4.12 人は見かけによらないな

 あの夜の大立ち回りが夢か幻のように、慌ただしくも穏やかな日常への帰還を果たした万屋ムナカタ一行は、事件が終わって数日後、市電を乗り継いで警察署を訪れた。ローズマリーが警察から万屋ムナカタへ出向していることもあり、定期的に報告や意見交換をしているのだ。

 午後一時から四時間に渡る会議を終え、緊張もあって少々疲れた顔のローズマリーとシド(とあくびをしているクロ)にもたらされたのは、アンディ警部からのディナーの誘い。アンディに連れられた二人と一匹が訪れたのは、警察署の通り沿いにある立派な店構えのレストランだった。


「今回はご苦労だったね、お二人さん」


 個室に通されるやいなや、数種類の酒瓶と前菜アンティパストが早速運び込まれる。それを見たアンディホクホク顔。慣れた手付きでワインを注ぎ、乾杯もそこそこに飲み始めてしまう。流れるような一連の所作を眺めていた真面目な少女は、案の定、眉を寄せてため息をついた。


「どうしたCC、難しい顔して。何か悩みごとかい?」


 さすが刑事といったところか、アンディはローズマリーの様子の変化に目敏く気づいてからかう。


「……アンディ警部はもっと真面目な方と思ってました」

「警察が清廉潔白な連中の集まりってのは大きな誤解だよ。君やセンセイみたいな人間には、本当は向かない組織だ。僕くらいいい加減な方が上手く立ち回れるんだよ。二人とももう少し肩の力の抜き方を覚えたほうがいい。じゃないと疲れちゃうぜ」


 くっくっ、と笑いながらグラスを煽るアンディを見ているローズマリーの中で、警察のイメージがガタガタと音を立てて崩れてでもいるのだろうか。処置なし、とばかりに肩を落としている。


「これでも優秀で将来有望な若手っていわれてるから、人は見かけによらないな、CC」

「アンディ警部が優秀だってことは、私も承知してますけど」

「褒められてるんだかけなされてるんだか……」


 追加で注文した料理が運ばれてきたのに乗じて、クロもローズマリーの足元に行儀良く座りご相伴に預かる。

 この店に限ったことではないが、この街は妙に猫に理解がある。街中で野良猫に出会うのはしょっちゅうだし、レストランで残り物にありついている猫も少なくない。散歩から戻ってきたクロが食事も取らずに眠りこけている時があるが、あれはおそらく、外で何かもらっているからだろうとシドは踏んでいる。

 ちびちびとワインをあおりつつ、当たり障りのない世間話に興じていたシドだったが、一杯目のグラスが空になるかならないかくらいのタイミングで本題に入ることにした。


「この前の念動力使いテレキネシストの件、捜索の方は上手く行ってるか?」

「ひとまず片はついた。ぼちぼち新聞にも載る予定だけど、お二人さんは当事者だ、話しても支障ないだろうね。

 ……犯人は死亡した」


 アンディがさらりと口にしたとんでもない事実に、シドは思わず身を乗り出し、ローズマリーは息を呑んだ。


「パサート卿の別荘って、川のほとりに建ってただろう? あそこから一二〇キロ下流に農業用水の取水設備があるんだけど、そこで遺体が発見されたのが三日前。身元がわかったのが昨日だよ」


 食事中とは思えない物騒な会話だが、その場にいる誰もがそんなことを気にする様子はなかった。


「死因は?」

「窓を割って飛び降りたときに深手を負って、流されている間に出血多量で前後不覚になった、ってのが警察こっちの見立てだ。

 魔導士二人と警察を相手に大立ち回りを繰り広げた相手だ、逮捕するには相当の犠牲が出た可能性があるから、警察としては一段落してホッとしているってのが正直なところだね。容疑者死亡で事件に幕、ってのはこの世界、さして珍しい話じゃない。だけど……」


 ワイングラスを空にしたアンディが、ナイフとフォークを動かす手を止めて考え込んだ師弟をちらりと窺う。オレンジジュースを飲んでいた素面のローズマリーはもちろん、シドもいつものように手帳を開き、万年筆を掌で弄んでいる。


「魔導士の諸君は、腑に落ちないって顔をしてるねぇ」

「そりゃそうだろう」

「それはそうですよ」


 意図せず声が揃い、顔を見合わせるシドとローズマリーを見て、アンディは苦笑する。


「うまく連携の取れた師弟、いいじゃないか。さっそくご意見をお聞かせ願おうか?」

「あれだけ魔法の扱いに長けた人間が、脱出の時にお粗末にも怪我を負うというのがどうにも腑に落ちなくて……」

「その点は俺も同意見だ」


 経験の浅い魔導士らしいローズマリーの意見を、ベテラン・シドが補足する。


「俺から見ても、犯人は相当、魔法をうまく使いこなしていた。頑丈なテーブルで警察の射撃を防いで、小さい調度品を武器にする。部屋の中央に居ながら会場の大扉を封鎖できるほどに、効果範囲も広いし力も強い。

 それだけ強力な魔法を使いこなしながら、いざ脱出する段になって傷を負うというのは解せない。というかありえない」

念動力テレキネシスで窓を割ればいいんですものね」

「しなかったのか、あるいは、できなかったのか。魔力の制御に不慣れな人間があれくらいのことをすると、魔力容量しだいでは案外早くバテることはあるかもしれねーが、あれだけうまく魔法を使うやつに限って、力の加減を間違えるってのも考えにくいしな」


 話のきりが良いところで空になるグラスに、ローズマリーがすかさずビールを注ぎ、注がれた側はさらに酔ってくだを巻く。

 シドは酔っ払っても顔に出るタイプではないが、止めないと延々と話をし続ける悪癖があることを、付き合いの長いアンディはよく知っている。さらに悪いことに、ローズマリーが絶妙なタイミングでぽんと手を打つものだから、師匠がさらに調子に乗って話し続けるのである。ある意味タチの悪い組み合わせだ。繰り返すようだが、念動力使いに対峙したものとして思い当たるところがありそうなこの少女、完全な素面である。


「もっとも、肝心の犯人は天に召されてるから、真相は闇の中だ」

「……先生、私、やっぱりあの犯人が魔力切れを起こしていたとは思えません」


 シドとアンディの注目を集めていることに気づいたローズマリーは、居住まいを正し、ナプキンで軽く口を拭ってから話し出す。


「【加速】を目一杯使って、意表を突くために上から攻撃を加えたにもかかわらず、犯人は相当の余裕をもって私の攻撃を避けています。それほどの技量がある魔導士が魔力切れを起こすというのは、私には理解に苦しみます」

「緊張や興奮、焦りといった精神状態にあれば、魔力消費や変換効率は多少なりとも変わるからな。念動力テレキネシスでの消耗がどれくらいかとか、ヤツの本当の技量とかは、今となっちゃ闇の中だ。

 ただ、君の主張は一考の余地ありだ。あの奇襲を見切って反撃に転じたあたり、ヤツは相当修羅場に慣れてたと見ていいだろうな」

「……センセイ、ちゃんと魔法使いじゃないか。酔っ払ってそこまでの解説ができるならホンモノだ」


 ほっとけ、とアンディを睨みつけたシドを見て、ローズマリーは薄く微笑う。


「なんだよ、冷たいなセンセイ。こう見えても感謝してるんだぜ? それにちゃんと報酬も支払ってる」

「それにしたって、こんなペースで無免許モグリの魔導士とコトを構えてちゃ、俺も身が持たねーよ」

「上層部が本格的な魔導士対策に乗り出さない限りは、警察ぼくらはセンセイしか頼れる人がいないんだよね。まあ、せいぜいご自愛ください」


 ねぎらう気があるのかないのかわからないアンディの放言に、シドは両手を挙げて降参のポーズをとるしかない。


「でもアンディ、あんたは今まで色々な事件を扱ってるんだ。魔導士のあしらい方はわからなくても、犯人の深層心理のことはよくご存知だろ?」


 シドはビールを注ごうとするローズマリーを優しく手で制した。サービス過剰なのは結構だが、さすがに少しペースを落としたい。

 その対面のアンディはしばらく神妙な面持ちで考えていたが、いかんせん酒の席、長くは続かない。珍しく、やや自嘲的な笑みとともに口を開く。


「知っているって言ったら、それは思い上がり以外の何物でもないよ、センセイ。

 犯罪者の心理ってのは理論で説明できないところもあるからね。センセイの魔法の説明なんかよりずっとあやふやで不確定だから、これまでの推測を全部ひっくり返した挙げ句にミスリードしちゃうかもしれない。それでもいいなら私見を話してあげるけど、どうだい?」


 椅子の背もたれに寄りかかって不敵に微笑わらったアンディは、さあ何でも聞いてみな、と二人に向き直った。


「それじゃ質問だ。戦況が有利で、そのまま押し切ることもできたはずの犯人が逃亡する理由は?」

「想定外の抵抗を受けて、所定の目的の遂行が困難と判断したんじゃないかな?

 脅迫状から考えれば、最初は新郎新婦を殺害する予定だったけれど、場に居合わせた魔導士のせいで目論見が狂った。そもそも有利不利はセンセイの主観であって、向こうがどう判断したかは話が別だ。無理と見込んだら逃亡したって不思議じゃないだろ?」

「次、顔も身元も割れている人間が周りにいるにもかかわらず、犯行に踏み切ったのはなぜだ?」


 アンディは頭を振る。おそらく彼の言う「理論で説明できない範囲」なのだろう。


「公衆の面前、多くの人の眼の前で凶行に及ぶ人間は少なくないけど、その内心を推し量るのは難しい。そういう連中は犯行後に自殺するケースも多いしね」

「演説を襲撃したあいつもそうだったけど……逃げ切れる、という判断はどこから出てくるんだ?」

「よほど実力に自信を持ってるか、組織の後ろ盾でもあるのか……ってところかな? もっとも、指名手配が確実な人間をかくまう酔狂な組織があれば、って話だけどね」


 では私からも、とローズマリーが小さく手を上げる。


「アンディ警部、ダスター卿とルルーナ嬢が狙われる理由はなんでしょうか?」

「ルルーナ嬢が積極的に狙われる理由はないはずだ。パサート卿の取り柄は顔が広いことくらいで、強固な政治信条を持ってはいない。政局を読んで敵を作らないのが得意でね。結果、ルルーナ嬢の悪い評判も聞こえてこない」

「そうなると、本命として狙われていたのはダスター卿ですか?」


 ローズマリーはクロを撫でる手を止めて考え込む。クロは食事に満足したのか、いつの間にやら少女の膝で丸くなっていた。目こそ閉じているが、耳だけはクルクルと動いているあたり、わかりやすい狸寝入りだ。


「ダスター卿の背後関係はちょっとキナ臭い感じがする。いい噂を聞かない組織との付き合いもあるみたいだし、あれだけ急速に自分の会社を大きくした人間だから敵はいくらでもいるだろうしね。僕とセンセイを除けば、一番他人の恨みを買ってそうな筋の通りそうな説明ではあると思う」

「あんたと一緒にするなよ……」


 なるほど、と頷いたローズマリーはシドの恨み節を華麗に受け流し、感心したように口を開く。


「よくわかりました、ありがとうございます。そういう説明をしていただけますと、アンディ警部が警部らしく見えます」

「僕も一応、最低限の矜持は持ち合わせてるつもりなんだけどね。なんとか言ってやってくれよ、センセイ」

「元を辿ればあんたの部下だろうが……」


 なんで俺があんたのフォローをしなきゃならんのだ、と愚痴をこぼすシドだが、これまでも、そしてこれからも長く付き合っていくであろう相手だ。ほんの僅かでも恩を売っておくのは悪くないから、


「CC、アンディは普段の言動こそ不真面目だけど、警官としては非常に優秀だよ」

「お褒めに預かりどーも。ま、仕事の話はこれくらいにして、今くらいは料理と酒を楽しもうじゃないか」

「賛成だ。たまには飲まないとやってられねーぜ」

「飲みすぎないでくださいよ? 酔っ払いを支えて帰るなんてまっぴらごめんです。それが二人ならもっと無理です」


 年甲斐もなく高々とグラスを掲げた男二人を前にして、ただ一人酒の味のわからないローズマリーは、付き合ってられないとばかりにため息をつくのだった。

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