子はない。


「わかったわかった、逃げねーから放してくれよ。とりあえずちゃんと話は聞くからさ、な?」


 ウルスラは嫌な虫を見る目つきでシドを一瞥すると、ようやく手の力を緩めた。やれやれ、とシドは首周りを撫でる。


「せっかくアイロンを掛けてもらったシャツがぐちゃぐちゃだぜ……。で、ウルスラ、今回の要件はなんだ?」

「詳細は会議室でお話ししますわ」


 木で鼻をくくった態度を取られるのは珍しいことじゃないが、今日のウルスラは特に難しい顔だ。その様子がやはり気になるのか、隣を歩くローズマリーが小声で話しかけてきた。


「ウルスラさん、ちょっと不機嫌そうですね。先生、お心あたりはありませんか?」

「あるわけねーだろ。だいたい、あいつがあんな顔なのは今日に始まったことじゃねーしな。ありゃ多分、前世で何かしら不満を抱いて死んでったんだろうぜ」

「聞こえていますよ?」


 うっ、と口をつぐむローズマリー。それで終わりにしておけば良かったのに、シドはついいつもの癖で、余計なことを口走る。


「空耳じゃねーか?」


 半ば煽り文句とも取れるシドの一言に、ウルスラは脊髄反射もかくやという速度で青筋を立て、黄色の魔力光を纏う。さすがにまずいと思ったのか、シドも平謝りせざるを得ない。口は災いの元とはよく言ったもので、師匠の浅慮に少女と黒猫は言葉もない。

 始まる前からこの調子では先が思いやられる。やっとの事で怒りの矛を収めたウルスラの後を、シド達はため息混じりについていった。





 管理機構ギルド本部、長い廊下を行った先にある会議室。そこにはすでに先客がいた。

 窓の外を眺めている和装の女性は、一同に気付くと、ゆっくり振り向いて微笑む。


「おひさしぶりですね、ムナカタ君」

「……なんであんたがここにいるんだよ、カレン」

管理機構ギルドの職員ですもの、ここにいても不思議はないでしょう?」

「そりゃそうかもしれねーけど」

「本部からの辞令で呼び戻されましたの。断る権利なんて、最初からありませんわ」

 カレンの柔和な笑みとは対称的に、シドが浮かべるのは苦い顔だ。「そいつは結構なことで」とややつっけんどんに言い切ると、シドは手近な椅子に座る。万屋ホームでなくても遠慮を知らない彼の態度に気色ばむウルスラだが、カレンに制されて矛を収めた。


「ウルスラ、少しお願いが」

「何でしょう、お嬢様?」

「打ち合わせの間、少し席を外してくださらないかしら?」


 上品で柔らかな言葉ではあるが、要は「すっこんでろ」ということである。


「……わたしは要らない子なのですか、お嬢様?」

「そんなことは言っていませんし、いくらなんでも動揺しすぎですわ、ウルスラ」


 目に見えて狼狽するウルスラを見て、こいつ面白いな、とシドはニヤニヤしてしまう。いつもだったら真っ先にその視線に気づくはずのウルスラが全く反論してこないのだから、その動揺ぶりも推して知るべしである。

 彼のそばにいるローズマリーも明らかに困惑の表情を浮かべている。かつて、少女を万屋ムナカタに引っ張ってきたのは他ならぬウルスラだ。いつも生真面目で冷静沈着な振る舞いを見せていたお姉さんが「席を外せ」の一言で動揺しているのだから、少女が戸惑うのも無理もない。そんな少女の足元では、黒猫が「興味ないね」とばかりに大あくび。

 三者三様にやりたい放題の表情を浮かべている万屋ムナカタの面々だが、そんな彼らを見てなお、カレンは最初から微笑みを崩さないままだ。その強固さ、シドの【防壁】といい勝負である。


「お嬢様……そんな………」

「この仕事は非常にセンシティブですわ」


 慈母じぼもかくやとばかりのカレンの穏やかな微笑みだが、紡ぎ出される言葉は鉛のように重い。

 

「イスパニアの魔導士管理機構ギルドが、無資格の魔法使いの取り締まりに本腰を入れる。それが知られれば、国内だけでなく国外の動向にも何かしら影響が出るのが必定ひつじょう。だから、この仕事は少数精鋭でかかるべきだと思いますの。事情を知る者は、可能な限り少なくしたいのですわ」


 ぐぬぬ、と歯噛みして悔しがっていたウルスラだったが、幾度か深呼吸をして落ち着きを取り戻し、いつもの口調で承諾の意を告げた。


「……わかりました。お嬢様のご意思を尊重します。表に控えていますので、いつでもお呼びください。特に」


 まるで妹のおねだりに弱い姉だな、とニヤニヤしていたシドだったが、キッ、と音がしそうな鋭い眼差しで睨まれて、つい背筋を伸ばしてしまう。


「そこの不良魔導士の不埒ふらちな振る舞いには、くれぐれもお気をつけください」

「俺、どんだけ信用されてねーのよ?」


 ここまで不穏分子扱いされては、もはや怒る気にすらなれない。

 いつもよりちょっとだけ肩を怒らせて出てゆくウルスラの後ろ姿を見送り、扉に錠を下ろしたカレンは、上品に笑いながら振り向いた。


「ごめんなさいね、ムナカタ君。ウルスラに悪気はなくってよ」

「あれが悪気じゃないなら何の気なんだよ……」


 ウルスラが優秀で、文句の付け所のない秘書であるのは彼も認めるところだが、カレンが絡むと暴走しがちになるのが玉に瑕である。ただでさえシドに対して辛辣しんらつな物言いなのに、お嬢様がからむとそれが五割増しくらいになるのだ。いい迷惑である。


「まだお互いに自己紹介がまだでしたわね、メイドのお嬢さん。

 カレン・ガーファンクルです。管理機構ギルド所属の魔導士ですわ。ムナカタ君とは養成機関アカデミーの同期ですの」

「ローズマリー・CCです。よろしくお願いします、ガーファンクルさん」

「カレンでいいですわよ。こちらこそよろしく、クリーデンス・クリアウォーターさん」


 その言葉に、ローズマリーは握手しかけた手を引っ込めた。直後、飛び退きざまに白手袋を放り捨て、懐からトンファーを引き抜く。

 握手を拒否されてもなお、笑顔を崩さないカレンの真意が読み取れず、少女は警戒心を募らせる一方だ。


「万屋に出向中の、ムナカタ君の一番弟子でしょう? あなたが抱えている事情も、万屋にいる理由もヴァルタン警部から伺っています。そんなに警戒しなくても大丈夫ですわ。

 ……とはいえ、私もいささか配慮を欠きましたわね。ご容赦くださいな」

「……私の方こそ、失礼しました」


 再び一歩踏み出したローズマリーは、カレンと短く握手を交わすと、そそくさと手袋を拾い上げた。


「カレンは別に悪いやつじゃないよ、CC。ちょっと考えが読めないだけで、根は真面目で素直な人間だ」

「お褒めに預かり恐悦至極ですわ」

「あんたももうちょっと考えて喋ってくれよ、肝が冷えるぜ」


 シドの言葉をはぐらかすよいうに、カレンは柔らかく微笑う。

 その笑みには隙というものがまるで感じられない。ローズマリーも心のどこかで警戒しているのか、クールな眼差しはいつも以上に鋭さを帯びている。足元にいるクロも、先程までの呑気さはどこへやら、両の眼をぱっちり見開いて、カレンをまっすぐ見つめている。


「真面目な娘だからな、あんまりからかってやるなよ」

「あら、私は至って真面目ですわよ? CCさんをからかってるのは、むしろあなた達のほうではなくって?」


 何のことやら、と苦笑混じりに首をかしげるシドをさしおいて、カレンはしゃがみこんでクロに目線をあわせる。


「あなたもいつまで、猫をかぶっていらっしゃる気なのかしら、クロスケさん?

 ――いえ、『長く生きすぎた猫ナイン・ライブス』」


 にこやかに言い放たれたその一言に、シドも、そしてクロも、表情を凍りつかせた。

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